第13話 お泊まり会
レンタルビデオ屋さんに寄って、それからスーパーでお菓子とジュースを買った。甘いものばかりを選ぶ和久井さんと違って、私はついカロリーや糖分を気にしてしまう。好きなものを好きなように食べられていた頃が懐かしい。
今はちょっとでも夜更かしをすれば肌が荒れるし、甘いものを食べて寝るとすぐに体重が増える。制服を着ていた頃は、自分の自信のある場所ばかり磨いて、自分の嫌なところなんて気にしてもいなかったのに。
マンションに着くと、郵便受けのそばに袋が置いてあるのを見つけた。中にはタマネギやらじゃがいもやら、おばあちゃんちで採れた野菜がたくさん入っている。無農薬が売りと言っておきながら、虫に食われ放題のキャベツを見るともう少し現代の科学に頼ってもいいんじゃないかなと思うけど、これもおばあちゃんの信念なんだろう。
「それなんですか?」
「おばあちゃんちで採れた野菜。たぶんお母さんが置いていってくれたんだと思う」
「仲が良いんですね」
「どうだろう、普通だと思うけど。でも、私が先生になりたいって言ったときは一番応援してくれたし、先生になれるって決まったときは、一番喜んでくれたかも」
「なら、仲が良いんだと思いますよ。とっても」
自室に和久井さんを招き入れるのはこれで二度目だ。最初は夏休みの一週間前のこと、授業で分からないことがあるからとノートと筆箱を持って訪問してきた和久井さんを迎え入れ、紅茶をクッキーを出してどこが分からないの? と聞いた次の瞬間には押し倒されていた。
勉強もきちんとしたけど、他にもやることはやった。そういう夜だった。
まさか今日も・・・・・・と思いエレベーターの中、和久井さんの方へ視線を移す。和久井さんは借りてきたDVDのケースを大切そうに抱きしめていた。
落ち着いていて、どこか大人びた佇まいの和久井さんだけど、時々、やっぱり高校生なんだなと思わされる瞬間がある。好きなものへの無邪気さとか、気遣いはできるのにそこは見えていないんだという視線の狭さも、時折見せる下手くそな強がりも、儚くて、弱々しい。
部屋に入ると、和久井さんは息をいっぱいに吸って言った。
「灯波先生の匂いがします」
「他の人の匂いがしたら嫌でしょ・・・・・・」
この部屋に入ったことのある人なんてお母さんと、それから引っ越し業者の人くらいだ。友達はみんなまだ地元にいるし、こっちに来てからはまだ家に呼べるほどの間柄は作れていない。いや、作れてるのか。和久井さんは、でも、カウントしていいのかな。
「そうですね、すっごく嫌です」
和久井さんは口元に手を当てて、わざとらしくおどけて見せた。
二人で並んで見た映画は怖いんだか怖くないんだか、怖くなるまでに時間がかかりすぎて、集中力が切れた頃にようやくその見せ場のシーンがやってきたのだけど、あんまりのめり込めてなくて驚きすらなかった。
本当は形ある素晴らしいものが、見る側のコンディションによって駄作となりうる。この世にはそんなようなものがどれだけあるだろうか。眠気を擦りながら歩く花畑と、愛する人と回る花畑は、きっと眩しさも、色合いも違って見えるんだろう。
映画が終わる頃には、和久井さんが私の肩に頭を預けていた。瞼は重そうで、時折寝る前の長い息を口から吐いている。
「もう遅いし、寝よっか」
テーブルの上にはまだ食べかけのお菓子やジュースが並んでいるけど、時計はすでに十二時を回っている。日が変わるうちに和久井さんを説得して、なんて思っていたんだけど、やっぱり今日は泊めるしかないみたいだった。
「ソファで寝ると体痛くなっちゃうから。立てる?」
「灯波先生、ごめんなさい」
まるで酔った人を介抱してるみたいだった。でも、寝不足を続けると酔った状態と同じになるってどこかで聞いたことがあるから、あながち間違いじゃないのかもしれない。
トラベルセットは持参してきたらしく、和久井さんはトボトボと洗面所へ向かった。
テーブルの上を片付けた頃、和久井さんが戻ってくる。歯を磨いたことで眠気が覚めたのかもしれない。目はさっきよりも開いていて、けど、お布団に押し潰されたみたいな無気力な声が、和久井さんの限界を知らせていた。
「普段何時に寝てるの?」
「十時です。五時には起きなきゃなので」
「そっか、偉いね。私も五時くらいには起きてラジオ体操してから学校行くけど、寝るのはつい遅くなりがちなんだ」
「明日もするんですか? ラジオ体操」
「うん。習慣にしないと忘れちゃいそうだから。ラジオ体操は良いよ。頭がしゃっきりするし、なんだか今日も頑張るぞー! って気持ちになれるから」
「だから灯波先生はいつも、キラキラしてるんですね」
キラキラ・・・・・・そんな風に見えていたなんて。
とはいっても和久井さんは今おねむの状態だから、ちょっとくらいの誇張はあるんだろうけど。
和久井さんをベッドに連れて行き、布団をかけてあげる。押し入れの中に寝袋が入っていたはずなので、私はそれで寝ようと思っていたのだけど。
「行かないでください、灯波先生」
布団から生えてきた和久井さんの手に、袖を掴まれてしまう。
「一緒に寝たいです」
「それは、うーん。狭いよ?」
「だから、です」
今度は頭が生えてくる。和久井さんが挑発的な笑みを浮かべながら私を見ていた。髪がボサボサになった和久井さんは、見た目が幼く見える。妹がいたら、こんな感じなんだろうか。
私が不承不承ベッドに潜り込むと、和久井さんが私の腰を掴んで一気に引っ張ってきた。
「だから、言ったのに」
一人用のベッドで二人はさすがに狭い。ちょっとでも寝返りを打つと転げ落ちてしまうので、互いに横向きで寝るしかなかった。
こうして着替えてしまえば、私も和久井さんも、同じ一人の人間になる。普段どれだけ、制服スーツスカートズボンと、体を象る飾りというものに印象を左右されているのかが分かる。
年上とか、先輩とか、大人とか、子供とか、区別して言うけれど、誰も望んで早く生まれたわけじゃないし、早く生まれようとしても生まれられるものじゃない。神様が気まぐれでくれた命を、どうしてこうも私たちはいとも簡単に自分たちのものだけにしてしまえるんだろう。
「灯波先生がこんなに優しいのは、ご家族が優しいからなんでしょうね。さっきの野菜もそうですけど」
「お節介なだけだよ。昔から口うるさくって」
「でも、気に掛けてくれるだけ、やっぱり仲が良いんだと思います」
和久井さんは布団の中で、私の手をギュッと握っている。そこに寂寥や悲しみのようなものは含まれおらず、ただ、枯れ朽ちてしまいそうな細い枝を折ろうとしているだけにも思えた。
和久井さんは体をうん、と伸ばして、それから息を吐いて脱力する。あくびにも近い吐息のあと、和久井さんは小さくこぼした。
「小さい頃、父がいたんです」
当たり前であるはずの告白が、どうにも歪な蝶結びで束ねられているように聞こえて。私は静かに、和久井さんの話に耳を傾けた。
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