第三章 毒沼の泥、全部抜いてみた!

第24話 VS ブラック依頼!


「元々ここは毒沼なんかじゃなかったんだよねぇ。……本当は、どんな怪我も状態異常も治せる癒やしの泉だったんだ。…………でも今じゃ、呪いと毒まみれのドブ沼になっちゃってね……」






カトレアは寂しそうに語り始めた。






「癒やしの泉はアタシら人だけじゃなく、アナモタズや動物達にとっても憩いの場でさ。春になるとアナモタズがここら辺で子育てしてたんだよね」



「癒やしの泉……話には聞いた事あったけど、実在してたんだな。酔っ払いの夢物語かと思ってた」






アンナは話し終えると、肩にかけた黒い弓を下ろし、弦を引いては何やら「うーん」だとか「もっとこう……」と呟いている。


そして、毒沼の中心にいる黒いオーラをまとうアナモタズへ弓を構えた後再び弓を下ろし、ポケットから取り出した工具セットで何やら弓の内部を弄っていた。






「何してるのアンナ。……もしかして、弓の調子悪いの?」



「いいや。弓のコンディションは良いよ。……ただ、今回、的が遠くてさ。こっからアナモタズの眉間ぶち抜くってなると、色々と弓のチューニングをしなきゃならないんだ」



「そうなんだ……。なんか弓って、射てば相手は死ぬみたいな印象だったから……。そんな繊細な技術がいるなんて、思いもしなかったな」






ジュリオは、アンナの弓のチューニングをじっと見ていた。


アンナはドライバーを持ち替える際、手に持っていたドライバーを胸の谷間に一旦挟み、新しいドライバーを取り出すという大胆な行為をする。


ドライバーを胸の谷間で挟むと言う行為に目を奪われるが、今はそんな場合ではないと目を逸した。






「……そんなことして危なくないの? 怪我しない?」



「別に。何もねえよ。……これがホントの胸ポケットだ。笑えるだろ?」



「ごめん。笑うにはちょっとトリッキー過ぎるよ……」






ジュリオが困ったように返事をすると、アンナは薄く笑って答えた。






「ま、怪我してもあんたがいるだろ」






アンナはジュリオを見もせずに言う。


しかし、その横顔は落ち着いていて、ジュリオを信頼してくれているのが伝わってきた。






「ジュリオも騙し討ちみてえな形でこんなとこ連れて来られて災難だろうけどさ。まあ、頑張ろうや」



「…………そ、そうだねえ……。そもそも、きちんと話を聞かずに依頼に飛びついた僕も僕だし……」






冷静になって考えてみると、アンナの言った通り『ヒーラー免許の有無を問わないSSRランクの依頼』というのは、かなりヤバい案件だったのでは思う。



それに、依頼の報酬についても話し合いなど一切しなかったのだ。



いくらカトレアというアンナの知り合いで大ベテランヒーラーからの依頼とは言え、そこはきちんと話を付けるのが筋だったのでは。




自分のバカさ加減が恥ずかしくなった。






「ジュリオくん、ごめんね。アタシも意地悪だったよ。本当の事言ったら、キミは受けてくれないかと思ってさ」



「え! いいえ。とんでもないです……」






カトレアに謝られ、ジュリオは驚いた。


てっきり『仕事は仕事だ! 甘えるんじゃないよ!』とでも言われるかと身構えていたからだ。






「この毒沼の主みたいなアナモタズを処理出来そうな人を、ずっと探してたんだ。……正直に全部話して、呪いと毒耐性持ちのヒーラーや聖女に来てもらっても、この地獄絵図を見たらみんな逃げちゃってね」



「まあ……確かに……この毒沼は命の危機を感じますよね。アナモタズだって襲ってくるでしょうし……」



「いや、それは大丈夫だよ。あのアナモタズ、毒沼に浸かり過ぎて下半身は溶けてるみたいだから。前に矢で威嚇してみたけど、ろくに動けなかったんだ」



「そう……ですか……。そりゃ、こんな毒沼に浸かってたら溶けますよね……」






目の前の毒沼はゴポゴポと泡立ち、周囲の土や降ってくる枯れ葉を一瞬で溶かしてしまう。


こんなのを見たら、そりゃ逃げたくもなるだろうと思った。






「この毒沼、どんどん腐敗が酷くなっててさ。このまま放っておいたら、いずれクラップタウンや慟哭の森のターミナルで使ってる水源にも影響が出るし、そうしたら死人が出ちゃうからさ」



「確かに……こんな呪いと毒の水を飲んだら……死んじゃいますよね。…………あの、それほど水源……近いんですか?」



「うん。……役所にも色々と言ったんだけど、毒沼を処理するには、まずアナモタズを何とかしないといけないってなってさ……。でも、あの黒いオーラのアナモタズは皮膚が硬くて攻撃が一切通らなくてねぇ」






それについてはジュリオも知っている。


アンナの攻撃が一切通らないアナモタズは本当に恐ろしかった。






「あのアナモタズの黒いオーラを見る事が出来る人って、今までアタシ以外でいなくてさ。……まあ、アタシも正直『なんかモヤがかってんな〜』くらいにしか見えなくてね。しかも祓いたくてもアタシ呪いと毒耐性無いし。もう正直詰みだったんだよね」



「そう……ですか……」






カトレアの話を聞くに、確かにこれは『毒耐性が最強』かつ『黒いオーラのアナモタズを祓える』自分にぴったりの依頼だろう。



正直、最初にこの地獄のような毒沼を見た時は「騙された!」とさえ思ったが、それは話をちゃんと聞かず依頼に飛びついた自分の軽率さにも責任がある。






「意地悪な依頼の仕方してごめんね。どうしても、キミを逃したくなくてさ。まあ、ここまで連れて来たくせに言うのもアレなんだけど。…………ここで正式に依頼し直させてくれないかな」






反逆の黒魔女と称される大ベテランヒーラーのカトレアが、ジュリオを真剣に見つめて頭を下げた。






「ジュリオ・ギャラガーくん。この毒沼を渡って、アナモタズの黒いオーラを祓って頂きたい。……どうか、お願いいたします」





自分に頭を下げるカトレアと、ゴポゴポと泡立つ汚え紫色の毒沼を交互に見た。



そして、毒沼の中心に潜むアナモタズに目をやる。


アナモタズはまだらに毛が抜け落ちており、よく観察したら皮膚や肉が溶けて穴だらけになっていた。



あまりのおぞましさに恐ろしくなり、逃げるようにアンナへ視線を送る。


なんやかんやで情が深いアンナの事だ。


もしかしたら、怖かったら無理すんなと甘えさせてくれるかもしれないと、そんな情けない事を思う。






「…………あたしは、準備万端だ。アナモタズの眉間をブチ抜く用意は出来てる。……あんたがアナモタズを祓った後は、あたしに任せろ」






君の準備を聞いたわけじゃないんだけど……とジュリオは胸中で呟く。




しかし、アンナのいつも通りなふてぶてしい態度を見ていると、不思議と勇気が湧いてきた。



アンナはジュリオを心配していない。


ジュリオを対等な存在として信頼してくれているのが伝わってくる。






「カトレアさん、一つお聞きして良いですか? ……この依頼の報酬って何ですか?」






依頼の前には、報酬の話をするのが定石だろう。



今のジュリオの真剣な表情は、アンナの後ろに隠れて怯えていたジュリオの顔ではなかった。






「キミの身分証明書偽造の代金を全額アタシが肩代わりするのと、一ヶ月は働かなくても暮らせる金額を払う予定だよ」






身分証明書偽造の代金を肩代わりと、一ヶ月は働かなくても暮らせる金額と言うのは、今のジュリオにはとてもありがたいものだった。



ヒーラー免許を取得してからも、一ヶ月は職探しに余裕が持てそうな上に、身分証明書偽造の代金を全額肩代わりしてもらえるなら好都合だ。



報酬と依頼を天秤に掛け、覚悟を決めた。






「その依頼……僕がお引き受けいたします!」




そう答えたジュリオの顔は、ヘタレな王子様から一変し、ヒーラーの凛々しい表情になっていた。






◇◇◇






毒沼に足を浸した感想は「あれ? 結構良い感じのヌメヌメ感がクセになるかも」だった。


お湯のような暖かさが心地良く、粘り気のある泥温泉と言われても納得する程である。




これが、呪いと毒耐性最強の成せるわざなのか。




ただ、容赦の無い強烈な酸っぱい悪臭はどうしても耐え難いし、粘り気の高い毒沼は一歩一歩が重く歩くのも一苦労である。






「ぅっ…………ぐ」






ふくらはぎまである粘性の高い毒沼を一歩一歩進むたび、捲くった服の裾に毒が付着して重さが増してしまう。


ただでさえ服には毒で溶けないよう、カトレアが魔力を込めてくれた強力な聖水をこれでもかと言う程ぶっかけてくれたのだ。


足と服が重く、一歩進むのも重労働である。






「うぎゃっ!!」






ヌルつく毒で足が滑り、顔面から派手に毒沼へと転んでしまう。


ぶちょんと嫌な音を立てて、毒沼へと顔を突っ込んだジュリオはすぐに飛び起きて口に入った毒を吐き出した。



最強の呪いと毒耐性故に毒の味は何も感じずに済んだが、鼻の奥に残った毒の悪臭は酷く、もし食事後であったら確実に戻していたと思う。






「ほんと、何も食べてなくて良かった……」






汚れた顔を手で拭ったら余計に毒まみれになった。目の前が汚え紫色の毒に遮られ、目がろくに開かない。



きつい、汚い、臭い、と言う三拍子の揃った酷え仕事である。



そりゃ、免許の有無は問わないSSRランクの依頼だなあと納得した。






「にしてもさあ……チート性能のヒーラーがやる仕事なの……これ……? もっと簡単ですぐに結果が出てやたらと有難がられてチヤホヤされる仕事もあったんじゃうわぁっ」






余計な事を考えてぶつくさ文句を言っていたジュリオは、また毒に足を滑らせ尻もちを付いてしまう。


幸い、粘性の高い毒沼が衝撃を和らげてくれたが、それでも立ち上がるのに苦労した。






「こんなの……アナモタズを祓うとかそう言うレベルじゃないでしょ……」






文句を言いながらも、ジュリオは懸命に毒沼を渡ってゆく。


徐々に深くなる毒沼は膝辺りまで来ているため、より強い力で足を前に進める必要がある。


思う様に進めず苛立つが焦るとろくな事にならないため、地道に足を動かすしかなかった。






「元々は癒やしの泉だったのに……。なんでこんな毒沼になったんだろう……」






ネバネバする毒沼を掻き分けながら必死に進むと、いよいよアナモタズが見えてきた。



すると、昨夜見た悲惨で恐ろしい光景が目の前に広がり、足が竦んでしまう。



いくらアナモタズは下半身が溶けているから動けないとは言え、やはり怖いものはどうしようも無い。






「……あれ……あのアナモタズ……目が……無い……」






良く見ると、目玉が入っている筈の部分は凹んでおり、目は既に溶けて無くなっている事がわかった。


耳も鼻も穴だらけになり溶けており、辛うじて形状が分かっている状態だ。



視覚も聴覚も嗅覚も働いていないのだろうとわかる。






「酷いな……」






黒いオーラをまとうアナモタズは、うめき声をあげたり暴れたりもする事なく、だらりと開いた口からドロドロと毒を垂れ流すのみだ。



まるで死体――――ゾンビのようだと思う。


昔、ゾンビ種の魔物がいると聞いた事があったが、いたとしたら多分目の前のアナモタズみたいな個体を言うのだろう。






「…………」






ジュリオは言葉を無くし、アナモタズに哀れみさえ感じた。



何がどうなってアナモタズがこのようにゾンビの様になったかは知らないが、ここまで酷い状態になるまで、さぞ苦しい思いをしたのだろうと思う。






「ここまで……近づけば……大丈夫かな」






アナモタズと程々の距離を取り、ジュリオは腕を前にかざした。


深呼吸をして、目の前の黒いオーラをじっと見る。



黒いオーラの細かい網目まで把握し祓える確信を持ったその時、胸の鼓動が二重になり熱が腕へと伝わった。



かざした手の平が熱くなり、今だ! と勘が叫ぶ。






「カース・ブレイク」






静かにそう呟くと凄まじい閃光が発生し、黒いオーラを消し飛ばす。


アナモタズは視覚が無いせいか無反応だが、光魔法の圧でよろけていた。






「アンナぁぁあああっ!! 後よろしく!!!!」






強烈な光魔法が放たれた事で、アナモタズが祓われた事にアンナも気づいているだろうが、一応大声を出して知らせておいた。


そして、アンナの狙撃の邪魔にならない様その場に頭を抱えてしゃがみ込む。




すると、風を切る鋭い音の後に、ドスっと鋭いものが突き刺さった鈍い音がした。






「うわわっ」






眉間をぶち抜かれたアナモタズはそのまま前に倒れ込んだが、ジュリオはギリギリで避けきった。


アナモタズが倒れ込んだ音は軽く、先程倒れた木のように身体の中は毒に食い尽くされスッカスカなのだろうとわかる。


穴だらけの背中からは骨が見えており、内蔵も筋肉も溶けて無くなっているのだろう。






「何がなんだか……」






身体は毒で溶かされスッカスカであるのに、アナモタズの死に顔はとても穏やかだった。


ようやく生き物らしい顔が見れたとジュリオも安心する。


死んでから生き物らしさが出てきたというのも、皮肉な話だ。



それにしても、皮は穴だらけで肉は腐ったアナモタズは、どうしてこんな事になったのだろう。






「ん……?」





アナモタズの穴だらけの背中から、不自然なほどに明るい黄色の何かが見えた。位置的に腹だとわかるので、アナモタズはこの黄色い何かを食べたという事だろう。



この、明らかに不自然な黄色い物体の正体が気になるが、さすがにアナモタズの体に手を突っ込む気にはなれない。






「…………君も、自分が何でこうなったか……気になるよね……」






疑問と倫理の狭間で悩むが、アナモタズの穏やかな死に顔を見ると、どうしてもこの黄色い物体の正体が知りたくなった。






「ごめんね……」






覚悟を決めて、アナモタズの背中に空いた穴に手を突っ込み、黄色い何かを引きずり出した。






「これは……破片……かな? 毒で溶かけてるアナモタズの中にあったのに、何でこの破片は無事なんだろう……」






付着した紫の毒を手で払うと、傷一つない明るい黄色が顔を出す。表面はツルツルしており、指で弾くと軽い音がした。






「この素材は……もしかして……」






草木や生き物すら腐らせる強力な毒が一切効かない、意味不明なほどに頑強なこの素材。



そんな素材を作り出せるとしたら、それはもう決まっているだろう。




ジュリオは手がかりを探して破片の裏を見た。






「ヒラヤマ株式会社……西ペルセフォネ工場…………異世界文明、か……」






破片の裏には、異世界人がもたらした文明の一つである『工場』という施設名が刻まれていた。


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