第6話「すれ違う日々」
5年生になった小野寺はようやく念願のレギュラーの座を掴み取ることができた。といっても5・6年生の合計が9人も満たないためエスカレーター式に手に入れたものだが、どんな形であれレギュラーになれたのは嬉しかった。
明日の試合は初めてのスタメンだ。応援しに来てほしい、と伝えようと練習帰りにバッティングセンターを訪れたが、彼女はどこにもいなかった。代わりに店主である彼女の父親が店番をしていた。
「おお、いらっしゃい」
優しく笑う店主に小野寺はなぜ彼女がいないのかを尋ねた。どうやら高校生活が忙しいらしい。マネージャーとして野球部に入ったそうなのだが、これが大変なのだそう。そうですか、とだけ言って小野寺はいつものようにコインを投入した。
思い返せば、彼女が中学に入学したばかりの頃もそうだった。部活や学校生活で店に顔を出す機会が減った。おそらくそれが普通なのだろうけれど、なんだか少しもの寂しかったのを覚えている。今も似たような感覚だ。ここ数ヶ月彼女がよく店に顔を出していたからすっかり忘れていた。
30球打ち返したけれど、まだ彼女は帰ってこなかった。彼女の高校は「野球が強い」と有名な学校だ。夏の全国大会に出場したことはまだないが、何年か前には春のセンバツ大会に初出場し、ベスト8まで進出という快挙も達成している。そんな強豪校が夕方5時に練習を切り上げるはずがない。
「また来ます」
「おう。茜にもよろしく伝えておくよ」
小野寺は店を出て自転車を漕いだ。帰路の途中で松崎に会えるだろうか、と少し淡い希望を寄せていたが、結局会えずに自宅に戻ってきてしまった。まあ、中学時代も似たようなものだったし、会えた時にいっぱい教えてもらおう。毎週は無理でもきっとテスト期間なら大丈夫なはずだ。
松崎が進学してしばらくの頃はそう呑気に構えていたが、なかなか会えるタイミングは来なかった。テスト期間も中学の時は「勉強の息抜き」と称して見てもらったが、高校生にもなるとさすがにそういう訳にもいかなくなったらしい。
そもそも今まで頼りすぎていたのかもしれない。もう5年生だ。レギュラーにもなった。ミスも少なくなった。あの頃の松崎にはまだ背中も見えないけれど、自分でも上達した、と思っている。だからここで彼女に頼るのはもう卒業するべきなのだろう。
年の瀬の頃になると、バッティングセンターで彼女と会えないのも「当たり前のこと」として認識できるようになった。会えたらラッキー、くらいの心積もりだ。今のところ2ヶ月単位で会えてるか会えないかの頻度だ。当然もう松崎と一緒にキャッチボールをしたり、バッティングの指導をしてもらったり、そういったことはもうなくなった。
「すごく上手くなったね」
「そうですか?」
ある日、小野寺がいつものようにバッティング練習をしていると、カウンターの方から松崎の声が聞こえた。中学生の時よりも随分と大人びた雰囲気になっている。だけどトレードマークであるポニーテールは相変わらずだ。
なぜいるのかと尋ねたら「勉強の休憩」と彼女は答える。
「英語全然わかんなくてねー。逃げてきちゃった」
「勉強しなきゃダメじゃないんですか」
「まあそうなんだけど……小野寺くんってそんなキャラだったっけ?」
彼女の問いに対し、小野寺の頭上にはクエスチョンマークが10個程度浮上した。一体何を言っているんだこの人は。小野寺は問い詰める。
「どういう意味ですか」
「ああ、いや、なんか敬語で言われるの、ちょっと照れくさいなーなんて」
「敬語じゃない方が恥ずかしいです」
数ヶ月前、小野寺は学校で敬語の勉強をした。目上の人に対しての礼儀正しい言葉遣い。先生の話を耳にしながら、小野寺は松崎との会話を振り返る。自分でもあまり口数が多くないということはわかっている。だけど敬語を使えていたかと問われれば……間違いなくノーだろう。小さい頃からの付き合いはあるが、そこまで親密な関係でもない。なんだか今までの自分がほんの少しだけ恥ずかしくなってきた。
「それにしても小野寺くん、ちょっと小生意気になったんじゃない?」
「俺にはよくわかんないです」
「あ、今『俺』って言った。前まで『僕』だったのに。うわーどんどん小野寺くんが不良少年になっちゃうよー」
松崎がそう茶化すが、小野寺には何が面白いのか今ひとつわからない。ぶっきらぼうな目で彼女を見つめる。そもそも一人称が「僕」から「俺」へ移り変わった理由なんて身に覚えがない。
「ちょっと、何か言ってくれないと私傷ついちゃう」
「よくわかんなかったです」
「ますます傷ついた」
うえーん、と松崎は嘘なきをする素振りを見せたが、相変わらず小野寺は無反応だった。こんな人だったっけ、と記憶の中にある彼女の像を脳内に映し出す……うん、なんかこんな人だった。久しぶりすぎて戸惑ってしまったけれど、時折テンションがおかしい時がある。きっと高校に入ってその暴走具合も随分と加速してしまったのだろう。
「それより、俺のバッティングどうでした?」
「これもスルーか」
あはは、と彼のスルースキルに苦笑いを浮かべる松崎だったが、小野寺の真っ直ぐな目を見て小学生のようにニヤリと笑った。
「そうだなあ。フォームは大分よくなってると思う。でも気を抜くとまだ腕だけでバット振ってるよ」
「わかってます」
「ならよろしい」
そう言うと松崎は自販機の方にテクテクと駆けていった。小野寺もなんとなく彼女の後についていく。
「何か飲む? あ、サイダー苦手なんだっけ」
「もう慣れました。前から気になってたんですけど、松崎さんサイダー好きなんですか?」
小野寺の問いに、松崎は「まあね」とハニカミながら答える。
「味が美味しいからっていうのもあるんだけど、口の中に広がるシュワシュワって感覚が、一番サイダーがしっくりくるのよ」
「炭酸って、どれも同じじゃないですか?」
「えー、わからないかなあ」
ガコン、と自販機から2人分のサイダーのペットボトルが落ちる。それぞれ手に取り、口にした。小さい頃は炭酸のシュワシュワに耐性がなく苦手意識を持っていたが、慣れると大したことはない。
「この感じ、懐かしいね」
「そうですね」
2人は談笑しながら、お互いの学校生活について話し合った。特に松崎の高校生活の話はいつ聞いても面白い。きっと、きらびやかで充実した高校生活を送っているんだろう。
時間が戻った気がした。やっぱり彼女と一緒にいると楽しい。だけどそんな時間は長続きせず、「そろそろ勉強に戻らなきゃ」と言って彼女は戻ってしまった。頑張ってください、とエールを送り、小野寺も店を出た。
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