乗っ取り完了

安宅

乗っ取り完了

 アニサキスは考えた。こんなチッポケな我々寄生虫でも地べたを駆けてみたいと、そのように考えた。一寸の虫にも五分の魂が宿るというもので、アニサキスにはそれぞれの個体に自我があった。人間が意思を持つのであれば、当然虫にも意思がある。それに気付かなかったのは高慢チキの人間のみである。

 さて、そのアニサキスであるが足と呼ぶ体の部位を使い、地べたを走ってみたいなどと思ってしまったから大変なものである。チッポケな一寸の身体には収まりきらぬ大それた夢を抱えてしまいニッチもサッチもいかなくなった。アニサキス達はどうしても、自らの足と言う物で地べたを歩きたい、走り回りたいと思うあまり画期的なアイデアを思い付いた。「そうだ我々は寄生虫である。生き物に憑りつくことができるのだから、人間に憑りついてしまえば良い」とそのように考えた。

 まずは魚などに憑りつく。ここでは鮭に憑りつくが望ましかろう。そうして鮭を乗っ取り、魚として振る舞い、機を待つのだ。人間が漁と呼ぶ魚を捕虜にする行為が年に一度行われるので、その機に乗じ鮭を操って、自ら人間に捕まりに行くのである。漁と言うものは、生け捕りにした魚を食って殺す行為なのだそうだ。自らの身体を魚ごと人間に食わせ、人間に憑りつくのである。人間に打ち勝てることができれば、アニサキスはその人間を支配し自在に操ることができるだろう。そのように計画し、彼らは実行に移したのだった。


 最近、どうにも性格が変わってしまったヤツを見かける気がするのだ。ガアガアと煩い会社の上司は一週間前から優しい人になってしまっているし、同僚のNにいたっては言葉遣いからして変わってしまった。だからと言って仕事に支障はない。Nも上司も記憶と意識はハッキリ明瞭であったので、まあ良いかと特に気にかけてはいなかった。

 それが急に気になりだしたのは、性格が変わった人間が一人や二人ではないからだ。四や五でもない。十でも三十でも足りない。もっと多くだ。インターネットでは「これは何者かに操られているのだ」「宇宙人の仕業だ」などと囁かれているが、どれも真に受けるに値しない与太話である。あまりにも奇妙であるから何かしらの理由が欲しいだけなのだ。

 ホラ、あのテレビのワイドショーもそうだ。昆虫研究学者の某と言う専門家が出演しているではないか。この専門家、三日前までは「魚の生食は危険だ。必ず火を通しなさい。寄生虫がいるのです」などと必死になって語っていたものだから、その場にいた芸能人からは笑いものにされてしまっていた。その内に「貴方が刺身を食べないのは食わず嫌いだからでしょう」と言われ寿司を振る舞われたそうだ。振る舞われた寿司を無下にすることもできず、寿司を口にしてから三日目、その専門家は「魚の生食も新鮮ならばこんなにも美味しいのか」と意見を変えたそうだ。専門家と言いつつなんといい加減なことなのか。自分の主張くらいは変えずにいられないのだろうか。

「フゥム。やはりテレビなどはアテにはならないじゃないか」

 魚の生食は火を使わないので危険なのは当然ではある。当り前じゃないか。だが、それよりももっと当り前な常識があるはずだ。それはいたってカンタン。人間は好きな食べ物を自ら選択し食べることができると言うことだ。お偉い専門家に寿司を食うな、刺身を食うなと指図されたところで、俺が食べたいと思えば寿司も刺身も食べて良いのだ。食べたいと思えば食べ、食べたくないと思えば食べない。実にカンタンなことじゃないか。


「よお、N。最近、有名な寿司屋に行ったそうじゃないか。どうだ、止まっているヤツか?」

「ああ、君か。イヤイヤ違うよ。回っている方さ」

「ナァンダ、有名と言うからどこかと思えば、タダの有名チェーン店じゃないか」

「でもね、そうも言ってられないんだよ。チェーン店とは言えとても美味しい寿司が提供されるんだ。君も是非、行ってみると良いよ」

「オウ、寿司か。久々に食べるのも良いものだろうな。Nよ、君のお勧めのネタは何だい?」

 Nはその時に食べた寿司を思い出したのか、目を輝かせて言った。

「それならば鮭なんかはどうだろうか。油が乗って美味いと思うぞ」

 Nの舌なめずりしそうな様子に俺は、そんなにも美味かったのかと休日のスケジュールを確認した。そう言えば、最近は寿司ブームが起きているような気がする。あのガアガア煩かった上司も寿司を食べに行ってから頬っぺたを何処かに落としてしまったのかニコニコ顔で帰って来たのだから。これは予約を入れねばありつけないであろう。

「ああ、俺は次の休日に寿司を食べるのが楽しみだよ」

「そう、それは良かった。僕も君が寿司を食べるのが楽しみだよ」


 人間はキット気付かないのでしょう。性格が変わってしまった人達が大勢いることも、寿司や刺身の生食が流行りになっていることも、道路を嬉しそうにランニングしている人間が増えていることも、なんにも気付かないのでしょう。アニサキスはついに乗っ取りに成功したのです。

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乗っ取り完了 安宅 @ShiroAutumn

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