僕の人生とチキン

月之影心

僕の人生とチキン

「「「せんせいさようならっ!みなさんさようならっ!」」」


「はいさようなら。気を付けて帰るんだぞ。」


「「「はぁ~い!」」」




 校庭が落ちて来た陽でオレンジ色に染められる中、帰りの学級会を終えた小学生が一斉に校舎を飛び出して家へと帰って行く。

 カラフルなランドセルに黄色い帽子を被った子供たちを先生が見送っている。




「先生さようなら。」


「おぅ、さようなら。日下部くさかべ、寄り道せずに帰れよ。」


「はい。」




 出来るだけ自然に、いつもと変わらない挨拶が出来たと思うが、担任の古畑こばた先生が『寄り道するな』と言った事で(まさかバレてる?)と思って少し顔を強張らせてしまった。

 だが先生は次々に出て来る他の生徒を見送って忙しそうだったのでバレてはいないだろう。




 そう。

 僕はこれから『フリョー』の仲間入りをする為にある場所へ行かなければならない。


 校門を出て真っ直ぐ歩き、家のある右の方へと曲がったら大通りを渡って行く。

 このまま真っ直ぐ進めば家の方だが、今日はこれを左へ進む。

 緩く左へカーブする道を歩けば、目的の場所の看板が見えて来る。


 青い看板に白い文字で名前が書かれてあるの駐車場を通り、真っ直ぐ入口へと向かう。

 扉の場所を見付けて近付いて行くにつれ、僕の心臓は早鐘のように鳴った。

 周囲に目を配るが、学校から離れている事もあって知った顔は無い。


 扉の前に立つとガラスの自動ドアが左右に割れて開く。




「いらっしゃいませぇ!」




 店内から元気な女の人の声が聞こえてくる。

 僕は真っ直ぐにレジへと向かいながら、カウンターの上に置かれたガラスケースを横目に見た。

 レジの前に立った僕は、ポケットから財布を取り出す。




「あ、あのっ!えるちきひとつくださいっ!」




 妙に喉に力が入ってしまったようで自分でも変な声が出たと思ったが、カウンターの中のお姉さんは笑顔で、




「Lチキお一つですね!少々お待ちください!」




 と言って保温器の裏へ行って扉を開け、紙の袋に手際よくLチキを入れた。

 だが僕にとってはそれがとてつもなく煩わしい時間に感じていた。

 (早く!急いでくれ!)と頭の中で何度も呟いた。




「お待たせしましたぁ!130円になります!」




 お姉さんは満面の笑顔で僕に金額を提示する。

 僕は財布の中から150円を取り出してお姉さんに渡そうとした時だった。

 僕の買おうとしたLチキのすぐ横に、ペットボトルのコーヒーを親指と人差し指で持ち、薬指と小指に千円札を挟んだ手が割り込んで来た。




「これも一緒に。」




 僕は驚いてその手の繋がっている上の方へと視線を上げた。




「げ……」


「”げ”とは失礼ね。古畑先生に言っちゃうぞ?」




 見上げた先に居たのは、4年生の時の担任だった戸山とやま先生だった。

 戸山先生は大学を卒業して3年目にうちの小学校に赴任してきた若い女の先生で、子供ながらに(綺麗な人だなぁ)と思うくらいの美人。

 本人は自然な振る舞いかもしれないけど、板書する姿も、席の間を歩く姿も、何もかもが美しく、そしてカッコ良かった。

 実際、口には出さないけど戸山先生が好きだという同級生も何人か居た筈だ。




「うぇっ!?そ、それは許してください……」


「うちの校則じゃあ寄り道しちゃいけないんだったよね?」


「うっ……は、はい……」


「ま、取り敢えず先にお金払って出ようか。」


「は……い……」




 僕はお釣りを受け取った戸山先生の後に続いて店を出た。

 (怒られる……)という予想で僕の膝は震えていた。

 店を出た戸山先生は外に置かれた灰皿の方へ行って煙草を吸い出した。

 僕は両手でLチキを持ったまま戸山先生の横に立っていた。




「それ、美味しいの?」


「え?あ……はい……美味しいです……」


「じゃあ冷めない内に食べなよ。」




 戸山先生から出たのは叱責でも説教でもなく、『そういうのって冷めると美味しくなくなっちゃうでしょ?』という意外な言葉だった。

 呆気にとられつつ、そう言えばお金は先生が払ってくれたんだった……と思い起こし、ポケットに戻していた財布からお金を出した。




「今日だけ特別。先生がご馳走してあげるよ。」


「えっ?で、でも……」


「”先生が奢ってくれるって言ったから着いて行った”って事にすれば寄り道じゃなくなるからさ。」




 どこまでカッコイイんだこの先生は。

 僕は改めて戸山先生に惚れそうになっていた。




「その代わり、もう二度と寄り道しないって約束しなさい。中には変なのもあるけど、校則っていうのは基本的に生徒を守る為にあるの。校則破って痛い目に遭っても先生は守ってあげられなくなっちゃうよ?嫌でしょ?だったらもう校則は破らないって約束出来るね?」




 多分、何となくだけど、これを言ったのが担任の古畑先生だったら素直に聞いていなかったかもしれない。

 戸山先生が真剣な顔で僕の目をじっと見詰めながら言ったから、僕は素直に謝ったんだと思う。




「ごめんなさい……もう寄り道はしません……」


「よし。日下部君は素直でいい子だ。1年だけでも君の担任が出来て先生は誇りに思うよ。」




 そう言って煙草を灰皿に押し付けて消すと、『気を付けて帰るんだよ。』と言って僕の前から颯爽と立ち去って行った。

 僕は食べ終わったLチキの紙袋を手の中でくしゃっと潰すと、晴れ晴れとした気持ちで家へと向かった。




(フリョーになるのは止めておこう。)




 そう思いながら。




◇◇◇◇◇




『優秀賞 A中学校 日下部しゅん殿 貴方は……』




 中学生になった僕は外国語に興味を持ち、英語の面白さをもっと知って貰いたいと一生懸命勉強していた。

 そんな折、英語の教師から『英語スピーチコンテストに出てみないか?』と勧められて二つ返事で参加を決めた。

 だが英語圏に住んだ事はおろか行った事も無いようなただの中学生がコンテストで上位に入れるなんて甘い世界じゃなく、初参加の僕はただ参加しただけで終わっていた。


 それでも僕は諦めずに勉強を重ねた。

 さすがに留学したいと親に言った時はあっさり反対されて叶わなかったが、2年の時に赴任して来たイギリス人のチャールズ・ライトという先生に頼み込んでレッスンを受け、3年生の春のコンテストで優秀賞を貰う事が出来た。




「シュンの英語はとても優しい。聴いていて心地良さすら感じる。難しい内容もまるでポエムを囁いてくれているようだ。」




 ライト先生は僕の発音をそう評した。




「やったね!舜くん!」




 ライト先生と同様に僕の受賞を喜んでくれたのは、実家の2軒隣りに住む幼馴染の瀬戸口せとぐちりんだ。

 表彰式を終えて会場から家に向かって歩いていると、後ろから走って来て声を掛けてくれた。




「おぅ。やってやったぜ。」


「凄いよねぇ。舜くんが舞台の上で英語ペラペラ喋るんだから。」


「どういう意味だコラ。」




 確かに僕の成績は英語だけ突出して良いだけで、他の教科は極々平均的な成績。

 英語の無かった小学生の頃も知っている凛からすれば、僕が英語を話す姿は違和感しか無かっただろう。




「悪い意味じゃないよ。純粋に凄いなぁって思ったもん。」


「悪い意味にしか聞こえなかったけどな。」


「まぁまぁいいじゃないの。私も幼馴染が英語ペラペラなんて鼻が高いわ。」


「ほ、褒めたって何も無いぞ……」




 幼い頃からよく一緒に遊んでいた凛に、僕は仄かな恋心を抱いていた。

 何かあったわけではない。

 気が付けば(凛のこと好きかも……)みたいな感情が生まれていて、感情の昂ぶりが酷い時は凛の事を考えて眠れない日もあったくらいだ。


 しかし中学生と言えば思春期真っ只中。

 素直に『好きだ』とも言えず、妄想の中でポジティブとネガティブが入れ替わるだけの単なる『恋心』。

 (気持ちを伝えてこの関係が壊れたらどうしよう……)と怯え、(壊したくないからこのままで……)と、一歩も前に進ませようとしないまま、『近所の幼馴染』として仲良くつるんでいるだけだった。




「よぉし!舜くんのお祝いしなきゃだね!何か欲しいものとかある?」


「お?祝ってくれるのか?欲しいものかぁ……何だろなぁ……」


「あんまり高い物はやめてね。そんなにお小遣いいっぱい貰ってるわけじゃないんだから。」


「分かってるって。」




 僕は凛と並んで歩きながら、ふと前方にあった青地に白い文字の看板に目が留まった。




「あそこ行こう。」


「あそこって……コンビニ?何か買うの?」


「お祝いしてくれるんだろ?」


「え?コンビニで?」




 凛は大きな二重の目を見開いて俺の顔を見上げ、驚いたような口調で言ったが、僕はそのままコンビニの駐車場を横切って入口へと向かった。




「ぃらっしゃぃぁせぇ~」




 ヤル気があるんだか無いんだか分からないような口調の店員が挨拶をしていた。

 僕はカウンター沿いに進みながらガラスケースの中をちらっと見ると、後ろを振り返って凛に言った。




「Lチキ買ってくれ。」


「え?そ、そりゃ構わないけど……何でまた突然?」


「お祝いしてくれるって言ったじゃん。」


「ぅぇっ!?お祝いがLチキ?そんなのでいいの?いくら高い物止めてって言ってもさすがにそれは安すぎない?もう少し高くても大丈夫だよ?」


「値段じゃなくて。僕は今すぐLチキが食べたくなった。それを今すぐ叶えてくれるならそれ以上のお祝いは無いよ。」


「そ、そうなんだ……分かった!」




 そう言うと凛はレジの中に居る無表情な店員に『Lチキ2つください!』と大きな声で注文した。

 店員はダルそうにガラスケースの裏に行くと、慣れた手付きで紙袋に納めてレジに戻って来た。




「はい!」


「さんきゅ。」




 凛が会計を終えて受け取ったLチキの一つを僕に手渡した。




「今の”さんきゅ”ってさっきの舞台での発音と全然違うね。」


「普段の会話であんな発音してたら腹立つだろ。」


「ごもっとも。」




 僕と凛はそれぞれ手にLチキを持って店を出ると、店の影に回って立ち止まった。

 同時に紙袋を破き、湯気の立ち昇るLチキにかぶり付いた。




美味うめぇ。」


「美味しいねぇ。」


「早速口の周り油でベタベタになってるぞ。」


「にひっ。いいのいいの。後で舜くんに拭いてもらうから。」




 僕の心臓が大きく跳ねた。

 もう僕たちは子供じゃないんだ。

 僕は凛を大切な幼馴染として想うのと同時に、一人の女性として好意を持っているのだ。

 そんな女性の、恐らく他の男には見せないであろう姿を僕だけが見られると思うだけで、僕は顔に血が集まって熱くなるのを感じていた。




「舜くんどうしたの?顔赤いよ?」


「い、いや、何でもない……何でも……」




 照れた顔を見られまいと顔を背け、半分くらいになったLチキを口の中に放り込んで必死に咀嚼した。

 ゴクっと喉を鳴らして飲み込んでから凛を見ると、凛はまるで小動物のようにLチキを齧りながら、目の合った僕に可愛らしい笑顔を見せてくれていた。




(一番のお祝いだなぁ……)




 僕はそんな気持ちの悪い事を思いながら凛の笑顔を見ていた。




◇◇◇◇◇




 高校生になっても僕は相変わらず英語は得意だったけど、それ以外の教科は平凡な学生だった。

 だがそろそろ進路を決めなければならない時期になり、さすがに『英語以外はポンコツです』となるわけにもいかず、他の教科も気分が乗らないままに手を付け始めていた。


 僕にとって幸いだったのは、凛が英語以外の勉強を教えてくれた事。

 凛は僕と真逆で、英語以外は安定してトップクラスだが英語がポンコツ。

 特に長文読解は絶望的なレベル。

 高校2年の1学期末テストの前に、半泣きになりながら『何どがじでぇぇぇ』と頼み込んで来たものだから、僕は快く引き受けた。

 その時に英語以外ポンコツの僕が『何どがじでぇ』と凛の真似をして他教科の指導をお願いした時、凛は酷く機嫌を損ねていたけど。




 だがポンコツなりに勉強に勤しんだことで、僕も凛も無事赤点を採る事もなくクリアし、待望の夏休みを迎えていた。

 小学生の頃は毎年僕の家と凛の家で山や海に行って遊んでいたが、中学生になってからは行かなくなっていた。

 尤も、僕も凛も家族より友達を優先しただけの事で、あれくらいの年頃では普通だろうとどちらの両親も何も言っていなかった。




「何処か遊びに行こうよ。」




 終業式が終わって家に帰っていると、後から追い付いてきた凛がそう言った。




「何処かって……何処?」


「ん~……遊園地とかどうかな?」


「遊園地ぃ?子供かよ。」


「いいじゃんかぁ。子供の頃以来行ってないんだし……ね?」




 その可愛らしい顔で上目遣いにお願いするような顔はズルいと思う。

 少なくとも僕にはこの凛のお願いを断れる自信は無い。




「わ、分かったよ……でも親たちは休み合うのか?」


「えぇ~?さすがに高校生にもなって親と一緒は無くない?子供じゃないんだから。」


「矛盾してね?」


「じゃあ週末は人いっぱいだろうからぁ……来週の火曜日にしようよ。」


「え?そんなあっさり決めていいの?」


「何で?二人で行くんだし、他に誰に気を遣うのよ?」


「ぇ……」




 僕は遊園地に行くのは他に友達なんかと一緒に行くものだとばかり思っていたので、つい言葉を詰まらせてしまった。

 (これってつまり……デート……だよな……)なんて事が頭に浮かび、次の瞬間には(何着て行こうか)だの(デート代母さんに借りなきゃ)だのを心配していた。




「二人で行くのが嫌だったら何人か声掛けるけど……」


「い、嫌じゃないよ……ただ……ちょっとびっくりしたって言うか……」


「ならいいじゃん。決まりっ!」




 嬉しそうに決定を宣言する凛を見て、(ひょっとして凛も僕の事が好きなんじゃないのか?)なんて事を思い、顔がニヤケてしまいそうになるのを何とか堪えていた。

 こうなると僕の頭の中は、着て行く服や軍資金の事と並んで『現地までのルート』『遊園地内でどの遊具をどういう順番で回るか』『お昼は何処で食べるか』と綿密なスケジュールを描き始めていた。




(最後は観覧車に乗って……夕陽の射すゴンドラの中で……伝えよう!)




 僕のテンションは凛とのデートまでまだ日があるのにMAXを振り切っていた。

 まるで明日遠足に行く小学生のように心躍らせながら。




◇◇◇◇◇




 小さい頃、凛の家族と一緒に来ていた頃は一日掛かっても回り切れないくらい大きな遊園地だと思っていたが、あの頃からすれば背も伸びているし周りを見る視野も広がっている。




(こんな小さかったっけ?)




 少し歩けばジェットコースターがあり、またすぐ隣にメリーゴーランドがある。

 正直『ショボいな』という感想を持ってしまったが、それでも並んで歩く凛は心底楽しんでいるようで、一つ乗っては『次あれ乗ろ!』と今日中に全てのアトラクションを制覇しそうな勢いで僕の手を引いていった。

 それに釣られるように、僕も自然と頬が緩んでしまっていた。




「楽しいっ!」


「うん。昔の記憶より随分小さく感じたけど、楽しさは変わらないな。」


「ねー!平日だから人もあんまり居なくて並ばずに乗れるし。」


「言えてる。さすが凛だ。」


「もっと褒めてもいいよ!」




 遊園地に来た凛は子供の頃に戻ったように、終始嬉しそうな顔をしていた。

 そんな凛を見ているだけで、僕も楽しくなってしまう。

 だが、遊園地の中で昼食を摂り、太陽がてっぺんから傾き始めると、僕の心臓は少しずつ速く打つようになってきていた。




(僕の想いを伝えるんだ……)




 そんな気負いが僕の顔から笑顔を消していく。




「舜くん疲れた?」


「え?いや、そんな事ないよ。何で?」


「ううん。何か笑顔が無くなってきたなぁと思って。」


「あ、あ~……ごめん……ちょっと疲れた……かな……」




 散歩道風の通路脇に立てられていた時計は夕方の5時を回っていた。

 日没まではまだ時間はあるのだが、『早く想いを伝えたい』という気持ちと、『まだ心の準備が』という気持ちが交互に出ては消え、消えては出てを繰り返していて、焦りが顔に出てしまっていたのだろう。




「あ!アイスクリームだ!昔ここ来たらあのアイス絶対食べてたよね!?」


「あぁ、懐かしいなぁ。食べようか。」


「うん!」




 僕はアイスクリームを凛の分と二つ買い、木陰になったベンチに座って一緒に食べる事にした。




「んんんんん~!美味しいぃぃぃ!」


「昔より甘くなってる気がする。」


「そうかな?でも美味しさは変わってないよっ!」


「うんうん。」




 凛は無邪気にアイスにかぶり付いていた。

 その横顔をちらちらと見ながら、『美味しい』『懐かしい』を何度言ったか分からないが、夏の暑さもあって暫く木陰で昔話に花を咲かせる事にした。




「最後、観覧車乗ろうか。」


「うん!やっぱ遊園地の締めは観覧車よねっ!」




 時計は夕方の6時を回っていた。

 まだ陽は稜線には遠かったが、僕の『早く伝えたい』という気持ちが前に出てしまっていた。


 観覧車のゴンドラの中はエアコンが効いていて断然涼しかった。




「この観覧車ってエアコン付いてたんだ。」


「昔は付いて無かったよな?」


「付いて無かった筈よ。昔乗った時めちゃくちゃ暑かった記憶あるもん。」




 快適なゴンドラは少しずつ高度を上げていた。

 下に見える人や車、建物がだんだん小さくなっていく。

 凛は外を見ながら『あれ小学校だよ!』『我が家発見!』などと相変わらず楽しそうにやっていた。

 それを僕は『ホントだ』『思ったより近い』と返しつつも、心此処に在らずといった感じ。




「大丈夫?」


「えっ?な、何?」


「いや、何となくお昼食べてから元気無くなってきたなぁと思って。」


「ご、ごめん……元気が無いわけじゃないんだ……」




 ゴンドラはあと少しで観覧車の頂点に届く。

 夕陽の射す風景をイメージしていたが、太陽はまだまだ下界を焼いている。




「あ、あのさ……」


「うん?」




 今しかない……と心を決した。




「ぼ、僕……凛の事が……好きなんだ……」


「……」


「ずっと……一緒に居たいと思ってる……」


「……」


「だっ……だからそのっ……僕と……付k……」


「待って……」




 ありったけの勇気を振り絞って想いを伝えている正にそのクライマックスで、僕の告白は当の本人によって遮られた。




「え……」


「舜くん……待って……」




 凛の表情は困惑の色で固まっていた。

 僕は俯いて下を見ている凛の小刻みに揺れる長い睫毛をじっと見ていた。




「私も舜くんの事は好き……好きだけど……舜くんの事……い、今までそんな風に思った事無かった……から……」




 途切れ途切れに言葉を繋ぐ凛の声を、僕はただ聞くしかなかった。




「分かった……ごめんな……突然こんな事……言っちゃって……」


「でもっ!」




 凛がばっと顔を上げて潤んだ目で僕を見てきた。




「嫌じゃないのよ……びっくりしちゃって……ううん……嬉しかった……でも……すぐに返事は……出来ない……」


「うん……ありがとう……」




 そこからどう時間が流れたのか分からない。

 気が付いたら観覧車は下まで降りて来ていて、普通にゴンドラから出て、一言も言葉を発しないまま、僕と凛は遊園地の外へ出ていた。




「帰ろうか……」


「うん……」




 気まずい空気が流れる中、僕は凛と一緒に家路に着いた。

 凛の家の前で『じゃあね』と言って別れた後、僕は2軒隣りの自分の家を通り越し、住宅街の外にあるコンビニまで全力で走り、自動ドアにぶつかりそうな勢いで店内に駆け込んだ。




「Lチキ5つ!」




 驚く初老の店員は、ヤバい客が来たと思ったのかそそくさとLチキを紙袋に入れるとカウンターの上にそっと置いた。

 僕はカルトンの上にお金を置くと、カウンターの上のLチキを鷲掴みにして店を飛び出て行った。


 その日のLチキは、いつもより塩辛く感じた。




◇◇◇◇◇




 高校2年も終わり、いよいよ高校3年生受験生となったが、あの日以来、僕は凛と話す機会を失っていた。

 近所故に時々顔を合わせる事もあったが、何となく余所余所しい挨拶だけですれ違うだけだった。

 『待て』と言われて1年が過ぎようとする頃、僕は凛への想いを引き摺りつつも半分諦めのような気分になっていた。




(やっぱり凛は僕と付き合う気にはなれないんだ……)




 僕は凛への想いを絶ち切るかのように受験勉強に打ち込んだ。

 受験生最大の勝負時となる夏休みは、去年凛と遊んだあの思い出に邪魔をされて一番苦しんだ時期だったかもしれないが、とにかく朝から晩まで勉強に打ち込んだ。

 努力の甲斐あって秋の模試でA判定を出し、担任からも進路室の先生からも『合格確実』と太鼓判をもらった。

 2学期が終わり、冬休み、正月、そして3学期となっても、凛との関係はそのままだった。


 受験の方は難なく合格をもらえた。

 念の為にと滑り止めに受けた大学も合格していたが、迷う事無く第一志望の大学に行く事を決めていた。

 両親が合格を祝ってくれていつもより豪勢な夕食を摂っていた時に、母親から凛も地元の大学に決まった事を知らされたが、僕は『ふぅん。』と返すだけだった。




 桜がピンク色の蕾を枝に付け始める頃、僕は高校の卒業式を終えて校舎の玄関から校門の方を眺めていた。

 前庭の左右には花束や紙袋に入った贈り物のような物を持った在校生が先輩の卒業を祝うように並び、笑顔や泣き顔があちこちに見られた。

 僕は部活も何もしていなかったのでその間を通り抜けて行くだけ。

 同じように後輩というものに縁の無い同級生とその場だけの別れを惜しみつつ、僕は学び舎を後にすると、通学路途中にある青地に白文字の看板を掲げた店へと直行した。




「Lチキ1つください。」




 いつものアルバイトのお姉さんからLチキを受け取ると、僕はそれを齧りながら家路へと着いた。




◇◇◇◇◇




 大学生活は初めての一人暮らしで戸惑う事も多かったが、毎日の講義とレポート作成で忙しいながらも充実した日々を過ごせていた。

 得意な英語を活かして家庭教師のアルバイトもした。

 英語の成績が急激に伸びた教え子のご両親から感謝の言葉をもらった時が一番嬉しかった。


 忙しくも充実した日々を送っている内に、気が付けば周りから『就活』の声が聞こえてくるようになっていた。




「日下部はやっぱ英語使う仕事狙うのか?」


「そうだなぁ。貿易関係とか面白そうだとは思うんだけど、うちの大学からじゃあ難しそうだな。」


「通訳とか出来るんじゃない?」


「通訳なぁ……出来るとは思うけど今のご時世、英語だけしか出来ないって案外需要無いんだぜ。」


「ほぇぇ……英語話せるってだけで尊敬だけど世の中そんな甘くないって事か。」




 英語しか取り柄の無かった僕は、就職活動がこんなに厳しいものだとは思わなかった。

 勿論、職種や業種を選り好みしていたのは認める。

 例えば、特に資格や特技が無くても支障の無い『営業職』だと、それこそ掃いて捨てる程求人はあるし、現に『面接の練習』と言って受けた友人はいくつも内定をもらえていた。

 しかし、英語は話せるくせに人と日常会話をするのはあまり好きでは無かった僕は、端から(営業なんか無理)と決め付けて営業募集の求人は見てもいなかった。


 そうこうしている内にゼミの大半の学生が内定をもらい、真剣に焦りだした晩夏のある日、以前家庭教師のアルバイトをした親御から連絡があった。




『実は私の弟がA県で学習塾をしているんだが英語の講師が足りないらしいんだ。日下部さん、もし興味があるならどうかなと思ってね。』




 A県はまさに僕の地元。

 詳しく聞けば実家から駅2つのこれまた好条件だった。




「是非お話を伺ってみたいです。」


『そうか。じゃあ私から弟に連絡を入れておくよ。日下部さんなら生徒の成績を一気に上げる講師になるんじゃない?』




 最後は冗談交じりにそう言ってくれて、僕は降って湧いた話に歓喜した。

 数日後、その親御の弟さんから連絡があり、僕は一旦帰省する事になった。




 弟さんは気さくな方だった。

 『話は大体兄から聞いているよ。』から始まって、甥っ子の成績の話になり、僕の手腕を高く評価してくれていた。

 僕が中学生時代に英語スピーチコンテストで優秀賞を獲った話が出た時には僕の方が驚いてしまっていた。




「もし就職先に迷っているなら是非うちに来て欲しい。」




 迷うなんて贅沢をしていられなかった僕は、二つ返事で『宜しくお願いします!』と頭を下げていた。

 こうして僕は運良く就職先を決める事が出来た。




◇◇◇◇◇




 大学を卒業して地元に帰り、学習塾の講師もだいぶ様になってきた頃。

 僕は仕事を終えて駅から自宅へと向かう途中にあるコンビニに立ち寄った。




「いらっしゃいませ!」




 大学生のアルバイトだろうか。

 夜も遅いのにいつも元気な挨拶をしてくれる子がいる。




 僕は店の中をぐるっと回り、冷蔵棚からペットボトルのお茶を取り出してレジへと向かった。




 レジ前には女性が一人。

 商品を精算して手に持った財布の口を開けていた。




 僕はペットボトルを親指と人差し指で持ち、薬指と小指の間に千円札を挟んでレジ前で精算している女性の横からカウンターの上に置いた。




「これも一緒に。」




 『え?』っと驚いた顔で振り向いた女性は、僕の顔を見てこの世で一番の笑顔を見せた。




「あと、Lチキ2つください。」




 僕はその女性の顔を見て、ニコッと笑顔を作った。




 久し振りに見た、僕の大好きな幼馴染に向けて。

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