第8話 吐いた血の口紅

戦の直後ということもあり、国葬は小規模に営まれた。

しかしそれでも一国の王の葬儀である。

弔問に訪れた各国の使者はすぐに千を超し、それなりの規模となっていた。


「姫様、御気分はいかがですか?」

倒れたばかりの私を気遣ってアルヴィアが心配そうに耳打ちをしてきた。

そんな顔しなくても大丈夫よ。

こんな時ですもの、しっかりしないと父様に叱られちゃう。


見知らぬ参列者の悔やみの言葉にお礼を述べながら、私は無理矢理に笑顔を作った。


ちょっと引きつってるかしら?


それを見た彼女の目が一瞬寂しそうに細められる。

大丈夫だって、アルヴィア。

気を使ってくれてるのは分かるけど、最近心配性になってない?


ここ連日の騒ぎで少し痩せてしまった私の顔色が優れないのは、仕方ないのかも知れない。でもそれは兄様も同じこと……。


私は優雅な仕草で弔問客の対応をしている兄様の姿を見ると溜息を吐いた。

つい先日王である父を亡くし、自分の命をも奪われそうになっていた人物だとは到底思えないほど毅然としている。


私もしっかりしなくちゃ……。

私は重なる疲労に力の抜けそうな足を踏ん張って、目前の見知らぬ使者に頭を下げた。


そう言えばライナスはどこに行ったのかしら……。

朝から続く長い列は途切れることがなく、私はこの場を動けなくなっていた。


いくらなんでも葬儀に甲冑では参列できないと、一度魔国に戻り着替えを済ませてから戻って来るって言ってたけど……。


私はキョロキョロと大広間の中を見回した。

溢れる人ごみで視界が遮られ、その姿を見付けることは出来ない。


「大丈夫かリーナ、少し休んでくるといい」

落ち着かなくなっている私に気付いたのか、兄様が声を掛けてきてくれた。

「え……でも……」

「ここは大丈夫だから。お茶でも飲んでくるといい、昼間から休みなしだろう」

それは兄様だって同じこと……そう言おうとした時、アルヴィアがゆっくりと手を取った。


「隣の間にライナス様の姿がございましたが……」

アルヴィアって何でもお見通しなのね。

「分かったわ、行ってみる」

頷いてからアルヴィアと共に、参列者のために用意されていた隣の広間へと歩いて行く。

それにしても凄い人数……。


人前に出たことがない私は、小規模な国葬だと聞いていたのに、その想像との差に驚いていた。


「あ……」

開け放たれたままの扉を潜るとすぐにライナスの姿を見付けることが出来た。

だって一人だけ覆面してるんですもの、目立つわよね。


「ライ……」

近付きながら声を掛けようとした私の耳に、雑踏の中の会話が聞こえてきた。

「……は魔国へと嫁ぎ、悪魔と契約したらしい……」

「?」

なんですって?

今何が聞こえたの?


「……化け物のように竜を操り、人々を焼き殺す野蛮な国だとか……」

皮肉めいた声はくぐもり、ざわざわとした人の隙間から聞こえて来る。


「エルネスタ王も大それた事を考えたものだ。娘を生贄に戦力を欲したと伺える。それも亡くなった今、果たせぬ夢となってしまった。人間欲深くなると天罰が下るものなのだな」


「………!」

私は信じられない言葉に足が震えだした。

我欲のために他国を侵し、大勢の住人を殺す方がよっぽど人間のすることじゃないわよ!


「魔族に娘を嫁がせたとて、残された若い王子に何が出来よう。この国が救われないのは今も昔も同じこと……」

そう言った直後に聞こえてきた含むような嫌らしい笑い声に虫唾が走る。


この国が襲われていた時には傍観し、見殺しにしておきながら、国葬には何食わぬ顔で参列し作り笑いでお悔やみを述べる。


世界最弱の国とは国交を密にせず、いつでも優勢な立場へと身を翻すことが出来るよう考えられた人間同士の軽薄な関係に、私は胸が苦しくなるような嫌悪感を抱いた。


「大黒柱を失った家は容易く崩れるもの……」

それってこの国の事だとでも言うのっ!?


あまりにも酷い揶揄に怒りで震える拳を握り締めた。

その時、どこかの国の姫なのだろうか、口元に扇子を当てた黒髪の少女が勝気な笑みを浮かべて話し掛けてきた。

歳は私と同じくらいだろうか……。


「あらぁ? 貴女、噂の呪われた姫君ですの?」

なんですって!?

とんでもない事を口にした少女を睨んだ時、今まで聞こえていた噂話をした人達だろうか、数名がこそこそと部屋を後にする姿が視界の端に映った。


「……このような所では落ち着いてお話が出来ないでしょう。お菓子が用意されていますのでこちらにどうぞ……」


険悪な雰囲気を察知したアルヴィアが誘導したのは、部屋の端にあるお茶とお菓子が並べられた場所であった。


「私一度お会いしてみたかったのよ。噂だけはお聞きしていたのに、お姿は一度も拝見したことがなかったんですもの」


じろじろと、まるで珍しい動物でも見るように上から下までを嫌らしい視線で撫でられる。


甘やかされて育てられてきたであろう、その世間知らずな口振りと口元に浮かべた薄い笑みは私を苛立たせた。


「舞踏会にも晩餐会にもいらっしゃられないんですもの、幽閉されていたという噂は本当ですの?」


ズケズケと聞いてくる不躾な姫君の言葉に、アルヴィアが息を呑む気配を感じた。

言い返したいけれど何処の国の姫君なのかも分からない。

騒ぎを起こして父様の葬儀を汚すようなことはしたくはないわ……。


「深窓の姫君は舞踏会などで男を漁るような真似はしないものだ」


返事に困って唇を噛みしめていると真後ろから低い声が聞こえてきた。

振り返らなくても分かる。ライナスね……。

「まぁ! 失礼な方!」

きっぱりと言い返され、真っ赤になって激怒した姫君が覆面のライナスを睨み付けた。


「失礼はどっちだ、我が妻を愚弄するとは許し難い」

そう言った瞬間、今まで真っ赤だった姫君の顔から血の気が引くのがはっきりと分かった。


「きゃ……っ」

細い悲鳴は人ごみにかき消され、誰も振り向く者は居ない。

「ま……魔族が……どうしてここに……」

ガタガタと震えだした指先で扇子を握り締めている。


「妻の父が崩御されたのだ。居て当然であろう。そのような事も分からぬのか」

嘲るような溜息と共に冷やかな視線で見詰めるライナスの言葉は厳しく、私の背筋を冷たいものが走った。


「わ……私を侮辱するとは……許しませんわよっ!」

怒りに燃えた瞳にはうっすらと涙が光っている。

今までこのような言葉を掛けられたことはないのだろう。

プライドの塊のような少女はライナスと対峙したまま震えていた。


「ほぅ、用事があるのならば我が国で聞こう。使者でも何でも送って来るが良い」


目を細めて言い募るライナスの声は見たこともないくらいに冷やかで、私は彼の腕を掴んだ。


「もういいから……」

話を遮った瞬間、憤怒に目を充血させた少女が私を睨み付ける。

「貴方っ、魔国に嫁いだからと言っていい気になってるんじゃ御座いませんわよっ!」


……いい気になんてなってないんだけど……。


急な言い掛かりに困惑して言葉が出てこない。

「父様に頼んで、いずれ下賎な魔国なんか滅ぼして差し上げてよっ!」

呆れていた私は、人差し指を突き付けられたまま断言されて息が詰まってしまった。


「……愚かな」

ぼそりと言ったライナスの言葉に黒髪の姫君の鼻息がさらに荒くなった。


「せいぜい生贄として寵愛を請いながら、その身で祖国を守るがいいわっ!」

なんですって……!?

私は耳を疑うような辛辣な言葉に驚愕した。


「……立ち去れ、此処はお前のような者が来る場所ではない」

震えだした私に気付いたのか、一段と低くなった声でライナスが言った。


「勿論帰りますわよっ、珍しいからと呪われた国なんかに来たのが間違いでしたわっ!」


「あ……あのっ……」

悔しいけれど怒らせたまま返してしまったら兄様に申し訳が立たないわ。

くるりと身を翻した姫君に慌てて私はその腕を取ってしまった。


「放して頂戴っ!」

パシッ!

「!」

力任せに払われて、姫君が持っていた扇子が顔を掠める。

その衝撃に驚いた途端手を放してしまった。


「あ……」

声を掛けようと、もう一度手を伸ばしたが姫君はそのままパタパタと走り去ってしまった。


「私が話をしてきますので……」

その後をアルヴィアが追う。

そうね、私が行くよりいいのかも。


「……もうっ!」

ライナスを振り返り文句を言おうと口を開きかけた。

でも彼は私を見るなり、その表情を驚きに変えたわ。


「……ちょっと来い」

腕を掴まれたまま強引に連れて来られたのは、人気のない回廊の端だった。


一体なんなのよ、もうっ!


ようやく腕を開放されて私は仁王立ちで怒りを露にした。

振り返ったライナスの顔が間近に近付き、息が掛かるくらいに接近する。


なななな……なに!?

急な展開に私は驚いたまま動けなくなった。

そのまま上向かされ、長い指で唇をなぞられる。

「!?」


その瞬間ぴりっとした痛みが走り、口の中に血の味が広がった。

え……?


「……お前を愚弄した上に傷付けるとは、全く許し難い女だ」

不機嫌に呟いたライナスの言葉で、私はさっきの扇子で唇を切ったんだと理解した。

少しだけ吐き出してみた掌の液体は真っ赤な血の色をしている。


……やっぱり……。

唇に残る血の口紅をライナスの長い指が丁寧に拭き取ってくれた。

「……良く我慢したな、だがお前は何も知らずに我が国へと嫁いで来た。あのような言葉を言われる筋合いはない」


じっと唇に当たるライナスの視線がくすぐったい。

「私……」

何を言っていいか分からずにそのまま言葉を飲み込むと、ライナスが頭を優しく撫でてくれた。

やめてよ、今優しくされたら泣きそうになるじゃない。


「俺はお前を生贄として貰い受けたつもりはない」

うん、それは分かってる……。

「……父様と神竜の約束でしょ?」

正解を……言ったつもりだったけど、ライナスの目が一瞬細められたのは何故かしら?


「姫様、そろそろお戻りになられませんと……」

不思議に思って聞き直そうとしたんだけど、呼びに来たアルヴィアに遮られてしまった。


そう言えばまだ弔問の最中だったんだわ!

焦った私は「大広間に戻るわね」と言ってアルヴィアの元に駆け寄る。

その背中でライナスの深い溜息が漏れたのに気付くことは出来なかった……。

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