第17話 信長の正体

 海底での戦いが終わって、ほっとする間もなく、薄暗い海底の世界は、陽光輝く美しい里の景色へと瞬時に切り替わった。そこは、風の里のライカの家の近くだった。

「この風の里の世界は、ライカ様が創り出しているのですか?」

「いや違う、これは魔王が創ったものだ。今度は何を企んでいるのか……」

 無残に焼け落ちたライカの家がすぐそこに見える。二人は進むしかないと、ライカの家の方へ、四方に気を配りながら歩いて行った。

 その時、家の右奥の、林の向こうにある馬場の方から、女の悲鳴が聞こえて来た。

 神一郎達が声のする方に駆けてゆくと、馬場には大勢の武士に囲まれて三本の磔柱が立っており、その足元には、火炙り用の薪が山のように積み上げられていた。

 二人が更に近づいて良く見ると、その磔柱に裸同然で縛り付けられていたのは、ライカの父白龍斎と母の雪、そして、神一郎の母春風の三人だったのだ。

「母上!」

「父上! 母上!」

 二人が顔色を変えて駆け寄ろうとすると、それに気付いた武士達が行く手を遮った。

「どけ!」

 神一郎が彼らを蹴散らそうとするのを、ライカが止めた。

「神一郎、あいつを見ろ。恐らく魔王だ!」

 ライカの指さす方を見ると、家来たちに護られ、床机に腰を掛けた大将格の男が、不敵な笑いを浮かべて神一郎達を見ていた。

『やっと会えたな。神一郎、ライカ!』

 声は、紛れもない魔王のものだったが、男の顔を見て神一郎は驚いた。それは数年前、父と旅をしている時に見た、織田信長その人だったからである。

「信長!」

「何だと、あやつが信長なのか!」

 信長の顔を知らなかったライカが、神一郎に詰め寄った。

「間違いありません」

『驚いたか。今、安土城に居る信長は、この世を阿鼻叫喚の地獄に落とすために生まれて来た、儂の化身なのじゃ』

「……」

 魔王が現実世界に、それも、天下人である信長となって現れたと知った二人は、驚きで声も出なかった。

『どうじゃ、我らと共にこの国を治めて見ぬか。遠からず信長は、日本のみならず、この世界の王となろう。其方らが味方になるなら何でも与えようぞ、褒美は思いのままじゃ』

「馬鹿を言うな! この世は、お前ごときの居る場所ではない。さっさと地獄へ帰れ!」

 ライカが、間髪を入れず一喝すると、

『何じゃと!』 

 魔王は、ライカを睨み据え、顔を真っ赤にして怒りだした。

『後でほえ面をかくな! それ!』

 信長の顔をした魔王が合図すると、磔柱の下に控えていた家来たちが、槍を持って立ち上がった。そして、一気に殺しては面白くないと、白龍斎達の手足を突き始めたのだ。


「ウウッ!」「アアーッ!」

 白龍斎が、雪が、春風が、痛みに堪えきれず悲鳴を上げると、真っ赤な血が滴り落ちた。

 ライカと神一郎は、頭では現実ではないと分かっているのだが、目の前で起こる惨劇に、次第に引き込まれていった。

「やめろ! 三人を放せ!」

 父母への壮絶な拷問を見せられて、心が張り裂けそうになった神一郎が思わず叫び、ライカは、身を斬られるような痛みを必死で堪えていた。

『手ぬるいわ、もっと攻めよ!』

 魔王の非情な命が下り、白龍斎達への拷問は更に激しくなり、槍で突き裂かれた手足の骨が露出するに至ると、彼らの悲痛な叫び声は、神一郎達の心を限界まで追いつめた。

「こ、これまでか!」

 神一郎とライカがガクッと膝を折り跪くと、魔王は、ニヤリとほくそ笑んだ。


「神一郎――ッ!」

「ライカ――ッ!」

「た、助けて――!」

「……魔王の言う事を聞いて、……わ、私達を……救ってくれ―ッ!」


 父母達の口から、命乞いの言葉が発せられた。

「ん!」

 俯いていたライカが顔を上げた瞬間、彼女は、火炙り用に焚かれていた篝火の火を魔法のように操って、父母達の足元に積まれていた薪に火を放った。火は瞬時に燃え上がり、白龍斎達を炎の中に飲み込んだ。


 居合わせた五十人程の家来達が、刀を抜き放ち、鬨の声を上げてライカに突進した。

 だが、神一郎の、真一文字に斬り払った風牙の一撃が空気を震わした刹那、彼らの身体は一瞬の内に分断され、大地を血で染めて全滅していた。

『ふふ、惜しいのう。もう一息だったというに』

 魔王が悔しそうに、扇子で膝を叩いた。

「ふん、本当の両親なら命乞いなどせぬ。まして、子を犠牲にするなど有り得ぬ。小細工が過ぎたな信長、いや第六天の魔王!」

 ライカが魔王を睨むと、彼はニヤリと笑い、煙のように消えてしまった。


「危なかったですね。もう少しで、魔王の策略にはまるところでした」

「うむ、だが、我らに小細工は効かぬと、奴も悟っただろう。直ぐに、あちらからお呼びがあるはずだ」

「いよいよ最終決戦ですね!」

 ライカと神一郎が、力強く頷き合った。


 

 魔王からの招待は直ぐに来て、また世界が変わった。

 赤い空、荒れ果てた大地、その大地に黒い河がくねっていて、その後方には魔王の住処らしき黒い巨塔が林立していた。ライカ達は、その魔城を遥かに見通せる丘の上に立っていた。

「不気味な世界ですね。空気が異常に熱いのに、空には雲一つ無いし、風も無い」

「魔界だからな、我らの常識は通用しないのだろう」

 その時、二人は、地鳴りのような音と地面の微動を感じた。

「神一郎、何か来る。油断するな!」

「はっ!」

 大地の震えは徐々に大きくなって身体を揺らし、不安をよぎらせる地鳴りは、激しく耳を打ち出した。

「ライカ様、黒い河がこちら伸びて来ます?!」

 地鳴りのする方向に、しきりに目を凝らしていた神一郎が叫んだ。「何を言っているんだ!?」と、ライカも目を凝らす。

「あれは、魔王の軍勢ではないか!」

 言われて神一郎も、それが認識出来た。黒い河だと思っていたのは、ムカデ、蛇、サソリ、蜘蛛、トカゲなどに似た巨大な魔獣達だったのだ。彼らは、ライカ達の居る丘目指して、津波のように押し寄せて来ていた。

「でかい! あのサソリの化け物は、背丈が七丈はありますね。蛇に至っては十五丈はある。それに、あの黒い河が全て魔獣だったら、とんでもない数ですよ!」

 神一郎は、魔獣達のあまりの多さに、一瞬、恐怖を覚えた。

「神一郎臆したか! 魔王を倒すまでは、挑み来るものは何者だろうと蹴散らすしかない。相手が人間でないなら、遠慮も手加減もいらぬ。いくぞ神一郎!」

「はっ!」

 二人は風を起こすと、神一郎は魔獣達目掛けて低空を直進し、ライカは空高く舞い上がって、雷撃の準備に入った。

「行けーッ!!」

 神一郎の刀が真一文字に振り抜かれ、風牙が炸裂すると、先頭集団の数百の魔獣達は、巨大な壁が崩れるように、土煙を上げて倒れ込んだ。だが、魔獣達の勢いは止まらず、倒れた仲間を踏み越えて、尚も驀進して来る。

「これでは焼け石に水だな……」

 神一郎は、そう呟きながらも、果敢に魔獣達の中へ斬り込んでいった。


 巨大な蜘蛛が、空中で奮闘する神一郎を絡めとろうと、銀色の糸を吐く。その糸が他の魔獣に絡まると、七転八倒して、終には身動きできなくなった。この銀の糸には強力な粘着力があって、身体の自由を奪うようだ。蜘蛛は、動かなくなった仲間にも躊躇なく針を突き刺し、身体中の水分を吸い上げ、干からびさせた。彼らにルールは無い、あるのは、魔王への服従と、目の前の敵を倒すという本能だけなのだ。

 無数の鋭い槍のような足で攻撃してくるムカデ。トカゲの長い舌から垂れた唾液は、シューシューと煙を上げて物を溶かした。蛇は、その鋭い毒牙で追い回し、毒液を噴霧する。サソリも、巨大な尻尾を鞭のようにしならせて毒針を突き立て、鋭い腕のハサミは、まるでギロチンのようだ。

 魔獣達の執拗な攻撃を風の盾でかわしながら、彼らのど真ん中に斬り込んだ神一郎は、フーッと大きな息を吐いた。

 次の瞬間、身体を独楽(こま)のように回転させながら、渾身の風牙を放った。

 途轍もない風の力が空気を震わし、衝撃波の波紋が瞬時に広がると、数万の魔獣達が一瞬で薙ぎ倒され、その死骸の山は、神一郎を中心に地上に大円を描いていた。 


「神一郎、少し休め! 今度は私の番だ!」

 空から、神一郎の戦いぶりを心配そうに見ていたライカの声が響き、神一郎も空へと舞い上がった。

 既に、空は雷雲に覆われて稲光が点滅し、攻撃態勢は整っていた。眼下には、空を見つめる魔獣達の無数の赤い目が蠢いている。

 神一郎が、退避したのを見計らって、ライカの独り舞台が始まった。

 ゴロゴロと控えめに鳴っていた雷が、凄まじい天鼓へと変わる。その途端、

「ズダダダダ――――ン!!!」

 途轍もない閃光が魔界を真っ白に照らし出して、無数の稲妻が天と地を繋いだ。

 地上の数万の魔獣達は、嵐のような雷に打たれて焼け焦げ、破壊され、逃げ惑った。ある者は地中に逃げようとして、頭を地面に打ち付け、ある者は、仲間の身体の下に隠れようとして共に焼け死んだ。

 彼らの悲痛な叫びは、雷鳴に掻き消されて誰にも届かず、阿鼻叫喚の地獄絵図が大地を埋め尽くしていた。

 それでも、雷鳴は途切れることなく天地を震わし、稲妻はこれでもかと大地を打ち続け、砕き、裂いた。

 終には、無数の大地の裂け目は、彼らを奈落の底へと飲み込んで、魔獣達は壊滅した。


「こ、これが百龍雷破!? 何という凄まじい技なんだ……」

 魔獣達が壊滅しても、百龍の雄叫びは、まだ止まらない。神一郎は、ライカという存在に恐怖さえ覚えるのだった。

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