第77話 交換条件
子供たちが隔離されている部屋を目指してから、体感で5日が経った。
依然として目的地へとたどり着く気配はなかった。
進めど進めど、無限に続くかと思える遺跡。1度も行き止まりに当たることなく、延々と二又、三又と無数の分かれ道を選択して進んでいく。
「……」
さすがに、ここまで単調で手応えがないと感覚が狂いそうになってくる。
「この分かれ道はさっきも見なかったか?」「同じ場所をぐるぐると回っているだけでは?」「本当に先に進めているのか?」なんて考えが無意識に浮かんで、その度にそれらを振り払う。
お世辞にも探索は順調とは言えなかった。
未だ全容の見えない階層に辟易とした思いが込み上げてくるが、弱音を吐露していられるほど今の僕たちに余裕はなかった。
───昨日より使い魔に遭遇する回数が増えてる。
今しがた襲いかかってきた黒獅子の使い魔。それらの残骸を見て深く息を吐いた。
時間が経つ毎にこいつらに襲われる回数が増えた。それはこの先に奴らが守るべきものがあるからなのか、それとも本腰を入れて天翼種の少女を奪いに来ているからなのか……。
───分からないけど。こうも戦闘が続くと疲れがたまるな……。
「もう大丈夫だよ、セラちゃん」
「は、はい……」
短刀を鞘に収めて、岩陰に隠れていた少女───セラちゃんを呼ぶ。彼女は額に脂汗を滲ませながらゆっくりと近ずいてきた。
明らかに疲れているのが分かる。実際に戦闘に参加していないとはいえ、こうも襲撃が続けば精神がすり減ってしまう。緊張でずっと気を張っているだけでも相当な労力だ。
「一旦、休憩にしようか」
「ご、ごめんなさい……」
「大丈夫だよ」
このまま探索を続けるのは難しいと判断してその場に座り込む。水筒をセラちゃんに手渡して、無言で体力回復に専念する。
魔物との戦闘だけが疲労の原因では無い。こまめな休息、無理のない範囲での探索は心がけていた。しかし、やはりと言うべきか、まだ体、心と成熟していない子供に大迷宮の探索は苦重すぎた。
十分に休みを取っているつもりでも、無意識に気を張ってしまっているのだ。これがそれなりに探索慣れしている探索者ならば何も問題は無いが、今回はそういう訳では無い。
再三、自分に言い聞かせて、分かっていたつもりではあったけど、やはり子供との探索は難しいと実感させられる。こんな時、ルミネがいてくれればセラちゃんの体力を少しでも良くしてあげられるのに……。
───無いものねだりをしてもダメだ。今できることを全力でやるんだ。
「はぁ……はぁ……」
浅く呼吸をするセラちゃん。それだけで十分に体が休まっていないことが分かる。よくよく見れば顔色も悪い。限界は近いのかもしれない。
───これが最後の1本だ。
カバンから青い液体の入った小瓶を取り出す。それは所謂〈回復ポーション〉だ。これは体の傷を治す他にも体力増強や賦活の効果もある。
ここまで何度かセラちゃんに飲ませて騙し騙しで進んできたが、それももうこの1本を使ってしまえば終わりだ。
これを今、使うということは自分自身が怪我をした時の回復手段が無くなることを意味する。ここでそんな大事な1本の回復ポーションを使っていいか迷いもする。けれど……。
───ずっと辛い思いをさせるのは可哀想だ。
利己的な思考を切り捨てて、僕はセラちゃんにポーションを渡す。
「セラちゃん、これ飲んで。だいぶ体が楽になるよ」
「これ……ポーションですよね。いいんですか?貴重なものなんじゃ……」
「まだストックはあるから気にしないで」
一瞬、セラちゃんは手渡されたポーションを見て本当に飲んでいいのかと迷う。けれど、僕は笑顔を崩さないまま言い切った。
「……ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げてセラちゃんはポーションを飲む。即効性のあるポーションなので、彼女の顔色はみるみると良くなっていった。
これで一先ずは安心だ。
───けど、もうポーションは無い。早く部屋を見つけて地上に戻らないと、次は本当に危ない。
焦りはある。けれどそれを今ここで表に出しては目の前の少女を不安にさせるだけだ。できるだけの虚勢を張る。
決めたではないか、僕はこの少女を助けるのだと。
───1度決めたなら最後まで貫き通せ。
心の内で鼓舞をする。疲れはある。けれど目の前の少女に比べればそれは大したことはない。特段、気にするべきことでもない。まだ頑張りどころですらないのだ。
「ふぅ……」
思考を区切って、水筒を呷る。必要最低限、喉を潤して、辺りの警戒をしていると、セラちゃんは突然立ち上がり始めた。
「……どうしたの?」
「先に……進みましょう」
「まだ休んでても大丈夫だよ?」
「でも……」
先に進もうとする彼女を止めるが、どうにも納得いっていない───と言うより焦っているように見える。
「しっかり休むことも大事だよ。ほら、座って座って」
「でも、私の所為で全然先に進めてません……」
「そんなことないよ。着実に先には進んでるし、目的の部屋もきっとすぐそこにある。だからそんなに焦らなくても大丈夫」
「……」
僕の言葉で何とかセラちゃんは再び座り直してくれるが、その表情は暗い。
なるほど。どうやら彼女なりにこの状況に危機感を感じて、責任を感じているらしい。
相当、彼女も辛いはずなのにまだ誰かの───僕に気を遣って無理をしようとしている。本当に優しい。けれどもう少し自分本位に───自分を大切にするべきだと思う。
何も頑張るだけが良い結果を生むわけではないのだ。
依然として思い詰めた顔の少女を如何にして元気づけるべきか?
決して引き出しの多くない頭でアタリをつけていると、不意に張り巡らせていた【索敵】が反応を示す。
「っ!!」
咄嗟に立ち上がって、腰に帯びた黒の短刀を抜く。それだけでセラちゃんもこれから何が起きるのかを察する。
───さっき倒したばかりなのにもう次の使い魔か……。
あまりにもスパンが短すぎるその接敵に内心で舌を打つ。だが、文句ばかりも言っていられない。
距離はまだある。少し集中すれば敵の細かい数を把握することが出来た。
「……一つ?それにこの反応は……」
その総数はたったの1体。それもかなり小さい個体のようで、いつもの使い魔の反応とは全く違った。
妙な違和感に警戒心は強くなる。セラちゃんは既に陰に隠れている。ようやく一息ついたところなのに、これでは休憩をした意味が無い。
───来るっ!
数分と経たずにその使い魔は姿を見せた。
暗闇の先から現れたのは1匹の蝙蝠のようなモンスターだ。
大きさは無い。本当にごく一般的な蝙蝠の大きさと同じだ。その腹の部分には龍の模様があるので、あの男の使い魔なのは間違いない。
しかし、今までと比較すれば、そのモンスターはあまりにも見劣りし、こちらを襲ってくる気配が微塵もなかった。
「……は?」
思わず気の抜けた声が出てしまう。即座に気を張って出方を伺うが、やはりそのモンスターはパタパタと宙を飛んでいるだけだ。
───このモンスターはなんだ?油断をさせて虚を衝くつもりか?
いくつもの可能性を巡らせて、どうするべきかを考える。初めて見るモンスター故に無闇に攻撃はできない。けれどこのまま何もしない訳にもいかない。
不思議な静寂が訪れる。
そんな静寂を先に破ったのは蝙蝠のようなモンスター。そのモンスターは突然喋りだしたのだ。
『あーあー……聞こえてますか?』
「なっ……しゃべ……!?」
予想だにしないモンスターの行動に驚く。モンスターが人の言葉を介すなど聞いたことがない。けれどそのモンスターは確かに言葉を話していた。
「お、どうやらちゃんと繋がったみたいですね。いやーよかったです」
妙にあっけらかんとしたモンスターの声。その声は聞き覚えがあって、何処で聞いたのかと少し考える。
そして、直ぐにその答えは出た。
「どうも、20階層ぶりですね、
「お前はっ……!!」
そのモンスターの口から聞こえる声は、あの気持ちの悪い笑みを貼り付けた小太りの男とぴったりと一致する。
全身の毛がよだち、怒りが込み上げてくる。どういう原理でモンスターから男の声が聞こえているのかは分からない。けれどそんなことがどうでもいいくらいに僕は男に嫌悪していた。
「まさか、貴方がこんなところまで来ているとは思いませんでした。確実にあの階層で殺したと思ったのですが……意外とお強いんですね」
ケラケラと楽しそうな声がモンスターの口から聞こえてくる。
僕は男の言葉を無視して質問をした。
「他の子供たちはどこにいる!お前の目的はなんなんだ!!」
「知りたいですか?知りたいですよねぇ〜。心中お察ししますよ。色々と混乱していることでしょう。でもタダで教える訳にはいきません。そうですねぇ……そこの天翼種の少女を返してくれるならお教えしてもいいですよ?」
「っ……ふざけるな!」
「ふざけてるつもりは無いんですけどねぇ〜」
心底、残念そうな男の声が僕の怒りをさらに加速させる。おちょくるような態度が、主導権を握られているのが気に入らない。
「それじゃあこういうのはどうですか?その少女を返さなければ、攫った子供たちを今から1人ずつ殺していく……っていうのは?」
「お前っ……!!」
「あはは!やっぱり、バカにはこの脅し文句が一番効果的ですね。さてどうします?その少女を返してくれる気になりましたか?」
「っ……!!」
言葉に詰まる。その交換条件にも聞こえる男の提案は、僕にとっては何も交換になっていない。
───ほかの子供たちを助けたかったらセラちゃんを返せ? ふざけるな! そんなことできるはずないだろ。
いや、男はそれが分かっているから敢えてこの条件を突きつけたのだ。他の子供たちを人質にして。
───どうすればいい? この場合の最善択はなんだ?
思考を巡らせる。どちらも助けられる方法を模索する。けれど、何も考えは浮かばない。
「あのー、何か言ってもらってもいいですか?このまま何も言わないならとりあえず2、3人殺しますけど?」
「くっ……」
見え透いた挑発。だが何も言葉は出てこない。このままでは本当に近くにいる子供が殺されてしまうかもしれない。
何も決められずに時間が過ぎていく。無数に思考が錯綜して、さらに判断を鈍らせていく。混乱した思考を晴らしたのは、背後から聞こえてきた少女の声だった。
「私がそこに行けば他の子達は助かるんですか?」
「ええ、そうですよ。貴方が私の元に戻ってくるなら他の子供は解放しましょう」
誰かなんて考えるまでもなくその声の主はセラちゃんだ。そして彼女は男の返答を聞き終えると言葉を続けた。
「分かりました。戻ります」
「セラちゃん、何を言って……そんなのダメだ!!」
「……」
怒鳴りを上げて待ったをかけるが僕の前へとたった少女は聞こうとしない。
「妙に聞き分けがいいですね。言っときますけど、ハッピーエンドなんて有り得ませんよ?」
「私一人の命で他の人が助かるならいいです」
「セラちゃんッ!!」
僕を除いて話は勝手に進んでいく。
覚悟ができたと言わんばかりに、彼女の瞳は真っ直ぐにモンスターを射抜いていた。
「殊勝な心がけですね…………ついてきなさい」
「はい」
そして、モンスターは徐に少女を誘う。少女も迷うことなくその足を前に進めた。
「ごめんなさい、お兄さん」
振り返ってそう謝る彼女の顔はとても幼い子供がするようなものではなかった。
「っ………」
僕は何も言えず、引き止めることも出来ず、けれどその小さな背中を見送ることも出来ずに、ただ後を追う事しかできなかった。
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