第18話 マリオネット

 和久井さんのお父さんに頼まれた仕事は、主に荷物の運搬と、壁に張り付いたシール跡剥がし。それをある程度やったらお店にあるのものを外に出してデッキブラシで床を磨いて、あとは明日使うクーラーボックスの準備と市場センターから送られてくる受注書の確認。・・・・・・と最初は言われたんだけど。


 何故か私はバケツを両手に持って市場の端から端までを往復していた。水がたぷたぷに入ったバケツの中ではホタルイカが気怠げに浮かんでいる。


 和久井さんのお父さんに任された仕事を一通り片付けてようやく帰れると思ったら、丁度夜の漁船が帰ってきてしまって、私がかり出されることになった。


 大量に獲れたホタルイカは、まだ漁が解禁されていないということもあって、観賞用に、水族館などに送られるらしい。これから係の人が取りに来てくれるので、私は獲れたホタルイカをセンターの中に運び込まないといけない。


 他にも何人が手伝ってくれたけど、水の入ったバケツを持って歩き回るのは普通に辛い。二の腕が聞いたこともない音を立てて軋んでいる。私の運びっぷりを見て、新入りと間違えられたのも嫌だった。「違います!」ときっぱり否定して、キビキビ運ぶ。


 磯臭いし、早く帰りたい・・・・・・。


 街路樹を挟んだ向こうにある丘の上に駐車場がある。そこをチラ、と見ると、和久井さんのお父さんがなにやら女性と話し込んでいるようだった。あれが、再婚相手の人なのかな。


 女性はこちらに背中を向けているので、顔は窺えない。ただ、風貌から、とてもかわいらしい人だと思った。


 と、こんな日は序の口で、時々舞い込むイレギュラーな仕事にも毎回私が対応して、その間和久井さんのお父さんは再婚相手の女性に会いに行った。もう早くプロポーズしてくれ、と心の中で願っていた。聞く限り、どう考えても両想いだし、後は言うだけだ。どうして渋るのだろう。緊張しているのだろうか。分からない。そういうもの?


 プロポーズはおろか、人に告白なんてしたことない私には、その気持ちが分からない。


 でも、もし告白というものが、それほどまでに勇気がいる行為なのだとしたら。それを踏みにじる行為はまた、とてつもなく、大きな罪に値するんだと思う。


 私は無心に働いた。先生の仕事だってまだまだ分からないことばかりだ。覚えることが多くて、気をつけることが多くて、神経が磨り減っていつもヘトヘトになって帰る。私はいつからか、動きやすいシャツに着替えてからここに来るようになった。


 そんな毎日を、二週間ほど続けただろうか。


 ふくらはぎがパンパンで、二の腕もずっと筋肉痛だ。私は冷や汗を流しながら、職員室へと通じる階段を下っていた。


「あの、灯波先生?」


 つん。


 二の腕を突かれた。


 私はわひゃあと声をあげて手すりに掴まった。あやうく転がり落ちるところだった。


「ごめんなさい。筋肉痛か何かですか?」


 振り返ると、叫び声をあげた私を驚いたような表情で見る和久井さんがそこにいた。


「そうなの。中々治らなくって。よく分かったね」

「灯波先生、ここ最近足を庇うように歩いているので。腕も畳んだままだし、なんかいつもと違うなって思ってたんです」

「そ、そんなので分かったの? すごいね」

「いつも見てるので」

「見られてるんだ・・・・・・」

「ヒール、足痛めますよ?」


 和久井さんが私の足下を見る。


 歩きにくいなと思うことは割とある。でも、一度背を高く見せてしまったから、これを脱いでしまったときのみんなの反応が怖いのだ。体育祭のときなんかは普通にスニーカーを履いてたけど、特に背について言及されることはなかった。でも、なんとなく、自分を高く見せたい。教師でありたい、大人でありたい。そんなようなプライドが、奥底で見え隠れしてるのかもしれない。


「灯波先生、今夜は会えますか?」

「ごめんね、今日も無理そう」

「・・・・・・最近いつもそうじゃないですか」


 和久井さんが拗ねたような声を出す。袖がギュッと掴まれた。


「あたしのこと嫌いになっちゃいましたか?」


 私を見上げる和久井さんの顔がひどく寂しそうに見えた。まるで海に沈んでいく、夕陽のようだった。


 よっこらせ、と夕陽を持ち上げることなんてできないし、海を手ですくうこともできない。沈んでいく夕陽を止める術なんてない。でも、和久井さんは夕陽のようであって、夕陽ではないから。


 触れるし、届く。私に救える存在なのだ。


「そういうんじゃないよ。ただ今は仕事が忙しいから会う時間が作れないだけなの。もう少しすれば、また会えるようになるから。それまで待ってて?」

「本当ですか?」


 和久井さんが顔を近づけてくる。あ、明らかに疑われてる・・・・・・。


 顔を寄せてきた和久井さんはそのまま、私の首元に手を回して抱きついてきた。


「な、なに!?」

「灯波先生の匂い、いつもと違います」


 急に抱きつかれてびっくりしていたら、鼻をすんと鳴らした和久井さんが離れていく。


「あの、もしかして父のことに何か関係があるんですか?」

「あ、うん・・・・・・」


 隠す必要はないけど、面と向かっては言いづらいことだった。なんとなく、目をそらしてしまう。


「あたしのために何かしてくれるのはすごく嬉しいです。けど、灯波先生が犠牲になることはないんですよ」

「別に、犠牲になってなんかないよ。私はただ、私にできることをしてるだけ」


 それから、私にしかできないことを、してるだけ。そこに善悪も、優劣もない。ただ、マルとバツがあるだけなのだ。


 和久井さんが私の両手を握る。赤ちゃんが人の温もりを確かめるみたいな、危なっかしい触り方だった。


「って、あ! もうこんな時間!? ごめん和久井さん。私もう行かなきゃ! 和久井さんも、気をつけて帰ってね!」

「あっ、灯波先生!?」


 時計を見てから、慌てて階段を降りる。もう市場に行かなくちゃならない時間だ。


 私は急いで帰る支度をした。途中、みんなでご飯を食べに行かないかと船橋先生に誘われたけど、断るしかなかった。


 車を走らせて、着替えを済ませてから市場へ向かう。もうすっかり覚えてしまったお店に向かって走る。中を伺うと、店は無人のようだった。奥のテーブルにメモ紙が置いてあるのを見つけて「失礼します」と一言呟いてから中に入る。


 どうやら和久井さんのお父さんは先に店を出て行ってしまったらしい。メモ紙には今日やる仕事の内容がずらっと書いてあった。


 まずは店裏へ通じる扉を開ける。階段があったけどやけに古く、登るたびにミシミシと揺れた。倉庫のような場所へたどり着き、埃っぽい空気を振り払いながら、電気のスイッチを入れる。


 明るくなった部屋が映したのは、大量のCDケースと、古びたコンポと、弦の切れたアコースティックギター。それから、無造作に転がったカラーボックス。


 ま、まさかこれ。全部運ぶの!?


 メモ紙には、これらを一階に持ってきて欲しいと書いてある。


 なんか私、良いように使われてない? というか絶対、使われてる。


 もう知るかと帰りたくもなったけど、私は気付けば、一番重いコンポから運び始めていた。


 まるで何かに、突き動かされるように。

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