第30話 ジュリオ、脱・無職!



「んで、仕事のオファーの話に戻るけどさ。どうするジュリオくん。アタシのヒーラー休憩所は、正直言って仕事キツイし大変だけど、休みはちゃんと取らせるし、給与体制は固定給…………ちなみに、固定給以上の働きをしたら、きちんと給与上乗せするから」






荷馬車の背もたれによりかかり、怠そうにタバコを吸うカトレアは、色々と聞き慣れない言葉で仕事の説明をしてくれる。



アンナはジュリオによりかかり、スマホで何か調べているようだ。






「話に割って入ってごめんなカトレアさん。……ほら、ジュリオ。わからん言葉があったらこれで調べな」





アンナはスマホを手渡してくれた。


画面には固定給だとか給与上乗せと言った言葉の解説がされている。






「ありがとうアンナ。……でもごめん、スマホの操作わからないや」



「あーそっか。悪ぃ。んじゃ、わからん言葉があったら必ず聞けよ? 調べてやっから」






アンナはジュリオを見ずに答える。



改めて思うが、アンナはとても面倒見が良い。


命を救ってくれただけでなく、クラップタウンの町を案内したり、ローエンを紹介してくれたりと、とても良くしてくれた。



王子時代でも他者から良くしてもらった経験は勿論あるが、だがそれはあくまで『美貌の王子』という見返りを求められての事だ。



だからこそ、見返りを必要としていないアンナから親切にされると、嬉しい気持ちはあれど、自分にそんな価値があるのかと少し怖くなってしまう。






「どうしたジュリオ」



「ん、いや。……なんでもない。…………それでカトレアさん。お聞きしたいんですけど、給与上乗せってどんな働きをした場合に発生するんですか?」






アンナから逃げるように話を変えたジュリオは、カトレアに仕事内容について詳しく聞いてみた。



まだ働くかどうかは検討中だが、まずはきちんと話を聞かなければ。






「給与上乗せってのはね、規定の人数以上を治癒した場合に発生するものなんだ」



「規定の人数……? 具体的には何名なんです?」



「一応、一日につきヒーラーが治癒していいのは十人とされてるけど、まあ、仕事には例外が付きものでしょ? だから、たまに人数オーバーする時もあって。そんな時は、給与上乗せするってのが、法律で決まってんの」






脱法薬草の売人とのパイプがあるくせに、法律はきちんと守るんだなあとジュリオは思った。


それはそれ、これはこれ……なのだろう。






「でも、何で十人なんですか?」



「ヒーラーは自分の生命力を生魔力に変換して他者に分け与える仕組みだからね。一日十人以上に治癒魔法をかけたら、ヒーラーの命が危険なんだよ」



「ああ、そっか……」



「でもね……普通のヒーラーなら十人が限界だけど…………ジュリオくんには、その限界が無い。だってキミは、独自に生魔力を生み出せる体質なのだからね」






カトレアに言われた事を思い出す。


自分は生魔力を独自に生み出せる体質であり生命力を使う必要は無いのだ。



最強魔法を連発したらさすがに疲弊もするが、死の危険が及ぶものではない。






「キミの頑張り次第では、固定給に加えて上乗せ分の給与も良い感じに稼げると思うよ」



「なるほど……」






確かに、自分なら一日何十人でも治癒は可能だと思う。


それに、ベースに固定給があるというのがありがたい。


最低でも固定給はもらえるという事だからだ。






「休日も二日間固めて取れるし、就業終了には休憩所そのものを閉めるから残業も殆ど無いし。……ヒーラーの仕事先としては、妥当なとこだと思うよ」



「そうですね……」






他の地域のヒーラー休憩所の要項をアンナに調べてもらうと、やはりカトレアの言う通りだった。


どのヒーラー休憩所もカトレアの言う通りの仕事内容であり、給与体制も休日も変わらない。


どこのヒーラー休憩所もほぼ同じ条件なら、カトレアがいる現場が良いなと思った。






「カトレアさん……僕を、あなたのヒーラー休憩所で働かせて頂けませんか?」






それに、大ベテランヒーラーのカトレアの元で働けるなら、ヒーラーとしての勉強も捗るだろう。






「うん。良いよ。詳しい話は今日の夜頃、アンナを通して連絡するね。…………こちらこそ、よろしく」






カトレアは手を差し出してきたので、その手を両手で握り返した。


薄い皮膚と骨の感触が伝わる老女の手である。



この手で、どれだけの人を救ってきたのだろうか。






「良かったなジュリオ! これで脱無職だな」



「うん……! 一歩前進ってとこかな」






アンナがニヤリと笑って手を差し出してきたので、ジュリオは素直に手を握り返す。



アンナの手は大きさこそ小さく、握り合えばジュリオという華奢な男の手にもすっぽりと隠れてしまうものであるが、武器を握り慣れた厚みがあり、握力もかなり強いと伺えた。






「ん……?」






アンナとじっくり握手を交わしながら、ジュリオは妙な感覚を抱いた。




アンナに助け起こされる際に手を握り合うのはほんの一瞬だったので、特に何も思わなかったが、こうして手の平という柔らかい皮膚と皮膚をじっくりと重ね合わせてみると、ジュリオの説明不可能な『勘』が『違和感』を訴えてくる。




この違和感は何だろう……とジュリオは考えるが、答えは全くわからなかった。






「ん? どうしたジュリオ」






アンナが不思議そうな顔でこちらを覗き込んでくる。


上目遣いで顔を近づけてくるアンナをじっと見つめると、やはり美少女だなあと実感した。


鎖骨から胸元まで剥き出しの衣服が視界に入り、巨乳ゆえに胸の谷間の深さが目立つ。




アンナに抱いた微かな違和感について考えようとしていた脳の容量が、巨乳美少女の胸の谷間を見て瞬く間に下半身に乗っ取られた。



ジュリオは本来巨乳にはあまり興味が無く、ほどほどに揺れるくらいの大きさが好きである。



だが、雄としての本能は時として好みすらも凌駕する力を発揮した。






「ごめんね。ほんと何でもないから……ほんと」






すぐにアンナの手を離し、照れと申し訳無さを抱いて顔を反らした。





これは駄目な事だと思いながら、救国の大聖女であった母の言葉を思い出す。




『王子様』は女の子に邪な感情なんか抱かない。



母は幼いジュリオを抱きしめながら『王子様』の話をしていた。


母の細い腕に背後から抱きしめられる息苦しい感触は、未だに忘れられない。






「……ジュリオ、どうした? 顔色悪いぞ? 女の手なんか自分のチ○○より握りなれてんだろ。あんたなら」



「確かにそうなんだけどさ……」






アンナの下品な言葉遣いに眉をひそめると同時に、ジュリオの罪悪感に沈んだ思考は今へと引きずり出された。



息を吸うのが楽だと思う。


そして、母の事を思い出した時は呼吸を忘れていたと気付く。



アンナのザクロのような赤い目を見ていると、不思議と気が楽になるのだ。






「アンナの目ってさぁ……良い色だね」



「マジ? 嘘、え……マジで? ……まじか……そっか……」






ジュリオに目の色を褒められたアンナは、驚いた後に何やら戸惑った様子で赤い上着のフードを深く被り直した。


そうすると表情が見えなくなったので、もしかして目の色は地雷だったかと不安になったが、深く被ったフードで隠れていない口元がニヤついていたので、嫌ではなかったと安心する。



よく見ると白い頬が赤くなっていたので、赤面するとわかりやすいんだなあと、珍しい生き物の生体に一つ詳しくなったような気分だった。



アンナも照れるのかと。所詮は人の子なのかと。



『人』の、子……?




内心でそう呟き、引っかかる何かを感じる。



次から次へと疑問が降ってくるが、ジュリオは既にキャパオーバーだ。





「……それにしても、ここまで来るのに随分と泥まみれになったね」



「そうだな。あたしもあんたも泥と聖水まみれだな」






毒沼を渡ったジュリオも、泥まみれになってフラフラのジュリオを支えてくれたアンナも、二人とも泥と聖水にまみれて汚れている。



できる事なら風呂に入って汚れを落としたいところだ。






「そうだ。クラップタウンに帰ったら銭湯にでも行こうぜ。銭湯って知ってるか? 異世界文明の風呂屋なんだけどさ」



「初めて聞いたけど……お風呂屋かあ……」




  



良いタイミングでアンナが提案してくれたが、クラップタウンの銭湯というのは信頼できる場所なのか不安である。



クラップタウンのクソ治安を思い出した。



違法ポーションや脱法薬草の売人はいるわ、公的書類の偽造はやるわ、高級馬車は荒らされるわと掃き溜めのような下町である。



こんな下町の銭湯なんか、大丈夫なのだろうか。






「クラップタウンの銭湯……か」



「まあ、色々と不安かもしれんけど、元々クラップタウンは人情家のペルセフォネ人と異世界人が作った下町なんだよ。だから、町の住民も喧嘩っ早いし口もガラも悪いけど、身内同士の人情と結束はかなり強いんだわ。……まあ、良くも悪くも田舎の下町だな」



「ああ……なるほど……。身内には優しいけど、よそ者には厳しいってことか……」







人情家のペルセフォネ人と異世界人が作った下町、クラップタウンは、どんなワケありの人でも受け入れてくれる懐の深い人情家な一面もある一方で、よそ者に対しては排他的で攻撃的な一面があるのだろう。






「その点、ジュリオはこの町の水源が汚染されるのを防いでくれたからな。泥まみれになって身を呈してこの町の為に働いたんだ。あんたはよそ者じゃないよ」



「……そう思ってくれるなら、嬉しいかな」






実際、この町のお蔭でジュリオは命を救われ、身分証明書を手に入れられたのだ。



今の自分の様に、救われた流れ者は多いのだろう。






◇◇◇






クラップタウンの入口付近で馬車から降りたジュリオとアンナは銭湯へ向かい、カトレアは役所に呼び出されたとそのまま馬車に残り、笑って「また会おうね」と言ってくれた。






「カトレアさん……見た目は怖そうだったけど、話してみると結構親しみやすかったね」






銭湯へ向かう道すがら、ジュリオはアンナに話しかけた。






「あの婆さんも色々あったからな。聞けば大体の事は答えてくれると思うよ」






確かに、カトレアは大体の事を答えてくれた。


しかし、教えてくれる内容は、こちらの知識量に合わせて削ぎ落としている場合があるので、全ての情報を知るためには、ジュリオ自身が知識を付けて成長しなければならない。




自分のチート性能を全て把握するには、そのチート性能にあった知識と経験が必要なのだろう。






◇◇◇






「いや、確かにそっち方面の知識と経験は山のようにあるけど……! 僕たち二人とも泥まみれで、別々に入ったら男湯も女湯も汚れて迷惑だってわかるけど! …………でも! だからってアンナと混浴してくれって、それはまずいでしょ!!」





ジュリオは、銭湯の番台の前で声を荒げた。


 



番台のおばさんは「泥まみれの風呂の掃除すんの大変なのよ……」と困った顔をしており、アンナは「あたしはどうでも良いけど、ジュリオはどうなんだ」と言いあくびをしたのだった。

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