不審者と遭遇(後編)

「なんで兄貴はアンタに合鍵を?」

「さあ。無理矢理押し付けられたから使ってるだけ」

  問いかけると、女は淡々とそう答える。

「おねーさん、お兄ちゃんとどういう……?」

「腐れ縁だよ。もう五年か六年くらいの付き合いになる」

「そんなに前から……? 一度も聞いたことがないけど」

「交友関係を家族に話すような奴じゃないだろ、あいつ」

 妹の問いに、女は随分と知ったような口を叩く。

 五年か六年、それだけの時間関わりがあるというのであればそう違和感はないのだろうけど、何故か妙に癪に触った。

「なんでオレらに嘘を吐いたんだ? ただ兄貴の知り合いで鍵を借りているだけって言えば、それでよかっただろう?」

「それを言って君達は信じたか?」

「……いや」

「だろう。なら別人の部屋だったってことにしたほうがいろんな意味で面倒が少ない」

 飄々と答えた女に怒りがわいてきた。

 なんだってこんな女が兄貴から鍵を預かっているんだろうか。

「それに君らんとこの親御さん、随分と面倒な人なんだろう? だから知らんふりをしてくれるとありがたい、あいつ……君らのお兄さんにも、私にあったことは言わないでおいてほしい。そうすれば誰も不幸にはならない……とはいっても流石に怪しいか……うーん、どうしたものか」

 女は一人で勝手によくわからないことを言って一人で勝手に考え込み始める。

 親? なんでここで親の話が出てくる?

 どういうことかと問いかけようとしたら、目があった。

「あー……あいつ、親兄弟にも自分ちの合鍵渡してないんだろう? それなのに赤の他人のくせにその合鍵を持っている奴がいる、ってことになったら話が拗れるだろ、普通。だから誤魔化したかったんだ。あいつ面倒臭いんだよ、ストレス抱え込むと。絶対私のせいにするだろうから何言われるか……」

「……はあ」

 赤の他人が合鍵持ってるの件はわかるが、あいつ面倒臭いのあたりはよくわからない。

 兄貴はそう簡単に人のせいにするように人じゃないし、なにより『面倒』だと思われるような性格をしていない。

 それでも確かにこの女が兄貴の部屋の鍵を持っていると知ったら父も母も烈火の如く怒り狂いそうだというのはわかる。

「まあいい、もうどうとでもなれ……一つ目の質問はこれでいいか?」

「あ、ああ……それじゃあ二つ目。お前『トヅカ』か?」

「え? なんで知ってんの? あいつが私のことを話すとは……いや、それは絶対ないだろうから……ひょっとしてうちの店のお客さんだったり?」

 店、ってなんの話だろうかと思いつつ答える。

「佐藤汐って、知ってるか?」

「佐藤さんちの汐ちゃんならうちの店の常連だけど……知り合い?」

「同級生。あとこいつの友達」

「ああ……そういう……そういや汐ちゃんってあいつと同じ小学校だったっけ、なら弟くん達もそうってわけね……うーん、でもなんで私のことを十塚だと?」

「この前佐藤が兄貴に『トヅカのおねーさんに首輪をつけたのは貴方ですね』っていってたのを思い出して……あの時の兄貴、だいぶ変だったし……聞いても何も教えてくれなかったし……それであんたが兄貴の関係者なら、そうなんじゃないかと思った……それにそのチョーカー、確かに首輪っぽいし」

 そういうと、女は自分の首にはまっているチョーカーに触れて溜息を吐いた。

「はあ……なるほど……そういや言ってたなそんなこと……」

「それで、その首輪って……」

「お守りって言われて無理矢理つけられた。私からするとただの呪いのアイテムだけど」

「のろい……?」

「あいつ以外は外せない上に、あいつ以外の奴が私に三秒以上触ると触った奴にそこそこ強い電流が流れる仕組みになってんだよ、これ」

「お、おおう?」

「……おかげで体育の時に滅茶苦茶面倒臭いんだよ」

 哀愁漂う顔で女は深々と溜息を吐いた。

「なんで兄貴はそんなものを?」

「不審者対策のおまもりのつもりらしい」

「不審者対策にしては過剰過ぎないか?」

「本人にそう言ってもまだ足りないくらいだって言われた」

「……そうか」

 過剰過ぎるとは思うが、兄貴がやることなので何か理由があるのだろう。

 例えばこの女が不審者に絡まれやすいとか、ものすごく弱くて心配だとか。

「まあいいや。二つ目はこれでいい?」

「……ああ」

「そう。それじゃ……あいつはもうしばらくは帰ってこないと思うから、日か時間を改めてもう一回来るといいよ。……悪いが家主の許可をもらってないんで入れてやることはできない。それは本当に勘弁してほしい、私があいつに怒られる」

「……そうか……なあ、もう二つほど質問してもいいか? 手短に済ませるから」

「えー……別にいいけど」

「じゃあ……今日はなんでここに?」

「今日? 来いって言われたから来ただけ。呼ばれた理由は……ただのパシリ。パシっといて野暮用できたから待ってろって連絡きたのがここに着く少し前の話」

「パシリ……兄貴が?」

「うん」

 あっけらかんと答えた女に首をかしげたくなった。

 兄貴が人のことをパシリにするとは思えない。

 女が嘘を吐いているのだろうかとも思った、というかそっちの方がまだ信じられる。

 実際自分達は先程この女に騙されかけた。

「……それじゃあ、もう一つ……あんたから見て、兄貴ってどんな奴なんだ?」

「え? 横暴なクソが……いや、今のなし。……口うるさい過保護ってことにしとく」

「おい待て、いま人の兄貴を横暴なクソガキとか言いかけてなかったか」

 というか言い直した『口うるさい過保護』も別に褒め言葉でもなんでもないし、ある意味では悪口にも聞こえる。

「気のせいだ。そういうことにしといてくれ……バレたらなに言われるか……げ」

 そう言う女が自分達の後ろを見て心底面倒くさそうな顔をしたので、何事かと思ったら後ろから声が聞こえてきた。

「なにやってるの?」

 振り返ると、兄貴が立っていた。


「兄貴……」

「お、おにーちゃん……」

 振り返って見えた兄の顔は、怒ってもいなかったけど笑ってもいなかった。

 真顔ではないが、それでも何か恐ろしく感じてしまって、咄嗟に声が出なかった。

 それでも何か言わなければと口を開こうとしたら、その前に女が何かを言った。

「――――――――――。―――――――――――――――」

 なんと言ったのか全く聞き取れなかった。

 単純に声が聞こえにくかったとかそういう問題ではない。

 むしろはっきりとどういう音であったのかは聞き取れたのに、その意味が全く理解できなかった。

 困惑していると兄が小さく溜息を吐いた。

「――――――――――――――――――――――?」

 そして、先程女が口にしたものとどこか響きが似た奇妙なことを言った。

 隣で妹がびくりと跳ねる。

「――? ―――――――――――、―――――――――』

「……―――――――――――?」

「――――」

「――――――――――――」

「――、―――……」

 そのまま兄と女は聞き取れるのに全く意味のわからない何かでやりとりを続けている。

「あ、あの……!!」

 意味不明な応酬にとうとう耐えきれなくなったのか妹が声を上げた。

「なに?」

「その……なにを言っているの……?」

「あ。悪い、切り替わってた……ここで鉢合わせたこととか誤魔化しきれなかったこととか話してただけ」

「えっと……暗号かなにかだったの、今の」

「いや、昏夏語」

「昏夏語……?」

 昏夏語、確か千年以上前に滅んだ時代に使われていた言葉、だった気がする。

 とてつもなく難解で複雑な言語だとも聞いたことがある、下手な暗号なんかよりもよほど理解が難しい、とも。

「なんでいきなり昏夏語で話し始めたんだ?」

「そいつとは昏夏語の方が話し慣れてるから、ついうっかり」

「そんな理由で?」

「うん」

「昏夏語って、なんか滅茶苦茶難しいって聞いたことあるんだが」

「別に大したことないぞ?」

 あっけらかんという女の顔を見てから、兄に視線を向ける。

「……大したことなくはないけど、日常会話程度ならなんとかなるよ」

 苦虫を噛み潰したような顔で兄は小さく言った。

「そ、そうなのか……」

 そういうものなのだろうか、でもあの兄があの顔で『日常会話程度なら』と言っているからには本当はやっぱりかなり難しいんじゃないだろうかと思う。

 なんて考えていたら、兄がこちらに視線を合わせてくる。

「それで、二人揃ってどうしたの?」

「その……父さんと母さんが」

 それだけで大体理解したのか、兄は深々と溜息を吐いた。

「……わかった、話は聞こう」

「ありがとう……それと、ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。あの人達の相手は大変だろう?」

 そう言った後、兄貴は女に顔を向けた。

「――、―――――――――」

「――――――――――――?」

「――――――――――――」

「――――、―――――」

「――――――、―――――――」

「――、―――――――――」

 兄と昏夏語で何かを言い合った後、女は小さく手を振る。

「―――――。おっと間違えた、それじゃあ弟くんと妹さん、縁があったらまたいつか」

 そしてそんなことを言ってから、兄の部屋の中に入ってしまった。

 戸が閉まり、少ししてから施錠音が聞こえてきた。

「え?」

「それじゃ、こんなところで立ち話もなんだし、近所の喫茶店にでも行こうか。好きなのを頼んでいいよ」

「え、いや……え?」

「……ああ、彼女はここで留守番だ。野放しにするのは心配だし、お前らも知らない人がいると色々話しにくいだろう?」

「心配、って?」

「……彼女はなんというか、ものすごく間抜けなんだ」

「まぬけ」

 呆れ顔で肩を竦めた兄の顔を見上げると、兄は薄く笑った。

「だからあんまり一人でその辺うろうろして欲しくない……それと今日中に話したいことがあるからここで待っててもらったほうが後が楽なんだ」

「そ、そうか」

 兄貴がそういうのならそうなのだろう。

 なんだか色々納得できないけど、そういうことなら仕方がない。


「ようはあの二人の理想を叶える方が楽か、理想を叶えられずに暴力をふるわれる方が楽か、それだけの話なんだよね」

 俺らの話を聞いた後、ブラックコーヒーを一口飲んでから兄はそう言った。

「どっちが楽か、って言われても……」

 妹が途方に暮れたような顔で兄の顔を見る。

「悪いけど、僕があの二人への対応としてアドバイスできるのは残念ながらこれだけなんだ。僕は幸い……いや、ある意味不幸なことにあの二人の望みを叶えられていたから怒られずには済んでいたってだけだから。あの二人の理想を叶えずに何もされない方法は残念ながら知らないし、見当もつかない。考えるだけ無駄だね」

 兄貴はやけに優しげな声色で、随分とひどいことを言ってきた。

「本当に?」

「残念ながら」

「でも、どっちかなんて……言われても」

「悪いけど、こればかりは僕にはどうにもできない。僕が口を挟んだところであの二人はかえって逆上するだろうし……他人に頼ったところでどうせ揉み消されるだろうから。もしもうちが普通の家だったら、児相なり警察なりに駆け込んだらまだなんとかなったかもしれないけど」

「け、警察……? そんな大仰な話じゃ……」

「それくらい大事にしても誰からも非難されない程度のことはされてるよ、お前達」

「いやでも……」

 確かに殴られるのも怒鳴られるのも辛いがそれでもやっぱりそこまでではないのだと思う。

 だって悪いのは自分達なのだ、才能がないくせに努力できない自分達が。

 頑張っても頑張っても、求められている目標に到達できないのならそれはきっと努力とは呼べないのだろう、最近そう思うようになってきた。

 だから悪いのは自分達、それでもやっぱり辛いのでどうにかできないものかと回避策を探しているのも、きっと本当は悪いことなのだろう。

 多分自分一人なら我慢した、それでも妹が殴られるのは見たくないから、どうにかできるものならそうしたかった。

「普通の親は本当に子供が悪い時にしか手をあげないし、手をあげるときはその子供がよほどのことをしでかした時だけだよ……そういうのが多分、普通なんだ」

「オレ達がその余程悪いことをしているから殴られてるんじゃ」

「悪いことした自覚ある? 誰かに怪我させたとか人のものを壊したとかそういう世間でいうところの犯罪に繋がるようなことをした覚えがある?」

「……ない」

「だからお前達は何も悪くないんだ。……けど、残念ながらうまく助ける方法が思いつかない。何をしたって今よりひどいことになる手しか思いつかない……だから非情だけど、今は耐えるしかないとしか言えない……けどもし……このままじゃ死ぬ、と思ったら全力で逃げて。あれでも自分の親だから流石にそこまではしないと思いたいけど……」

「そうか、わかった……」

「役に立てなくてごめん……」

「いや……話を聞いてくれてありがとう」

「本当に聞くことしかできなくてごめん」

 兄はそう言って表情を暗くさせた。


「ところであの、トヅカさんってお兄ちゃんの彼女さんなの?」

 ある程度話終わり、後は買ってもらったものを食べていたら唐突に妹がそう言った。

「なんで?」

「部屋の合鍵持ってたし……」

「誤魔化してもどうせ無駄だからいうけど、そうだよ」

「…………本当に?」

「本当。……僕に彼女がいるのがそんなに意外?」

「それはそれで意外なんだが……その、なんというかあの女……」

 別に美人でもなんでもなかったし性格も良さそうではなかった。

 第一印象は悪いし、だからこそそんな女がこの兄の恋人の座についていることに違和感しかない。

「……言わんとしていることはわかるよ。あの子、悪い子じゃないし基本的に無害だけど……馬鹿で間抜けで弱っちいくせに危機感のない脳天気だし、自由気ままで自分勝手なところがあるから」

 兄は自分の恋人のことをそんな風に随分とボロクソに評した。

 ほぼ罵倒しか口にしていないのに、それでもその顔はほんの少しだけ楽しげだった。

「そ、そんな人とどうしてお付き合いを……? ひょっとして無理矢理言い寄られたとか……?」

 妹がおそるおそる問いかける、自分も概ね同意見だったが、あの女が果たしてそこまでするだろうか、とも思った。

 なんというかあの人、そういうことにものすごく無頓着そうな人な気がするし、そもそもそこまで言い寄った男のことを聞かれて真っ先に横暴なクソガキとかいう答えが出てくるものだろうか、とも思う。

「……逆だよ、言い寄ったのはこっちの方」

「え」

「そういうの一切興味ない奴だから、無理矢理口説き落とした……というか、一方的にこっちの我儘聞いてもらってるだけ」

 なんでもないことのように兄は言った。

 ひょっとして自分達は今、とんでもない惚気話を聞かされているのだろうか。

「誑かして骨抜きにしてやろうかと思ったこともあるけど、あれは無理だ。今のところはあれが限界……それでもアレが自分の手元にあるならもうそれでいい、今はそれで妥協してる」

「ええ……」

 思わず妹と顔を見合わせる。

 兄がこういうことを言うのも意外でしかないが、そんな兄が無理矢理と言うほど口説いてもあの女が骨抜きにされていないってどういうことだ。

 普通だったら兄が口説くまでもないと思うのだが。

「そんなわけで、今はなんかあったら即座に振られてもおかしくないような状況なんだ。……だから、父さんと母さんには黙っててくれる? あの人達、何するかわからないから」

「……わかった」

 この兄が振られるか? とは思ったけど、あの女の言動を思い返すとわりかしあり得そうな気がしたので、頷いておいた。



――――――――――――――――――

何話してたか


 それでも何か言わなければと口を開こうとしたら、その前に女が何かを言った。

「偶然鉢合わせたんだよ。誤魔化そうとしたけど無理だった」

 なんと言ったのか全く聞き取れなかった。

 単純に声が聞こえにくかったとかそういう問題ではない。

 むしろはっきりとどういう音であったのかは聞き取れたのに、その意味が全く理解できなかった。

 困惑していると兄が小さく溜息を吐いた。

「こいつらがここまで入り込めた原因に心当たりは?」

 そして、先程女が口にしたものとどこか響きが似た奇妙なことを言った。

 隣で妹がびくりと跳ねる。

「さあ? 共通玄関で見かけたけど、別の入り口使ったし」

「……入る前に後ろ確認したか?」

「してない』

「それが原因だこの間抜け女」

「えー、まじか……」

 そのまま兄と女は聞き取れるのに全く意味のわからない何かでやりとりを続けている。


 (略)


 なんて考えていたら、兄がこちらに視線を合わせてくる。

「それで、二人揃ってどうしたの?」

「その……父さんと母さんが」

 それだけで大体理解したのか、兄は深々と溜息を吐いた。

「……わかった、話は聞こう」

「ありがとう……それと、ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。あの人達の相手は大変だろう?」

 そう言った後、兄貴は女に顔を向けた。

「おい、お前は中で待ってろ」

「私が帰った方が良くないか?」

「いいからさっさと入ってろ」

「はいはい、わかったよ」

「すぐ済ませる、勝手に帰るなよ」

「了解、じゃあ待ってるから」

 兄と昏夏語で何かを言い合った後、女は小さく手を振る。

「それじゃあ。おっと間違えた、それじゃあ弟くんと妹さん、縁があったらまたいつか」

 そしてそんなことを言ってから、兄の部屋の中に入ってしまった。

 戸が閉まり、少ししてから施錠音が聞こえてきた。

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