ふたつのポルックス

@mrorion

ふたつのポルックス

 明日には、マリアとケビンが帰ってくる。来年のクリスマス休暇からはフィリップ君も一緒だろうし、お前と二人でゆっくり話すことも、この先そうそうないだろう。

 それでいいんだよ。本当に俺は嬉しいんだ。確かに、フィリップ君は俺が思い描いていたような堅実な仕事はしていない。だが、決して歪まない心の芯の強さがある。それが本当の堅実さだ。

 そのことじゃなかったな。お前は昔、パパの子供の頃の話を聞きたがっていた、だろ?俺は答えなかった。その話をするなら、もうこの夜の他にはないだろう。

 そして俺は、今それをお前に聞いてほしいんだ。



 今ではお前も薄々知っているだろうが、俺は昔、グアダバネラ国立研究所にいた。あの長い冷たい戦争の前後、いろいろな人体実験が行われていた場所だ。国中から子供、特に双子が集められて、その材料にされていた。

 物心ついた時から、俺の家族は双子の兄貴だけだった。

 そう、俺には双子の兄がいたんだ。名前はミッチェル。ミッチェルとノエル。結構いい組み合わせだろ?俺たちも自分たちの名前を気に入っていて、必ず二人続けて名乗ったものだ。1歳半の健康診断で、特殊な免疫を持っていることがわかって、俺たちは親から取り上げられた。親が唯一残してくれたのが、この名前だったんだ。

 俺たちは本当によく似ていた。金髪の捲き毛、くすんだ肌、骨ばった背格好。青い大きな眼、そばかすの散り具合までそっくり同じだ。鏡を覗くのと、ミッチェルと向き合うのと、俺はその二つを区別さえしてなかった。「双子」が何かってことを教わる前に、親から引き離されたんだ。俺たちにとって、お互いは自分の外側にある自分、そのものだった。

 ただ、性格は違っていた。パパは、まあ、お前も嫌になるくらい知ってるだろう、リアリストというやつだ。研究所の保育所でリアリストもなにもないが、保育士が気まぐれにくれるおやつを確実にもらう、痛い実験をなるべくほかの双子たちに回す――そんなことには生まれつきよく気が回った。今思い返しても、ガキのわりによくやってたと思うよ。

 ミッチェルは空想家だった。保育施設にある少ない絵本も本もすぐに読みつくし、俺と同じ青い眼をぼんやり揺らがせて、いつも心の中で物語を作っていた。

 そして俺たちは、互いの考えていることが、自分の独り言を聞くようにわかった。

 相手の考えていることを本当に口にするのは、決まってもう片方だった。眠くなるような昼下がり、ミッチェルはよくこう言ったんだ。「ノエル、今ならコックさんはいないぞ?」俺はうなずいて、厨房に忍び込み、食べ物をちょろまかしてきた。夜になって、狭いベッドに押し込まれたあと、俺はよく尋ねた。「ミッチェル、お話の時間だろ?」

 ミッチェルはうなずいて、ひそひそ声で、自分の作った物語を聞かせてくれた。


 ふたご座の欠片の話っていうのが好きで、何度も何度も聞いた。ある夜、大砲が天に向かって暴発するんだ。弾はふたご座にぶつかって、星の欠片がたくさん地球に降ってきた。その星って言うのは、ミッチェルが言うには、神話に出てくる双子の魂そのものなんだ。カストールとポルックス、人の子供と神の子供の双子。お前も聞いたことぐらいあるだろう。

 さて、魂の欠片は牧場にも降り注ぐ。そいつを草と一緒に食べた牛が出荷され、国中の食卓に肉となって並んだ。その肉を妊婦さんが食べ、こうしてふたご座の魂を宿した双子たちがこの国にたくさん生まれた。

 妙な話だろう?だけど、双子ばかりが集められた研究所の中では、ぞくぞくするほど、そうだな、リアリティがあったんだ。保育施設にはテレビもパソコンもあったから、自分たちが普通の子供じゃないことはわかっていた。どうして俺たちだけ、っていう気持ちに、ミッチェルの物語は光を与えてくれた。

 俺たちは、星の子供なんだ。だから人間の世界で理不尽な目に遭う。

 子供は多かれ少なかれ、そうやって理不尽を乗り越えていくものかもしれないがね。


 双子はいつも10組くらいいた。だけど時々片方だけがいなくなる。もう片方はただデータを取られたりしているけれど、そのうちいなくなった方の死体が搬出されていく。いわゆる比較実験と言うやつだ。そのために、俺たち双子が飼われていた。そして新しい双子がどこかから連れてこられるんだ。

 恐ろしいだろう?それが、昔のこの国がやってたことなんだ。

 それはさておきミッチェルと俺は、比較的なにごともなく育てられた。勉強もさせてもらえたよ。いつのまにか保育所では一番の古株になっていた。俺は無事に大人になったら、二人とも研究者としてこの研究所に雇ってもらえるんじゃないかと思ってたんだ。「生物兵器に襲われた人が助かる薬を作りたい」って言いふらしてた。ミッチェルはニコニコしてるだけだったが、あまり興味がないのはわかってた。あいつは外の世界を見たかったんだ。

 10歳くらいになった時だ。ある日、二人で研究棟に連れ出された。それが、いつもの場所じゃなく、施設のひどく奥の方だった。暗くて入り組んだ廊下を、時々目隠しされながら、ひたすら歩かされてね。やっと重たい鉄の扉を通されると、研究者が何人も並んでいた。

「被験体と、対象実験体、あるいはスペアになる方ですね。どっちを選びましょうか」

 ひとりがそう言った。

「クローンみたいに似てるな」「一卵性双生児でも、ここまで似ているとは」

 口々に声が上がる中、右側の方にいた研究者が言った。「君たちのどちらかが、研究者になりたいと言っているそうだね。どちらだい」

 俺とミッチェルは顔を見合わせた。その答えがどっちに転ぶのかわからない。俺が黙っていようと思った時、ミッチェルがふいに顔を研究者の方に向けた。「ノエルです」

 それは鏡の中の自分が、勝手に動いたくらいの衝撃だったよ。

 研究者はうなずいた。「それでは、そちらを対照実験体としよう」

 俺は部屋から連れ出された。ミッチェルを振り返ると、相変わらず俺とそっくり同じ姿形をしていたよ。金色の捲き毛、細くて骨ばった身体、寸分たがわず散ったそばかす、じっとこちらを見ていた大きな青い眼。俺がもう一人そこにいると言っても間違いではなかった。それまでなら、思考回路もわけあっていたはずなんだ。だが、その時から俺はミッチェルの考えていることがわからなくなってしまった。



 それが話の始まりだ。

 俺がミッチェルに次に会ったのは一か月後だった。髪が汚く伸び、頬がそげて、顔つきが変わってしまっていた。でも青い眼だけは、前と同じに穏やかだった。

 俺たちは話すことを許されなかった。ただ並べられて、いろいろなものを調べられただけだった。その研究者たちに混じって、金髪の少女が一人こちらを見ていた。

 俺はびっくりしたんだ。青い大きな眼も金の捲き毛も、俺たちによく似ていた。その子はとても痩せていて、だから、その時のミッチェルにそっくりだったという方が正しいかな。さすがに散らばり方は違っていたが、そばかすまでよく似ていた。

 俺が研究室から連れ出されるとき、その子もしばらく廊下をついてきた。「あんたがミッチェルのタイショウジッケンタイね」と、声を掛けてくる。

「双子なんだ」俺は答えた。

「私がミッチェルの双子なの」その子は癇癪みたいに強く言った。何を言ってるんだろうと思ったね。俺とミッチェルは一か月前まで、離れたこともなかったんだから。

「確かによく似てるけど。でも、それなら、君はぼくとだって似ているだろ」

「わかってないわ」その子の目は敵意を帯びていた。「私とミッチェルは、本当の双子なの。魂の双子。あんたとちがってね」

 そうしてそのままどこかへ行ってしまった。


 その子について、俺は数週間かけて情報収集した。彼女はクリスティという名前で、ここに住みこんでいた研究者の遺児だったが、引き取り手がなく研究所内で雑用係をしているという。歳は俺たちと同じということだった。

 それからしばらく経ったある真夜中、俺は保育施設のベッドを抜け出して、ミッチェルのいるところに潜り込んだ。いや、笑うところか?まあ、そうだな、昔から潜入取材が得意だったんだ。うまくやったんだよ。

 コンクリートの研究棟がいくつも並んだ中庭に、小部屋がずらっと面していた。被験者たちの飼われている部屋だ。鉄格子付きの窓を一つずつ覗き込んだ。前なら、どこにミッチェルがいるかなんて、きっと勘でわかったはずだ。そんなことが悔しかった。窓の中には死体みたいな被験者が、一部屋に一人ずつ寝ていた。

 やっとミッチェルを見つけた。それとクリスティ。

 二人はベッドの上に座って話していた。ミッチェルが物語をクリスティに聞かせている。顔を寄せ合った様子は、男女に分かれた同じ人間みたいだった。金色の乱れた髪、痩せてやつれた顔の中で、宵の空のように光る青い眼。天から落ちてきて、人に捕らえられた星の子供たち。

「ノエル!」ミッチェルが顔を上げた。笑っていたよ。クリスティもバッと顔を上げる。

「ミッチェル!お前大丈夫なのか」

「お前こそ、元気にしてるのか。俺は大丈夫だよ」

 鉄格子に近づいてきて、ミッチェルは囁いた。近寄ってきた顔は、ずいぶん変わっていたよ。きっとひどい目に遭ってるんだって思った。でもそれがどれくらいつらいのか、わからない。

「帰って」クリスティが後ろから言った。「ミッチェルは私が世話してるの」

 俺がミッチェルに目で問いかけると、ミッチェルはにっこりと笑った。「そうなんだ。俺とは気が合う。物語が好きなんだ。きっとノエルとも気が合うよ」

「合わないわ」

「クリスティ」ミッチェルがたしなめると、彼女は寂しそうに黙る。

「魂の双子、って言ってたな」俺はわざわざ、そんなことを口にした。

「そう、かもしれないな」ミッチェルはにっこり笑った。俺の笑い方とおんなじだった。「心が、まったく同じものでできている感じなんだ。話せばわかる。響き合うんだ。俺たちは三人の双子だな」

 その時、クリスティがひときわ激しい合図をした。「来るわ」ミッチェルとクリスティは急いでベッドに戻った。見張りが来たのだ。俺も素早く中庭から駆け出した。

 それっきり、研究所でミッチェルと話す機会は訪れなかった。


 お前も知ってる通り、冷たい戦争は一度停戦になった。グアダバネラ研究所も一度解体されて、パパは首都の孤児院に送られることになった。つまり実験はおしまいってことだ。もう一度ミッチェルに会えると思った。だけど代わりに姿を見せたのは、俺と同じように荷物をまとめたクリスティだった。

「ミッチェルは連れてかれるの、別の研究施設に」詰まりそうな声で、クリスティは言った。「あいつの実験はまだ終わっていないのよ」

「どうして」

「うまく行き過ぎたのよ。あんたなんかもういらないの。そうじゃなくて、あいつがどこまで行けるかが、今は実験の中心なのよ」

 クリスティはそこで俺を睨みつけた。

「私は連れてってもらえなかった。あんたと孤児院に行けって言われたわ。ミッチェルに」

「仕方ない、一緒に行こう。大人になったらミッチェルを探すんだ」

「あんたに言われなくたってそうするわ」クリスティは言った。

 それが13歳の時だった。


 俺とクリスティは、ひどい環境の孤児院で身を寄せ合うように暮らした。俺はミッチェルのためにしたように、飯やら毛布やらをうまく確保して、クリスティに分けてやった。クリスティは拗ねたような表情をして、それでも何故だか穏やかで優しい声で、ミッチェルの作った話を俺にしてくれた。

 俺たちのことを、周りはみんな親族だと思っていたよ。金色の捲き毛も青い眼もそばかすも、俺たちはそっくりだったから。だけど双子と間違えられたことは一度もない。年子のきょうだいだと思われていた。もともと赤の他人なんだがね。

「あんたはミッチェルと似てないわ」クリスティは何かあるとすぐに怒ったように言った。俺もよく、「お前はミッチェルとは赤の他人だ」って言っていた。だけど二人ともわかっていたんだ。俺たちはお互いを通して、ここにいないミッチェルを感じようとしていると。

 クリスティの揺らぐ青い眼や声は、空想しているときのあいつを思い出させた。クリスティが眠る前に俺の手を握って、おやすみ、と囁いてほしいとねだるとき、俺の手と声はあいつの代わりなんだとわかった。だから俺たちは絶対に互いに離れなかった。食事の時の勉強の時も、朝も夜も。


 18歳になって、奨学金を揃って取って、孤児院を出た。それからも俺たちは、首都の汚い安アパートで二人で暮らしていた。俺が料理をして、クリスティが掃除をした。

 恋に落ちなかったのか、って?

 わからないね。あれは恋とは呼べないものだった。だけど……。愛とも憎しみと嫉妬も呼べないような、強い、強い執着はあった。そもそもミッチェルをそんなに愛していたのか?と、何度も自問したよ。あの不幸なクリスティのミッチェルへの執着が、俺に乗り移ったんじゃないかとも思った。そうでもあるし、そうではない部分もあっただろう。例えば、相方を理不尽に奪われた絶望を、癒し合おうとする欲望だとか。

 孤児院を出たあとすぐに、クリスティとは関係を持つようになった。はじめは彼女の方から誘ってきた、と思う。自分に似た女の子とそういうふうになるなんて気味が悪いようだが、不思議とそうは思わなかった。……詳しいことを話す気はしないが。

 ただ、最中には、よくミッチェルの物語を思い出した。俺たちの中には星の魂の欠片が埋まってる。俺たちは唇を重ねて、己の中の欠片を触れ合わせ、溶け合わせて、少しでも大きな星に戻ろうとしている――。

 俺たちは双子星の片割れ同士じゃない。同じ星の欠片、蒼白いカストールを探す、黄色く光るポルックスどうしだった。一つになって、少しでも輝きを強めて、消えたもう一つの星を照らし出そうとしていた。


 俺はもう、人体実験の研究者になるなんてこりごりだと思っていた。だから文学と政治学を専攻した。そこで先輩に誘われて、ジャーナリストになろうと決めた。

 クリスティはまるで俺に成り代わったみたいに、研究者になると決めた。理学部から医学部に編入したんだ。何もないときは、ずっと勉強していたな。そのクリスティが、ミッチェルかもしれない人間を見つけたと言う。大学3年の秋だった。

「実習で行った病院の奥にいたの、絶対にあいつだった。でも話せなかった。担当の看護師がいてね、本当の家族なら治療のために検体を取らせてくれっていうの。だから……あんたも来て」

 クリスティは悔しそうに、目を伏せながら言った。

 俺たちは翌日、首都の古い病院を訪ねた。小さなナースセンターでクリスティが声を掛けると、看護師が出てきて、奥の病室に案内された。薄暗い四人部屋の右の窓際に、点滴に繋がれた人間が寝ていた。

 別人だ、と思ったよ。茶色い髪、灰色に近い血の気のない肌、高い鼻に丸い頬。それにどう見ても女だった。小柄だし、ベッドから覗いた手は華奢だ。クリスティの方に振り向くと、本当に冷たい表情で俺を見つめていた。看護師が困惑したように言う。

「あなたが本当に、ごきょうだいなのですか?」

 すると、ベッドの女が目を覚ました。黒い眼をゆっくりと泳がせて、俺にじっと据える。

「ノエル、お前も生きてたんだな。また会えて嬉しい」

 思わず悲鳴を上げそうになったよ。若い女の声だったが、その話し方は俺にそっくりだったんだ。アクセントも間の取り方も、息遣いもなにもかも。「ミッチェル!」と叫んで、俺は手を握った。

 クリスティが後ろから身を乗り出した。「私のことは、私の……」

 女は夜空の星が一斉に瞬くような、輝くような笑い方をした。「ああ、クリスティ」

 間違いなく、それはミッチェルだった。しかしなぜ別人の姿になっているのか見当がつかない。

 俺たちはそれから毎週、病院を訪れた。俺の血を輸血したおかげで、ミッチェルの体調は良くなってきた。クリスティはやっぱり悔しそうだった。「ノエルなんか何にもわからなかったくせに。私は、目を見ただけでわかったのに」

「いいんだ、二人に会えて嬉しいんだから」あいつは純粋に、嬉しそうだった。


 ミッチェルがどんな目に遭ったのか、俺は初めて詳しいことを聞いた。あいつの受けていた実験は、人格を保ったまま、身体をまるごと作り替えていく実験だったんだ。死なない兵士、死なない政治家を作り上げるための基礎実験だ。

 あいつのものはすべて取り出されて、他人の物が嵌め込まれた。はじめは腎臓。肝臓。脳以外の臓器を一つずつ。スペアの俺の出番はなかった。俺たちの特殊な体質のおかげで、ミッチェルは苦しみ抜きながら、死にはしなかったんだ。

 まだ子供のクリスティが、あいつをずっと看護していた。親を亡くしてこき使われてる孤独な子供と、ただひとり、とても残酷な研究の実験台にされた子供。二人はあっという間に魂の底まで通じ合った。地獄のような狭い世界で、ただお互いだけがすべてになった。

 それから骨格の入れ替えが始まった。足の骨格を入れ替えた段階で、グアダバネラ研究所が解散になった。クリスティは泣き叫んだ。もう二度とミッチェルには会えなくなると思った、という。

「でも、言った通りだった。違うか?」ミッチェルは言ってたよ。「俺には二人の双子がいた。俺の心はクリスティの中にもある。俺の身体はノエルも持っている。だから、俺は何一つ失わない。何も失わずにまた会える。会えた。そうだろ?」

 他の研究所に移ったあとも、実験は終わらなかった。骨格を全て入れ替えられ、目も歯も皮膚も髪の毛も奪われて移植されて、ミッチェルは全く別人の身体になった。

 だが、変わらなかったものが三つあった。一つはミッチェルの脳で、これを取り換えて人格を保つ方法は当時なかった。それと精神。もう一つが骨髄だった。意外だろ?骨髄移植なんて、昔からある医療だからな。だけど、あいつと俺の特殊な体質は骨髄に由来するもので、それが実験の成功の鍵だった。だから取り換えるわけにはいかなかったんだ。

 そこで実験が煮詰まった。研究所の予算が、一番苦しかった時だったらしい。あいつは外の病院に、訳ありの患者として放り出された。後遺症で弱っていたところを、クリスティが奇跡的に発見したんだ。


 クリスティとミッチェルは、何も話さなくても通じ合うようだった。青い眼と黒い眼をちょっと見交わすだけで、会話が成り立っていた。昔の俺たちみたいに。

 俺はそいつを見るたびに苦しくなった。そもそも実験さえなければ、俺たちが引き離されることはなかった。魂の双子を奪われたんだ、と思った。アパートに帰ってクリスティと身体を重ねながら、その身体の奥にある、ミッチェルと俺の絆を奪い返したいと願っていた。だけど、何も変わらなかった。

 ミッチェルに一度、訊いたことがある。どうしてあの時、「研究者になりたがってるのはノエルだ」って返事をしたのか。だけどあいつは答えてくれなかった。知らない女の顔で、ニコニコ笑ってるだけだった。

 俺の合わせ鏡は割れてしまったんだ。

 宙ぶらりんのまま2年が過ぎた。そして冷たい戦争が、また始まった。


 ミッチェルが前触れもなく古い病院からいなくなった時、クリスティはもう泣き叫んだりしなかった。彼女はインターンになっていて、俺は新聞社の下っ端だった。

「すぐにまた見つけるわ」

 クリスティはそれだけ言った。しばらくして、一緒に住んでいたアパートを出て行った。

 俺とミッチェルが一緒に過ごした時間より長く、クリスティと寄り添っていたんだと、彼女が出て行ってから気が付いた。寂しいとさえ思わなかった。ただ虚ろな気分になって、俺もアパートを出て、新聞社の物置に住み込んだよ。

 ジャーナリストになりたいと言ったが、最初は芸能人のゴシップ担当だった。疲れたし、飽きたね。戦争の真っ只中でもその手のネタは事欠かないし、かえって売れるんだ。だからずっと忙しくしていた。

 女優や俳優のケツを毎日追っかけて、そのうち、過去のことなんかもう思い出す暇もなくなってきたんだ。目の前のスクープがすべてだった。本当に虚ろになってたんだな。それで身体を壊しかけて、3年目の秋に半年くらい休んだ。

 やっと配属が替わったと思ったら、つぎが科学の担当だった。


 クリスティに再会したのは、医学研究所のプレスリリース会場だった。やつれてもいたが、髪を短く切って前より大人びていた。取材陣の中に俺がいるのを見つけると、注意を引くようにちらっと睨む。つまらん発表の後、俺はクリスティに駆け寄った。

「お元気、ジャーナリスト様」クリスティは不愛想に挨拶した。何人かが怪しそうに見ていたよ。俺は誰にともなく、「いとこなんだ」と釈明して、続けた。

「俺はまあまあだ。お前も大丈夫そうだな」

「あいつはまだ見つからない。また研究所に引き取られたみたいなの」

 ぶっきらぼうだが、どこか焦った口調で言った。俺は3年間を棒に振った罪悪感と、彼女への心配が湧いてきて、思わずその手を握った。彼女は手を引っ込めなかった。

 俺たちはそのあと、定期的に食事して、互いの家に行った。物置?さすがにその頃には出ていたよ。したことといえば、ひたすら情報交換だ。ミッチェルの行方について、あの実験のその後について。久しぶりに再会しても何も変わらない。俺たちの絆は、ミッチェルの存在とイコールだった。

 やっとのことで有力な情報を掴んだのは俺だった。当時の資料を片っ端から調べて、あの古い病院の患者が何人か、復活したグアダバネラ研究所に転院したことを突き止めたんだ。クリスティがなんとか渡りをつけてみると言った。俺たちはクリスティのラボで抱き合って、そのまま別れた。それっきりしばらく連絡が取れなくなったんだ。


 2か月くらい経ってやきもきし始めた頃、夜中に突然電話がかかってきた。

「今すぐ来て。ミッチェルがいたの!私の研究室にいる」

 すぐに研究所まで社用車で乗り付けたが、ラボのドアを開けた時、そこにはクリスティのほかに誰もいなかった。

「ミッチェルはどこだ?」

 彼女は振り向いた。満面の笑みに、眼だけが夜空みたいに真っ暗だった。

「そこ。グアダバネラの保管庫に、タグもつかずに放り出してあったわ」

 指さした机の上には、黒いメモリーデバイスが載っていた。俺の掌くらいの、ケーブルのついた小さい箱だ。

 俺がぽかんとしていると、突然クリスティは高らかに叫び出した。

「偉大な技術の進歩に栄光あれ!人格を保って身体を取り換える実験は、人格を身体から取り出す実験にシフトいたしました。そして偉大なミッチェル氏ときたら、脳も身体も捨て去られ、見事データになることに成功したのよ!!」

 甲高い笑い声が響く。

 俺は、吐くのをやっと我慢して、へたり込んだ。あの実験は、とうとう俺の双子からすべてを奪ってしまった。あの時、俺をかばって実験体になった星の欠片の片割れから。

「データは検査してみたわ。ソフトで読み込めば動く。あいつが確かにこの中にいる。あらゆる記憶と刺激への反応を記録したプログラム。……見てみる?」

 そう言って、クリスティは机に近づき、ケーブルをコンピューターに突き刺した。やめろ、と叫んでいた。だが彼女は操作を続けた。テキストが画面に浮かぶ。見たくないのに見てしまう。


「俺は誰だ?俺は誰だ?(内部データを取得...)俺は誰だ?ここはどこだ?(無効なリクエスト...)見えない、感じない、わからない、出してくれ、出してくれ(無効なリクエスト...)痛い痛い痛い(処理が混雑しています)助けて助けて助けて(処理が混雑しています)」


「やめてやれ!!」

 クリスティは丁寧にソフトを終了した。もう笑っていなかった。

「私があいつの魂を持ってるから、大丈夫だって。そう言ったのよ、ミッチェルは」

 静かに彼女はつぶやいた。

「あいつの魂はどこに行ったの。あいつは…あいつは、死ねもしないで」

 俺と同じ青い眼はえぐられ、金色の髪はむしられ、骨は引き抜かれて、みんな捨てられてしまった。そして魂も同じ目に遭った。クリスティは膝をついた。座り込んだ俺の高さで。クリスティの青い眼が俺の青い眼を捉えて、魔法にかけられたみたいに心が沸き立った。

「ノエル。あんたと私で、この実験をやった研究者を一人残らず見つけるの。あんただって、ジャーナリストでしょう」

 頷いた。復讐だ。人の子カストールと神の子ポルックス。カストールが死んだあと、ポルックスはまず、カストールを殺した男たちを殺したんだ。見つめ合っているうちに、彼女にミッチェルが乗り移ったんだと思った。それから、これはやっぱり俺の眼だと思った。同じ感情に震える、まったく同じポルックスの眼。


 思ったより、復讐の準備には時間と手間がかかった。俺が取材であたりをつけ、クリスティが研究者の人脈を使って裏を取る。毎週のようにこっそりと会合を重ね、軍や警察に感づかれないように慎重に、俺たちは3年かかってリストを作り上げた。

 最後の一人の自宅の住所は俺が調べた。俺のアパートで、クリスティは細い手を震わせて、それを自分の手帳に書き留めた。

「あとは私に任せて」

 クリスティがそう言うだろうと、俺にはわかっていた。

「俺がやる。ミッチェルは俺の双子だ」

「私の双子よ」

 わかるだろう、それまでの20年で、何度その議論を繰り返したか。果てがないことだけはわかってた。やっと、クリスティが溜息をついた。

「今、あんたは幾つ?」

 そんなことを聞かれても、お前と同じ年に決まってる。俺が答えると、「いつになったら恋人を作るの」と、わけの分からんことを聞いてきた。恋人のことなんか考えたこともない。ミッチェルとクリスティだけが私生活のすべてだったのに。彼女は続けた。

「あんたの役目は、あいつの遺伝子を残すこと。それはあんたにしかできないことだから。もう一つの役目は私がやるわ」

 そして俺に近づいて、自分からキスをした。自分の唇のように慣れた味。だが、それまでに一度もなかったぐらい、静かで優しいキスだった。「元気でね、ノエル」と言ってアパートを出ていく。

 最後に間近で見た顔は、怖いぐらいに穏やかで、記憶の中のあいつに、それまでで一番よく似ていた。


 そのすぐ後だ。上司に呼ばれて、政治面に異動しろと言われた。クリスティも田舎の研究所の所長に抜擢された。田舎ってことは、極秘研究をやってる研究所ってことだ。俺の連絡を無視したまま、彼女はさっさと行ってしまった。

 そのあとは、もう何をしても彼女の消息はつかめなかった。新しい科学面の担当者は、お前には何も洩らすなと取材先から言われてる、という。よく聞いたら、クリスティが周囲にそう言い置いて引っ越したんだそうだ。俺の異動も、クリスティが裏から手を回したんじゃないかって疑ってしまった。実は今でも疑ってるんだ。

 ひとりっきりになると、急にそれまでの人生すべてが嘘みたいに思えた。クリスティの言葉だけがこびりついていた。俺の役目は、ミッチェルの遺伝子を残すこと。鏡の中の俺は、昔から変わらず、金色の捲き毛に青い眼、そばかすに骨ばった身体つきだ。だがミッチェルもクリスティも姿を消し、比べる相手がいなくなると、なんだか初めて見るような人間に思えた。

 俺は、俺だ。知ったことか。

 投げやりになって、恋人探しを始めたよ。いつも途中まではうまくいったんだぜ。だが、誰ともしっくりこなかった。別の世界の人間のように思えてな。施設育ちの過去のことなんか、言えるはずもなかった。

 そこで出会ったのが……わかるだろう。


 マリアと親しくなるにつれて、俺たちは似ている、と思ったんだ。普段は忘れたふりをしているが、大切なものを永遠に失って、取り返しのつかない絶望を抱えている。俺はミッチェルとクリスティ、そしてマリアは、お前の一番目のパパ。

 俺たちは、互いに失ったものの代わりにはなれないことを、よくわかっていた。だから寄り添えた。ああ、そうだ。そのことが何より温かかった。俺は新しい人生を送ろうと決めた。そこからの年月は、ほぼお前が知っている通りだ。

 ケビンが生まれた時、俺は最初、ミッチェルって名前を付けようかと思ったんだ。だがそれは、マリアとお前に対する裏切りだと気づいた。

 お前が名前を付けてくれてよかったよ。



 そうだ。それで話は終わりじゃない。

 もう10年くらい前のことだ。そうだな、ケビンが高校に入った頃。本当に急に、俺はあの二人のことを思い出した。ケビンが昔の俺に似てきたからかな。忘れていたことに気付くと、急にひどい罪悪感に襲われた。

 俺はどうして何もかも忘れて、クリスティに復讐を押し付けていたんだ、どうしてジャーナリストになっておきながら、自分の過去からは目を背けていたんだ、と。毎日が幸せな分、一度芽生えた罪悪感はどんどんふくれていった。

 冷たい戦争が終わった今なら、彼女の行方が分かるかもしれない。仕事は忙しかったが、俺は合間を縫って必死に情報を集めたよ。戦争がらみの情報がどんどん隠滅されている時期だ。警察に目をつけられないように気をつけながら、いろんな人間に、親戚の研究者を探してると相談した。1年くらい経ってやっと、ある男が俺に連絡を取ってきた。

「クリスティの居場所は知っている、ただし、会わせてもよいかどうかはあなたに会ってから決めたい」と言うんだ。

 ある日曜日、マリアには事情を話してから出かけた。待ち合わせに現れたのは、俺より少し若い地味な男だ。俺を見るなり、信じられないという顔をする。自分と会えと言って来たのはお前だろう、と思って見ていると、なんと男は泣き出した。

「本当に、本当にご家族なのですね、あなたは」

 落ち着かせてよく話を聞くと、俺とクリスティがあんまり似ているんでびっくりしたらしい。男はクリスティの部下で、若い頃から心酔していたんだそうだ。彼女が部下に慕われるとは、ってまず驚いたよ。

「眼を見てわかりました。あなたはクリスティさんの家族だ。いいでしょう、ご案内します。あなたに覚悟があるのなら」

「覚悟?」

「あの人は、サマーテの施設で療養しています。戦争中に発狂したのです」

 まあ、そんなことだろうとは思っていたが、改めて聞くと絶望が襲ってきた。俺とそいつは電車に乗ってサマーテの街に行った。北部の海辺の、寂れた保養地だ。


 クリスティは、捨てられた人形みたいに窓辺に座っていたよ。金色の髪は白っぽくなって、埃が積もってるように見えた。足下に、膝くらいの高さの筒形の機械があって、それが腕に管をつないでいた。たぶん、食事を自分で食べることもしないんだろう。

 道すがら、部下の男はクリスティのことを話してくれた。あいつは復讐リストに載せた研究者を、いろんな口実で自分の研究所に招いては、実験台にしていった。

「何が目的なのか、あの人は教えてくれなかった。ただ、優秀な研究者の脳を集めて巨大な生体コンピューターを作りたいと言っていました。そしてそれは完成したのです」

 クリスティは、それを大事に持っていたメモリーデバイスに接続したのだという。メモリーデバイスから生体コンピューターへと、狂気はデータとなって伝わった。彼女は狂った十数人分の研究者とミッチェルでできたコンピューターを別のコンピューターにつなぎ、コードを入力して、膨大な量の物語を出力させた。

 男は一度、その物語を読んだのだという。支離滅裂な言葉の羅列だったが、そこにはたしかに起承転結があり、感情があった。気が付いたら男は感極まっていた。クリスティは、嬉しそうにそれを見ていたらしい。「あいつは才能があるのよ」と言いながら。

 クリスティは何を思って、そんな復讐をしたのだろう。研究者たちが奪ったミッチェルの世界に研究者たちを丸ごと取り込んで、逆に彼らを凌辱しようとしたのだろうか。それともただ、ミッチェルに好きなだけ物語を語らせたかったのだろうか。

 俺には何もわからなかった。想像するだけだ。

 実験経過を公表したレポートは、当然ながら大混乱を巻き起こした。拘束されて検査された結果、クリスティもまた精神に異常をきたしていたとわかった。生体コンピューターはどこかに隠された。部下の男はやっとの思いで、メモリーデバイスの部分だけを回収したのだという。しかし施設へ送られたクリスティは、もうそのデバイスのことを覚えてさえいなかった。

 戦争が終わってからも、クリスティは廃人のように暮らしている。


 筒形の介護用ロボットが、モーター音をさせて回転した。タイヤがついている。ザザッとノイズがした。

「久しぶりだな、ノエル」

 平板な合成音声だ。息遣いも、アクセント何もない。だけどわかった。それはミッチェルだった。俺はしゃがみ込んだ。カメラが上の方についている。筒形の機械を抱き締めた。

「悪いな、感覚はないんだよ」合成音声がしゃべる。

「状況はわかるのか」

「わかる、がどういうことかにもよると思うけれどね。お前にこれまでの経緯を話すことはできる」

「発狂してただろ」

「データだからね、修復可能なんだ。結局は人工知能だよ」

 クリスティが、足元にうずくまる俺を見下ろしていた。青い眼はガラスのようにからっぽだ。魂の双子たち。ミッチェルが魂を失ったから、クリスティもそれを失った。そして二人とも、狂気を抜けてなにもないところへ流れ着いた。残酷な運命に何もかも奪われた星の子供たち。

「俺は、俺は」

「歳を取ったんだな」

 そう、俺だけが歳を取った。身体も魂も失わないまま。だが、俺は絆を失った。ミッチェルと双子であることを失った。そうして生き永らえたのだ。

「子供がいるんだ。お前の子供と言ったって良い。お前とクリスティが双子なんだ、クリスティの子供と言ってもいい。俺は……」

「その子はお前だけの子供だよ」

 俺は泣いたよ。何を呪えばいいのかわからなかった。自分か、ミッチェルか、クリスティか、戦争か、研究か、人間か、運命か。

「お前はよくやってくれたよ」ミッチェルはそう言った。

「何をだ。俺はお前らを見捨てたのに」

「そんなことはない。ノエル、俺たちはお前をずっと愛していたんだよ」

 ただの合成音声なのに、そこには断固とした響きがあった。俺を突き放す頑なさ。過酷な運命から突き放して、生きろと命じる頑なさ。

 こいつはクリスティとそっくりだと、初めて心の底から思った。

「俺はまだ、星の子供なのか」と機械に尋ねた。答えはなかった。代わりにクリスティが身をかがめて優しく囁いた。「ミッチェル、お話の時間よ」と。

 泣いているうちに外は夜になっていて、真っ暗な海の上に星空が美しかった。



 あの二人は、きっとまだサマーテにいるはずだ。クリスティが死んだら、連絡を寄越してほしいと頼んでいる。ミッチェルは永遠にあのままだろうが、俺は電源を切って、クリスティと一緒に墓に埋めてやろうと思う。俺が先に死んだら?お前、頼まれてくれないか。

 去年の夏、お前がフィリップ君を連れてきたとき、確かに面食らったよ。ガールフレンドの父親に会うのに、最近の男はトゲトゲした革ジャケットを着てくるもんなのか、ってな。

 だけど、覚えてるだろ?お前は俺に言ったんだ。

「フィリップはあたしの、魂の双子なの」と。

 俺はすぐに理解したよ。一部の人は――もしかすると全ての人が――星の子供で、心にカストールかポルックスの欠片を持っている。その欠片を落としたり、捨ててしまうかもしれない。そのつもりがなくても、奪われてしまうかもしれない。俺たちみたいに。

 だけどお前は、片割れの双子を見つけ出したんだ。愛とは、それは少し違う。合わせ鏡の中の自分のように相手のことがわかる、そういう絆の話だ。お前がその言葉を使ったことで、俺はお前が、そういう運命に出会ったんだと確信したんだ。

 だから俺は、お前が思うよりはるかに、二人の未来を祝福してる。そういう話だったんだ。

 さあ、お前のママと弟はきっと長旅で疲れてるから、昼飯には腕を振るってやらないといけないな。お前は……少し寝なさい。お前を暗い気持ちにさせたいわけじゃなかったんだ。

 外?ああ、そうか。


 ちょうど、ふたご座の見える季節だな。

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