第357話 助け舟

「もうユッキー。ケンケンを追い払ったな。久々なんだから触るくらい良いじゃないか」


 章都しょうとが頬を膨らませると、糸崎が険しい表情になり「はぁ?」と甲高い声を上げた。


「セクハラって言葉知っているかしら?」


「知ってるからいいだろ?」


 胸を張って宣言したので章都しょうとに自覚はあるようだ。大変タチが悪いと呟いて糸崎はため息をつく。


「わかってるならやらないで」


 章都しょうとは「ちぇー」と唇を尖らせながら、両手を頭の後ろで組んだ。

 不満たらたらの様子を見た糸崎は、眩暈と頭痛を覚え、怒りを押し殺した表情となる。


「あんたのスキンシップは過激なの。男が勘違いするのよ。その気になったら後が大変でしょう? 死体の後始末を考えたことある?」


「待ってくれユッキー。ワタシは誘惑したことはあるが一度たりとも殺しまでやったことはないぞ」


「言葉のあやよ。気に入らないからと病院送りぐらいはするんだから。男に体をひっつけないで」


「えー、でもケンケンはひっつきたいな」


 章都しょうとがちらちらと磐倉いわくらに熱視線を叩きつけると、彼はスンとした表情になり端鯨たんげいの後ろにスッと隠れた。

 それをみた糸崎は苦虫を嚙み潰したような顔になる。


「やめてくれる? ケンだから無視してくれるのよ」


「いや一度くらい」


 章都しょうとは強い男性なら無条件に恋をする『恋多き乙女』である。東護とうご狙いであることは間違いないが、しっかり磐倉いわくらも狙っていた。


「それが駄目だって言ってんのよ!」


 スパァン、と糸崎が強烈な張り手を章都しょうとに食らわせた。


「ユッキー……」


 章都しょうとの目に鋭さが浮かび上がる。

 二人の空気が冷えてきたので、彼雁ひがんが声を大にして、無理やり話題を変えにかかった。


「そ、そういえば聞きましたよ! 磐倉いわくらさんは食呪しょくじゅの原料を発見して持ち帰ったんですよね!」


「そうそう凄いです! 糸崎さんも章都しょうとさんもそう思いますよね!」


 端鯨たんげいもすぐに乗っかって促すと、


「そういやそうだったな。すげぇなケンケン」

「成果上げるなんてやるじゃない」


 二人はあっさりと話題に乗っかり、不穏な空気が消し飛んだ。


 喧嘩を未然に防ぐことに成功したので、彼雁ひがん端鯨たんげいは心のなかでガッツポーズをする。


「俺は比良南良ひらならさんの助手兼護衛で行っただけだ」


 磐倉いわくらが否定すると、彼雁ひがんはとんでもないと声をあげる。


「ご謙遜を。とても凄いことです」


 憧れている先輩の活躍を我が事のように喜んでいる。しかし磐倉いわくらは冷ややかな目を向けていた。騒がれて煩わしいようである。


「凄いことではない」


 静かに言い放つと、彼雁ひがんがしょんぼりして項垂れた。

 端鯨たんげいは心配そうに彼雁ひがんを見つめてから、スッと背筋を伸ばした。そして「磐倉いわくらさん」と柔らかく声をかける。

 視線が合うと、端鯨たんげいは真摯な眼差しになった。


「謙遜しないでください。貴方だからこそ発見できたのだと自分は思っています」


 磐倉いわくらは瞬きをした後に、まんざらでもない顔をして口角を上げた。

 彼は端鯨たんげいを高く評価している。それは息吹戸いぶきどの言葉を真摯に受け止め真面目に実行する姿勢を見ているからだ。


「お前に言われたらそんな気になる」


「いえ。自分や彼雁ひがんだけではありません。殆どの職員が磐倉いわくらさんたちのご活躍で食呪しょくじゅの解析が進展したと感じています。本当に有難うございます」


「あまり言うな。照れるから」


「なんか端鯨たんげいさんだけずるい!」

「わかる。端鯨たんげいだけずるい!」


 対応の違いがクッキリと現れて、彼雁ひがん章都しょうとが声を揃えて不満を口にした。

 端鯨たんげいは顔色を変えてすぐに窘める。


「二人とも落ち着いてください。何もずるくないですって」


「だって。俺が先に言ったのに。温度差が凄い違うんですもん」


「だよなぁ。ワタシもねぎらいの言葉かけてんのに塩対応されてんだぞ」


 磐倉いわくらが真顔で見据えた。


「何に対しての不満か分からないが、煩い」


 鋭い視線を向けられ、彼雁ひがんの体がビクッと縮こまる。うつむきながら「すいません」と消え入りそうな声で謝った。


「おいおいケンケン。帰って早々喧嘩売ってんのか?」


 章都しょうとは睨まれたことに腹をたて、両手を腰に添えて噛みついてきた。

 磐倉いわくらは肩をすくめる。


「そっちから喧嘩売ってるだろ。俺の動きに一々文句をつけて、鬱陶しい」


「はあ? ワタシがいつ文句言った?」


「今もだろ」


「はーあ?」


 バチバチ、と二人の間に火花が散った。


「ちょっと。帰って早々喧嘩しないでくれる? どっちか大人の対応してほしいんだけど、二人とも子供だから駄目かしら?」


 糸崎が呆れた眼差しを向けて止めるように促すが睨み合いは止まらない。

 どんどん空気が冷えていくため、彼雁ひがん端鯨たんげいがマズいとアイコンタクトをとりながらジリジリと後ろに下がった。


 些細な言い合いのせいで一触即発の空気になったオフィスだが、


「貴様ら、いい加減にしろ」


 手の空いた東護とうごが仲裁に入った。

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