行こうイカロス、その翼の望むままに

きょうじゅ

忌子

 文明から隔絶された密林の奥深く、僅かに開けた平地にいつからともなく営まれるその人口五百ばかりの名も無きむらは、彼ら自身が‟神冠かんむる”と呼ぶ存在によって統べられていた。


 神冠はひとではない。かといって、エルフにも似ていない。また私が知る限り、この地にしか存在しない。何に似ているかといえば、人に翼を持たせたような姿をしている。神冠には手が無く、両肩からは翼が生えている。足に指はなく、蹴爪がある。しかし、それ以外の部位は人とほとんど変わらないため、飛行することはできない。神冠の子は邑の中心にある社の中で大切に養育されるため、翼を利用した滑空が可能であるかどうかなどといったことは分からない。


 おっと、自己紹介が遅れた。私の名は、虜迅ルゥ・ツィン。エルフ族の出身で、人類学者をやっている。エルフがどんな種族であるかなんてことは説明するまでもないと思うが、人類学者というのは、ごく最近になって帝国首府の大学に初めて研究所が拓かれた学問で、少数民族の調査や研究を旨とする。


 さて、私のことなどはいい。神冠だ。彼らの繁殖方法は、これは私が名付けたのだが、摂食交配とでも呼ぶべきものだ。彼らの種族には雌性体しか存在しないらしい。彼らは卵生なのだが、産まれてきた子は一定段階まで成長すると、‟親を捕食する”。これによって、彼らは次の有精卵を出産することができるようになる。産むことのできる卵の数は、生涯に一つだけだそうだ。よく、そんな危なっかしい種族が絶えることなく血脈を継いでいるものだとは思うが、少なくとも彼らの伝承を信じる限りではそういうことになっている。


 私がこの邑にやってきたとき、先代の神冠は既に世を去っており、今代の神冠が出産の日を待っているところだった。今代の神冠は黒い髪に黒い羽根、彼らに聞こえたらまずいかもしれないので絶対に口にはしないが、鳥であるという前提に立つのであれば鴉に似ていると言えなくもない姿をしている。


 その後卵は既に無事に生まれて、日々今代がその身をもって温めていたのだそうだが、おそらく今日、今夜中に誕生を迎えるそうで、私もその場に立ち会わせてもらえることになった。この邑のひとびとは、私を歓迎してはくれるし気前もいい。まあ、私の私物を無断で持っていく輩が多いのには閉口するのだが、そういう文化の違いというものについて研究するために私たちがいるようなものであるから、やむを得ない。


 さて、そうしたわけで社の一番広い間の中央にしつらえられた祭壇のようなものの上に卵が鎮座しているのだが、それがどうやら、ようやく少しずつ動き始めたようだ。内側から、殻を割る動きが見て取れる。


 しかし。邑の者たち、特に老人たちが、怪訝な顔をし始めた。聞いてみると、彼らが知っているいつもの‟降誕”と、何か様子が違うらしい。私は初めてこの場に臨むので、何がどう違うのかなんてことは分からないが。


 ……と思っていたのは割と最初のうちだけで、私にも異変が分かったのは、殻がだいぶ割れて中身が見え始めたときのことだった。


 頭が二つある。


 当代の神冠には、当然ながら頭は一つしかない。卵の中に頭が二つあるなら、つまりこの卵は双子を孕んでいたのだろう。私にはそれが分かった。しかし、そう言ってみたところ、神冠が双子で生まれて来た前例というのは、伝わっていないようだ。そんなことが起こるはずはない、これは何かの間違いだ、という。


 よりはっきりと事情が分かり始めたのは、殻の頭の部分がほとんど開いた頃である。片方の頭は白く、もう片方は黒かった。白い子の方が白変種か何かなんだろうと私は早合点したがそうではなかった。神冠は、一代おきに白と黒、交互に誕生するのが正しいらしい。つまり、白い子の方が期待された通りに生まれた個体で、黒い子の方がむしろそうではない、という。


 やがて、卵が完全に割れ、小さな赤ん坊がふたり、ぽてり、と転がった。


「余所者を邑に入れたからこんな禍事まがごとが起こったのだ」


 と、誰かが言うのが聞こえた。

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