第7話 殴ってもいいわよ、十倍にして返してやるけど
「あ……」
急な目覚めに一瞬戸惑ってしまった。
見知らぬ部屋には朝日が差し込み、室内を明々と照らしている。
窓から見える緑の風景と壊れた城壁。
まだきな臭い空気に、私はここがエルネスタ城なのだとようやく気が付いた。
最近は魔国のお城で寝起きをしていたから、一瞬ここが何処だか分からなかったわ。ついこの前嫁いで来たと思ってたのに時間の流れは速いものね……。
「気が付かれましたか」
寂しさを感じ辺りを見回した私に、優しく微笑みながらアルヴィアが近付いて来た。
「私……倒れちゃった?」
意外だけれど、何となく分かった。
だって記憶が途中から全くないんですもの。
「はい、心労が祟ったのでしょう。一晩ぐっすりとお休みでした」
「そう……」
私はゆっくりとベッドから起き上がると、大きく背伸びをした。
初めて馬に乗った時ほどではないにしても、筋肉痛で体が痛い。
「……っ」
背中に走った痛みに顔をしかめた瞬間。
部屋の端にあった扉が開いた。
「ライナス……」
扉の向こうに立っていたのは不機嫌な顔をしたライナスだった。
……そんな目で睨まなくてもいいじゃない。
「……全くお前は無茶ばかりをする……」
ガイルが扉を閉める音と同時に、ライナスが低い声で言った。
「……ごめん……なさい……」
私は掛けてあった羽毛布団で顔を隠しながら謝った。
止められたのにあれだけ暴れたんですもの、怒られても当然よね。
でも、私だって必死だったんだもん。
国が襲われ街は焼かれ、父様は殺されたのよ?
その気持ちが分かる?
心配してくれたのは分かるから殴ってもいいわよ、でも悔しいから十倍にして返してやるけど。
「怪我はないそうですが、突然倒れたので驚きましたよ」
「ガイルにも心配かけちゃったわね……」
そう言って頭を下げた私に向かって「当然だ」とライナスが頷いた。
じろりと睨む金の瞳が、さらに怒りを表してる気がする。
ううう……分かってるってば。
「……だが、お前の気持ちも分からんでもない。父が目の前で殺されたのだ、逆上もしよう」
ベッドの脇に寄り添いながらライナスが優しい声で言った。
初めて掛けられたその声色に驚いて見詰め返してしまう。
猫のような金の瞳が朝日に輝いて綺麗だわ……今まで怒ってたのに全然印象が変わるのね。
じっと見惚れているとコンコンとノックする音が室内に響いた。
「はい」と返事をしてからアルヴィアが扉を開けると、心配そうに佇んだ兄様とヴァルターの姿があった。
「気が付いたのか、医師は過労と精神的なものからの失神だと言っていたが、心配したよ」
優しく掛けられた兄様の声は穏やかで、心に染み入るようだった。
「……お前を亡くしたら私には肉親がいなくなるんだよ。これからは無茶をしないでくれ」
あぁそうか、肉親が一人も居なくなるのは兄様も一緒だったんだわ。
「……ごめんなさい、これからは気を付けます。最期に父様にも怒られちゃったし……」
言った瞬間、兄様の顔が寂しげに曇った。
「父様は最期までお前の心配をしていたよ」
え……?
そんなこと……あるはずない。
私は信じられない言葉に一瞬耳を疑った。
決して近寄らせず、呪われた娘として幽閉してきたのに。
「姫様の婚礼を急がれたのは、こうなる予兆があったからです」
今まで黙っていたヴァルダーのしゃがれた声が響いた。
「隣国が同盟を組み始めたとの知らせがあったのが、丁度ふた月前の事でした。先の戦で第一王子を失い、軍の士気と戦力を失ったこの国では最早持ち堪えられないだろうと考えられ、幼い頃から寂しい思いをさせてきたリーナ様だけは何があっても助けたいと、人の手の届かない魔国に自ら縁談を持ち掛けられたのです……」
初めて聞く内容に驚いて、私は動くことも出来なかった。
でもそれって……。
「アルヴィアも知っていたの?」
その言葉にアルヴィアは大きく頭を振った。
「アルヴィアには言っておりません。母のいない娘は、リーナ様と共にお后様に育てて頂いたのも同じ。姉妹のように仲の良い二人なら、一緒に魔国に赴くことは分かりきっておりました」
そうだったんだ……と言うことは他の侍女達は知っていたのね、だから……。
私は嫁ぐ日のことを思い出して涙が出そうになった。
ずっと余所余所しかったのは事情を知られないためだったんだ。
皆「姫様お幸せに、お元気で」と声を掛けてくれてたじゃない……。
気付けなかったのは自分の思い込みと幼さのせい。
この城の人間は私を気遣ってくれてたのね。
でもその中の何人もが既に亡くなっているんだわ……。
私は布団を握り締め、震える唇を噛んだ。
「王は身に迫った危険を察知すると、私に王子を守るよう命じられました。そして御自身は……。王は武術に長けてはいらっしゃらなかった。口下手で体が弱かったため、私を傍に置かれていたのですが、王子の命を優先に考えられたのです」
ヴァルダーのしわだらけの目元に涙が光っている。
私は何を言ったらいいか分からず動けなくなっていた。
「しかし昔より智略に優れ、戦略に長けた方でした。この国がここまで保持できたのはその為だったのだと、私は今でも思っています……」
目元を拭うヴァルダーの姿は、君主というよりも戦友を亡くし、悲しむ姿のように見える。父様はここまで慕われていたのね……。
そう思うと自分が今まで父様のことを何も知らなかったことに気が付いた。
「……智略に優れていたのは確かだろうな、王は俺に書簡を送ってきた。その内容は簡潔で分かり易く世界の状況が書かれていた。人間の中でここまで古語を操れる者が居たことには驚いたものだ」
ヴァルダーの言葉にライナスが頷きながら続けた。
「魔国では正式な文書は古語でのみ交わされる。それを知っていたのにも驚いたが、その内容にも納得ができた」
ライナスが説明してくれたのは世界情勢の話だった。
『人間が欲に溺れ、戦力で以って他国を侵略し、あちこちで戦争が起こっている。その内魔国にまで手が及ぶ事になるかも知れないが、巨大な戦力を持った魔国が動くと戦火は益々酷くなる一方である。魔国は人間のどの国にも属さず、また人間の領土を侵すことがないように、神竜の名の下にこれを誓って欲しい。我が娘リーナと共に魔国に永遠の平和が訪れるように願う』
大まかな内容を話してくれたライナスの顔を、私は驚きの眼差しで見詰めた。
「国の戦力を知っていたのもそうだが、魔国の風習では絶対なる誓いを立てる時には神竜の名を挙げる。その事を古語で書いてあることには正直感心した。どこまでも博識な王だな」
「体は病弱でしたが、歴史や文学には秀でた方でした。書簡の内容までは知りませんでしたが、立派な王だったと今も誇っております」
胸を張ったヴァルダーの肩をアルヴィアが労わるように優しく撫でた。私達もこんな親子だったら良かったのに……。
「俺はその書簡を受け取るとすぐに了承の返事をした。それは何故だか分かるか?」
ヴァルダー達を眺めていたらライナスが徐に尋ねて来た。
私はぶんぶんと頭を振る。そんなこと……分かる訳ないじゃない。
「それはお前の名に惹かれたからだ」
……え?
私の名前?
……この呪われた名前に?
キョトンとした私の頭をライナスが優しく撫でた。
その感覚がくすぐったくて恥ずかしい。
「古語のことを魔国では真語と言う。昔、人間の間でも古語が使われていたことは、お前も知ってるだろう」
それくらいなら知ってるけど……。
「人間の間では廃れてしまった言葉だが、魔族が神竜と契約を交わした時に用いられた言葉が真語だ。だから魔国では正式な契約を交わす時には神竜の名と真語が使われる」
うん……何となく分かったわ。
でも、それがどう関係あるのかしら……?
不思議そうな顔をしていたからなのか、私に向かってライナスがにやりと笑った。
「真語と今の言葉では音が一緒でも意味が違っている物がある。その一つがリーナ、お前の名だ」
えっ?
古語に関する知識が全くない私は驚いてライナスの顔を凝視した。
「リーナ、お前の名は真語では救いの意味を成す」
きっぱりと言うライナスの顔は、なぜだが清々しかった。
「滅んだ後の救いを意味する言葉だから、人間の間では滅びの意味だけが残ったのだろう。だが真語が神に通じる言葉なら、正しいのはこちらの意味だ。リーナ・ノア・エルネスタ、お前は永遠の幸福を救う者だ。真語を知っていた王はその名前を運命の王女に付けた。どこまでも思慮深い立派な王だな」
「………」
頭を撫でられる優しい感覚と、初めて知った本当の意味に私は涙が止まらなかった。もっとお話をしたかった。
亡くなられた今からじゃ遅いけど、もっと……父様……。
「幽閉ではなく、槍も弓も届かない高い塔で密かに育て、姫君を守られてたのでしょう」
涙が止まらない私にガイルが言った。
それには兄様も大きく頷いている。
守られて育てられてきたのね。
それを知らなかったのは私だけ……。
父様……なぜ戻って来たかと厳しく聞いた意味が分かったわ……。
固く凍っていた心が溶け出すように、私の涙はその後ずっと止まってくれなかった……。
国葬の準備があるからと皆が部屋を出て行った後、残ったのはライナスだけだった。
彼はずっと優しく私の頭をなでてくれている。
ようやく涙が収まりかけた、私の泣き腫らした顔を見てライナスが面白そうに笑った。
何よ、笑わなくてもいいじゃない、大体なんでそんなに機嫌がいいのよ?
不貞腐れた私に向かって、ライナスが部屋を出て行きがけに投げた言葉は……。
「言い忘れていたが、真語には男読みと女読みとがある。お前の名は勿論女読みだ」
それがどうしたのよっ。
ぐちゃぐちゃになった泣き顔を笑われて、私は最高に不機嫌だった。そのままじろりと無言で睨み返す。
「男読みを教えてやろうか?」
いいわよ、別にっ!
「……ライナスだ」
聞こえた直後にバタンと閉じられた扉。
えええぇぇ??
私は驚いたまま、閉じた扉からしばらく視線を動かすことが出来なかった……。
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