第20話 反逆の黒魔女

ローエンの作業を待つこと一時間後、ついに身分証明書が完成した。






「おお……! 身分証明書ってこんな感じなんですね! すごいや!」






ローエンから渡されたのは、肌触りの良い厚紙に印刷された身分証明書だった。


自分の顔写真の他には何やら文字がびっしりと書かれており、一目見ただけで重要なものだとわかる。



顔写真以外全て偽物というアウトローな身分証明書であるが、この紙切れがジュリオを餓死から救う切符となる。


やはり複雑な思いは残るものの、安心した感情の方が大きかった。






「ちゃんと透かしも入ってるから安心しろや。俺の作品はそこらへんの粗悪品とはワケが違うぜ? クラップタウンで食ってくためには手に職が一番だからな」



「確かに。この町のギルドなんていつサツや移民局にガサ入れされて消えるかわからねえし、異世界人の店はクラップタウンのイカれた住人なんか雇わねえからな。……少なくとも、このクソ界隈じゃ自分の食い扶持は自分で稼ぐのが安全だ」






ローエンとアンナは呆れたように笑う。


自分の力で生きる事ができるローエンやアンナ達に尊敬の念を抱いた。



そしてジュリオも、これからはこの二人のように自分の力で生きていかねばならないのだ。




……そんな事僕に出来るのだろうかと、ジュリオはすぐ不安になった。






「ありがとうございますローエンさん。……ところで、えっと、その……身分証明書のお支払いの事なんですけど……」






ローエンの制作した身分証明書は、素人のジュリオでも良いものだとわかる。


しかし、そんな良いものならば、当然値は張るだろう。


ジュリオにも手が届く額なのかが気になった。






「あのさジュリオ。色々と考えたんだけど、さっき倒したアナモタズの報酬金、あんたの分前をそのまま身分証明書の代金にするってのはどうだ?」



「え、分前? 僕何もしてないよ? アンナに命救われただけだし」






アンナからの突然の提案に驚いてしまう。


アナモタズを倒したのはアンナだ。自分はただ腰を抜かして怯えていただけに過ぎない。


そんな自分に分前などもらう資格があるのだろうか。






「だってさ、あたしの攻撃が一切通らない変なアナモタズにやべえ光魔法かましてくれたのはジュリオだろ? もし、あの時あんたがいなけりゃ、あたしは攻撃出来ずに死んでたかもしれねえ」



「そっか。ありがとう。…………でも、あの黒いオーラのアナモタズ……何だったんだろうね?」






黒いオーラをまとう皮膚の固いアナモタズは、ジュリオの謎の光魔法によってオーラを祓われた後攻撃が通るようになり、アンナの一撃により倒されたのだ。


正直、あの時発動した光魔法がなければ、アンナどころかジュリオも一緒に死んでいただろう。



あの光魔法は一体何だったのか。


それを教えてくれる人がいたら良いのだが。






「攻撃が通らねえ……黒いオーラのアナモタズ……?」



「え、どうしたんですか? ローエンさん」






突然、ローエンが何やら考え込んでしまった。


もしかしたら、黒いオーラのアナモタズについて何か知っているのかもしれない。


だとしたら、ジュリオが放った謎の光魔法についても教えてもらえるのだろうか。



期待を込めた目でジュリオはローエンを見たが、当のローエンは眉を寄せて首を横に振った。






「期待のこもった目で見てくれてるとこ申し訳ねえけどさ、俺は何も知らねえよ」



「そうですか……。こちらこそすみません……」



「ただな。俺『は』何も知らねえけど、知ってそうな奴ならいるぜ」



「え? 知ってそうな……奴ですか?」






ローエンは腕組をしてニヤリと笑う。褐色の腕は細身に見えるが筋肉が目立ち、骨と筋がカッコいい。男の腕だなあと思う。






「なあ、アンナよ。俺、今からルトリさんと婆さんに連絡してくっからさ。俺の代わりに説明しといてくんね?」






ローエンは服のポケットからスマホを取り出すと部屋の隅へ行き、片耳を指で塞いで通話をし始めた。






「ああ、お、俺……じゃねえや、ぼくです。ルトリさん……っ! 今日もお綺麗ですね……え、いや、その、こ、声を聞けばわかりますって! 声だけでも!! ……あ、はい! お電話を差し上げましたのはですね、ルトリさんとこに来てる依頼をこなせそうな奴が見つかりまして」






ローエンの様子がおかしい。


ジュリオやアンナに対しては怠そうな声で雑に話していたくせに、ルトリさんとやら相手だとデレデレした声で丁寧な話し方をしているではないか。


 


わかりやすい人だなあと、ジュリオは苦く笑った。






「なあジュリオ。ちょっと屈んで。耳貸して。……他人に聞かれたら不味い話をする。あんたの『実家』についてだ」



「良いけど……なに?」






アンナに言われ、ジュリオは屈んで片耳を晒した。さらさらした金髪が鬱陶しいので耳にかける。


するとアンナは、ジュリオの耳元に唇を寄せ小声で話し始めた。 


鈴の音のような甘く切ない声と吐息が耳にかかり、肩がビクリと動いてしまう。






「ジュリオ、あんたは王子だろ? それならさ……反逆の黒魔女――カトレアってヒーラーを、聞いた事あるか?」






アンナに耳元で囁かれるという状況に戸惑っていたが、聞き慣れない言葉を聞いてそっちに意識が持っていかれる。






「反逆の黒魔女……? カトレアさん……?」



「ああ。すげえ昔に聖ペルセフォネ王国から追放された婆さんだ。ヒーラーのくせにペルセフォネ教を無視して、異世界人の『医学』を治療に取り入れたのが国の怒りを買ってな。……何かと目立つ人だから、元王子のあんたなら知ってるかと思って」



「ご、ごめん……何も……」



「そっか。……わかった」






そんなとんでもないヒーラーが聖ペルセフォネ王国にいたのかと驚く。


しかも、自分と同じ追放という処分を受けているのだ。顔も知らない反逆の黒魔女とやらに、親近感が湧く。






「カトレアさんかあ……。どんな人? クラップタウンに住んでらっしゃるの?」



「ああ。クラップタウンの住人らしく、かなり癖が強い性格してる」



「癖の強い性格なら慣れたよ」






カトレアさんというご婦人は、どうやらアンナやローエンと同類らしい。



それなら仲良く出来るかもしれない、とジュリオは前向きな気分になった。





◇◇◇




アンナの弓の修理も終わり、ジュリオ達三人はクラップタウンの役所へと向かった。



ローエンの話では、カトレアとは役所のロビーで待ち合わせをしているそうだ。


まだ見ぬカトレアとの出会に緊張してしまう。


カトレアは、自分と同じように聖ペルセフォネ王国から追放されただけでなく、ヒーラー業で何年も食ってきた大ベテランである。そんな凄い人と会うとなると、期待よりも恐れの方が大きい。



さっきは「癖の強い人なら慣れたよ」とイキって見せたくせに、所詮はこんなもんであった。






◇◇◇





クラップタウンという汚い街の役所は、意外な事にとても綺麗な建物だった。

敷地も広く、ちょっとしたモダンな豪邸のようである。





「クラップタウンの役所、キレイだろ? なんか知らんけど、聖ペルセフォネ王国から大量の金を貰って建てたらしいぞ」






アンナの発言に、ジュリオは驚く。



聖ペルセフォネ王国が、クラップタウンの役所に金を渡すというのは、どうにも不思議である。

しかし、今のジュリオにはその謎を解けるほどの知識が足りていない。ならば、今は考えても無駄である。ジュリオは中途半端な疑問を頭の隅にしまい込んだ。




そして、広い敷地内を歩き役所へ到着すると、玄関口の喫煙スペースでタバコを吸っている黒い服の老女がいた。


スラリとした体型と、綺麗にセットされた肩までの白髪がとてもおしゃれな印象をうける。

しなやかに伸びた背筋は美しく、タバコを吸う姿は絵になっていた。




そんな老女に、ローエンは「おーい」と話しかけると、こちらに気づいた老女がゆっくりとした動作で振り向く。

タバコを吸う横顔から察してはいたが、とても美しい顔立ちをしている。髪型も化粧も服装も、自身に似合うものを知り尽くした安定感があった。



 




「出迎えとは優しいじゃねえか、カトレアさん。建物の中で待ってて良いって言ったのに。外暑いだろ?」






どうやら、この老女が反逆の黒魔女――カトレアなのだろう。



反逆の黒魔女と言うからには、もっと重々しさがあって立派な登場シーンを想像したが、まさか役所の喫煙スペースで怠そうにタバコを吸いながらのご対面だとは思いもしなかった。


カトレアの微妙な登場に、ジュリオは拍子抜けしてしまう。



一方、カトレアはタバコの灰を灰皿に捨てると、低く落ち着いた声で話し始めた。






「だってさぁ、ローエン。役所の喫煙スペースが全部撤去されちゃって、ここでしか吸えないんだもん。……老人用の喫煙スペースくらい作ってくれないかなぁ。長年税金払い続けて来たんだから、そんくらい優遇してくれたって良いと思わない? 年寄りは大事にして欲しいよ」






ゆったりと間延びした喋り方をするカトレアは、うんざりした様な顔をしている。



ジュリオは喫煙者では無いのでタバコを吸う必要性を感じないが、喫煙者からしたら堪ったもんじゃないのだろう。






「ほんっと最近、店でも職場でも喫煙所が無くて困ってんの。こないだ職場の教会で女神の聖杯を灰皿代わりにタバコ吸ってたらさぁ、ペルセフォネ教の連中に見つかって超キレられた」



「女神様の聖杯を灰皿にですか!? そりゃまあ……『はい』の音はあってますけど」 



「だって灰皿が無いんだもん。教会の床に灰と吸い殻捨てるのダメでしょ? 後で掃除する人に悪いしさぁ」



「そっちの罪悪感はあるんですね……」






カトレアの女神をも恐れぬ所業には、さすがのバカ王子ジュリオもドン引きである。



ジュリオは敬虔なペルセフォネ教徒ではない。

しかし、ペルセフォネ教は生まれ育った国の国教である。だからこそ、ジュリオの道徳規範にはペルセフォネ教の教えが根付いているし、最低限の敬意もあった。



そんなジュリオからしたら、カトレアはとんでもない罰当たりババアである。






「というかぁ、この子誰? この貧乏界隈にしては随分上品な顔してるねぇ。アンナかローエンの彼氏?」



「ああ、悪いなカトレアさん。この人はジュリオ。あたしの彼氏でもローエンの彼氏でもないよ。色々あって今は一緒にいる。詳しい話は後で説明するわ」






アンナがカトレアに自分を紹介してくれたおかげで、自己紹介をするタイミングを掴めた。






「申し遅れました。僕はジュリオ……ギャラガーです。えっと、色々あってアンナに助けられました」






新しい名前であるジュリオ・ギャラガーを口にしたが、やはりまだ舌に馴染まない。うっかりしたら自分の本名を口にしてしまいそうだ。






「あぁ、キミがジュリオくんか。ローエンから聞いたよ。黒いオーラのアナモタズを祓ったっていう、初心者ヒーラーの子でしょ」



「はい……。お会い出来て光栄です」



「……その育ち良さそうな話し方と、ギャラガーって名字から察するに、キミは実家追放された貴族だね? アタシと似たようなモンだ」



「……ええ、まあ……。あの、もしかして、カトレアさんの名字も……?」






ジュリオが恐る恐る聞くと、カトレアは薄く笑って答えた。






「うん、そうだよ。アタシはカトレア・ギャラガー。アタシの事はアンナやローエンから聞いてるよね? ま、よろしくぅ〜」






カトレアのゆったりした低い声は、少し掠れていて艶っぽい。


反逆の黒魔女というカッコよさと妖艶さが合わさった二つ名が似合う女性だとジュリオは思った。

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