行列

岩田へいきち

行列

 庭の下の畑でこっそりと広げてる里芋の葉に朝露が載ってキラキラ輝いている。 陽射しはまだ柔らかい。 おフイばあさんは、玄関先のコンクリートの上にむしろを敷いて昨日採ってきたツワブキの皮を剥いている。 毎日剥いているから指先は真っ黒だ。 


 時代は、1974年。 この年、巨人軍の長嶋茂雄がプロ野球を引退する。 軍艦島という異名で有名な炭鉱の島、端島もこの年、閉山するが、ここはその端島にほど近い九州の片田舎である。 陽射しは、限りなく柔らかく、おフイばあさんを暖めている。 時折、ハエがばあさんの顔に一匹、二匹と、とまるが、いっこうに気にする様子もない。 時間が止まっているのではないかと錯覚するほど静かで暖かい春だ。 そんな時間も空間も固まっているかのような状態を静かに切り裂いて、ばあさんの後ろの右上にある半間ほどの棚に伏せてしまってあった一斗ジョケが動いた。そして、中から小学生ぐらいの男の子が出てきて棚から降りた。


「ああ、寝とった。 今、何時かな?」


と寝ぼけた声で言った。 


「こうじけ?」


おフイばあさんは、この頃、孫たちにいちいち名前を呼んで確認しないと誰か分からないぐらい目も乏しくなってきているらしい。 


「うんにゃ、けんじ」


「んっ、けんじかい」


「うん」


 憲二は、おフイばあさんにそう答えると従兄弟のこうじの家の方へ駆け出して行った。 


「けんじかぁ」


おフイばあさんは、少し不思議そうに呟いたが、それ以上気にすることもなく、またツワブキの皮を剥いては、バケツの水の中に入れた。 


――今日はツワが減らんなぁ。 



また次の日、今日も昨日とかわらず時間が止まりそうな穏やかな日である。 おフイばあさんは、今日もツワブキを剥いている。 ハエも同じように一、二匹とまって動かない。 ばあさんは、気にもせず、皮を剥く。 と、その時、また昨日と同じように、棚に伏せてあった一斗ジョケが動いて、トレーナーと半ズボンをはいたけんじが出てきて


「ああ、寝とった。 今、何時かな?」


と言った。 するとおフイばあさんは、また昨日と同じように


「こうじけ?」


と尋ねた。 


「うんにゃ、けんじ」


「んっ、けんじかい」


「うん」


また昨日と同じやりとりがあって憲二は駆け出して行った。

 

またまた次の日も、おフイばあさんは、ツワブキの皮を剥いていた。 今日も穏やかないい天気である。 

また憲二が棚から飛び出してきた。 


「けんじけ?」


「うん、けんじ」


 さすがに今日は、おフイばあさんも最初からけんじかと尋ねた。


  

それから数日、来る日も来る日も同じ様なことが起こり、やがてけんじも大人になった。 もう51歳だ。 時代も2014年、憲二が棚から出て来て、約40年が経った。 

憲二は、今だに独身であるが、独身貴族で、いろんなことに挑戦、人生を楽しみながらここまで生きてきた。 そして今度は、歳を取ってしまってはいるが、マラソンに挑戦したくなった。 学生の頃から走るのは得意であったが、練習を重ね、入念に準備をして、いよいよ、ロードレースに申し込み、フルマラソンを走ることになった。 そして、憲二は、このロードレースに備えて白の短パンと全体白に肩のところだけが赤い、とても鮮やかで目立つTシャツを用意した。 

 


ロードレース当日、約一万人の人々が、ウォーミングアップを開始していた。 憲二もやや緊張しながらもこの歳でのフルマラソンの初体験に不安と期待が、このスタート前の人の動きのように行き来した。 


 スタート5分前、憲二は、鮮やかな白に赤のTシャツ、短パンになって混み合うスタート前の中盤辺りまで潜り込んだ。 人間の本能か、競技となると自分の実力とは関係なく少しでも前に行きたがるものである。 もう、これ以上前には行けないというところまで行って、憲二は、後ろを振り向いた。 


――白赤、多いなあ。 


まだまだ後に続く人の群れに白に赤のTシャツ、意外と多いと憲二は思った。 


「バン」


スタートの号砲が鳴らされ、憲二たちは、一斉に走り出した。 人が多過ぎてなかなかスピードが上がらない。 スタート地点はまだまだ先のようだ。 


――多いなあ。 みんなこんな中をいつも走っているんだ。 群集心理か?


そんなことをぶつぶつ呟きながらなんとかスタート地点を通過し、徐々にスピードを上げていった憲二だったが、案の定、5キロを過ぎたあたりからスピードが落ちてきた。 しかし、これが、本来のペース、これを守って最後まで走り抜こうと自分との戦いに切り替えた。 

 周りで、いろんな人々が追い越したり、追い抜かれたりしたが、憲二は、自分のペースをつかみ呼吸も楽になってきた。 沿道の応援の人達にも目をやる余裕が出て、徐々に応援の人が少なくなってまた増え始めていることに気づいた。 折り返し地点に近づいているらしかった。 遠くの方から先頭集団が、折返してこちらに近づいてきた。 


――やっぱり折り返し地点に近づいているんだな。 


先頭集団が近づくにつれて沿道の声援も一緒に前から近づいてきた。 


――先頭は、速いなあ、あんな速さで最後まで走ってしまうんだ、 本当に人間か?


沿道の声援は、やがて先頭集団と一緒に憲二の後方へ去って、消えていくかに思えた。 しかし、第二集団にも声援が起こっているのか、後方からの声援はなかなか消えず、かえって大きくなるようにも聞こえてきた。

 

―― 前の方を走ってるとあんなに声援してもらえるんだ。 でも後方集団のぼくらにも声援を送ってくれているのか、とても温かいロードレースだな。 いいなあ、来年も出よう。 


 憲二は、まだゴールまで半分以上も残しているのにそう決心した。 その後も声援は止むことなく、かえって背後から追いついてきている気もしてきた。 


――誰だ? 有名人でも背後に走っているのか? いやいや、ここは、自分との戦いだ。 マイペースで先ずは初マラソン、完走することに集中せねば。 


 憲二は、背後を振り向くことなく折り返し地点を目指した。 そして声援にも押され、ペースもあまり落とさず、ついに折り返し地点を回り、復路に入った。 


――なんだ、こりゃー?


 憲二は、心の中で叫んでやっと追いかけてくる声援の意味が分かった。 憲二の後には憲二と同じ白に赤の入ったTシャツと白い短パンをはいた憲二と同年代ぐらいの選手が20mおきぐらいにずっと一直線に並んで連なっていたのである。 


――しかもこいつら俺とそっくりじゃないか。


 この異様な憲二の「クローン?」の行列に、走っていた選手たちも道を空け、その珍しい光景に沿道の人々も思わず、声援とも驚きの悲鳴とも言えない声をあげていたのである。 追いかけて来ていると思っていた声援は、憲二とそれから行列のように連なる全員ゼッケン8323番、憲二の「クローン?」に贈られていたものだったのだ。 その後方は、見えなくなるまで続いていて、どこまでなのか分からなかった。 

 折り返した憲二と憲二たちは、その後もゴールを目指して走り続けた。 相変わらず、行列は繋がっていて最後が見えてこない。 やがてもうレースの最後尾ではないかと思える人たちともすれ違ったが、まだまだ行列は続いた。 


――どこまで続くんだ?


憲二は、いつしか自分の分身がどこまで続いているのか、最後はどうなっているのかを見たくて疲れを忘れて、どんどんゴールへ、スタート地点へと向かった。 相変わらず、沿道の声援は、ついてくる。 


――スタートしてないのか?


ゴールまであと50m足らずのところまで来て、憲二は、更に驚いた。 まだ、スタートしていない憲二やウォーミングアップをしている憲二がうようよいたのである。 ついに憲二は、そちらを見ながらゴールした。


――な、なんだ?


 しかし、その直後、突然両足が浮いたかと思うと後ろの方へ引っ張られた感じがして、その反動で前につんのめって倒れ、気を失った。 その20m後から追いかけて来た2番目の憲二も最初の憲二に覆いかぶさるように倒れ、消えた。 3人目4人目も同じように倒れ消えた。 その後もその光景は、次々と続き、周りの人達は、まるで幻でも見るようにただ眺めるだけであった。 そして最初に倒れた憲二を助けようとする人は誰もいなかった。 とても近寄りがたい、入り込めない、まるで、最初の憲二の身体に入り込むのを待つために行列ができているように見えたのである。 その状態は、ロードレースが終わった後も続き、やっと最後の憲二が、スタートしてゴールしたのは、翌日であった。 そして最後の憲二が最初の憲二に入った時、最初の憲二も姿が見えなくなった。 


 翌日の朝刊に記事が出ていた。 


『ロードレースジャック‼ 約三万人の行列 話題をかっさらう 犯人たちは、行方不明、三万人消える?』


『容疑者と同姓同名、波迫憲二さん、47年前に水難事故で死亡?』


そして専門家の解説記事として


「時間の波と波が何処かで歪んで絡まり合い、いろんな時代の憲二さんがこの時代の空間に次から次へと飛び出したのでしょう。水難事故で亡くなった憲二さんの無念の思いが、時空を歪ませたのかもしれませんね。 みなさんは、三万人の幽霊を見たのでしょう」


とありそうでなさそうなことをもっともらしく載せていた。 


  終わり

    

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行列 岩田へいきち @iwatahei

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