第7話 反撃開始!

アンナは、アナモタズによって大穴が空いた板壁に背を預け、外の様子を伺っていた。眼差しは鋭く、怯えは微塵も存在しない。




その一方、ジュリオは怖くて仕方なかった。


胸の鼓動がけたたましい。本当に怖い。


目の前の落ち着いた様子のアンナが神々しく見える。





「ジュリオさん。あんたは後ろにいてくれ。絶対にあたしから離れるなよ」



「う、うん…………ごめんね……情けなくて」



「情けなくなんかねえよ。こんなヤバい状況なのに、意外と冷静ですげえよ、あんた」



「そう言ってくれると……嬉しいよ」



「だからさ、ほら、元気だせよ。さっさとアナモタズのケツ穴に矢ァぶち込んでブッ殺して行こうぜ? 『アナ』モタズだけにな。あはは」



「ごめん……笑う気力、ない……」





こんな緊迫した場面なのに、アンナはニヤつきながらアナモタズジョークを仕掛けてきた。




この女……もしかしてヤバい奴なのでは……? と失礼な事をジュリオは思った。





それに、ケツの穴ぶち込んでブッ殺すって。


何て下品な言葉遣いなんだ……、と唖然とするジュリオである。王子様育ち故に下品な言葉を使う女性に引いてしまう。


その一方で、素直で嘘の無いアンナの雑な言動は、意外と心地が良かった。




アンナの頼もしい姿勢をありがたいと思う反面、弱くて何も出来ない自分というのが恥ずかしくて仕方ない。




こんな事なら、闘いの訓練をサボるんじゃなかったと、ジュリオはバカ王子時代の堕落した日々を後悔した。




無駄な努力はしないに限る。どうせ何もできやしない。



それよりも、持って生まれた才能を駆使して、何の苦労も無く周りからチヤホヤされて楽しく過ごした方が良いではないか。



持って生まれた美貌と地位と金をひけらかせば、取り巻きがチヤホヤしてくれて、いつでも自尊心を満たせたのだ。




だが、あぶく銭のような自尊心など、所詮は泡沫の夢に過ぎない。



夢から覚めた今、取り巻きからのチヤホヤなんて、何の役にも立っていなかった。





「アンナさん……もし、僕が必要だったら遠慮なく使ってね。囮くらいにはなれると思うし。……それに、元々僕は、囮としてこの森に……あれ?」



「どした?」



「いや、僕が囮っていうのが……なんか、気になるというか」





そういえば、自分はパーティメンバーに囮されていたらしいと、アンナから聞かされたのを思い出す。





「僕はアナモタズを引き寄せるための囮なんだよね? 囮ってことは、アナモタズを待ち伏せて攻撃するのが作戦だったわけでしょ?」



「まあ……囮を使うなら、そうだよな。待ち伏せて殺すってのが作戦だったんだろう」



「じゃあ、僕を囮にしてアナモタズを待ち伏せていたSSRランクのとても強い冒険者達が、何で逆に奇襲攻撃されて壊滅するの? …………あまりにも間抜けじゃない?」



「それは……言われてみれば。……まあ、アナモタズが想定以上の賢さと強さを持っていたから、ってのは……答えになりそうか?」



「確かに……そう、だよね……」





アナモタズに限らず、生き物とは絶えず進化や変化をし続けるのだ。想定外、というのは付き物である。



予測不可能な生き物と戦う以上、作戦通りに事が進む事は奇跡に等しい事だ。





「そもそも、僕ってどんな囮だったんだろう……? 木に縛り付けて蜜を塗りたくってアナモタズ寄せにしたわけでもないし。僕はただ、小屋の中で膝抱えて座ってた、だけ……」





バカのくせに考える事を頑張ってみたものの、都合良く答えを思いつくわけではない。




ジュリオを囮にアナモタズを待ち伏せていた、実力者揃いのSSRランク冒険者パーティが、逆にアナモタズの奇襲攻撃により壊滅した。




何の問題も無い、ただの悲惨な事件だ。




それでも、ジュリオはどこか引っかかる心持ちである。


けれど、その違和感の正体を突き止められるほど、ジュリオは賢くなかった。





「まあ、取り敢えず……安心しろ、ジュリオさん。あんたを囮になんかしない。だから、……そんな風に自分を雑に扱うなよ」





壁の大穴から外を伺いながら、アンナはこちらを見ずに言った。


嘘偽りの無い歯に絹着せぬ言動のアンナが言うのだから、リップサービスなどでは無いのだろう。





「……わかった」





「自分を雑に扱うな」なんて、ジュリオは今まで飽きるほど言われてきた。


しかも、それを言う連中は決まってジュリオへの劣情を抱えていたのである。



自分に気に入られたいが為に綺麗事を言う連中の、鼻の下が伸びているのを嘲笑うのがジュリオの荒んだ趣味であった。




けれど、アンナに「自分を雑に扱うな」と言われたら、素直に嬉しいと思った。それは、アンナが命の恩人であるのと同時に、粗暴な言動に情の深さを垣間見て、アンナには裏も表も無いのだと信じられたからである。





「大丈夫だ、ジュリオさん。あたしが守ってやる。だから安心しろっての」





アンナは涼しい顔でそう言うとジュリオに背を向け、板壁の大穴から外へ進んだ。


後ろ手で手招きをされ、ついて来いと指示を出してくる。




ジュリオも今一度覚悟を決めて、素直にそれに従った。




小屋の外から出てみると、夜の闇が少しだけ明るくなったような気がした。



暗闇に目が慣れたせいなのかと思ったが、どうやら雲に隠れていた月が徐々に顔を出してきたからだった。



濃紺の空にどろりと流れる重い雲の切れ目から、青白く淡い月が光を放って姿を見せる。



月明かりが、アンナの小柄な後ろ姿を柔らかく照らした。





「その代わりさ、あたしが怪我したら……頼むぞ、ヒーラー」



「! ……あ、ああ。頑張るよ」





怯えきっていたジュリオの顔が、ほんの少し明るくなる。



自分にもできることがあるかもしれないと、勇気が湧いてきた。







◇◇◇







青白い月明かりがぼんやりと照らす中、得体の知れない夜の森を進むアンナの後ろを、ジュリオは震えた足取りで着いていった。




道に茂る草がジュリオの服を撫でるたび、小さくヒィっと声が出そうになるが、自分の口を抑えて何とか我慢する。


少しでも不安が勝つとその場にしゃがみ込みたくなった。




はっきり言って、この場にいるだけでも精神がすり減って行く気持ちである。嫌だ、今すぐ逃げ出したいと、本能が全力で叫ぶ。


 




アンナが立ち止まり、後ろに回した手で止まってしゃがめという合図を送ってきたので、なるべく音を立てないよう指示に従う。





この指示から察するに、アンナはアナモタズを発見したのだろう。





月明かりがあるとは言え、街灯の無い夜道に全く慣れてないジュリオには何も見えない。





しかし、前方からグルルルル……と言う獣の唸りが聞こえてくる。





いよいよか、とジュリオは観念した。




アンナが弓を引絞る音がする。狙撃の体制をとったアンナの後ろで、ジュリオは恐怖でバクつく胸の鼓動を落ち着けるために、無理矢理楽観的な事を考えていた。




もしかしたら、ピンチになったら自分の眠れる才能みたいなのが覚醒して、なんかとんでもない攻撃魔法的なアレを覚えられるかもしれない。





だが、そんな甘い期待は木っ端微塵となる。



アンナの気配に気づいたアナモタズが、おぞましい咆哮と共にこちらへ突進してきた。





瞬間、ジュリオは許容範囲を超えた恐怖でへたりと座り込み、声すら出ないほどビビり倒したのだ。





そんなジュリオの様子にアンナは全く動じることなく、引絞った矢を放ち一撃する。



見事アナモタズの眉間に命中させたものの、アナモタズは怒り狂った様子でぐわりと立ち上がった。



威嚇するかのような咆哮をあげ、振りかぶった巨大な爪をアンナめがけて振り下ろそうとした瞬間。



アンナが放った二発目の矢が、アナモタズの胸をぶち抜いた。




地鳴りの様な恐ろしい断末魔をあげ、アナモタズはそのまま地面へと倒れ込む。


ドシンと言うでかい音と共に、地面が一瞬揺れた気がした。



それは、ほんの一瞬の事であった。





「……ジュリオさん、大丈夫か?」





ただただ唖然とするだけで、力なく座り込むジュリオは、アンナに声をかけられ、ようやく失いかけてた気を取り直した。





「……っ、!」





アンナへ返事をしたいが、恐怖のあまりに声すら出なかった。体は震えてまったく動かない。


これが、魔物と戦うことなのかとジュリオは実感した。




異世界人勇者のパーティに控えのヒーラーとしてコキ使われていたときは、魔物の姿を見ることはあれど、肝心の戦闘そのものには全く関わって来なかったのだ。




アナモタズのように、対峙した瞬間『あ、これ死んだな』と思うほどに恐ろしい魔物相手に、ジュリオ如きがどうこうできる筈がない。



 


「ジュリオさん。まあ、その……頑張れ」



「ごめん……無理かも……」





アンナが差し出した手にすがりつき、何とか立ち上がったジュリオである。


握ったアンナの手は自分の手よりも小さいものの、武器を扱いなれた分厚さがあった。爪も無骨に短く切り揃えられており、しっかりした指は戦いの経験値を物語っている。




大きさこそ男のものだけども、細く滑らかで傷一つ無い人形のような自身の手に、ジュリオはどこか引け目を感じてしまう。





「いいよ。気絶したり小便漏らさないだけで上等だ」





アンナは表情を一切変えずに言うのだから、ジュリオも「確かに……僕はマシかなあ」と勇気づけられた。


そんな単純な思考は、こんな危機的状況だと不思議と役に立つものである。





◇◇◇





二匹目のアナモタズを前にアンナが狙撃姿勢に入る一方、ジュリオはしゃがみ込んでブルブルと震えながら頭を抱えるばかりである。



戦闘初心者なんて、所詮はこんなもんだ。






「なんだアイツ。あたしに気付いてねえのか……?」






アンナの台詞の通り、二匹目のアナモタズは何かに夢中で、こちらの狙撃の気配に気付いていない。



無警戒なアナモタズの胸を矢で一撃すると、あっけなく地面に伏せて息絶えたのだ。






「あのアナモタズ……僕らに全く気づいてなかったね」



「ああ。……人は警戒するほど驚異じゃねえって、知っちまった個体だろうな」



「人が弱いって……知ってるってことは……つまり、その」





人を食い殺した、と言うことだろう。





それをまともに考えてしまうと、足が恐怖で動かなくなりそうだったので、ジュリオは感情を手放し無心になって、アナモタズの死体へと向かうアンナの後を付いていった。






「……アンナさんって、強いね。弓一つで、アナモタズを一撃って。すごい戦い方だね」






基本、冒険者パーティが魔物とバトルをする時は、常に集団で戦うものだ。



前衛後衛と役割分担を決め、適材適所で魔物とバトルするのが普通である。



ジュリオがいた異世界人勇者の冒険者パーティも同じだ。



勇者のチート魔法剣に、仲間の剣技や魔法や何やかんやとド派手なバトルを経て、一体また一体と魔物を倒していた。





だから、離れた位置で魔物を狙撃し、一瞬で倒すと言う戦法は、とてもすごいものに思えた。






「あたしはアナモタズと『戦ってねえ』からな。あたしがやってんのは『狩猟』……狩りだよ。ただ、アナモタズを狩って、バラして、売ったり食ったりしてるだけ」






生きるために狩猟をする人々がいると、王子時代に受けた教育にて知識として知ってはいた。



そして、それを心のどこかで『酷い。野蛮だ。自分が生きるために、他の生き物を殺すなんて』とも思っていた。



この、自分が生きるために何かを殺すと言う感覚を野蛮だと忌み嫌うのは、ジュリオ独自の感覚ではなく、ペルセフォネ人に共通する感覚だ。ペルセフォネ人の宗教観によるものである。






「……狩る、かぁ……」






けれど今は、ジュリオは狩猟を生業とするアンナに命も心を救われたのだ。



そして、アンナによって放たれた矢がアナモタズを殺すたび、その強さに惚れ惚れしている自分がいる。



 

そして、それに気づいてもなお、狩るという行為を全肯定するのが難しい自分もいる。




ジュリオは、神妙な顔でため息をつき、アンナの後ろ姿を見た。



ブカブカの赤い上着を着た、小柄な女の子の後ろ姿である。






「……あのアナモタズが夢中だったのは、これか」



「え?」





アンナが立ち止まった。



鈴の音のような甘い声が、若干張り詰めたのを感じる。




ジュリオも立ち止まり、何事かと様子を見ると。






「…………ぁぁ……」






全身から力が抜けて、へなへなとしゃがみ込む。





そこには巨大なアナモタズの死骸と、惨殺されたパーティメンバーの美少女の死体があった。




衣服は切り裂かれ、上半身が無惨に露出しており、毛髪が頭の半分の範囲で引き千切れていた。右腕と下腹部が無くなっており、目は見開かれたままで、頬には涙の筋が垂れている。






「…………」






ジュリオは、脱いだ上着を遺体の晒された肌へ隠すように被せると、開かれた遺体の目を震える手で閉ざした。






「ジュリオさん、大丈夫か? ……いや、大丈夫じゃねえよな」



「……」






声を出す気力すら無い。






「ジュリオさん、気を付けろよ。このアナモタズ、口に髪がこびり付いてる。草に引きずった跡を見るに、多分、死体を他のアナモタズに食わせようと、髪を咥えて運んでいた可能性がある」



「……」






ジュリオに、アンナは注意を促した。






「ジュリオさん。……まあ、そのなんだ。……頑張れ」



「……ああ、うん」






上着を脱いだせいか少し肌寒く感じた。



夜の森の息遣いのような風が生々しく体に染み込む。






「ジュリオさん、気を引き締めろ。もう一匹、この近くにいる」



「え、あ、ああ……うん」






アンナはその場に片膝を付き、アナモタズが死体を引きずろうとした方向を見据えている。




ジュリオもその場ぺたりと座り込みながら、狙撃姿勢のアンナを他人事の様に見ていた。





だんだんとアナモタズの唸り声を耳が拾うようになって来る。きっと、こちらに近づいて来ているのだろう。





その声は他のアナモタズに比べて高く、そして軽い。



妙である。



今までのアナモタズの唸り声は、殺意が滲んだ地鳴りのようなものであったのだが。






「ガキだな。こりゃ」






同意見だった。だが、相槌を打つ気力は無い。





狙撃姿勢のアンナは、矢を宛がえた弓を引絞った。キリキリと弦がしなる小さな音が鳴る。




そして。




パンッ……という空気を切り裂く音がした。




アンナの放った矢が、子供のアナモタズの眉間を撃ち当て、一撃で絶命させたのだ。






「ねえ、アンナさん……」



「ん? どした?」



「アンナさんは…………死なないでね……」






ジュリオの表情は無い。



声もか細く、抑揚も無い。






「あたしは死なねえ。そして、あんたも死なねえ。……まあ、もし死んだら、ヒーラーのあんたがいるだろ」



「……死んだ人の蘇生なんて、どんなヒーラーでも無理だよ」



「マジか。じゃあ、アナモタズの餌になるまえに、あたしが先にアナモタズを殺す。ガキでも、腹にガキがいようと関係ねえ。ぶっ殺す。それなら、問題ねえだろ」






風に揺れる白く長い髪が、人を拒絶する冷たい雪原を思わせる。



可憐な瞳は、雪原に落ちた血溜まりのような鮮やかな赤色をしていた。






「ジュリオさん、アナモタズを狩り終わったら、美味いもんでも食おうぜ」



「……いいよ、喜んで。……でも、人食べたアナモタズの肉は……やだな」



「それは流石に食えねえよ。供養してもらうさ。……でも、アナモタズの肉はめちゃ美味いぞ」





アンナがにやりと笑う。



多分、アンナなりに元気づけようとしてくれているのだ。




狩る、と言うことがどういうことなのか、少しだけわかったような気がした。



……気のせいかも、しれないけど。




空には、夜の重たい濃紺に混ざるようにして、朝の明るい青緑が広がりつつある。


そろそろ、夜明けが来るのだろう。

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