言葉と文字

抹茶ラテ

ただの言葉 ただの文字

「あなたが好き」


 たった5文字の言葉。けれど、伝えるにはとても勇気が要る言葉。言葉では表せない感情がこの言葉に乗って全て現れる。持論だけど文字では全ての感情は伝わらないと思う。だから、私は自分の感情全てを言葉を使ってあなたに伝えたい。


 けれど、文字で伝えるという事も必要みたいだ。感情が無くても、ただ文字で


『あなたが好き』


 これだけでも言葉では到底表せないような感情が無くても、相手には私があなたのことが好きだということが伝わる。言葉を使わなくても文字を使えば伝わる。伝わってしまう。文字を通しても感情は少しは伝わるとは思う。けど、自分の性分には合っていない。伝えるときは文字ではなく言葉で。きっと私は損な生き方をしてるだろう。でも、これが私の生き方だ。その先にあるものを手に入れるまで曲げるつもりはない。


「お前が好きだ」


 たった6文字の言葉。けれど、伝えられなかった言葉。そして、俺が伝えたかった言葉。あいつに自分の気持ちを伝えたかった。あいつはもういない。伝えたくても伝えられない。


 あいつがいなくなってもあいつのことが忘れられなかった。人の気持ちは移り変わるものなんて俺の親友は軽々しく言っていたけれど、もしその通りだとしたら、俺のこの気持ちはいったい何なんだ?


「俺はあいつが好きだ」


 言葉に出せば、あいつの朗らかに笑う姿を思い出す。やっぱり、人の気持ちなんてそう簡単には変わらない。俺はあいつのことが好きだ。それだけ分かったら十分だ。まだ頑張れる。これからも頑張れる。



「おはよう」

「おう、おはよう」


 朝、いつものバス停であなたに会うために早起きをする。早起きは苦手。でもあなたにおはようを言いたいから頑張る。このおかげか、バスが来るまでのほんのわずか時間だけ、私は何でも出来そうな気分になる。我ながら単純だと思うけれど、これが私だ。仕方ない。


「今日の英語って単語テストだっけ?」

「うん。結構範囲広いよ」

「マジ?やべー、全然勉強してねぇー」

「しときなさいよ。まったく」

「仕方ないだろ。バイトしてたんだから。勉強なんてしてる暇は無いね」

「それとこれは別でしょ。ちゃんとやることはやりなさい!」

「気持ちはあるんだけどな」

「もう!!」


 心が揺れている。この時間がもっと続けば良いと思うけど、この時間が早く過ぎないかとも思う。この時間に慣れてしまえば、決心が鈍ってしまいそうで。


 彼はケホっと軽く咳をし、突然思い出したかのようにこちらに聞いてきた。


「そういえば、もうすぐだっけ海外留学。どこ行くんだっけ?」

「カナダ。色んな文化が混ざってる国だから少し楽しみなんだ!」

「へぇー…」

「何か興味なさそうだね」

「だって、カナダって言われてもなぁー。あんまり想像がつかないというか。何か赤い葉っぱが国旗に書かれてる国ってことだけは分かるんだけどな」

「カエデの葉だよ」

「カエデの葉か…。俺はあんまり好きじゃないな」

「何で?」

「赤すぎる。もうちょっと遠慮して薄い赤色だったら俺は好きなんだけどな。秋とかに散る葉っぱよりも赤いのは流石にな」

「その赤さが精一杯生きてるって感じがして私は好きだけど」

「ふーん。そう言えば気にしたこと無かったけど、カエデって花あるのか?」

「あるよ。みんな葉っぱに注目して見ない人が多いけどね。私が好きな花の一つなんだ」


 カエデは小さな花を幾つか咲かせ、気が付かないうちに散っていく。見た目は結構アレだけど、私は好きだ。


「そうか。俺はチューリップとか向日葵の方が好きだな。色鮮やかで綺麗だろ?」

「綺麗だけどさ…」

「あれ?もしかしてそんなに好きじゃない?」

「ちょっとだけ」

「珍しいな。俺が好きな花ってちょっと言い方悪いけど有名どころばかりだろ?それが苦手な人ってあんまり聞いたことないんだけどな。何か理由でもあるのか?」

「明確な理由があるわけじゃないけど。何かね」


 本当はある。けど、あなたには言えない。


「じゃあアネモネとかリナリアとかは?」

「アネモネは私も好きだけど、リナリアって?」

「花が金魚みたいになってる。それに、色んな種類の色があって結構繁殖力が強いんだ」

「よく知ってるね?」

「母さんが好きなんだ」


 話に一段落し、時刻を確認すると7時40分。そろそろバスが来てもおかしくはない。


「いつ出発するんだ?」


 声のトーンが真剣なものに変化し、唐突にあなたは私に聞いてきた。今までの話は前座でこれが今日の本題であるかのようだった。


「?」

「海外留学」

「あぁ、あと三日かな。もう皆とも遊べなくなっちゃうから、この3日間で思いっきり遊ばないとね!」


 あなたの顔が急に険しくなる。さっきまで私に見せてくれた笑顔が消え、目が少し鋭くなった。


「怖くなかったか?」

「海外留学が?」

「決心することが。海外留学なんて大きな決断は俺には出来そうには無いからさ。その決断をするまで怖くなかったのかなって」

「うーん…自分にとって何か大きなものを決めることは確かに怖かった。けどね、その決断すらせずに後悔することだけが嫌だった。ただそれだけ」


 偉そうなことを言っているが、自分で決断できたのはほんの少しのことだけ。それ以外のほとんどのことは決断すらできずに過ぎ去ってしまった。あなたに対してもそうなってしまいそうで怖い。


「そっか…ありがとう。参考になった」

「参考って…何の?」

「俺の。ほらバス来たぞ」


 腕時計を見れば時刻は7時45分。バスは少し遅れたようだ。通学バスらしく車内は人であふれており、満員電車よりも濃い人の密度に毎度驚かされる。毎回乗車するときに覚悟を試されるが、それもあと三日しか体験できない。毎日嫌だったのに、終わりが来ると少し寂しい。


 こうして私の楽しくも、辛い時間は過ぎていく。時間はもう無いのに。



「他人に委ねることか…」


 空はもうオレンジ色に変わり、もう一日が終わることを伝えている。そんなオレンジ色の背景に照らされながら帰路に就く。朝のあいつの言葉がずっと頭から離れない。他人に委ねずに自分で決めたことなんて人生で一回でもあっただろうか?あったら今の自分はいないな。


 でもそれもそろそろ終わりにしないといけない。自分の人生を生きるためにも、そろそろ決断ってやつをしないといけないだろう。


 あいつは自分で決めて、海外に行く。それなのに、俺は自分で決めることが出来ないただの臆病者だ。そんな奴が気持ちを伝えても足を引っ張るだけだ。俺自身勇気はある方だとは思ったが、存外そんなことは無かったようだ。そんな自分が今になって嫌になってくる。


 勇気があるなら足を引っ張ろうが、気持ちを伝えるだろう。けど、そんな勇気は俺にはない。伝えてあいつの足を引っ張ることが怖い。そんなことを考えている時点で今の俺はあいつに気持ちを伝えるべきじゃないんだろうな…


 気持ちが変わることはない。けど、今の俺のままじゃ駄目だ。あいつのように、自分の人生を生きられるようになるまではこの気持ちに蓋をしよう。またあいつに会うために、伝えるために。



「ほら、泣かないでよ。いつでも連絡できるでしょ?」


 空港まで見送りに来てくれた友達が泣いている。私も泣きたくなる。でも、駄目だ。私が泣いていい時は後悔するときだけだと決めている。決めたことに後悔はしていない。それを嘘にしてはいけない。


 嬉しいことに友達のほとんどが見送りに来てくれた。けど、あなたがいない。私の気持ちを伝えるべきか必死に考えた。必死に悩んだ。悩んだ結果、伝えるのは止めた。

 

 伝える資格はきっと今の私にはない。伝えられるのは今の自分より心が強くなった時だ。その時まで今の私の気持ちは胸に秘めておこう。伝えることがすべてではない。静かに思う事も大切だ。そのはず。


 搭乗時間はもう来ている。早く行かないと。



「準備は良いですか?」

「OKと言いたいけど、一つだけやり残したことが」

「何です?」

「伝えられなかったことが一つ」

「良いんですか?もう伝えられないかもしれませんよ?」

「今更後悔してきました。でも、これが終わったら伝えます。その方が成功しそうだ」

「なぜ急に了承を?あなたは自分でもわかっているはずだ。これは分の悪い賭けだと」

「失敗するんですか?」

「まさか、舐めないでくれ。成功させるに決まってるだろ」

「じゃあ心配ない……好きな子が言ってたんです。決断すらせずに後悔だけはしたくないって。それを聞いて負けてられないと思ったんです。ただの男の意地ってやつですよ」

「男の意地か…」


 恥ずかしいこと口走ったような気がするが後悔はしていない。この場面でさえ言えないなら男の意地なんてものは存在しない。


「決断したことに後悔は?」

「ない。むしろ、決断を後回しにしたことを後悔してます」

「これから取り返せると良いな」

「取り返しますよ。絶対に。伝えたいこともあるし」

「その意気だ。頑張れよ。最後はお前次第だ」


 

「行くよ」

「うん…わかった……」


 時間が来た。もう搭乗口に行かないと…。


 あなたの顔が見たい。もう少し此処で待っていたい。でも、私の決意を無駄にするわけにはいかない。進まないと。ゆっくりと一歩ずつ搭乗口に歩いていく。何故か一歩歩くたびに胸が詰まってくる。目頭も熱い。私の決断には後悔はしていない。じゃあ何でこんなにも一歩を踏み出すのが怖いの?


 頭の中を埋め尽くしているのはあなたの笑顔。留学を決めたことに後悔はない。後悔があるとしたらそれはきっと。


 今になって分かった気がする。馬鹿なふりをしても自分の気持ちには嘘はつけない。正直に生きることはとても難しいことだけど、気持ちに嘘をついて生きていくことの方がもっと難しい。


 だから、私たちは言葉を使って気持ちを伝えるのだ。勇気なんて必要ない。それは唯の言い訳だ。気持ちを伝えたい。この一心で人は感情を言葉に出来る。そこに勇気という不純物はいらない。感情さえあれば良い。


 あなたに会いたい!会って今すぐに私の感情を、私の心を全て余すことなく伝えたい!止めどなく後悔があふれて流れていく。


 それでも踏み出さなくちゃいけない。後悔はある。絶対に心が後悔に支配されるときは来る。でも、あなたを好きになったことは後悔していない。それで良いんだ。私はあなたのことが好き。たったこれだけで良かったんだ。


 迷いは振り切れた。眼前には未来が待っている。そろそろ進まないと。確実に、力強く一歩踏み出す。そして、改めてその決意を口にする。


「あなたが好き」


 目の前には将来が。その先にはあなたが。怖いものはもう無い。この気持ちが私を支えてくれる。だから、


「またね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

言葉と文字 抹茶ラテ @GCQ

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ