吉田博士

雲染 ゆう

吉田博士

「吉田博士」

 

 吉田博士が、幽霊が出ると噂の家を買い、その家で、研究を始めたのは、彼が三十二歳の時の夏のことだった。彼は、その前の年に結婚した妻と、この春に生まれた娘と、その家に住み始めたのだ。

 彼の研究は、科学技術によって、幽霊の可視化をするというものであった。幽霊の姿を見、その声を聞くということを、目標とした研究だったのだ。

 彼がこの研究をするようになったきっかけは、小学三年生の頃に会った、祖父の幽霊であった。夜、寝ている彼の足元に、祖父の霊が立っていたのである。祖父の霊は、何かを言いたそうに口を何度も開いていた。しかし、彼には、祖父の言いたいことが何であったのか、わからなかったのだ。それ以来、彼は、幽霊の声を聞いてみたいという気持ちに、悩まされるようになった。

 幽霊に対する思いは、彼が大学生の時、大好きだった母が死に、さらに大きくなっていった。大学を卒業すると、彼は、祖父が残した遺産を使い、いよいよ、幽霊の研究を始めたのである。

 そして、さらなる研究のために手に入れたのが、念願の幽霊屋敷というわけであった。

 この家では、不可解な現象が何度も起こった。何もしなくても皿が割れ、誰も居ない筈の二階から、足音が聞こえてきた。霊感が強いと噂の友人は、この家に入ると、「三人の幽霊が住みついている」と言って、直ぐに帰りたがった。それでも、妻と娘と、三人で、吉田博士は幸せな生活を送り続けていた。研究で忙しくしながらも、吉田博士は、出来る限りの時間を、家族のために使っていた。笑いと、かけがえのない発見の絶えない時間である。

 週に二日は休日を作り、三人で出掛けた。月に一度は、二人にプレゼントをして、喜ばせていた。中でも、彼の贈った、竜胆の飾りのついた、お揃いの青いリボンの帽子は、妻と娘のお気に入りとなり、お出掛けの度に、二人はその帽子を被っていた。

 妻は、彼を愛していたが、彼の研究に対しては、少々否定的だった。というのも、彼女は、幽霊の存在を信じていなかったからである。皿が割れた時は、片付けの際の自分の不注意だったと言い、二階からの足音は、ネズミか何かだと言って、娘にもそう説明をしていた。

 そんな、暮らしを続けていた、吉田博士三十九歳の冬のことである。

 二人を、不幸せの波が飲み込んだ。

 最愛の一人娘を、病気で失ったのである。二人は、彼女のお気に入りだった、青いリボンの帽子と一緒に、彼女を送った。何もかもを失ったような、虚無の日々を、しばらくの間、二人は過ごした。

それでも、吉田博士は立ち上がり、研究を始めた。この研究を極めることが出来れば、もう一度娘と会えるかもしれない。そんな思いを、妻にも伝えた。それからというもの、妻は、吉田博士の研究を、積極的に手伝うようになった。

 娘と、もう一度だけでも、言葉を交わしたい。娘を亡くした寂しさを、どこかに吐き出してしまいたい。妻は、彼の研究にすがるようになっていった。吉田博士も、同じ気持ちで、研究を焦っていた。悲しみの力を、全て、研究に注いだ。

 しかし、吉田博士の研究は、なかなか成果を出すことが出来ないでいた。

 研究から、幽霊の居るところは、温度が低いということがわかっていたため、幽霊の大体の位置を知ることには成功していたが、幽霊の姿を映し出すことが、至難の業であった。幽霊の姿をコンピュータの画面に映し出すためには、幽霊ごとに違っている波長を感じ取らなければならなかった。そして、幽霊から発せられる波長と微弱な信号を、何とか、彼らの伝えるとおりに、容姿として可視化しなければならなかったのである。

「あの子、もう成仏してしまったかしら」

 寂しそうな、妻の言葉に、吉田博士は研究を焦った。朝も、昼も、夜も、妻を手伝わせて、幽霊の可視化の研究をし、疲れると、ソファの上で眠ってしまった。家は、少しずつ汚れ始めて、次第に、妻との会話は、研究のことだけになっていった。

 そして、それは、吉田博士が、四十八歳の時の春である。

 とうとう彼は、幽霊の可視化に成功したのである。

 リビングで佇んでいる、複数の、冷たい空気それぞれに波長を合わせて、コンピュータの画面に映し出されたのは、三人の大人の幽霊と、愛しい、一人娘の姿であった。

 二人は抱き合って喜んだ。娘が映っているあたりを、しきりに撫でたり、優しく声を掛けたりした。吉田博士は、近くの百貨店へと走ると、大きなぬいぐるみと、ダイヤの首飾りを買ってきた。ぬいぐるみを娘の居るリビングに置くと、首飾りを妻の首に付けた。

「まあ、本当に素敵ね」

「君には、敵わない」

 久しぶりの、会話であった。その夜、二人は久しぶりに、家の掃除をして、一緒に料理を作った。

 三人の大人の幽霊は、家中をうろついているようだったが、娘は、いつも、リビングに置かれたぬいぐるみの隣に居た。

「今度は、何のぬいぐるみがいいかしら」

「愛しているよ」

 二人は、リビングを通る度に、娘の居るあたりへ、声を掛けた。

 もちろん、返事は聞こえなかったが、二人はそれでも、声を掛け続けた。吉田博士は研究を休んで、以前よりも、ずっと、妻と娘に気持ちを尽くした。

 吉田博士が、この研究の成果を発表すると、心霊学者と、霊能力者が震えた。

やがて、かなりの話題になった。霊能力者が見た、幽霊の特徴を、コンピュータは正確に、描写していたのである。こうして、彼の研究は、世に知られることとなった。

 だがしかし、そんなある日のことである。吉田博士がコンピュータ越しに、娘の顔を見ていると、娘が、しきりに口を開いて、何かを言っているのが見えたのだ。吉田博士は、娘の目の前に、五十音と数字の書かれた紙を用意した。すると娘は、小さな人差し指で、一つ一つ、文字を指さして言った。夫妻は、その様子を、コンピュータの画面の前で見守った。

「ありがとう」

 娘は、そう、指を差し終えると、ぬいぐるみを抱きしめた。

 夫妻は、涙が止まらなかった。ああ、この子の声を、もう一度聞きたい。

 そうだ。研究を続けなければ。研究はまだ、終わっていない。まだ、幽霊の声を聞くという目標は、達成できていないではないか。

 二人は、研究室へと向かうと、幽霊の言葉を聞き取るための、研究に打ち込んだ。

 これは、幽霊の姿を可視化することよりも、骨の折れる研究であった。幽霊の声が、空気を震わせる発声法ではなかったからである。何人もの心霊学者や霊能力者を招き、幽霊の声に関する研究を進めた。

「幽霊の声は、耳で聞こえるわけではないのです。そして、それを、聞き取るためには、第六感というものが必要なのです」

 有名な霊能力者の助言が、彼を困らせた。コンピュータに、霊感を持たせなければならなかったのだ。そのうえで、彼らの伝えている信号を、彼らの声のまま、彼らの言葉のまま、拡声する必要があった。吉田博士は、第六感に関する脳の働きを研究し始めた。再び、研究の日々が続いた。吉田博士が、次の研究目標を発表すると、益々、世間の関心が、吉田博士の研究に集まった。援助を申し出る者も、後を絶たなかった。吉田博士は助手を雇い、家政婦も雇い、研究に没頭した。妻は、しょっちゅう訪ねて来る、研究者や心霊学者を、忙しい吉田博士の代わりにもてなした。

 新聞や雑誌が、ひっきりなしに取材に訪れ、他の心霊スポットで、吉田博士の装置の性能を試した。背後霊や守護霊を見てみたいと、個別に相談する者もあらわれた。中には、インチキだという者も居たが、大抵の人は、吉田博士の研究の成果を見ては、正真正銘の幽霊だと、もてはやした。

 そんな中、吉田博士六十一歳の秋、とうとう、幽霊の声を、聞くことに成功した。何人もの霊能力者を研究し、その脳の働きを、人工知能に学ばせた。そうすることで、人工知能に、第六感と言う名の受け皿を作ったのである。あとは、その領域で受け取った音声を録音し、耳で聞こえる音として、空気を震わせるだけである。吉田博士は、家にいた三人の大人の幽霊に取材を重ねた。すると、あまりのしつこさに、皆、家から出て行ってしまった。

 それからは、リビングに居る娘が、唯一の取材の相手となった。

そして、その冬、何人もの研究者や霊能者に見守られる中、コンピュータを通して、スピーカーから流れた、娘の「さみしい」の声に、一同は歓喜した。

 この成功は吉田博士の名とともに、世界中に知れ渡った。海外からも、何度も招待を受けて、その度に、助手と装置を伴って、外国へと飛んだ。ある国では、有名な詩人の幽霊が、美しい詩を披露した。ある国では、一人の少年が、母からの言葉に涙ぐんだ。またある国では、古代の人の幽霊との会話から、誰もわからなかった歴史を明かした。

 次の年の冬、妻は倒れた。

 吉田博士が、パーティーに招待されたため、助手を伴って外国へと出掛けていた間のことであった。その国での予定を全て中止して、直ぐに帰ったが、生きている妻と会うことは叶わなかった。

 そんな、彼女の葬式を終えた夜、泣き暮れていた吉田博士は画面越しに、妻と娘が、手を取り合って、お揃いの帽子を被り、リビングに立っているのを見た。二人が口を開くと同時に、スピーカーから、短く二人の声が聞こえた。

「さようなら」

 それが、吉田博士の聞いた、二人の最後の、言葉だった。翌日、妻と娘は、家のどの画面にも映らなくなっていた。

 絶望の中、吉田博士は、さらなる研究の目標を発表した。それは、まだこの世にいる幽霊相手ではなく、既にあの世へと旅立ってしまった霊を呼び出して会話をするというものであった。あちらの世界と、コンピュータを干渉させるという、とんでもない試みであった。

 これには助手も驚いて、吉田博士を止めようとした。しかし、再び、妻と娘をこの世に呼び戻して、三人で暮らすという夢が、吉田博士の目を曇らせていた。

 吉田博士はますます、研究に打ち込んだ。彼は、七十一歳になっていた。

 吉田博士は、神学や哲学や数学など、様々な文献から、死後の世界の場所を計算しようとした。花咲く野原の光の向こう。深海の、さらに底にある神海の、永遠の安らぎの中。粒子と粒子のはざまの無限。宇宙の外の、手のひらの上。

 場所さえわかれば、後はコンピュータを、そこへ向かわせるだけなのだ。

 吉田博士は、計算を続けた。彼は、幽霊が行くことが出来るのだから、道が無い筈がないと考えていた。そこで、吉田博士は、亡くなったばかりの人の幽霊を捕まえて、この世を去るその瞬間を、何度も取材した。だが、幽霊たちは皆、コンピュータには捉えることのできない座標へと消えていくばかりで、一向に、その足取りがわからなくなるのであった。彼らには、発信機も、取り付けようがなかった。

 吉田博士、八十六歳。気が付くと、助手も家政婦も、いなくなっており、彼の研究を援助する者も、彼の研究を話題にする者も、もういなかった。

 そして、その夏、吉田博士の心臓を、急な痛みが貫いた。

苦しんだが、しばらくすると、ふっと楽になった。安心した吉田博士は、コンピュータの画面に映った自分を一瞥すると、研究を続けた。数日後、吉田博士は、自分の家の、騒がしく、見知らぬ人間の出入りしていることに気が付いたが、研究を続けていた彼には、そんなことはどうでもよく、気にも留めなかった。

 やがて、静かになり、誰も居なくなった研究室のスピーカーから、声が聞こえた。

「死後の世界の場所を突き止めて、妻と娘を呼んで、一緒に暮らすのだ」


                                       了

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