くの一忍法(69点)

 令和4年、5月某日――。


 夜明けが近いはずだが、まだその兆しは見えない人気のない荒野のただ中で、2人の女は、じっと相対していた。


 距離にして5メートル離れ向かいあった、2人の女の間には殺気の豪風が渦巻いている。


 両者とも刃を向けているのでもなく、銃を構え合っているわけでもない。どちらも手ぶら、しかし、この2人はどちらも容易に人を殺せるのだ。


 ひとりは、伊賀のくの一、町山風子といった。


 つばの大きい白の帽子で顔を隠して、白のタイトスカートドレスを優雅に着こなし、


「また投げられるのーっ」

「トメさん、我慢我慢っ」


 と愚痴をこぼす、全く同じ顔の腰が直角に曲がった2人の老婆を後ろに引き連れている。


 もうひとりは、甲賀のくの一、桑田小百合。


 黒いトレンチコート姿、コートの上からでもよくわかる胸の大きなグラマラスな女性は、


「さっさと始めましょうよ、伊賀者」


 しゃべるたびに、熱い果実のような赤い唇をプルリと振動させた。


「念仏唱えな、甲賀者!」


 受けて風子は叫び、老婆たちの首根っこを引っ掴んで上方に次々と投げ飛ばして、お手玉のごとく、落ちてきては再び放り投げてを繰り返す。


「ひゃああああぁぁトメさぁぁん!」

「ひゃああぁぁぁぁ!」


 お手玉される老婆たちの干からびた悲鳴が荒野に響いた。


 小百合は、風子の一挙手一投足を注意深く見つめていたその目が、きゅっと細くなる。


 風子は落ちてくる老婆ひとりの足首をひっしと掴むと、大きく、背中を見せるまで捻りを加え振りかぶって、一気に投げつけた。


「ひゃああぁああぁぁぁぁ!」


 干からびた悲鳴と共に、横にクルクル高速回転して風を斬る音の凄まじく、老婆が旋風のごとく小百合に迫る。


「なにそれ?」


 鼻で笑いながら小百合は難なく側転して避けた。


 風子は間髪入れずお手玉にしている残りの老婆を投げつけようと、振りかぶる。


 しかし、小百合が側転しながらトレンチコートを脱ぎ捨てた事で、風子は攻撃の中断を余儀なくされた。


 小百合のトレンチコートの下は何も着ていなかったのである。


 無論、いきなり裸になったので二の足を踏んだとか、そういう話ではない。


(何が起こってるの!?)


 風子が驚きのあまり飛び退って距離を取る。


 小百合は、裸のまま仁王立ちし薄笑みを浮かべている。


 風子は驚愕し、固まってしまった。


 この時風子は、小百合のたわわな乳房、その頂上にある真っ黒な乳首から目が離せなくなったのである。


「これが私の忍法、黒乳首よ」


 小百合がニヤリと笑う。


「クッ……」


 風子は黒乳首を凝視しながら歯ぎしりした。


 くの一忍法、黒乳首。


 それは目の焦点を乳首へと強制的に固定させ視界の自由を無くしてしまう、なぜか男ではうまくいかない、くの一忍法の1つである。


 ……突然だが、乳首が黒くなる理由を知っているだろうか?


 一説では赤ちゃんがおっぱいを吸うときに、乳首の位置がわかりやすいように乳首は黒くなると言われている。


 赤ちゃんは、並んだ黒いふたつのものを探す傾向があるという研究報告があり、赤ちゃんが人の目をじっと見つめてくるのは乳首だと思っているから、という説もあるくらいだ。


 十中八九、この忍法はこの原理を長きの訓練の果てに増幅させたものである。


 小百合は、左右の目の焦点がそれぞれ、自分の左右の乳首に固定されてしまって、どうにも動きが取れなくなった風子を見て、


「ふふふ、目が使えなくては、本当に、人間何もできないものねっ」


 と微笑みながら、長い髪を束ねていた簪を一本抜きとった。


 その先端は鋭くとがって、蜂の針のようであった。


 風子が激しく頭を振る。


 しかし、何をしても乳首から目を離せられない。無理に離そうとすると、目玉の筋が伸びきって千切れそうになる。


「ぐぅっ……くらえぇ!」


 風子は叫び、お手玉にしている老婆を引っ掴み、大きく背中を見せるまで捻りを加え、一気に、焦点を合わされている乳首目掛け投げつけた。


「ふふふっ」


 小百合は、迫る旋風のごとき老婆を、笑いながらステップで楽々とかわし、瞬時に走り距離を詰める。


 走るごとに大きな乳房は上下左右に揺れ、


「ぐぅわっ!」


 それを見つめる風子の三叉器官はすぐに異常をきたしてしまった。


 風子は、敵が殺しに迫ってくる状況下で目を瞑るしかない。


 それを見た小百合が勝利を確信し、一気に距離を詰める。


 風子が飛び退り距離を開く。


 しかし、目も見えず後退するスピードでは何の意味もなかった。


 しかも視界を奪われた風子は向かってくる小百合を確認できず、横を向いて、大きな隙さえ晒してしまっている。


 あっという間に小百合は、風子の目の前まで迫った。


 右足を強く踏み込み、風子の無防備な喉元へと簪が伸びる。


 目を瞑っている風子は、左を向いたまま動かない。


 簪の鋭い先端が、柔い喉元に突き刺さ――ろうとした、その時、


「ひゃああああぁぁぁぁぁ!」


 干からびた悲鳴が響き渡った。


 続けて、


「がぁああああぁぁぁぁぁ!」


 小百合の悲鳴が響く。


 小百合が左方へと突き飛ばされた。


 体全体に激痛走り、硬直して身動きできなくなったまま10メートルほどの距離を飛ばされ、小百合は、硬い枯れた地面に叩きつけられる。


(……何が……起こったの……?)


 小百合は、痛む体で素早く起き上がり、風子の方へ向き直った。


 と、そこではいつの間にか、悲鳴を上げる老婆をお手玉している風子の姿があった。


(あれは……さっき投げた婆じゃない!?)


 小百合は驚きを隠せない。


「ひゃああああぁぁぁぁぁ!」


 干からびた悲鳴が、小百合の左方から聞こえてきた。


 小百合が驚き振り向く。


 向いたその目に、高速回転する老婆が猛スピードで飛んでくるのが見える。


「くっ!」


 咄嗟に飛び退ろうとしたが、痛む体が言う事を聞かない。


「ぐごぉぉあああぁぁぁぁぁ!」


 猛回転する老婆にぶち当たられ、小百合は弱い独楽が場外へと弾き飛ばされるように天高く舞い、浮遊したのち錐揉みに落下していく。


 小百合を弾き飛ばした老婆は、目を瞑った風子によって、左手一本、受け止められてお手玉に加えられた。


「ああっヨネさぁぁん! 帰ってこれたのぉぉぉ!」

「いつもじゃろぉぉ! トメさぁぁん!」


 と、再会を祝う老婆2人をお手玉しながら、


「あーはっはっはっ!」


 風子は勝ち誇った笑い声をあげた。


「……ああ……ううん……おのれ……」


 髪を止めていた簪もすべて衝撃で外れ、乱れた髪をかき上げながら小百合はよろよろと起き上がった。


「……さすがね」


 風子は笑うのをやめ、


「普通ならば即死か、胴体が真っ二つになっている所。しかし、この忍法ババメランの攻撃に何度も耐えられるかしら?」


「……、ううぅ……」


 苦痛の声を漏らしながら、小百合は風子を鋭く睨みつける。


 くの一忍法、ババメラン。


 老婆の、そのクッションのない尖った骨むき出しの体はさしずめ棘の付いた鉄球。


 風子が全国から選び抜いた空気抵抗の低いボディをした老婆、トメとヨネは、長距離飛行、速度上昇に加え、気圧低下による吸引効果を実現させる。


 そして、なによりも特筆すべきはその腰の曲がった形状である。


 90度曲がったその老婆の体は、風子のトルネード投法により簡単にブーメランと化してしまうのだ。


 爺さんでもうまくいくだろうと、いつもつっこまれる、くの一忍法の1つである。


「私が隙をさらしているとでも思ったの、甲賀者」

「ふふふっ、やるわね……左を向いたまま動かなかったのは、戻ってくるババメランを待ち構えていたってわけね……」

「はははっ、その通りよ」


 風子が目を開く。


「もう避ける事もできない死にぞこないに目を瞑る必要もない! しっかりその乳首を狙って止めを刺してあげる!」


(……ああぁ……なんて事……油断してしまった……)


 小百合は、体がもう立つのがやっとなのを自覚し、覚悟を決めた。


(……一か八かの賭けだけど……)


 小百合が両手で、自分の両乳首を強く摘まむ。


(……うまくいってよっ……)


「さぁ! 死にな!」


 風子がお手玉している老婆の足首を引っ掴み、トルネード投法に入る。


「ぐわあぁぁぁぁぁぁ!」


 小百合は叫びと共に、自分の両乳頭をちぎり取った。


 そして左右に投げ捨てる。


 その瞬間――風子の両眼が、右目は左乳頭を追い、左目は右乳頭を追いかけ、目玉の筋がぶち切れ、


「ぎゃああああああぁぁぁぁぁっ!?」


 老婆が、風子の手を離れドスンッドスンッと枯れた地面に叩きつけられる。


「あああぁぁぁあっ!? 目がああああぁぁ!?」


 血を流す両目を抑え、苦しみもがく風子にトメとヨネは駆け寄った。


「これは退散じゃっトメさんっ」

「そうじゃっヨネさんっ」

「ぐぅっ……甲賀者! 覚えていろぉ!」


 捨て台詞を吐き、老婆に支えられながら風子は逃げ出して行った。


(……なっなんとか、うまくいった……)


 目玉が乳頭を追いかけるかどうかは分かっていなかった。もしかしたら残った乳輪の方を見続ける可能性もあったのだ。


 両乳首から血を流す小百合は、脚にもう力が入らず、その場に倒れてしまう。


 吹きすさぶ風が、逃げる3人のくの一と、横たわる彼女の体を、どちらもいたわるように吹いていた。


 ……こうして、2人のくの一の戦いは引き分けという結果になった。


 しかし彼女らはまだ生きている。


 再び相見える日も必ず来る。


 現在まで続く伊賀忍者と甲賀忍者の争いが終わらぬ限り……。

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