第7話 夢の城

 前半は主に男女に分かれての競技が行われた。棒倒しに騎馬戦、それから個人で行う徒競走があって、お昼前に全体での応戦合戦をする。


 テントから頑張る生徒たちを眺めていると、数年前に私もあの中にいたことが信じられなくなる。どうせならもっと声を出してよかったなと後悔した。けどそれも青春のうちなのかもしれない。


 今が大事だなんてこと、そのときには分からないし、分かってしまったとしても、きっと慎重になりすぎて動けない。目の前に見えるものに向かって走る、ただそれだけで人は輝くのだ。


 黄軍の応援の番になって、二組の席を見る。みんな顔をあげて叫んでいるけど、西口にしぐちさんだけは、俯いてどこかしんどそうにしている。頭にタオルを載せているけど、日差しの強いこの日中ではあまり役には立たないだろう。


「私、ちょっと行ってきます」


 他の先生に告げて、グラウンドをぐるっと回って二組の場所へ向かうと、こっそりと後ろから、西口さんに話しかけた。


「こっちおいで」


 手を取ると、西口さんは気まずそうに周りを見た。きっと負い目を感じているのだろう。西口さんは口数の多い子ではないけど、気遣いができる子だ。それ故に、ちょっと無理をしすぎてしまうきらいがある。


 すると隣にいた細川ほそかわさんが「行ってきていいよ」と声をかけてくれた。西口さんも納得したようで、素直に私に付いてきてくれた。


 テントの下にあるクーラーボックスから経口補水液を取って西口さんを保健室まで連れて行く。


 中は充分冷房が効いていて、息を吸うと鼻の奥から脳まで、爽やかな風が通り抜けていくようだった。


 西口さんをベッドに寝かせて、経口補水液を渡す。


「気持ち悪かったりしない?」

「大丈夫、です。ありがとうございます・・・・・・」

「お弁当は教室?」


 西口さんはペットボトルに口を付けるとグビグビと飲み始める。


 やっぱり、熱中症気味のようだった。


 口元を拭いた西口さんが小さく頷く。


「じゃあ取ってくるね。この後はどうせお昼休みだから、具合が良くなるまでここで食べててもいいし」

「ありがとうございます、灯波先生・・・・・・あの、わたし。みんなに迷惑かけちゃいました」

「そんなことないって! 午前は、西口さんが居ない分みんな頑張ってくれてるから。それに、西口さんが元気な顔で戻ってきてくれたらみんなもっと張り切れちゃうかもよ? だから今は体を休めて午後に備えよう。ね?」

「は、はい・・・・・・!」


 西口さんに向けてサムズアップをすると、爪先が黄色に光る。これもまた、私の体育祭にかける想いだった。


 それからお弁当を届けて、自分の業務を終わらせたあと、もう一度保健室に顔を出すと、西口さんと細川さんが一緒にお昼を食べていた。あんまり二人が話しているところは見たことがないから、大丈夫かなって思ったけど、西口さんはやや緊張しながらも嬉しそうな笑顔を浮かべていた。細川さんは話すのが上手だから、きっと大丈夫だろう。


 体育祭を経て、こうして仲が深まることまる。


 青春だなぁ。


 と、私もどこか心が弾むようだった。


 体育祭の結果は、最終的に赤軍が一位、黄軍が二位、白軍が三位という結果に終わった。競技と応援ポイントは赤軍の圧勝だったけど、イラスト部門では黄軍が一位だった。


 みんな悔しがりながらも、どこかやりきったような表情を浮かべていた。


 閉会式を終えて生徒が椅子を運び始める。私も先生たちと一緒にテントの片付けを始めた。太田先生含む運動部の顧問の先生たちがテントを持ち上げ、私は杭を支える。なんだか私も先生として、一歩成長できたかなと、こうして共同作業をしていると思ってしまう。


「楽しかった?」


 後ろから声をかけてくれたのは船橋先生だった。


「はい! 来年も楽しみです!」

「やっぱり、まだまだ負けてないわよ。灯波先生」


 船橋先生の手がそっと私の肩に置かれる。今度は謙遜せずに、私も元気よく返事をした。


 ああ、いいな。体育祭。いいな、青春・・・・・・。


 ・・・・・・だけで終わるわけではなかった。


 体育祭が終わったあとはしっかりと職員会議が開かれた。


「まだ浮かれている生徒もいます。今夜は先生たちにも夜間パトロールをお願いしようと思ってます。担当は、そうですね、西区を横田先生。東区は灯波先生にお願いします」


 打ち上げなどは別にいいのだけど、それ以外にちょっとやんちゃをしてしまう生徒が多いらしい。確かに私が学生のときも、翌日も髪色そのままに登校してきた子もいた。


 明日は振替休日だし、今日は気を抜かないでパトロールをしっかり遂行しよう。


 会議が終わると、車に乗って東区へと向かう。東区は県内で一番大きなショッピングモールがある他、ゲームセンターといったアミューズメント施設も多数あるので他校の生徒も多く見受けられる。


 時々他校の先生ともばったり会って、そのまま先生あるあるトークなんかも繰り広げられるらしいんだけど、まだまだ新人の私の顔は広くはない。こちらからも、あちらからも接触することはなかった。


 ショッピングモールをざっと見回って、フードコートで白津高校の生徒を見つけて声をかけた。別に悪いことをしているわけじゃないので、ちょっとしたコミュニケーションを取っただけだったけど。


 スマホで動画を撮っていたようなので、あんまり迷惑かけないようにね、とだけ伝えてフードコートを出る。


 十九時を過ぎると辺りも暗くなる。私は再び車に乗り、会議であがった場所へと向かう。一見飲食店が多い路地だけど、ここにはちょっと、キャバクラとか、あとは、ホテルとか、そういう建物が多い。


 一応要注意ということで、太田先生にも釘を刺された場所だ。


 とはいっても、通り過ぎる人たちはみんな大人ばかりで、学生と思わしき子は見受けられない。私も少しお腹が空いてきたということもあって、二十時になったら切り上げようと思っていた。


 結局二十時になるまでは、一度知らない男性に食事に誘われたくらいでたいした出来事はなかった。見回りをしています、と告げるだけで男性は離れていったので、ちょっとだけ教師という称号に自信が持てたのと同時、教師というのはそれだけ真摯であるべきなのだと思った。


 せっかくあまり来ない場所に来たので、入ったことのない中華料理屋さんで夕食を済ませることにした。


 頼んだ五目焼きそばはスーパーなどで食べるものとは比べものにならないほど美味しくてビックリした。でも、ちょっとだけ量が少なかったかな? あと、値段が高い!


 すっからかんになった財布を見て、そういえば明日は家賃を払おうと思っていたんだったということを思い出す。ついでに公共料金もまとめて払っちゃおう。


 コンビニのATMで六万円を下ろす。一人暮らしを始めたばかりの時期はバタバタしていたこともあって自動振り込みにしてもらうのを忘れていて、そのままにしちゃってたけど。生活も安定してきた今はもう現金振り込みじゃなくてもいいかもしれない。


 大金持って歩くのも嫌だし。


 当然お金に余裕があるのは実家から送られてくる仕送りのおかけでもある。お母さんは私が教員免許試験に合格したとき、誰よりも喜んでくれた人だ。合格祝いにパリに行こうなんて言い出したときはそこまでしなくてもいいよって断ったけど、応援してくれていることは充分なほどに伝わってくる。


 そのたびに、教師として頑張らなきゃと思わされる。


 外に出ると、夜の暖かい風が頬を撫でていく。夏の夜ってどうしてこんなにも開放的になれるんだろう。友達の家に泊まって、深夜コンビニにお菓子を買いに行ったことを思い出して感傷に浸る。


 けど、懐かしい、楽しい、幸せだった。


 そう感じるたびに、心の奥底に置いてきたあの悲しげな笑顔が蘇る。


『好きなの、桃ちゃんのこと』


 本当に私が幸せになっていいのか。


 そう思わずにはいられない。


 あの子はいったい今、どこで、何をしているんだろう。心を痛めて、ようやく縋ることのできた存在からも拒絶され、逃げることを選択をしたあの子は、今もきちんと、漫画を描いているだろうか。


 もう、描くのは辞めただろうか。


 ちゃんと、生きてくれているだろうか。


 ギュッと、心臓を握られた気がした。確かめようのない不安と憤り、無力だった私と無知だった私の過ちが、届くはずのない谷底に転がっている。


「って、あれ?」


 ふと顔をあげたとき、見知った顔が視界に入った。


 制服ではなく私服姿だけど、あれは間違いない、和久井さんだ。


「こんな時間になにしてるんだろう・・・・・・」


 それに隣にいる人は、誰?


 大きな背広と、剃り残しの目立つ青い顎が印象的な男性は、どう考えても学生とは思えない。四十か、若くても三十後半だろうか。


 お父さん、かな?


 それなら別にいいんだけど、どうしてか私は、和久井さんから目を離すことができずに、つい尾行してしまった。


 向かう先には有名な洋服屋があるのでそこに行くのかな? と思ったけどこの時間までやっているのだろうか。


 心の中で、疑いの色が強くなっていった。


 でも、まさかあの和久井さんが。


 けれど、すぐにその祈りは打ち破られることになる。


「嘘でしょ・・・・・・!?」


 あろうことか、和久井さんはその男性と共に、ある施設へと入っていったのだ。


 真っ赤に光った看板。それとは対照的に真っ暗な玄関。


 和久井さんが向かったのは、紛れもない、ラブホテルだった。

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