第11話 英雄



 赤い髪の天使は、理解出来なかった。



 自分はいつだって強者だった。誰にも負けるはずがないと信じていた。事実、彼女は産まれてこの方、敗北したことがなく何人もの人間を殺してきた。男。女。子供。老人。更にはこの赤い髪を笑った同族の天使。


 そんな力を持った彼女はそれでも満足することはなく、3体もの天使を支配下において自分の魔界を強化した。もう誰も自分に逆らえない。このままいずれの天使になって、全ての天使を支配下におく。この世界を支配する。


 そう信じていたからこそ、昨日のあの敗北が許せなかった。あの時は万全ではなかったとしても、人間ごときに不覚をとったなんて許せることではない。



 ──絶対に、殺してやる。



 白い髪の女と甲冑の男が、まだ手の内を隠しているのは分かっていた。しかしそれでも、自分の方が上だ。どんな力を隠していようと、万全の自分が負けている姿は想像できない。


 現に一般人とは比較にならない力を持った受験者の人間たちを、彼女は一瞬で皆殺しにした。例えここに来ていたのが騎士団から派遣された正規の討伐隊であったとしても、彼女は簡単にそれを撃退できただろう。彼女には自負に相応しいだけの、力があった。



 でも、だからこそ、彼女には理解できなかった。



「我が力をかこに」


 万全の魔界を発動した。これでどんな生命体も、まともに歩くことすらできなくなる。五感全ての機能の停滞。肉体能力の停滞。思考の停滞。それは昨日見せた魔界の数十倍の威力。



 今この場は、彼女が支配する彼女の世界。



 ……その、筈なのに。



「な、何なんだよ! 何なんだよ! お前は……!!!」


 天使が叫ぶ。身体が震える。最強のはずの魔界。かよわい人間は、指先一つ動かせなくなるほどの力。なのに、気づけば天使の首が飛んでいた。自分の支配下に置いていた天使。天使の中では決して強い方ではないが、それでもこの魔界の中で、たかだか人間に、それもたった一撃で殺されるほど弱いわけではない。



「──来い。私が全員、相手をしてやる」



 静かに告げられた言葉。相手を威圧する訳でも、馬鹿にする訳でもない。ただ静かに事実だけを述べるような、そんな言葉。


「……っ!」


 天使の身体が震える。理解できない。一瞬、湧きあがった感情は、最強である自分の中にはあってはならないもの。だから天使は叫ぶ。


「お前たち、何をしてる! さっさとあの生意気な人間を殺せ!」


 2体の天使がグレイに迫る。魔界の影響を受けないその2体の速度は、あらゆる機能が低下しているノアたちにとって、普段の何十倍も速く見える。



 でも──。



「──はっ!」


 グレイが大剣を振るう。それは速いとか遅いとか、そういう次元じゃない。ただそうあるべくして、振るわれる剣。今までグレイが見せていた重い怨念がこもった太刀筋とは違う、剣術の極地。英雄の魔剣。


 2体の天使が瞬く間に散りとなる。


「何なんだよ……。あり得る訳がない……。そうだ、あり得ない! あたしは最強なんだ! どんな人間も天使だって! この世界は、あたしを楽しませる為のおもちゃでしかないんだ! 人間ごときが、あたしに歯向かっていい訳がない!」


「どうした? 逃げるのか?」


「────」


 天使は、知らず後退していた自分に気がつく。……そんなこと、あってはならない。たかだか1人の人間に……いや、相手が誰であったとしても、この自分が恐怖するなんてそんなこと、あっていい筈がない。


「殺してやる! 殺してやる! 殺してやる……!」


 天使の目が真っ赤に染まる。魔界の強度が更に上がる。もうロウやユズは、立っていることすらできない。意識すら曖昧で、今この場で何が起こっているのか理解できなくなる。



 しかし、英雄は揺るがない。



「──我が祈りをけんに」



 グレイが祈りを捧げる。他の人間とは違い、祈りを捧げてもグレイに変化は見られない。……しかし、まとう空気が違う。甲冑の奥に見える瞳の色が変わる。



 ……ああ、とそれで天使は理解した。



 自分は、この世界を統べる存在だと思っていた。誰も自分には勝てないのだと、そう信じて疑ったことはなかった。……けれど、違った。


 圧倒的な個は種族を超越する。才能とか力の強弱とかそんな些細なことではなく、魔界の強度とか魔剣の深度とかそんなものも関係ない。


 ただ、世界を統べようしていた天使が、世界の規格に収まらない英雄に勝てる道理がない。


「終わりだ」


 グレイが剣を振り上げる。天使も負けじと鎌を振り上げる。鎌と剣がぶつかる。……そう思ったのに、気づけば自分の両腕がなく、身体が散りへと変わっていく。


「……斬り合う……ことすら、できないのか……化け物め」


「…………」


 グレイはなにも答えない。ただ静かに、剣についた血を払う。


「はっ、は……。その……余裕そうな、態度。……気に入らない。……気に、食わない……。ゆる、せない……」


 けれど、美しいと思ってしまった。怖いと思ってしまった。その時点で既に勝敗は決していたのだろう。


「眠れ、天使」


 グレイは少しの情け容赦もなく、散りへと変わっていく天使に剣を振るう。それで天使は散りも残らない、完全な無へと還る。


 辺りを覆っていた魔界が途切れる。周囲の霧はまるでグレイを恐れるかのように晴れていき、陽の光が黒い甲冑を照らす。


「…………」


「…………」


 ユズとロウは魔界の影響で、既に意識はない。しかし2人とも命に別状がないのを、グレイは一瞬で見抜く。


「……貴方、何者なの?」


 問いかけるノア。その声は少しだけ震えている。


「今の私は何者でもない。ただの……グレイだ」


 答える言葉は、それ以上の追求を拒絶していた。いくら傲慢なノアであったとしても、今のグレイに突っかかることはできない。


「…………」


 グレイは無から生まれたように空から落ちてくる、4枚の小さな翼を掴む。それが天使を倒した証。天翼てんよくと呼ばれる、白い小さな翼。


「帰るぞ」


 意識のないユズとロウを軽々と抱え、歩き出すグレイ。ノアは一瞬、そんなグレイに何か言おうとするが、言葉を飲み込み、別の言葉を告げる。


「怒るなんて意外だった。貴方はもっと、血も涙もない男なんだと思ってた」


「……人が死んだら、悲しいのは当然のことだろう」


「────」


 当たり前の言葉に、どうしてかノアの顔が熱くなる。グレイはそんなノアに気がつくことなく、淡々と歩き続ける。



 そうして、最終試験は終わりを告げた。


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