3時のおやつはいかが

シュート

第1話 アナタノコトガスキダカラ…

 大学卒業後、株式会社プランニングエースに入社した新川桃香は販売促進部に配属になった。もちろん、仕事も頑張りたいという思いもあったにはあったけど、本当のところはいい相手を見つけて、さっさと結婚したいというのが本音。そもそもこの会社を選んだのも男性の多い職場と聞いていたから。

 入社してからいろいろ物色していたけれど、ついにそのターゲットが見つかった。1カ月ほど前に営業部から異動でわが販促部にやってきたばかりの平野君。桃香より3つ年上の27歳。何せ顔が桃香のドタイプ。いわゆるジャニーズ系。おまけに、漢字こそ違うものの、あのキンプリの平野紫耀と同じ呼び名の平野翔。しかも、翔は桜井翔の翔でもある。そこも桃香が気に入ったところ。 

 平野紫耀と比べると1ランクは落ちるが、まあまあ許容範囲。性格はおっとりとした草食系男子で、ガツガツしてないところがいい。ただ、そういう性格も反映してか仕事はそんなにできるほうではない。結構ドジを踏むタイプのようで、出世はあまり期待できない。でもそれは桃香にとってはどうでもいいことだった。

 桃香の実家は複数の事業を行っていて、かなり有名な会社なのだ。つまり、金持ちの家の娘で、特に父親には溺愛されてきた。今もマンションの家賃はもちろん、小遣いも会社からもらう給料の数倍はもらっていて贅沢三昧な暮らしをしている。ということで、夫となる人物の出世とか給料などハナから当てにしていない。なまじ出世欲が強くて仕事一筋で桃香のことをかまってくれない男など桃香のほうからお断りだ。

 そういういろんな点で翔は絶好の結婚相手なのだ。ただ、翔には大きな欠点が一つあった。それは翔がモテ過ぎるということである。すでに桃香の耳にもさまざまな恋の噂が入ってきている。でも、これも桃香はほとんど気にしていない。桃香の父親も同じ種類の人間で、子供の頃から慣れている。恐らく今も父親には愛人が何人かいるはずだ。母親からは苦労したと聞いてはいるけれど、その母親自身今もボーイフレンドという名の男たちが取り巻いているのだ。そんなことで、所詮、男も女もそんなものと割り切っている。

「あっ、平野さん」

 昼食休憩から帰ってきた翔が一人でトイレに向かったタイミングを見計らってアプローチした。いきなり現れた桃香に驚いた様子の翔。

「おっ、新川さんかあ。驚いたなあ」

「ごめんなさい。あのね」

 誰かに聞かれたくなかったので、翔に身体を寄せた。もちろん、そういう風を装い、身体を近づけ翔をドキッとさせる狙いもあった。

 しかし、そういうアプローチに慣れているのか、翔は平然としていた。

 なんかいい匂いがする。

 これって香水?

 それとも翔の匂い?

 へんに興奮する桃香。

「何?」

「今日の夜時間取れます?」

「大丈夫だけど」

 やったー。

「だったら私に付き合ってくれません。最近、駅前にできたイタリアンのお店に行ってみたいんだけど、おしゃれ過ぎて一人じゃ入りにくいの」

 ほんとうはすでに3回くらい行っていた。

「いいよ。そういうの、僕ぜんぜんOKだから」

 コイツ軽~い。

 自分で誘っておきながら、あまりにも簡単にOKされ拍子抜けした桃香であった。

 でも、この軽さも女が接しやすい要素になっているに違いない。 

 お店では幸い空いていた個室に入る。

「おしゃれな店だね」

 翔が周囲を見渡して言う。

「ええ。そうね」

 二人きりになって急に翔を男として意識してしまい、うまく言葉が続かない。

「どうしたの。いつもの新川さんじゃないみたいだよ」

「えっ、私ってどういうふうに映っているんですか?」

「元気で明るい子」

「それって、アホな子みたいじゃないですか」

「あっ、いや、そういう意味じゃないよ」

 こんな会話をしていたら、緊張は自然に解けていた。

 食事をしながらお酒を飲み始め、お互いすっかり酔いが回った。

「あのさあ、訊きたいことがあるんだけど」

 桃香が回らぬ口で翔に詰め寄り始めた。

「何、何? 怖いなあ」

「平野っちって今彼女いるの?」

「ん? 平野っち?」

「何よ。平野っちでしょう」

「間違ってはいないけどさあ。一応僕先輩なんだよね」

「そんな小さなことには拘るなっていうの」

「小さなことかなあ?」

「うるさいなあ。で、答えは?」

「う~ん。新川さんはどう思う?」

「って、その合コンのノリみたいな、へんな質問返しはやめてよね」

「あっ、ごめん。でも、そのため口はどうかなあ。酒癖悪いんじゃないの」

 そう。桃香の唯一の欠点(?)は酒癖が悪いことなのである。

「そういうあんたは女癖が悪いって、もっぱらの噂だけどね」

「えー、それは誤解だよ」

 とか言いながら、痛いところをつかれたという顔をしている。

「ならいいけどね。で、いるのいないの?」

「今はちょうどいない」

 訳の分からないことを言うヤツだ。

「ちょうどって、どういうことよ」

「1週間前に別れたばかり」

「1週間前? なんか嘘くさいなあ」

「いやいや、これはほんとうだから」

「ふ~ん。それで、どんな子だったわけ」

「それがさあ、新川さんにクリソツで可愛い子だったんだよ」

 こういう嘘を平気でついてくるヤツなんだ。自分に似た可愛い子なんて、そうそういるはずがないんだから。でも、言われて悪い気はしない。

「あっ、そう。だったら私と付き合えばいいじゃん。というか、付き合ってあげてもいいよ」

「どういう理屈だよ、桃香ちゃん。それに、上から目線だなあ」

「あのさあ、桃香ちゃんなんて気安く呼んでいいなんて一言も言ってないけど」

 自分では翔のことを平野っちとか呼んでいるのに、自分のことを桃香ちゃんと気安く呼ばれたことには腹が立つ。

 お嬢様のワガママ。

「そうだったけなあ」

 すっとぼけやがった。敵もさるもの引っ掻くもの。

 コイツには常識ってモノが通用しないらしい。もっとも、自分に常識があるとも思っていないけど。

「まあ、いいわ。ちなみに、上から目線なのは生まれつきだから。で、要するに、私と付き合えばその子と別れなくて済んだみたいになって良くなくないってこと。どうよ」

「なるほどね。でも、それだと新鮮味に欠けるって言うか…」

「ひとをマグロみたいに言わないでよ」

「マグロ?」

「魚って、新鮮さが勝負でしょう」

「そうだけど…。マグロって、桃香ちゃん、Hだね」

 話がかみ合っているのかいないのか。

「何考えてるのよ。バッカじゃないの。そんなことより、付き合うの付き合わないの?」

「付き合う」

 思いの外男らしくはっきりと言ったので、ちょっと見直した。

「よ~し。じゃあ、決りだね。しかしさあ、私たちがつき合えば絵にかいたような美男美女のカップルになるよね」

 お酒が入っているせいもあるけど、実際そう思う桃香であった。

「それはそうだね」

 コイツも自分と同じで自惚れが強いタイプらしい。

「って、否定しないんかい」

「自分が言い出したんだからね」

 ん?

 そういう問題じゃないと思うけどなあ?

「まあ、そうね。では、平野翔さん、私と結婚を前提に付き合ってください」

 物事は早いに越したことはないというのが桃香の信条だ。

「結婚を前提には早いんじゃない」

「えっ、どうして。まさか、私と遊びで付き合うつもりだった?」

「いやいや、決してそんなことはないよ。だけど、俺、結婚はまだ先のことだと思ってるし…、そのお、俺、恋愛と結婚は別派なのよね」

「何、その果物は別腹みたいな言い方」

「ええー、そんな風には言ってないつもりだけどなあ」

 今更ながら気づいたけど、こんなどうでもいい会話を永遠に交わし続けていられるなんて、どうやら私たちは相当なバカップルだと自覚した桃香であった。

「あのねえ、翔ちゃん」

「し、しょうちゃん? さっきは平野っちで、今度はしょうちゃん」

「どっちがいいでしゅか?」

「でしゅか?」

「可愛く言ってあげたんじゃない」

「感謝、感激、雨あられ」

「バカにしてる?」

「それは、ないです」

「それならいいや。で?」

「どっちもどうかなあ?」

「どっちもどうって、男のくせにはっきりせいっての。私のこを桃香ちゃって言うの許すから、あなたも決めてよ」

 すでにかかあ天下気分の桃香。

「う~ん、じゃあ、しょうちゃんでお願いします、桃香ちゃん」

「わかった、平野っち」

「もう好きにして」

 ちょっと拗ねた。

 カワイイかも。

「それでさあ、うちの実家は結構な金持ちって話よ。パパがやってる会社,、丸竹物産って言うんだけど、知らない?」

「えっ、あの有名な…」

 おっと。

 やっぱり男は金持ちの娘に弱いらしい。

「そうよ」

「ひよっとして、新川さんって、いいとこのお嬢様?」

 桃香ちゃんって言ってたくせに、急に新川さんに戻った。

「そう。何を隠そう、私はいいとこのお嬢様なわけ。だから、私と結婚できれば一生食いパグれにはならないで済むということだったんだけど、惜しかったね、翔ちゃん」

「そんなあ、俺、NOなんて言ってないよ。本当のところ、付き合うからには結婚が前提じゃないと嫌だなあと思ってたんだから」

「わかりやすい男だねえ」

「はい。僕はわかりやすい男なんです」

 ということで、この瞬間に正式にバカップルが誕生したのである。とはいえ、二人とも酔っ払い過ぎていて、付き合うことを決めたことだけははっきり覚えていたものの、細かいことについては8割程度覚えていない。それでも、バカップルには何の支障もなかった。


 平野翔は、桃香の新しい住まいに向かっているが道に迷ってしまった。

 しかし、桃香はよく引っ越しをする。普通だったら引っ越し費用とか考えて、そう頻繁に引っ越しなどできないけれど、桃香はお金のことを考える必要がないため、ちょっと気に入らないことがあると平気ですぐに引っ越す。しかも、引っ越す度に、そのマンションがグレードアップしてきている。

 今回の新しいマンションにも一度来ていて、今日は2度目になるが彼女には行くことを伝えていない。桃香が好きなサプライズを決行するためだ。

「この道で良かったんだろうか」

 思わずひとり言が出る。

 周りの景色を見てもやっぱりわからない。

 さんざん歩き回って、やっとたどり着いた。

 桃香から渡されている合鍵でオートックを解錠しエレベーターに乗り込む。しかし、ここで翔は急に不安になった。彼女の部屋が503号室だったのか603号室だったのかわからなくなったのだ。住所を控えたものを持ってこなかったので確かめようがない。サプライズすることに夢中になるあまり、こういう細かいところが抜けてしまうのが翔の悪いところ。電話をして確認すればいいのだろうけど、それだとサプライズ感が薄れてしまう。

 たぶん、503号室だ。

 そう言い聞かせて、とりあえず503号室に向かう。万が一違ったら、603号室に行けばいい。ただそれだけのこと。

 部屋の前に着いたところで一応服装をチェックし、息を整えてからチャイムを押す。

「はい」

 ん?

 桃香の声じゃないような気がするけど…。

「俺だけど」 

 モニターに顔を向けて言う。

「ちょっと待ってください」

 今の声で桃香ではないことがはっきりした。なので、その場を離れようとしたが、玄関に向かって走って来る人の足音が聞こえたのでとりあえず待つことにする。

 ほどなくしてドアが半分ほど開き、見知らぬ女性が顔を出した。

「あっ、どうも、すみません。なんか部屋を間違っちゃったみたいです」

 何も言わないわけにはいかないので、そう言っておいた。

「そのようですね」

 相手の女性もこちらの顔を見ながら言った。

「ということで、失礼します」

 軽く頭を下げ、急いでその場を離れようとしたが、その背中に女性から声をかけられた。

「ちょっと待って」

「えっ、何か?」

 まさか呼び止められるとは思っていなかったのでビクとしてしまう。

 そう。翔は小心者なのである。

「平野君じゃない。大和小学校6年3組の」

 久しぶりに出身小学校の名前を聞いたけど、クラスまで言い当てられ驚く。

「そ、そうですけど…」

 振り向いて答えたが、なぜかおどおどしてしまう。

「私よ、私。松村渚。同じクラスだった」

 当時よく一緒に遊んでいたメンバーの一人の名前を呼ばれたが、目の前の女性と当時の松村渚が一致しない。当時の渚と言えば、色黒で、男の子顔負けな活発な子だった。

「えっ。もしかして、あの…、女帝?」

 名前より先に、当時のあだ名が口をついてしまったが、でもまだ信じられない。

「女帝は止めてよね」

「あっ、ごめん。でも、そうだよね」

「そうだけどさあ…」

「えっ、なんかすごく綺麗になってない?」

「何それ。昔はブスだったって言われているみたいで、それはそれで失礼なんだけど」

 別に本気で怒っているわけではないのだろう。顔は笑っている。

「あっ、すみません。そういう意味じゃなかったんだけど」

「ふふ。わかってるわよ。でも、そういうところ、小学校の頃と全然変わらないね」

「それはそれで失礼なんだけど」

 一応お返しはしておく。

「おっと、いい返しをするじゃない。ところで、どの部屋と間違えたの?」

「603」

「ああ。ちょうど1階上ね。で、彼女?」

「いや。男友達だよ」

 とっさに出た嘘。自分でも何でこんな嘘をついたのかわからない。というのは嘘で、彼女の部屋と言ったら渚と仲良くなれるチャンスが減ってしまうと思ったからだ。

「そう。じゃあ、行きなよ。友達待ってるんだろうから」

「うん。行くけどさあ。せっかく再会できたんだから、今度改めて会わない? いろいろつもる話もあるし」

「別につもる話なんて、こっちにはないけどね」

「そんな冷たいこと言わないでよ」

「だって事実だから。でも、いいよ。うちに来なよ」

「えっ、ここに来ていいの」

 と部屋を指さす。

「ぜんぜんいいよ。平野なら部屋にあげても危ないことはないだろうし」

 早くも釘を刺してきた。

「それはどうかな。俺も一応男だからね」

「えー、平野が狼に変身しちゃうわけ」

「だって、渚がこんなに魅力的なんだもん」

「へえー、平野もそんなこと言うようになったんだね」

「それなりに年を重ねたということで」

「ふふ。まあいいわ。わかった。とにかく行ってきなよ。待たせちゃうじゃない」

「そうだね。じゃあ、また」

 ドアが閉まるのを確認して、翔は思わずガッツポーズをとっていた。

 美人になった小学生時代の同級生と付き合えるかもしれないというシチュエーションに、翔は興奮していた。

 なんか楽しくなってきた。

 一応エレベーターに乗り、桃香の住む603号室に向かったが、途中で気が変わった。今日はサプライズをするつもりだったので、桃香には今日行くとは伝えていない。だから、今日は止め、別の日に来ることにする。それより今日は渚にもっと近づきたい。

 ということで、もう1度503号室に戻り、チャイムを押す。

「どなたですか?」

「平野」

「どちらの平野さんでしょうか?」

 あれ、さっきとテンションが違う。

「どちらのって、こちらの平野だけど」

「こちらのひらの、なんていう名の知り合いはいませんけど」

 どうやら弄ぶつもりらしい。

「もおー、そんないじわるしないで開けてよ」

「わかったわよ。今開けるから待ってて」

 しばらくすると、今度もドアが半分ほど開き、渚が顔だけ出した。

 すぐには入れないつもりだ。

「どうしたのよ」

「友達、留守だったんだ」

「だから?」

 とぼけた顔をこちらに向ける。

「さっき来てもいいって言ったじゃん」

「気のせいじゃないですか」

「あのさあ」

 思わず声が大きくなった。そんな翔の後ろを不審げな顔のマンションの住人が通り過ぎて行く。

「こんなところで、こんなことやってると怪しまれるじゃん」

「現に怪しいものね」

「怪しくなんかないわい」

「どうだか。ちなみに、今後ろを通ったおばさん、このマンションの主で、防犯責任者だから警察呼んじゃうかもよ」

 ニヤニヤしながら言うだけで、一向に入れてくれない。

「勘弁してよ」

「ふふふ。冗談よ。さあ中に入って」

 ようやくドアが全開にされた。渚の後について廊下をリビングに向かう。

「留守だったって、事前に連絡してあったんじゃないの」

 後ろを振り返った渚が立ち止まって言った。

「サプライズで来たもんで」

「男友達にサプライズ?」

 そう言えば、男友達の部屋に行くと言ってしまったことを思い出す。

「何だよ。男友達にサプライズ仕掛けちゃ悪い?」

「別に悪いなんて言ってないでしょう」

 そう言いながらも疑いの眼がこちらを見つめる。

「なんか誤解されると嫌だから言っておくけど、別にへんな関係じゃないからね」

 言わなくてもいいことを言ってしまった。

「あ~ら。私は何も言ってないけどね」

 今度はバカにした顔で言われた。

「そ、そうなんだけど」

 あまりに動揺してコケそうになり、思わず渚の手を握ってしまった。

「誰の手を握ってんねん」

 へんな関西弁を使って、軽蔑の意思を表した。

「ご、ごめん。今のは事故です」

「そのわりにまだ握ってますけど」

「なんか、俺の手、急に自由がきかなくなっちゃってさあ」

「いい加減にしなさいよ」

 思いっきり振り払われた。あまりに強かったので、振り払われた手が渚の胸のあたりまでいき、危うく触りそうになった。しかし、渚はそれを華麗な身捌きで避けて、こうぶちまけた。

「こういうこと平気でやっちゃうタイプだったよね、昔から」

「だから、ごめん」

「ごめんて言えば済むんだったらおまわりさんはいらない」

 当時、渚からよく言われた台詞だったことを思い出す。

「なんか懐かしい」

「いいからリビングに行って」

 廊下でひと悶着あったが、ようやくリビングにたどり着いた。

 なんとなく全体を見渡してみると、桃香の部屋とは違い、大人の女性の部屋の雰囲気が漂っている。

「女の子の部屋にあがってキョロキョロするんじゃないよ」

「ごめん。男の影がないかと思ってさあ」

「悪い趣味だ。で、影は見つかった?」

 渚が二人分のコーヒーをテーブルに起きながら、こちらを睨んだ。

「それがわかんないんだよね」

 実際のところわからなかった。男と住んでる女の子の部屋は、なんとなくわかるのだけど、渚の部屋は、なんか曖昧な空気を感じた。

「でしょうね」

「でしょうね?」

「たとえ男がいたとしても、平野に簡単に見つかるような影なんか残してないわよ」

「あっ、そうですか。しかし、それにしても渚、綺麗になったよね。俺、新木優子かと勘違いしちゃったもん」

 ほんとに似ているのだ。全体の雰囲気も、目の大きさも、鼻の角度も、唇の厚さも。

「女優の名前を出せば喜ぶと思ったら、大間違いだからね」

 とか言いながら、渚はにやけが止まらなかった。ここまでずっとSっぷりを見せていたが、やっぱり渚も女の子。褒められるのには弱いらしい。なので、ここは畳みかけておく。

「いや、ほんとにそっくりだよ。それにスタイルもいいし」

 目は自然に渚のバストを見ていた。

「ちょっと、どこ見てんのよ」

 翔の目線を確認してた渚は自分の胸を両手で隠した。

 怒っているようではあったが、そんなことで翔は怯まない。

「Cくらい?」

 ちらっと見た感じではそのくらいかと。

「C? やめてよね。Fだから」

 軽~く胸を突き出しぎみにした渚。

 Cと言われ、プライドが許さなかったか。

「ええええええええええええ、えふ? Eの次のF?」

 C、D、E、Fと指を折っている翔。

「ええ、ええ、うるさって言うのよ。それに、他にどんなFがあるっていうの。しかし、平野って今でもHなことしか考えてないわけ?」

「そんなことないです」

 当時から立場は渚のほうが上だった。なにせ女帝なので。そのせいか、今も自然に言葉遣いが丁寧になってしまう。

「だって、小学生の時もスカート捲りばかりやってたじゃない」

 確かにやっていた。翔と仲の良かったガキ大将の奥村正と二人で。

「ばかりっていうことはないと思うけど…」

「いや。ほぼ毎日してたね。挙句の果てに、菅野のまでやってしまって大目玉を食らってたじゃない」

 つい調子に乗り、菅野麻里という女性の担任のスカートを思い切り捲ってしまい、黒のTバックまで見えてしまった。

 まさか小学校の担任教師がTバックを穿いているとは思っていなかった翔と奥野は、あまりの刺激の強さに、その日から2週間ほど悪夢にうなされた。

 いや、悪夢かどうかは別だけど…。

 当然ながら、教頭先生からはこっぴどく怒られた。

 翔の苦い記憶、黒歴史のひとつだ。村も同じことだぜ」

「わかってるわよ。でも、平

「そんな昔のことを言われてもさあ」

「人間って、そうそう変わらないってことよ」

「そうかもね。でも、それは渚も同じことだぜ」

「わかってるわよ。でも、私は平野に比べればずっと大人の女に変わってるから」

「それは認めるよ。でさあ、せっかく再会できたことだし、これを機にお付き合いしない」

「ごめんなさい。せっかくのご好意ですけど遠慮させていただきます」

「なんでよ」

「私、付き合っている人がいますので」

「ええー、いるの?」

「いるに決まってるじゃない。私、こうみえて、松村渚よ」

 こうみえて、がよくわからないけど。確かに、これだけの美人だったら相手がいるのも当然だとはいえる。

「わかってます。ですが、そこんとこをなんとかなりませんかね、お客様」

 と、手をスリスリしながら言ってみる。

「何、それ。不良物件を押し付ける悪徳不動産屋みたいな顔して」

「うまいこと言うね」

「ということで、無理です。それに、平野だっているんじゃないの、彼女」

「いるにはいるんですよ。飛び切りカワイイ彼女が一人」

「いるんか~い。だったら、この話はこれで終わり」

「いやいや。彼女は彼女。それはそれっていうことで」

「何? 意味がわからないんだけど」

「できるだけ多くの人とお付き合いしたほうがいいと僕は思うんですよ、見聞を広める意味で?」

「見聞の使い方が間違ってるし」

「じゃあ、こうしましょう。とりあえず、お友達から始めるということで」

 とにかく美人の渚と付き合いたいがために、翔はどんな屁理屈でもこねる覚悟だ。

「まあ、友達ならいいわよ。というか、そもそも昔から友達だからね。ただ、とりあえず、なんていうことはなく、永遠に友達としてだけど、それでもいいならいいよ」

「わかりました。それでもいいです。友達として二人で会ったり、遊園地に行ったり、旅行に行ったり。たまにはキスしちゃったり」

「平野って、頭おかしいの?」

「そのようです」

 自分でも自覚している翔であった。


 日曜日。桃香とデートの予定があったけど、桃香に急用ができてキャンセルになった。なので、翔は久しぶりに一人部屋でのんびり過ごしていた。

 朝昼兼用の食事を済ませ、テレビを観ながらリビングでゴロゴロゴロゴロしているとチャイムが鳴った。

「誰だろう」

 最近オートロックをすり抜けたセールスマンが突然訪れてくることがある。なので、無視する手もあったが、一応出ることにする。受話器を取り上げモニター画面を覗く。すると、そこには翔の良く知る人物の姿があった。

「わ・た・し」

 誰かの部屋と間違えているという認識がないのだろう。その人物は普段とは違って甘い響きの声を出していた。

 どうやら、この人も自分が1週間ほど前に冒した間違いと同じ間違いを冒してしまったらしい。

 それにしても…。

 ど、どうしよう。

 リビングを1周しながら考えたが、待たせるほうがまずいと思い、急いで玄関に向かう。

 とりあえずドアを開けると、唖然とした顔が翔の目に飛び込んできた。

「何で平野君が…」

 無理もない。今の目の前にいるのは自分の部署の部下なのだ。翔からすれば、自分の上司しかも部長。その名は川口真衣。

 ものすごく仕事のできる女性で、会社始まって以来の異例の早さで部長まで昇りつめた人。なにせ年齢は翔より2つだけ上の、まだ29歳。

「ここ、僕の部屋ですから。602号室」

「えっ、ええー」

 慌てて部屋番号を確認している。その狼狽え方がおかしい。

「ごめん。私、間違えちゃったみたい」

「そのようですね、部長」

「そ、そうね」

「ひょっとして1階下か1階上と間違ったんですか」

「うん。1階上」

 正直に言わなくてもいいのに、正直答えてしまうのは生来真面目な証拠。

「そうですか…」

「私、今までこんなことなかったんだけど、今日は考え事をしていて…」

 会社で見る真衣とはまったく雰囲気が違った。

「へえー、部長にしては珍しいですね」

「そうよね」

「上の人、彼氏ですか?」

「えっ」

「その顔は当たり、ですね」

 真衣の顔が一瞬乙女の顔になった。

「ち、ちがうわよ。知り合いの個人事務所があるのよ」

「その狼狽え方は彼氏と認めているのと同じです」

「だからあ、違うって言っているでしょう」

 怒ってみせたが、もう遅い。

「怒ってみせても無駄ですよ。僕、そのへんの勘は鋭いんです」

「とにかく。私、行くから」

 逃げようとする真衣。

 だが、そう簡単には解放しない。

「あのお~、部長」

 大きな声で言われ、思うわず振り向く真衣。

「な、なによ?」

 顔中に戸惑いが満ちていた。

「その私服可愛いですよね。部長もミニ穿くんですね」

 出勤時の私服はいつもパンツスタイルなので、初めて真衣のミニ姿を見た。

「やめて。見ないでよ」

 足に手をやり恥ずかしそうにする。

「恥ずかしがっている部長って、可愛いい」

「からかわないで。今日はお騒がせしてしまってすみませんでした。では」

 急にいつもの部長の口調に戻って言いながら、急いでその場を離れようとした。

「あのお~」

 その背にもう一度声をかける。

「まだ何かあるわけ」

 振り向いた顔が怖~い。

「僕、部長がよくご存知の通りおしゃべりなんですよね」

「はい?」

 何を言い出すんだろうという顔をしている。

「部長に彼氏がいることとか、ミニの私服姿が可愛いとか、彼氏には甘い声を出しちゃうとか、そういうこと僕職場で話さないようにしますから」

 翔の言葉に困惑している真衣の顔が可愛い。

「あっ、そ、そうね。お願い」

 軽く頭を下げた。

「いいですよ。その代わり僕とデートしてくれませんか」

「えっ、私が平野君と?」

「そうですよ」

「わかったわ」

 とにかく一刻も早くその場を去りたかったのか、あるいは弱みを握られて諦めたのか、OKの返事を出した。

「約束ですよ」

「わかったから。じゃあね」

 そう言って足早にその場を去って行った。

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