第12話 死なせてくれたら、よかったのに。
立ち尽くすアンナの視線を追うため、ジュリオはアンナの隣へ行き前方を見た。
アンナから「下を見てみろ」と言われたので、視線を下げると。
そこには。
「…………」
声も出なかった。
カンマリーの遺体は、アナモタズの凶暴性と残忍性を如実に示していた。
カンマリーの涼しげな美しい顔は、巨爪による斬撃を受けたのか潰れて抉れており、肉が裂けて歯が露出していた。
手足はおかしな方向に折れ曲がり、骨が飛び出している。
これが、本当に人の遺体なのか。
「カンマリーじゃ……無いみたいだねっ! だって、こんな、……違うよ、……カンマリーじゃ……無い……」
途切れ途切れの引きつった笑い声で、マリーリカは震えながらひとり言を言う。
しかし、遺体の手を見た瞬間、ああ……と力の抜けた声を出し、崩れ落ちるように地面に座り込んだ。
「カンマリーの、手……」
遺体の手は、損傷が少なかった。
しかし、その手は地面の草を握りしめたまま硬直しており、カンマリーが絶命の間際まで、地面の草を掴みながらアナモタズの残虐を耐えていた事が伺える。
酷たらしい絵面が頭に浮かび、失神しかけたジュリオはフラフラとよろめくが、アンナに支えられて何とか意識を保った。
「……状況を見るに、腹に一発食らわせたは良いものの、それが原因でアナモタズをブチ切れさせて……あとは……」
流石のアンナも言葉を濁している。
心配になったが、アンナはアナモタズの獣害にショックを受けているのでなく、何かが気がかりで仕方ないという雰囲気で、神妙な顔をしていた。
何か気になるの? と、ジュリオはアンナに聞こうとした。
その時である。
「いい気味だって……思ってんだろ……?」
突然、口調が乱暴になったマリーリカに胸ぐらを掴まれたジュリオは、わけもわからず怯えてしまう。
「マリーリカ? ッ!? ……え、な、何」
マリーリカの異様な怒気に怯んで声が出ない。
真っ青な美しい目は、異様な気迫で爛々と輝いている。
妹の無残な遺体を見てしまった故に気が触れたのかと思ったが、その爛々とした目と異様に血色の良い頬を見るに、精神的な事が要因ではないのでは? と考えられた。
「ざまぁとか思ってんだろお前」
「え、いや……あの」
「そりゃあさあ、私らだって悪いよ。あんたがウチのパーティにいた一週間、酷い扱いしてたし」
異世界人勇者は、事あるごとにジュリオへ辛くあっていた。回復薬代わりにコキ使って来るくせに、雑魚だのオカマだのタダ飯食らいだの、好き放題罵られたものだ。
マリーリカを初めとするパーティメンバーの美少女達は、そんなジュリオを特に助けるでもなく、ただ異世界人勇者をチヤホヤするのみであった。
「アイツすぐに不機嫌になって周りに八つ当たりする迷惑なクソ野郎だったけど、あんたに辛く当たってる時すごく機嫌が良くてさ。正直な話、ご機嫌取りする必要が無くて楽だと思ってた」
マリーリカはパーティメンバーの中で一番異世界人勇者に気を使うくせに、一番機嫌を取るのが下手である。
マリーリカの気苦労は間近で見ていたので、怒りよりも同情心の方があるくらいだ。
「アイツ、ヒールしか使えねえ役立たずはダンジョンクリア後に使い捨てて、早く次の女ヒーラー探そうって、言ってた。……この話する時のアイツ、ほんと機嫌良くてさ」
「使い捨て……まあ、考え自体は合理的だなとは思うよ……」
ジュリオは、新しい女ヒーラーが見つかるまでの繋ぎでしかなかったのだ。しかも、使い捨てが前提である。
異世界人勇者は、この世界の人々を一体何だと思っているのだろう。
「慟哭の森みたいなヤバいダンジョンに行くってのに、この前、回復役のヒーラーやってた子が逃げて……。だから、あのぶりっ子女も無理矢理あんたを引き入れたんだよ……」
マリーリカの言うぶりっ子女とは、アナモタズに右腕を食われ絶命していた美少女の事だ。
異世界人勇者にやたらと媚まくる様子はまさに異世界人への接待要員であったが、ジュリオをパーティに引き入れる事に関しては、異様に熱心であった。
異世界人勇者には『女の子ヒーラーなんかいりません♡ 勇者様への恋のライバルを増やしたくないですぅ♡』と甘い声を出していたが、後に完全ジュリオ目的であったことがわかったのだ。
「あんたが来てから、アイツのご機嫌と不機嫌の波が酷くて。ヒーラーの子も、これが嫌で逃げてったのに。……その子だけじゃない。ヒーラーやるような女の子は大抵気が弱いから、この状況に耐えられなくて、みんな逃げ出すんだよね」
「だから、僕は君らのパーティに転がり込めたんだね……。ヒーラー無しで、難易度の高いダンジョンに行くくらいなら、役立たずでもいないよりマシだし」
そして、ダンジョンを踏破し必要が無くなったら、囮にするなり捨てるなりしよう、というのが狙いだったのだろう。
効率が良く、そしてクソったれな考えだ。
「でもカンマリーはいつも止めたんだよ!? こんな話は良くないって! 私はアイツが怖くて何も言えなかったのに!!」
「カンマリー……が……?」
「そうだよバカ!! 私達は所詮貴族達に派遣された異世界人接待要員! 異世界人の機嫌損ねたら終わりなのに! カンマリーはこんな事やめようって、いつも」
実際、カンマリーは正義感を捨てきれない優しい女性だった。
表面上では異世界人勇者のハーレム要因として常にべったりであったが、異世界人勇者がジュリオへ暴言を言い始めると、さり気なく話題を変えるなど、気を利かせてくれていたのだ。
異世界人に使われる厳しい立場にいたカンマリーなりに、ジュリオを助けようとしていたのだろう。
そんなカンマリーが、何でこんな目に遭わねばならないのか。
ただ運が悪かっただけ。なんて、そんな単純かつ絶対的な言葉では片付けられない。
頬が濡れているのを感じる。
自分は泣いているのだとジュリオは気づいた。
「何泣いてんだよテメェ!!!」
「え、なに……痛っ!?」
何の前触れも無く、マリーリカから頬に平手打ちをされ、髪を思いっきり引っ張られた。
痛む頬がヒリヒリと熱を持つ。
突然の暴力に、ジュリオは頭が真っ白になってしまい、困惑しながらマリーリカの顔を見る事しか出来ない。
「お前囮だったんだろ!? なのに何でまだ生きてんだよ! お前が死ねよ!! 何でカンマリーが死んでお前が生きてんだよッ!!!!」
「お、おいマリーリカさん。……流石にそりゃ……あんまりだろ……。ジュリオはあんたの命を」
「お前部外者だろ!? 黙ってろよ!!!」
「わかった。すまん」
アンナがすぐに逃げてくれて助かった。
ジュリオは、もしかしたらアンナがマリーリカを一喝して火に油を注ぐのでは? と恐れていたが、最悪の自体は避けられて何よりだ。
これ以上状況が悪化したら、もう手に負えない。
「ねえ……何で私を助けたの? 何、嫌がらせ? お前へのイジメを笑って見てたから、仕返しにカンマリーの死体を見せてやるよ、ざまあみろって? あはは…………ふざけんなよ……」
ジュリオの髪を引っ掴むマリーリカの手が、だんだんと力を無くしてゆく。そのままぺたんと力無く地面にしゃがみ込んだ。
一方、理不尽な暴力と暴言を受け続けたジュリオは、ただただ呆然とするばかり。
だが不思議と、マリーリカへの怒りは湧いてこなかった。
それはきっと、マリーリカにはカンマリーという大切な妹がいたように、ジュリオにもルテミスという大切な弟がいるからだろう。
それが例え腹違いであっても、大切な弟には変わりない。
ジュリオだって、舞踏会夜にルテミスを貴族に侮辱されブチ切れたのだ。
妹を酷い形で亡くし、錯乱しているマリーリカを怒る気にはなれない。
ただ、嵐が過ぎ去るのを待つばかりである。
「カンマリーがいないのに……生きてたくなんか無い……。なんで治したんだよ……ふざけんな、ほんと……」
マリーリカの声がだんだん弱っていく。
細く震えた声には微かな笑い声が混じっていた。
「あのまま……死なせてくれりゃ良かったのに……」
この言葉を最後に、マリーリカは地面に胎児の姿勢で寝転んで、静かにすすり泣き続けた。
怒涛の感情をぶつけられたジュリオも、力無く地面に座り込むと、様々な感情から涙をはらはらと流した。
アンナはそんな二人を見もせずに、険しい顔で立ち上がる。
そして、小さな板型の魔道通信機で、どこかに連絡を入れていた。
その板型の魔道通信機とは、異世界人によりこの国にもたらされた文明機器である、『スマホ』と言うものだった。
アンナ、スマホ持ってるんだ……いいなあ……と、ジュリオは涙を流しながら、そんなアホみたいな事を思っていた。
人は心の疲弊が限界を超えると、どうでもいい事を考え、バランスを取ろうとするものである。
「おはよう、あたし。ああ、ルトリか? 悪ぃな、朝っぱらから。今から言うもんを手配して欲しい。……まずはアナモタズの死骸五体を運ぶ馬車。この五体のうちの一匹はガキで、もう一匹は、何か……変なヤツだった」
アンナの声が遠く聞こえる。
ジュリオは疲弊して泣いており、マリーリカは絶望して泣いている。
こんな悲惨な状況なのに、空には朝日が呑気に昇っていた。
木々の隙間からは、とても美しい青空なんかが広がっていやがる。
ほんと、この世界はクソである。
「アナモタズ以外に、異世界人の死体の食い残しが少しと、ペルセフォネ人女性の遺体が二つ。それで、……生存者は女と、例の囮っぽい男。……うん、間に合って良かった」
アンナの声をぼーっと聞いていると、鳥が陽気な声でチュンチュン鳴いてやがる。
楽しそうでいいな君は、とジュリオは一切働かない頭で思うのだった。
「ほんと、酷え夜だった。正直、こんな筈じゃなかったよ……」
アンナは疲れた声でそう言った。
そりゃこっちのセリフだよ、とジュリオは思った。
惨劇の夜が明けて、美しい朝日がこの世界を照らしている。
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