3 聖女と聖結界

「えーっと、クロード。この馬車は?」


「私物です。いずれこうなる可能性を考えて用意しておきました」


 王都の結界の端にある馬小屋にてクロードは私の問いに、爽やかな笑顔でそう答えた。


 私の執事、有能過ぎませんか?

 ……まあ有能なのは知ってたけど。


 うん、クロードは本当に優秀だと思う。

 こんな風に準備は良いし、結構頻繁に作ってくれたお菓子も美味しいし、頭も良いし。

 それに――


「さあお嬢。これから俺達は先程説明した通り、移民の受け入れが盛んな北の貿易国、クロウフィール王国へ向かう訳ですが、道中は魔物が出現するでしょう。露払いは俺がやるんで、魔物が出てきてもお嬢は不用意に飛び出さないようにしてくださいね!」


 ――クロードは滅茶苦茶強いんだ。

 王国に仕える執事は緊急時に主を守れるように各種剣術や体術、魔術などの修練を積んでいるらしいのだけど、クロードはそれらを極めていると言ってもいいと思う。

 ……とはいえ。


「いや、私もやれる事はやるよ。ほら、私は聖魔術が使えるからさ。もう都市全体に結界張らなくてもいいから、多分私も色々と手伝えるよ」


 多分今の私なら、そんな凄いクロードの手伝いをする事位はできる筈だ。

 それができるならそうしたい。

 頼りっぱなしなのは……うん、やっぱり悪いし。


「なるほど確かに今のお嬢なら……それは頼もしいですね。ええ、本当に頼もしい。やっぱりお嬢は無能なんかじゃないんだ!」


「あはは、ありがと」


 私にも何かできるって事に、私以上に喜んでくれるのは本当に嬉しい。

 ……クロードといると、削られた自尊心が戻ってくるような。

 私は別にどうしようもなく駄目な奴なんかじゃないんだって。

 そう思えるから……本当に救われてる。


 そして私にそう思わせてくれたクロードだが、それでも一拍空けて言う。


「でも駄目です」


「えーなんで?」


「怪我するかもしれないでしょう。女の子なんだから、もっと自分の体を大事にしてください」


 私の身を案じるような事を、真剣な表情で。


「あ、うん……ありがと」


「本当に、お嬢はこれからもっと自分を大事にしてくださいよ。これまでずっと聖女として頑張ってきたお嬢の体は、外からじゃ分からなくても、結構ボロボロな筈なんだから」


「……うん、じゃあお言葉に甘える」


 そこまで具体的に心配されれば、流石にまだ頑張るとは言いにくい。

 実際、事実だ。

 四六時中結界を維持し、なおかつやるべき事はそれだけではない。

 そんな生活の中で実際自分の体には大きな負担が掛かっていたのは間違いない。


 実際、私が聖女の適性があるとして、新しい聖女として任命されてから……頻繁に体を壊したしね。

 治るのも凄く遅かった。


 ……あえて誰も追及しないけど、聖女はとても短命らしいんだけど、それを普段から肌で感じてた。


「ええ、甘えてください」


 そう言ってクロードは笑った後、少し重い表情で言う。


「しかし今改めて考えると……あまり聞こえの良い話ではないですが、お嬢は聖女の任を解かれてよかったのかもしれませんね。国は聖女によって守られる。だけど聖女は聖女である事で自身に害が及ぶ。特にお嬢に対するぞんざいな扱いを考えると、聖女である事が百害有って一利ない」


「まあ確かにそうかも」


 心身ともに辛かったのは間違いなかったから。


「でもこの国の聖女になってほんの少し位は良い事もあったよ」


「良い事? ありましたか?」


「平民として独り暮らししてた時よりも、ある程度は金銭的に楽な生活ができてたし、それに……」


 言おうとして少し恥ずかしくなって妙な間が空いてしまったが、それでも此処まで来たら引き返せないから、視線を逸らしながら言う。


「クロードにも……出会えたし」


「そ、そうですか……」


「……」


「……」


 お互い黙り込む。

 この無言の時間が、より恥ずかしさを加速させ心拍数を上げてくる。

 うん、やばい……すっごい恥ずかしい。


 それでも、それだけは本当に良かった事なんだって。

 私なんかにこうして付いてきてくれるクロードと仲良くなれた事だけは本当に良かった事なんだって。


 嘘偽りなくそう思う。


「さ、さあ、そろそろ行きましょうお嬢。忘れ物は無いですね」


「う、うん、大丈夫。クロードは?」


「俺も大丈夫です。ちゃんと念入りに準備しましたからね、万が一にも戻ってくる事が無いように」


「うん……私も」


 まあそもそもあまり何も持ってきていないし、仮に私が何か忘れ物をしても既に取りに戻る事は出来ないんだけど。

 国外追放された人間が許可なく戻ってくればそれは犯罪だし。

 具体的な罪状は覚えていないけど……今度はこの国から出られなくなる。

 檻の中だ。

 それは絶対に嫌だよ。


 だから……大丈夫。ちゃんと戻ってこなくても大丈夫な準備はしてある。


「じゃあお互い準備完了という訳で。さ、お嬢。乗ってください」


「うん、分かった」


 そして私達は馬車に乗り込み……動き出す。

 この国の外へ向かって。

 私がまだ現在進行形で張っている聖結界の外へ向かって。


「もうじき聖結界の範囲内を抜けますね……本当に今までお疲れ様でした」


「うん、ありがと。そう言って貰えるだけで嬉しい」


「いくらでも言いますよ。本当にあなたは頑張っていた」


 と、そうこう話をしている内に、馬車が聖結界の外へと出た。

 その瞬間、私が維持していた聖結界が掻き消える。


 聖結界を維持するにはその範囲内に聖女が居る必要がある。

 だから私が外に出れば何もしなくても勝手に消えるんだ。


 そして結界と一緒に消えたのは……ずっと体に纏わりついていた倦怠感。


「……体が軽い」


「それだけ重たい物を背負っていたんですよ。ちゃんとお嬢は背負っていたんです」


「……うん」


 と、その時だった。

 馬車の背後に、新しい聖結界が張られた事が分かった。

 私の聖結界が消えるのを待ちながら準備していたのだろう。


 そうして張られた聖結界がとても強力な物だという事は、離れながらでも分かった。

 ……どうやら国王様の言った通り、新しい聖女は私よりも優秀らしい。

 悔しいけど。



 ……いや、ちょっと待って。



「……ッ」


「どうしました?」


 私が声にならないような声を上げた事に反応してクロードがそう聞いて来る。

 どうしたのか。

 それにうまく答えられる自信は無かったけど、とりあえず感じた事をそのまま口にした。


「あの聖結界……とても嫌な感じがする」


「嫌な感じ……ですか」


「うん……ごめん、本当にうまく言葉にできないんだけど。とにかく嫌な感じ」


 これはあの新しい聖女を見た時にほど近い感覚。

 否、それ以上に生々しく。

 これだけは駄目だという酷く重い嫌悪感が、あの結界からは感じられる。


「……不快に感じるなら早く遠ざかりましょう」


「うん、お願い」


 それも馬車が進み遠ざかると少しずつ薄れていく。

 だけど嫌悪感が薄れても、その疑問は強く残る。


 一体あの聖女は何者なのか。


 だけどその疑問を解決する方法はないし、その事を考えるのは後ろを向くことで。

 今は前を向いていかないといけない。


 クロードと一緒に、前を向いて進んでいくんだ。


 ……だから、ひとまずは忘れる事にした。


 例えその答えがなんであろうと、私にはもう関係の無い話なんだから。

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