第8話 憂鬱な火曜日
「学校行きたくねぇ……」
寝起き開口一番の言葉は、それはそれはネガティブなものだった。
グッモーニング最低最悪な世界。今俺は最高に最悪な気分だ。それはもう現実逃避しすぎて学校に行くのが億劫になるぐらいにな!!
どうしてかって? そんなの決まってるだろ!
昨日はいつもは絡んでこない譎玲奈に絡まれて一緒に下校することになるわ、そんでもって逃げれずにいると重愛が何故か助けに来てくれて、どうしてか修羅場に発展するわ、ギャラリーもでき始めて、結局クズみたいな言い訳と理由、方法であの場所から無責任にも逃げおおせてしまったわけだ。
帰宅後は牛乳を買い忘れて母親に文句を言われるわ、妹の伝言を最後まで聞かずに文句を言われるわ、逃げ切った後で自責の念に駆られるわ、その後も結局、牛乳と謎のお詫びの牛乳プリンを買いに行かせられて、踏んだり蹴ったりだった。
そんな日の翌日となる今日は俺が死んだ日なわけで、まあ色々と億劫なわけである。
もしかしたら俺はまた死ぬのではないか? とか、あの後2人を置き去りにした罪悪感がまだ残ってたりとか、あの2人になんと言って謝ればいいのかとか、とにかく色々と考えることが山積みなのだ。
こんな心境で学校に行きたいと思うか?
俺は思わないね。今すぐお部屋に立てこもりたい、引きこもりたいよ!
けれども現実は無情である。
「いつまで寝てるのよ! さっさと起きろバカ兄貴!!」
甲高い怒声と部屋の扉が開いて、勢いよく閉められる音で俺の意識は完全に覚醒する。
「バカ兄貴はないでしょ、バカ兄貴は……」
朝に可愛い妹に起こされるという幸せイベントが発生したが、やはり現実は無情である。
理想とは掛け離れた声量と言葉遣い。うちの妹が不良になってしまった。昨日まで「お兄ちゃん」と呼んでくれていたのに、機嫌が悪いと直ぐにアレである。
「カルシウムが足りてませんな」
イライラしている時の妹にはいつも牛乳をあげることにしている。今日は帰りにコンビニで牛乳を買っていってやろう。
学校に行く前から放課後の予定を決めるというなんとも先走りすぎる思考を中途半端にして、俺は朝の準備を始める。
時刻は午前7時10分。
確かに妹の言う通り寝すぎた。朝食を食べている暇などない。朝の準備をしているうちに直ぐに家をでなければいけないでは無いか。
「まあ一日ぐらい飯抜きでもいいか」
朝ごはんの重要性は理解しているが、時間が無いのではしょうがない。今日は飯抜きだ。
慣れた動きでテキパキと朝の準備を済ませる。
制服に着替えて、本日の授業で使う教科書を鞄に詰め込む、今日は体育もあるのでジャージも忘れずにだ。最後に本当に忘れ物はないかを確認して下へ降りる。
直ぐにリビングには行かずに途中にある洗面所へと寄って、顔を洗って歯を磨く。寝癖がないか確認して、やっとリビングへ突入だ。
「おはよう」
「あら、おはよう啓太。今日は随分とのんびりね。朝ごはんはどうする?」
「……おはよう」
入って挨拶をすると母さんと父さんが挨拶を返してくれる。今日もうちの妹さまは既に学校に行かれたようだ。
「ごめん。今日は時間ないしいいや、もう学校行く」
「そう。気をつけてね」
「……頑張れよ」
「うん、じゃあ行ってきます」
手短に朝の会話を済ませて俺は玄関に向かった。
「……」
今日も重はいるのだろうか?
スニーカーを履いて、玄関の扉に手をかけた瞬間にふと考えてしまう。
経緯は分からないが重は昨日俺を助けに来てくれた。にも関わらず、それを俺は蔑ろにして1人逃げ出してしまったのだ。流石に失望されて、愛想をつかされてしまったのではないだろうか? 恩返しをすると決めたのになんて失態だ。
昨日のあの出来事のせいで重に恩返しができなくなったらどうしよう。
途端に不安が襲いかかってくる。扉を押す腕がやけに重く感じてしまう。昨日とは別の意味で恐怖を抱く。
「……はあ、考えて仕方ないな」
しかし、直ぐに息を吐いて嫌な思考を振り払う。
結局のところ今の俺に出来るのは、重に昨日の事を誠心誠意、謝罪をすることだ。そもそも謝罪をさせてもらえるか分からないが、もし謝るチャンスを貰えるのならばそうするしかない。
一思いに扉を押し開ける。
視界が朝陽で白ける。直ぐに目は外の明るさに慣れて明瞭になった。いつも通り門塀を通り抜ける。
いつも通りの光景だ。各々の日常を過ごす通行人たち。本当に何も代わり映えのしない光景だ。だから横目にチラついた鮮やかに光る銀髪に自然と視線は吸い込まれた。
家を出てすぐ横の塀の前。そこが彼女のいつもの立ち位置だ。
「「あっ……」」
同じタイミングで声が出る。
驚いたような、話しかける機会を見誤ったようなバツの悪さを覚える。
正直、今日は居ないと思っていた。
けれど重は当たり前のように俺の家の前にいてくれた。
完全に言葉を見失う。出鼻をくじかれたようだった。無言が気まづくて、視線を明後日の方向に彷徨わせてしまう。
情けないことに俺からこの静寂を切り裂くことはなく。重が先に打って出た。
「お、おはよう!啓太くん!」
「えっ……ああ、おはよう」
普段通りの明るく、元気のある挨拶。それについ気の無い返事をしてしまい。そこで会話は止まってしまう。
あからさまに重は困ったように俺と同様に目を泳がせ始めた。挨拶以上の言葉を用意していなかったのだろう。
俺もまだ完全に目が覚めていないのか、挨拶以上の言葉が出てこない。
「その───」
「そ、それじゃあ私はこれで!」
再び沈黙が訪れ、今度は俺から何か話さなければと焦っていると重は学校の方向とは別の方向へと踵を返す。
「あ───」
咄嗟に重の後を追って、彼女の腕を掴み取る。
重は俺と顔を合わせるのが気まづくて逃げようとしているのだろうが、ここで逃げられるのは不味い。言いづらいことほど素早く、キッパリと勢いよく言ってしまうに限る。こういう事を億劫だと思い続けて、後回しにすると録なもんじゃない。
「あ、あの……」
重は俺に急に腕を掴まれて戸惑っている。
「……悪い。怖がらせるつもりはないんだ。自分勝手な我儘だが、逃げるなら俺の気持ちを聞いてから逃げて欲しい」
「啓太くんの、気持ち……!?」
重は戸惑った表情を途端に林檎のように真赤に染め上げる。
なんだ、熱でもあるのか? 体の不調を感じ取って家に帰ろうとしたのか?
ならば、手短に済ませなければ。
「その……昨日はごめん!!」
「……え?」
変な前置きや無駄な言葉を言わず、俺は素直に昨日の事を重に謝罪する。俺は重の言葉を待たずに続けた。
「昨日、俺が譎に絡まれて困っている所を助けてくれただろ? なのに俺、無責任に1人で逃げ出して……本当にすまなかった!!」
「いや、それは……私が勝手にやったことで…‥逆にお邪魔をしちゃったんじゃ……」
「そんなことない。正直あのタイミングで重が来てくれて滅茶苦茶助かった」
「ほ、ほんと?」
「ああ、本当にありがとう」
こちらの顔色を伺うように心配する重に俺は頷く。重はホッと胸を撫で下ろす。
「正直、今日はいないんじゃないかと思ってた」
「ど、どうして?」
「昨日あんな事があったし。後で昨日の自分のあの行動は最低だと思ったから、重は俺に失望したんじゃないかと思って……」
謝罪ができたことで変に気負っていた心が緩み、自嘲気味に本音を口にしてしまう。
普通の人なら、あんな事があったら愛想の一つや二つは消え失せる。けれど重は当然のように俺の前に現れた。それが不思議でならなかった。
「っ!」
俺の何気ない発言に、重は顔を俯かせてしまう。
何か癇に障るような事を言ってしまっただろうか? そう心配していると重は小さく何かを言った。
「───ない……」
「え?」
「───はず、ない……」
聞き返すがそれでも重の言葉はハッキリと聞こえない。これ以上聞き返すのはなんだか憚られて、どうしたものかと困っていると、重はハッキリと口にした。
「私があんな事で啓太くんの事を嫌いになるはずない!!」
「うぇ!?」
耳を劈くような、良く通る大きくて綺麗な声。俺は急に顔を上げて面と向かって放たれた重の言葉に驚く。
「啓太くんは何も悪くない、悪いのは全部あの女!」
「え、いや、あの……」
「だから啓太くんが申し訳ないとか、変に責任を感じる必要なんてない! 私に謝る必要も無いの!」
何より驚いたのは彼女がこんなに大きな声を出して怒っていることに驚いた。恋慕以外の感情を表に出した重を俺は初めて見た。
「そ、そうか?」
「そうなの!!」
俺の疑問に重は強く言い切る。
そんなことないと思うのだが、当事者の本人がこういっているのだから変にこれ以上口を出すことは出来ない。
「…………あ」
そして重は言いたいことを言い終えて、少しするとみるみるうちに表情を青ざめさせる。一体どうしたというのだろうか?
気になって声をかけようとしたところで重は口を開いた。
「ご、ごめんなさい! 私、啓太くんに怒鳴り散らかして……」
「いや、別に気にして───」
「本当にごめんなさい! 私みたいな女が啓太くんに意見なんかしちゃって! 本当にごめんなさい!!」
「だから全然───」
重は俺の話を全く聞こうとせずに、再び顔を真赤に染め上げると今度こそ学校とは別方向へと走り出してしまう。
「えー……」
瞬く間に重の後ろ姿が見えなくなっていく。
謝ることはできた、そして怒鳴られる覚悟はしていたが、全く別方向からのお怒りを受けるとは予想していなかった俺はこの状況が妙におかしく思えた。
「ははっ。今日は一緒に学校行けないな」
登校中に重に色々と何が好きなのか等の質問をして、コミュニケーションを取ろうと思っていたのに予定が狂わされてしまった。
「ま、いいか」
果たして重はホームルーム前までに学校に来ることが出来るのか不安ではあるが……まあ大丈夫だろう。
俺は1人で学校へと行くことにした。
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