第1話「プレイボール」
小野寺が彼女と同じ野球チームに入ったのはそれから1週間後だった。練習場所はあの試合と同じ河川敷のグラウンド。白いユニフォームにえんじ色のアンダーシャツ。目に映る光景全てが試合で見たものと同じだ。少しだけ小野寺の胸が熱くなる。
「今日から一緒に野球を頑張る小野寺太陽だ。みんな、仲良くするんだぞ」
練習前のミーティングにて、監督はチームメイトを整列させ、彼を紹介した。もちろんメンバーの中には彼女の姿もあった。大体20名いる中で紅一点だったからとてもわかりやすかった。
ほら挨拶、と監督に促され、小野寺は一歩前に出る。
「小野寺太陽です。今日からよろしくお願いしましゅ」
噛んでしまった。小野寺はその場で顔を赤くして立ち尽くすことしかできなかった。周囲に笑われることはなかったが、恥ずかしくて死んでしまいそうだ。そそくさとチームの列に戻る。
その後監督から今日の練習メニューなどが伝えられ、練習が始まった。今日から野球ができる。内心ワクワクしていた。しかしいざやってみると、小野寺は自身の体力のなさを思い知った。周囲のランニングについていくのもやっとで、少し走っただけでぜえぜえと息が上がってしまう。脚が前に進まないし、体がだるい。なにより胸が張り裂けそうだ。大丈夫か、という周りの声にも小野寺は声も出せずただ頷くことしかできなかった。
ランニングの後はキャッチボール、というメニューになっているのだが、そんな体力すら残っていない。しかし練習は小野寺に容赦なく襲いかかってくる。初心者ということで最初は監督とつきっきりでタオルを使った投球フォームの確認から入るのだが、疲労により腕が上がらない。様子を見ていた別のコーチも「マジか」と苦い顔をしたが、小野寺は弱音ひとつ吐かなかった。次の日は筋肉痛でまともに歩くことさえ難しかったけれど。
それでも1ヶ月も続ければ練習にもある程度慣れてきた。体力もつき、練習で息を切らすこともなくなった。しかしまだ守備のミスは多く、打席に立っても打てず、チームメイトについていくのがやっとの実力だが、それでも文句さえ言わずに続けているのは、あの彼女の姿があるからだ。
他人よりもっと頑張ろう。そうすれば、もっと上手くなれる。
下手なのは重々承知だ。だから人一倍練習を重ねないと周りについて行けない。小野寺は休憩時間でも構わずバックネットに壁当てをしたり、バックネットが上級生に使われている時はその裏でバットを構え素振りしたり、とにかく自主練習に自主練習を重ねた。
そんな日々を積み重ねていたある日のことだった。この日も小野寺はいつものようにバックネットと向かい合い、ボールを投げた。しかしボールは左にそれ、反射したボールは彼の遥か左をすり抜けた。こんなことはいつものことだ。そして取りに行って戻ってきた時はもう上級生に占領されてしまっている。やってしまった、と思いながら小野寺はボールを追いかける。しかしすり抜けた先にはもう既にそのボールを捕球していた彼女が立っていた。その彼女、
「はい、これ」
松崎は小野寺の元に駆け寄ると、ボールを彼のグローブに直接渡した。帽子から顔を出すポニーテールがぴょこぴょこと揺れる。
「どうも……」
小さな声で小野寺は返す。一緒に練習したことはあってもこうして直接会話をしたことはほとんどない。なんと言っても彼女はチームのエース、かたやこちらは野球を始めたばかりの素人。次元が全く違う。そういうものを差し引いても6年生である松崎に対する学年の壁は相当大きい。
「投げる時、腕が左にヨレてる。だからボールも左に行っちゃうんだ」
的確にアドバイスを送る松崎。彼女は他のチームメイトにもどこが駄目だったのか、どこがよかったのか、分析して伝えている。そのため周りからの信頼も厚い。彼女がエースである所以の一つだ。
「ちょっと投げてみて」
はい、と松崎は小野寺に向かってグローブを構えたので、彼女にめがけてボールを投げた。アドバイスされたことを意識して身体を動かしてみると、今度は狙ったところに上手く送球できた。少しだけ球速も早くなった気がする。ぱあっと、小野寺の顔が明るくなった。
「そう、そんな感じ」
松崎は小野寺の構えるグローブに返球した。ボールはゆるやかな放物線を描きながら、寸分の狂いなく彼の胸元のグローブにすっぽりと入る。
それから2人は他の人がバックネットを使えるように少し離れ、練習が再開するまでしばらくキャッチボールを続けた。真正面から見ると彼女のフォームは本当に綺麗で、まるでテレビで見る野球選手のようだ。
「最初と比べてよくなってるよ。次はもう少し離れてみようか」
松崎に褒められ、小野寺の目の奥が輝いた。しかし時間というのは非常で、監督は練習再開の合図を出した。チームメイトたちが一斉にグラウンドに駆け寄る。さっきバッティング練習を終えたから次は守備練習だ。各々内野と外野の二2ヵ所に分かれる。振り分けは休憩前に行われた。
「もうそんな時間になっちゃったか。何か困ったらいつでも相談してね」
そう言い残して松崎は内野の位置につく。小野寺もグローブの中のボールをボール入れに戻し、外野の場所まで懸けた。小野寺の目には、松崎の背中が他の6年生と比べて一回りも二回りも大きく映った。
いつしか休憩時間の自主練習は、松崎との特訓の時間となった。キャッチボール、バッティング、守備練習、内容は様々だったが、どの練習も着実に小野寺に実力を与えた。もちろん、彼女のアドバイスも一緒だ。彼女のアドバイスは一言一句的確で、その効果もあって自分の弱点や課題が手に取るようにわかる。
「腕で投げるんじゃなくて、肩で投げるんだ」
「ちょっと脇が開きすぎ。バット構える時もう少し締めてみよっか」
「ゴロは打球の正面まで来て、腰を落とすことを忘れないで」
松崎の言葉は、小学1年生の小野寺にとって少し難しいところもあったが、言いたいことはわかる。しかし頭では理解しているのに身体がついてこない。気を抜くと姿勢が崩れてしまう。それでも松崎はそれを咎めることはせず、小野寺も出来なかった悔しさをばねに練習に励んだ。
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