傾国の姫君 ~新・ヴェルンハルト創国記~

らいと

第1章 勇姿

第1話 助けなんて待ってられない

覚えているのは、母様が悲しげな目をして私を見詰めていた。その寂しそうな薄い瞳の色だけ……。

その母様も私を産むと、まるで何かの役目を果たしたかの様に衰弱していって……五年後にはひっそりと死んだわ。


兄妹は顔も見たことのない兄様達。でもそれも続く争いのために、あと一人しか生き残っていないんだと、この前噂で知った。


だって仕方ないじゃない。生まれてからずっとこの高い塔に閉じ込められてるんだもの、私に出来ることなんて何もなかった。


父様? 父様なんて知らないわ!

この国の王だか何だか知らないけど、幼い頃に二、三度様子を見に来ただけなんだから。喋ったことなんて一度もないわよっ。


それもこれも、あの忌々しい言い伝えのせい。

遥か昔の大賢者か何だか知らないけど、顔も見たことのないジジィが「王家に百番目に生まれた姫がこの国を傾国させる」なんて予言をしちゃったからこうなったのよっ。


そんな事を未だに信じてるこの国もどうかとは思うけど、実際に幽閉されてる私の身にもなってみろってのよっ!

私なんかが生まれる前からこの国は事実上傾国してるじゃないのっ!


世界最弱と言われるこのエルネスタ王国は、もう百年以上も前から自衛戦争が続いてる。

戦争に勝ったと……守りきったと思ってもまたすぐに他の国からの侵略が始まって、世界を相手に戦に明け暮れる日々がずっと続いてる。


何でこの国がそんなに狙われるか、ですって?


そんなの知らないけど、エルネスタという言葉には“永遠の幸福”という意味があるんですって。

何が永遠の幸福よ、争いが続いて傾きかけたこの国に一番似合わない言葉じゃないのっ!


でもね、この国は美しいわ。この高い塔からの景色しか見た事はないけど、緑が豊かで湖は煌めいて……母様が好きだった豊かな自然がいっぱいあるの。


私はこの国の事を嫌いじゃないわ。こんな目に遭ってるけど、それは皆が悪い訳じゃないって事くらい分かる。


悪いのは、あの言い伝え。今はもういない“大賢者”とかいうジジィのせいなのよ!


何をそんな馬鹿なって……思うでしょ?

でもこの国は……うううん、この世界は言葉に重い比重を置いているの。


それはこの世界に“魔法”が存在するからなの。

あ、でも一般の人間は魔法なんて操れないわ。

操れるのは魔族……神の使いである竜と契約を交わした魔族のみ……なんだって。


勿論これもただの言い伝えなのかも知れない。だって魔族を実際に見た人間なんて居ないもの。

だけど魔族が竜と契約を交わしたのも“言葉”だっていうから、この世界で言葉はとっても重いものとして扱われてるの。


特にね、名前。生まれた子供に名前を付ける時が一番悩むんだって、アルヴィアがこの前教えてくれたの。

アルヴィアって言うのは私の剣の師匠よ。綺麗でとっても強いんだから。今度紹介するわね。


あっ紹介といえば、自己紹介がまだだったわ、ごめんなさい。

私の名前はリーナ・ノア・エルネスタ。

十六歳になったばかりよ。


名前の意味は……あんまり言うの好きじゃないんだけど“永遠の幸福を滅ぼす者”なの。

……悪趣味な名前でしょ? これを付けたのは父様なんだって。

私が百番目に生まれた姫だからリーナと……滅ぼす者と付けたらしいんだけど、私にぴったりとでも思ったのかしら?


でも、私もこんな境遇に毎日泣いていた訳じゃないわ。

身の回りの世話をしてくれる侍女達とは別に、毎日アルヴィアが剣術を教えに来てくれるの。

こんな生まれ方したでしょ?

だからいつ何があるか分からないし、自分の身くらいは自分で守れるようになっておこうって思って、十歳の頃から毎日欠かさずに剣の特訓をしているのよ。


それに特訓は嫌いじゃないの。

何もない退屈なこの塔の中で、唯一楽しめる時間だもの。

アルヴィアも大好きだし、毎日その時間が待ち遠しいくらいよ。

今はまだ午前中だから特訓はもっと後ね。

昼食を済ませて午後から始まるのよ。


コンコン。

あら?

こんな時間に何かしら?

まだ昼食にも早い時間なんだけど……。


「姫様、アルヴィアです」

噂をすれば、だわ!

「こんな時間にどうしたの?」

同時に鉄の枠組みのある重い木の扉が、ガチャリと開錠される音を立てながら開いた。

幽閉されてるんだもの、大きな鍵が掛かった扉が重いのは当たり前か。


「午前中は軍の練習に立ち会っているんじゃなかったの?」

そう言いながらも嬉しそうな私に、アルヴィアは意志の強そうなダークブルーの瞳を細めて微笑んだ。


いつ見てもアルヴィアは美しいわ。

大きくうねるワインブラウンの長い髪も、大人の女性を思わせる豊かな肢体も……。それを国王直属の騎士である証、黄金の甲冑に収めた様は正に戦う女神だわ。


「その役目は父に任せ、本日は大切なお話があります故、参上致しました」

もう~アルヴィアったら真面目なのは良いんだけど、固すぎるのよね~。

そんなだから二十四になってもお嫁に行けないのよ……ってコレは禁句だったわ!


「……大切なお話?」

私はアルヴィアを部屋の中へと招き入れながらその言葉を繰り返した。

「はい、姫様に……御婚礼の……お話です……」

いつもはきっぱりと喋るアルヴィアも、この内容は言い出しにくかったみたい。

歯切れが悪いもの。


でもこんな内容だもの、それも仕方ない事なのかもね。

「そう……分かったわ」

私だって驚いたけど十五歳から結婚が認められてる国ですもの、いつかは政治的な意味で嫁がされる事くらい、一国の姫だったら覚悟できてるわ。

母様もそうだったしね。


「……で? お相手は誰かしら? この前侵略してきた国の王子? それとも今度の? それとも隣国かしら?」

誰だって構わないわ。

この結婚話に愛情が伴わないのはどれだって同じだもの。

「はっ、それが……」




「…………なぁぁんですってぇぇ!?」

アルヴィアが言いにくそうだったのも今なら頷けるわ……って感心してる場合じゃないわっ!

「ままままま……魔族ぅぅ~~~?」

知ってるわよ、政略結婚くらいっ。

弱い国の姫が、どっかの王子に飼われるみたいに嫁いで行って、代わりに国を安泰させてもらうことでしょ?

でもそれが、よりによって魔族ですってぇ~~!?


「姫様! お気を確かにっ!」

真っ赤に高揚して涙目で倒れそうになった私をアルヴィアが背中から抱きとめてくれた。

でもお気を確かにって……普通無理でしょぉ!?


「……父様が……御決断……されたのね……?」

よろけながらも踏ん張ってアルヴィアの顔を窺う。

その顔は悲痛に歪められ、彼女も私の婚礼の件には納得していないことが感じ取れた。


「……はい……」

そう短く答えられて彼女の内心が読み取れたわ。

だってアルヴィアは忠実な剣士なんだもの。

君主の言い付けは絶対なんだもの。

抗うなんて言葉がないことくらい分かってる。


「姫様……私の剣をお受け取りください……」

愕然としている私に、低い声で言ったアルヴィアの声が僅かに震えてるのが分かったわ。


「……でも……それじゃ……」

「私は姫様と共に魔国に参ります。

どのような事があっても護り抜くと、お后様と約束しました故」


剣士であるアルヴィアが相手に剣を差し出すということは、自分の命を預けるということだ。

それは剣術を習った時に教えてもらった。


「……アルヴィア……」

元々アルヴィアは女性しか傍に置かなかった母様の騎士だったわ。

亡くなられてからは実力を認められ、王軍の指揮を執っていたんだけれど……。


「……私と一緒に行けば、この国に二度と戻れなくなるかも知れないのよ?」

涙目で言う私は彼女を巻き込んでいいものかと考えた。

「我が君主は亡くなられてもお后様一人。その方の望みとあらば、この剣を差し出しても構いません」


その言葉にポタリと涙が落ちてしまった。

この国にはアルヴィアが尊敬する彼女の父様も居るというのに……。

「……でもねアルヴィア。剣を差し出すというのは相手に命を捧げることなのよ? それはあなたも知ってるじゃない。どうしてそこまで……」


君主への誓いよりも、個人的に剣を差し出すことの方が重んじられる世の中だ。

それもアルヴィアが教えてくれたことの一つだった。

「……初めはお后様の言いつけで姫様の話し相手となっておりました。しかし日を追うにつれ分不相応にも姫様のことを本当の妹のように……。ですからこれは私の個人的な忠誠でございます。どうぞお受け取りください」

そう話す彼女のダークブルーの瞳は揺るがず、固い決意を伝えてくる。


「……アルヴィア……」

ポタポタと涙が剣に落ちてしまった。汚しちゃったかしら?

でも止まりそうもない。

「さぁ……」

促されるまま受け取った剣は、事の重大さを教えてくれるように重かった。


「姫様……」

受け取った剣と共にアルヴィアに抱き締められる。彼女の胸も震えていて、その後は声もなく二人で泣いたわ。




でも、父様もあんまりだとは思わない?


私は一人きりになった部屋のベッドの上で膝を抱えた。

真夜中になっても眠れるわけなんてないじゃない。


婚礼が決まっても……勝手に決めても顔も見せやしない。

まぁそれは今に始まったことじゃないけどね。


でも魔族が相手って本当にあんまりだとは思わない?

最早人間の中に味方は居ない、とでも思ったのかしら?


だいたい魔族ってどんな奴らよ?

竜は図鑑の挿絵で見たことがあるわ。

でっかい爬虫類みたいな格好で、濁ったような緑色をしてたわ。


そんな竜と契約を結んでるんですもの、きっとこの前天井にいたヤモリとかいう生物みたいな生き物なのよ……ってうわっ!

想像しちゃったわ!


私……そんな奴らに一月後嫁ぐのね……。

そう思った瞬間、背筋を冷たいものが走った。

慌てて毛布を頭から被って想像を消そうとしたけれど、一度浮かんだ映像は中々頭から離れてくれない。


……本当に嫌だったら、自分の身は自分で守るしかないわ。

助けなんて待ってられない。そのために習ってきた剣術だもの。


明日から、何でもいいわ武器になるものを準備しなくちゃ。

フルーツナイフでも裁縫用のハサミでも何でも、私は自分で自分を守る!

作戦を立てながら何度も寝返りを打つ、その夜私は中々眠りに付くことができなかった……。

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