第25話 ジュリオの提案

ジュリオはアナモタズの死骸の腹からプラスチックの破片を引きずり出した後、粘性の高い毒沼に足を滑らせ何度も転びながら、何とか陸地へと戻ってきた。



枯れた地面に四つん這いになり、ぜえぜえと肩で息をするジュリオは、見るも無残に毒まみれだ。唯一の自慢だった美しく妖艶な美貌は、汚え紫の毒に汚れて目も当てられない。



重労働をしたため体が熱く顔から汗が伝う。


酸っぱい悪臭を放つ毒と汗にまみれた今の自分は、世界一汚い存在だろうと思った。






「大丈夫かジュリオ!? 手ぇ貸そうか」



「アンナ、来ちゃ駄目だ」






満身創痍のジュリオを心配したのか、アンナはすぐに駆け寄って来ようとする。



しかし、今のジュリオは毒まみれだ。しかも、落ち葉も土も溶かす程の猛毒である。それに、呪いへの不安もあった。



アンナの呪いと毒耐性がどれほど物かはわからないが、それでも近寄らない方が良いだろうと判断した。






「お疲れ様。ありがとうジュリオくん。キミに付着した毒は今からアタシが祓うから、もう少しの辛抱だ……。まずは、聖水をぶっかけるからね」



「はい……お願い……します」






カトレアはジュリオから程々に距離を取ると、真剣な顔で目を閉じ、魔力を込めた聖水をジュリオにぶっかけた。


カトレアの光り輝く魔力を受けた聖水は、キラキラと煌めきながらジュリオの毒と混ざり合う。


毒の悪臭がやや落ち着いたと思えば、カトレアはジュリオへ手をかざして静かに詠唱を唱えている。






「我が生命よ。生魔となりて、彼の者の毒を打ち払え――――ピュリファイ・ポイズン」






カトレアが詠唱を唱えた瞬間、強く眩しくも暖かい光がジュリオを包んだ。


付着していた毒の汚え紫色が抜け落ち、キラキラした粒子が空気中に溶けてゆく。


体内にも暖かい感覚があり、体の中に入ってしまった毒を浄化してくれているのだろう。



ジュリオにこびりついていた紫色の毒は浄化され、ただの茶色い汚泥となった。




その後、カトレアは詠唱と共に呪いを解除する魔法もかけてくれた。


カトレアが言うにこの魔法は、カース・ブレイクの下位互換であるらしいが、これでも充分使える効果の高い魔法なのだそうだ。






「ジュリオくんに付着してた呪いと毒は完全に消えたよ。今のキミはただの泥まみれってこと。……他に何か、怪我とかしてたら言ってね。治すから」



「うう……ありがとう……ございます……」






お礼を言うため四つん這いの姿勢からいきなり立ち上がると、頭がくらりとしてよろけてしまう。


精も根も尽き果てたジュリオを、凄まじい疲労感が襲った。



あ、駄目だ。立ってられない。



そう自覚してふらりと倒れかけた瞬間、アンナがすかさずジュリオの泥まみれの体を支えてくれたのだった。






「アンナ!? ごめん……君まで泥まみれだ……」



「良いよ。こちとら生まれた時から泥まみれみたいなもんだし」






アンナは泥まみれになりながら表情を緩めた。




泥に汚れた者同士で疲労を滲ませる薄ら笑いをしたら、仕事をこなした達成感が湧いてくる。



初陣の仕事はきつい・汚い・臭いというとんでもなく酷い肉体労働だったが、終わってみると清々しい気分だった。



もう二度とやりたくない仕事だが、自分は意外と頑張れたという自信には繋がったと思う。




決して! もう二度と! やりたくはないが!!!






「あ、そうだ。カトレアさん。アナモタズの体の中から、プラスチックの破片が出て来たんですけど」



「え……」






ジュリオが先程見つけた黄色いプラスチックの破片をカトレアに渡すと、カトレアはその破片を隅々まで調べ、裏面の文字を見て眉をひそめた。






「これは…………ルトリちゃんに連絡して来てもらった方がいいね。あと、念の為に一応ローエンも呼んどくかぁ……。大体の事はできる男だし」






そう言ってカトレアはスマホを取り出しルトリに連絡を取り始める。



カトレアの声の暗さから、これは結構な大事になるのでは……とジュリオは不安になった。






◇◇◇






「お疲れ様、ジュリちゃん、アンナちゃん。この毒沼の案件は、私達安全課の職員としても悩みの種でね……。それにしても、異世界人会社の工場による産業廃棄物の不法投棄なんて……、正直かなりデリケートな話よ。これは」



「産業廃棄物の不法投棄……?」



「ええ。工場名が記載されてる黄色いプラスチックの破片の正体は、工場廃液などを貯めて置くタンクでしょうね。役所に勤めてるとよく見るのよ。そう言うの。……そして、それがアナモタズのお腹にあったという事は……」



「アナモタズが食べ物だと勘違いして、工場廃液の入ったタンクを食べてしまった……ということですか?」



「そうね……。そして、毒に犯されたアナモタズは、すがる思いで癒やしの泉に入ったけど。…………残念だったのは、癒やしの泉は力を失っていた……ということかしら」






ルトリはジュリオとアンナにバケツいっぱいの聖水をぶっかけながら、神妙な顔で説明をしてくれる。



聖水によってだいたいの泥は洗い流せたが、それでも髪や服や爪に入った泥は取れそうにない。






「取り敢えず、この件は役所に一旦持ち帰らせてもらうわね。ヒラヤマ株式会社さんとは、多分弁護士を挟んで話し合った後、罰金をもらって手打ちって感じかしら……」



「罰金だけ……ですか? もっとこう……新聞やテレビとかで大々的に取り上げたり、聖ペルセフォネ王国に工場の営業停止を訴えるとか、色々とあるんじゃ……」






死ぬような思いをして毒沼を渡り、ゾンビ化したアナモタズを祓ったジュリオからしたら、ルトリの言う『罰金で手打ち』と言うのは、絶妙に納得がいかない話であった。






「新聞やテレビねえ……。ヒラヤマ株式会社さんは、異世界人企業では珍しく多額の税金を聖ペルセフォネ王国に納めてるから、そのお膝元であるヨラバー・タイジュ新聞社がこの件を扱うかどうか……。テレビはそもそも異世界人がもたらしたものだし、異世界人企業は全てがスポンサーだから、報道で取り上げるってのは絶望的ね」



「そんな……。じゃ、じゃあ、いっそクラップタウン役所が工場に営業停止や閉鎖を訴えるとかは……」



「それも厳しいわね。この工場がある東ペルセフォネって、そもそも働き口が無いっていう雇用問題を抱えていて。だから、地元民からしたらこの工場は唯一の働き口だし。もしここを停止したら路頭に迷うペルセフォネ人が出るでしょうね」



「どっちにしても詰みって事ですか……」






何とも、スッキリしない話である。


この毒沼を何とかするために重労働をしたのが報われない気分だ。



報道機関は役に立たず、工場を閉鎖したらペルセフォネ人が路頭に迷う。


正義感と雇用問題を天秤にかけようにも、天秤には荷が重いというものだった。






「難しいですね……。なんか、スッキリしないや」



「ええ、そうね。……私達にできる事は、せいぜい弁護士を挟んで話し合って、お金で折り合いを付けることくらいよ。……こういうのを解決してくれるチート能力でもあったらいいのにね」



「ええ……ほんとですよ……。まあ、取り敢えず、今はこの毒沼を何とかしないとですね。……いくらアナモタズは処理したとはいえ、このまま毒沼を放置したら、いずれ水源にも影響が出るかもしれませんし……」






ジュリオは苦い顔で毒沼を見た。


毒を吐き続けるアナモタズはいなくなったとはいえ、泡立つ猛毒の沼は相変わらず周囲の土地を溶かしている。


このまま放置するわけにはいかないだろう。






「でも……どうしたら……」






毒沼の解決方法がわからず悩むジュリオの隣で、アンナは赤いフードを被ったまま、バケツ一杯の聖水を浴びて、頭を振って水滴を飛ばしている。



聖水に濡れたアンナの肌はどこか扇情的で、白髪に伝う聖水の雫が胸の谷間に落ちる様には目を奪われた。



それにしても、今日はやけに聖水と縁がある日だ。


先程も、ジュリオが毒沼から上がったとき、カトレアによって解毒の為にぶっかけられたのだ。



聖水とは、確か高価なアイテムであった筈だが、そんなものを湯水の如くに使用するなんてと思う。




聖水を……湯水の如くに使用する……。



一つ、考えを思いついた。






「この毒沼も……聖水で浄化出来ませんかね……?」



「確かに……。でも聖水ってのは高価なアイテムだし、市場にそんな出回ってねえからなあ……。このクソ広い毒沼を丸洗い出来る聖水を用意するとなると、かなり時間かかるぞ」



「それに……聖水って中毒性を出さないために、威力を抑えてあるのよ。この毒沼を丸ごと解毒出来るかと言われると……。ジュリちゃんのアイディアは良いのだけれど……」



「いいえ! とんでもないです…!」






ジュリオは自分の発想をどうにか形に出来ないかと悩み、アンナは聖水が耳に入ったのか片足飛びをしているし、ルトリは困ったように笑っている。



完全に詰みかけた、その時だ。






「おいおい。この俺様を忘れてもらっちゃあ困るぜ。――――クラップタウンの大体の事は出来る男、ローエンがここにいんだろうが」



「ローエンさん……!」



「良いところに来たなローエン。あたし片耳に聖水が入っちまったんだよ。何とかしてくれよ大体の事は出来る男」



「ティッシュ丸めて耳に突っ込んどけアホ」






ローエンはアンナへ雑に返事をした後、ルトリの目の前に踊り出てはデレデレしながら話し始めた。






「聖水は駄目でも、違法ポーションならどうですか!? 違法ポーションは中毒者が出るほど強力なものですし、そもそもポーションと聖水は、元は同じモンですから!」



「え、そうなんですか? ローエンさん。 僕、始めて知りました」



「そうだぜジュリオさんよ。ポーションってのは聖水を人が飲めるよう味付けして改良したもんだからさ。まあ、聖水が原液でポーションが加工品ってとこかな。…………でも、違法ポーションともなれば、ものによっちゃ聖水よりも強力だぞ。殆ど薬物みてえなもんだからな」



「薬物って言葉は聞かなかった事にしていいですか」






恐ろしいアウトローな単語を聞かなかった事にしたジュリオは、相変わらず耳に入った聖水を取ろうと片足で飛ぶアンナにティッシュで作ったこよりを渡した。






「ルトリさん!! 違法ポーションを大量に毒沼へぶち込めば、呪いと毒の浄化は無理でも、毒物と泥の分解くらいは出来ると思いますし、その泥は知り合いの業者に頼んでさらってもらいましょう! 違法ポーションの売人なら腐る程パイプ持ってますし、今からでも大量に仕入れられますよ! 愛しい初恋の貴女のためなら! 俺は何だってします!」






そう言って、満面の笑みでルトリに『褒めてくれ!!!』と全身で伝えるローエンに、ルトリはお役所仕事的な笑顔のまま答えた。






「ローちゃん。私、役人なの。違法ポーションの売人ってのは、私は一切知らないって事でいいかしら?」



「はい! それはもう! さすがはルトリさん! 抜け目無い公僕だ!!!」



「公僕ってローエンさん、それって褒め言葉じゃないと思うんですけど」






ジュリオは引きつった顔でローエンにツッコミを入れ、アンナはティッシュのこよりを真剣な顔で片耳に突っ込んでいる。






「違法ポーションかぁ……そんなら、脱法薬草もあった方が、毒物と泥の分解には役立ちそうだねぇ。アタシもその筋の連中に聞いてみるよ。…………ちなみにアタシのは医療用の薬草だからね? ヤバい代物じゃないから。駄目絶対の奴じゃないから」



「さっき脱法って言いましたよね。カトレアさん」



「そうだっけ? ボケたせいで忘れちゃった」






ジュリオの追求をスッとぼけたカトレアは、少し離れた位置でどこかに連絡を取り始めた。


言葉の端々から「脱法薬草」だとか「違法ポーション」だとかと聞こえて来てしまい、この町の連中の連絡網って一体……と青ざめるジュリオである






「ねえアンナ……。何か……すごいことになってきたね……」



「ああ。全くだ。アナモタズ退治かと思えば、今度は毒沼浄化作戦だもんな。……おまけにあたしの耳に入った聖水は取れねえ…………あ、取れた」



「そりゃよかったね」






アンナはこよりにしたティッシュを丸めてポケットにしまうと、ジュリオの背中を優しく叩いて薄く笑う。






「思い返せば、あんたが死ぬ思いをして毒沼を渡ってアナモタズを祓ったのがきっかけだもんな。それに、あんたの思い付きで現場が動いたんだ。……やるじゃん」



「でもチート性能な僕一人で華麗に解決……にはならなかったね。結局、ローエンさんやカトレアさんがいたから何とかなったわけだし」



「それでも、きっかけはジュリオだ。あんたが泥まみれになって働いたからこそ、色々と動き始めたんだろ。……あんたは、自分で思ってるよりすごい奴なんだって。自信持ちな」



「…………そっか。ありがとう」






アンナに言われると、素直に納得してしまうジュリオがいる。



少し照れくさいが、泥まみれになって、働いて良かったと思えた。

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