大金持ちの大失態【5話完結】
松本タケル
第1話 伯爵の道楽
「バカ者! いつまで待たせるつもりだ」
ベッドから上半身を起こした老人が
「すみません、伯爵様。執事たちが世界中で探し回っております」
伯爵と呼ばれた老人は手を小さく振り、下がって良いと合図した。
「失礼します」
次に、二人の男性が入って来た。両名とも伯爵の屋敷の執事だ。
「この屋敷に勤めることになった、新しい執事でございます」
紹介されたのは、色白で若い男性。身長は高く、やせ型。鋭い目つきが特徴的だ。
「本日から、こちらでお世話になります」
若い執事は、一歩前に出て丁寧に礼をした。
「先ほど、室内から言い争うような大声が聞こえましたが」
「これ、お前。やめないか」
もう一人の執事が止めに入る。
「何も聞いておらぬか。ワシから説明する。お前は下がって良い」
若い執事が残され、伯爵は説明を始めた。
「君は語学が堪能と聞いたが」
「この国の言葉であるドイツ語だけでなく、英語、フランス語、あと、日本語も話せます」
伯爵はあご髭をさわりながらうなずいている。
「優秀な君が、なぜ、こんな人里離れた屋敷に来た?」
若い執事は、少しためらった様子で答える。
「私は母に育てられました。父の顔は知りません。独学で語学を学びましたが、貧しい家庭のため満足に学校に通うことができませんでした」
「給料が良いから、選んだということか?」
「それもあります。しかし……」
若い執事は言葉を詰まらせた。
「伯爵様は、多くの事業を成功され、大きな資産を築かれました。私は、ここで色々、吸収したいのです。そして、お給料を貯めて事業を起こしたいと考えております」
「ハハハ! 素晴らしい心がけだ。野心があることは大変、良いことだ。他の執事にも見習わせたい」
叱りとばしていたときとは異なり、温和な老人になっていた。我が子を見るような優しい目。
「この任務に向いておるかもしれんの」
「任務……ですか?」
「ワシは見ての通り、先が長くない」
若い執事は返答に困り、無言で伯爵を見つめている。
「死ぬ前にどうしても見つけたいものがあるのじゃ」
「それを、執事に探させておられるのですね」
部屋から聞こえた叱責は、探し物が見つけられないためだと理解した。
「本棚にある小箱を持ってきてくれんか」
若い執事は、壁際の高級な本棚を開けた。
そこには小さいオルゴールが入っていた。両手で丁寧に運び、伯爵に渡す。
「これは、ワシが幼い頃、母親から貰ったもの」
伯爵はオルゴールの蓋を開いた。
「今は壊れて鳴らなくなってしまった。じゃが、これを開けると今でもあの頃を思い出して心が踊る」
伯爵は遠い目で窓の外を見た。
「伯爵様、探し物とは何なのでしょうか?」
若い執事は、話の先が見えずについ口を挟んでしまった。
「ワシは『心が揺さぶられる扉』を探しておる」
「……心が揺さぶられる扉?」
「フタでも扉でも構わん。このオルゴールのように開けると心が揺さぶられる物を探しておる。できるだけ多くの人々の心に響く扉を探したい」
若い執事は、老人の道楽かと思った。伯爵は、結婚をしていないので妻も子供もいない。しかし、使いきれないほどの資産を持っている。
死を目前にして、大金を使い果たすための目的を設定したのだろう。
一方、こうも思った。周囲に何もない屋敷で一日中、過ごすくらいなら、語学を生かして探し物をする方が楽しそうだと。
「その『心が揺さぶられる扉』を探せばよろしいのですね」
若い執事は、笑みを浮かべて確認した。
「世界中のどこへ行っても良い。他の執事どもには失望している。君の目を見ていると何かやってくれそうな気がする。期待しておるぞ」
若い執事は、深く礼をして部屋をあとにした。
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