第78話 【3日目】シャイナ救出

「さて、そろそろ良い筋書きストーリーは思いついていただけましたかな?」


 バシン、という耳に刺さるような鋭い音。

 クヌースは鞭を振り抜き、威嚇の音を立てる。


「なんで私の罪状を私が考えないといけないのよ……しかも冤罪の」


 目尻にうっすらと涙を浮かべながらも前に立つ男を睨みつける。

 気丈に振る舞うシャイナは既に鞭により傷つき、あちこちから血もにじんでいた。


「そう言わないでくださいよ。

 姉上の頭脳は我等兄弟の中でも随一、俺よりもずっと良い筋を書けるでしょう?」


 丁寧な口調、しかし敬意の欠片も感じさせない。

 不本意な現実の憂さを晴らすかのように卑怯な行動を取るクヌースの表情はひどく下卑て見えた。


「さあ、ちゃんと考えないと、また傷が増えますよ――」


 そう言って鞭を振り上げた瞬間、クヌースの背後で鈍い音が立て続けに聞こえ、すぐに破壊音となって鼓膜に響いた。


 慌てて振り返るクヌースの眼前に扉が飛んで来る。

 意味の分からない情景。

 声を上げる暇すらもなく顔に衝撃を感じ、クヌースの意識は飛んだ。


「ユウ、いきなり扉を吹き飛ばさないでくれ!?

 中にいる人が巻き込まれたらどうするんだ!」

「マッタクだ! アブネーじゃネーか!」

「や、すまん、まさかここまで派手に吹き飛ぶと思わなくて」


 そんな会話をしながら入ってきた二人の姿を、シャイナは驚きを以て眺めた。


 最初に目に入ったのは弟のフォルテン。

 家を出ると言う自分の果たせない夢を軽く実現し、一人で外の世界に旅立ってしまったフォルテン。あまりの羨ましさに、いつしか憎しみを覚えるほどだった。

 たまに帰ってきても憎まれ口しか叩いておらず、シャイナは自身を嫌われていると思っていた。

 その弟が、自分を助けに来てくれたとでも――?


 もう一人は弟が連れて来た謎の友人。

 憎き弟の仲間と思い、つい披露目の宴の最中に嫌な口を利いてしまった。

 このせいで、フォルテンと友人には、自分が犯人と思われてしまうかも知れない。


 そう思っていたのに。


「おおっ、扉の下に、あの偉そうな男が気絶しているぞ」

「クヌース兄上……まずいな、気づかれる前に姉上を救出してこの場を去ろう」


 フォルテンの呟きがシャイナの耳を叩く。

 自分を助けると言ってくれた。

 疎ましく思っていた弟が救いに来てくれるなんて。

 そう思うと、シャイナの抑えていた涙腺が壊れそうになる。


「シャイナ姉上、傷は痛みますか?

 服もあちこち破れているので、これを羽織ってください。

 今から貴女を助けます」


 自ら羽織っていた上衣をかけながらの弟のそんな優しい言葉に、シャイナは遂に涙を抑えることができなくなった。


***


「はい、これで一通りの治療が出来ました」


 オティリスは連日の神術行使に嫌な顔ひとつせずに、シャイナの治療を行った。

 傷口の見た目は派手だったが、いずれの傷も深くなかったため全ての傷を塞ぐことができたようだ。


「とはいえ、私の力では表面に薄皮を張り、傷口への消毒作用を高めるのが精一杯なので、無理はなさらないでくださいね」


 そう言うオティリスの顔は上気し、肩で息をついている。

 そんな彼女の顔を見て、シャイナは目を伏せながらお礼を言う。


「ありがとう、本当に何と言って良いか……。

 貴女にも酷いこと言っていたわよね。ごめんなさい」

「いえ、お気になさらないで下さい。

 私も昔は孤児院で様々な方に接していたので、慣れてますわ」


 その言葉を聞いて、シャイナはもう一度頭を下げた。


「大事なくて良かったよ。

 ところで姉上、あの時のことについて聞きたいのだけど、姉上が私の毒殺をしようとしたわけではないよね?

 誰が狙ったのか、どうやって毒物を混入させたのか、想像ついたりするかな?」

「もちろん私ではないわ。

 いくらあの時にフォルテンのことを疎ましく思っていても、直接何かをしようと思うわけない。できもしない。

 とは言え、誰が狙ったかも分からない。誰が狙ってもおかしくはない。

 ただ、クヌースではないわね。もしクヌースなら、あそこまで執拗に私に犯人を問い質す理由がないから」


 それから、何かを思い出すように目を伏せる。


「あとは、どうやってか……。

 私に筋書きを書かせようとしていたクヌースから詳しい現場の状況を聞いたのだけど、ワゴンの料理を中心にかなり広い範囲で毒の飛沫が散っていたらしいわ。

 ということは、上から毒を垂らした可能性が高い。

 それもかなり高い位置、確認したわけではないけれど天井近くから落とされた可能性が高いと思うわ」


 天井は梁が入り組んでおり、飾りなのか葉や蔓で生い茂っていた。

 間近で調べてみないと何とも言えないが、人があそこに潜り込んで毒を垂らすなどできるものだろうか。


 あるいは――


「ニンジャ?」

「ユウ、何を言っているんだ?

 変な事を言っていないで、まずは姉上を逃がすことを考えないと」


 下らない事を考えていたことまで悟られていて少しきまり悪い思いをしながら、俺は傍らに寝そべるカクに聞く。


「なあ、彼女を乗せて森の俺の家まで走れるか?」

「大丈夫だ」


 人語を返すカク、その姿に目を見開き驚くシャイナ。

 そう言えば、俺達が魔人であることを知らなかったのだっけ。


「シャイナ姉上、このユウとその仲間は全員魔人で、私の友人なのだ。

 驚かないでくれと言っても無理だろうが、今は呑み込んで欲しい」


 目を大きく見開き、口をぱくぱくさせるが、声にならないシャイナ。

 落ち着いた雰囲気の美女である彼女の外見にそぐわないその振る舞いは、如何に俺達がここに居ることが常識はずれなのかを象徴している。

 そんな彼女の様子に構わずにフォルテンは続ける。


「この館内は危険すぎる。

 何も言わずに、この犬の魔人カクに彼らの家まで連れて行ってもらって欲しい。

 私も何度かお邪魔したが、居心地の良い場所だから安心して避難できるよ」


 驚きの連続に、口を半開きにしたまま何も喋れないシャイナだったが、真剣な目で見つめるフォルテンの様子に覚悟を決めたようだ。

 表情から驚愕が溶けて行き、彼女も緊張した表情で小さく頷いた。


「――分かったわ。

 どうせあのままなら命も何も無かったでしょうし、私も覚悟を決めます。

 ですが、持っていきたいものがあるの。

 悪いけど、私の部屋に連れて行ってくれないかしら」


***


 まだ少し眩暈めまいがする。

 忌々しさに頭がおかしくなりそうだ。


 クヌースは扉の修理を自身の手の者に押し付け、少しふらつく足取りで部屋に向かい歩く。

 視線を少し先の床に落としながら歩いていると、自分の行く手に小さな足を大きく開いて立ち塞がる存在に気づく。


 ――誰だ。


 顔を持ち上げて正面を見ると、得意げな顔で踏ん反り返る妹の姿が視界に入った。


 苛立たしい存在。


 度重なる不始末に心に余裕がないクヌースは、普段から何かと突っかかって来る末娘アムーラの存在がやけに癇に障るのを感じた。


「そんなふらついちゃって、どうしたのよ」


 あざけるような笑顔を貼りつかせた少女。

 ぐ、と腹の底に苛立ちを抑え込み、無視して脇を通り抜けようとする。


「あら、何よ。人を無視して通り過ぎるなんてあんまりじゃない。

 まぁ、囲っていた兎ちゃんに逃げられちゃったんなら、仕方がないのかしら」


 人を小馬鹿にしたように鼻で笑いながら、わざと嫌らしい声色をかけてくる。

 だが、その内容は聞き捨てならないものを含んでいた。


「おい」


 普段の微笑みをかなぐり捨てたような、相手を圧し潰すような表情。

 我ながら取り繕うことができていないと思いながらも、知った事かとクヌースはそのまま睨みつける。


「お前、何を知っている?」


 目に圧をかけ目をひたと見据えたまま、クヌースの大きな手がアムーラの頭を鷲掴みにする。

 あまりの痛みにか、目を剥いて声を出せないアムーラ。目尻に涙を浮かべたままで、クヌースを見返す。

 その目に恐怖の色を読み取ったクヌースは、喋れるように掌の力を抜いた。


「お前は、何を知っているんだ?」

「し、知らないわよっ!

 何にも知らないわよぉっ!

 この手を離して! 離してよっ!!」


 その返事を聞くと、クヌースは無言で掌に力を籠める。

 たちまちアムーラは顔を紅潮させ、声にならない悲鳴を上げた。


 その様子を見て、クヌースは心の内で溜息をつく。

 別に幼子を甚振いたぶる趣味がある訳でもなく、本来はこんなことはしたくない。

 だが、兎が逃げたとは、明らかにシャイナが逃走したことへの隠喩だろう。

 であるなら、本来伝わる筈もない情報がなぜ漏れているのか? しかも、こんなにも早く。

 これを放っておくことはできない。


「もう一度だけ聞こう。

 お前は何を知っているんだ?」


***


 そんなこと、言えないわよっ!

 アムーラは頭の中で叫んだ。


 それは、ちょうど良い隠れ家だった。

 ヴァニタスの部屋に遊びに行ったときに偶然見つけた、小さな戸棚。

 あるとき、自分の部屋に戻るふりをして、その中に潜り込んでみる。


 その低い戸棚はすっぽりとアムーラを納めることができ、そして棚板は彼女の姿を隠してくれた。

 ところどころに空いている穴は部屋の中の音を良く伝えてくれた。

 気配を隠してヴァニタスの話声を盗み聞きするのにはちょうど良く、この場所を見つけてからはたびたびここで過ごした。

 ここはアムーラにとっての絶好の隠れ家。自分よりも賢い頭を持つ、羨ましく忌々しい兄の行動を監視するための砦なのだ。


 罪悪感?

 そんなものは感じられない。

 だって、みんな、アムーラにはないものを持っているのだから。

 そんな不公平な世界、盗み聞きするくらいではまるで埋め合わせにならない。


 フルネが居なくなり暇を持て余していた今日も、こっそり隠れ家に潜り込んだ。

 いつもの根暗の教師がぼそぼそと喋る声が聞こえる。

 聞き取り辛いけど……それでもなんとか聞こえたのは、いつもふらふらしている兄のフォルテンが、気持ち悪い兄のクヌースから根暗な姉シャイナを奪って逃走したと言うのだ。


 ――なんと馬鹿なのだろうか、クヌースは!


 いつも偉そうにしていて、余裕ぶったあの兄。

 きっとしょんぼりしているに違いない。いい気味!


 そうだ、これはあたしも一言なにか言ってあげないといけない。

 そう、思い立って来た、だけなのに。


 このままじゃ怒ったクヌースに痛い目に会わされちゃう。

 でも、あの場所、ヴァニタスの部屋のあたしの戸棚は黙っておかなくちゃ。

 だってあれは、あたしの場所なんだから。


 だから、なんとか、なんとか苛められないように答えないと!


 アムーラは懸命に考えて、ようやく一つの答えを出した。


***


「グ、グーラよ!

 グーラが、その、シャイナ姉さんを連れて走っていくのを見たのよ!

 本当よ!」


 必死で口から出まかせを言うアムーラ。

 それを胡乱な目で見遣るクヌース。


 グーラは現在、逃走中の身。

 シャイナをさらう利点などどこにもない。

 つまり、アムーラは嘘をついて言い逃れをしようとしているのだろう。

 しかし、ここで兄弟の名を出したのは、おそらくクヌースを襲ったのが兄弟が関係しており、そこからアムーラが単純な連想をしたのではないか、と疑う。


 そうだ、と仮定して。

 なぜアムーラは嘘をつくのか?

 何かに義理立て……いや、自分の不利益に波及するのを避けるためか。

 その相手は?

 グーラ、シャイナでなければ、相手はフォルテンかヴァニタスである可能性が高い。

 フォルテンは、シャイナから嫌われていたように思う。

 ならば、普段からつるんでいるヴァニタスだろう。

 それであれば、アムーラがシャイナが逃げたことを知っていても不自然ではない。


 奴か。

 奴なら、やりかねないように思える。


 だが、所詮は憶測。

 証拠は……ここでアムーラを締め上げて証言を言わせたとして、どうせあの悪知恵の回る弟は認めないだろう。

 ならば、どうする?


「そうか、グーラを見たのか。

 奴は、どこへ行った?」

「し、知らないわよ! そんなこと!

 どこかに逃げて行ったんだから!」

「そうか。まあ、そうだろうな。

 ところでグーラと言えば、知っているか?

 お前の侍女、フルネを刺した短剣はグーラの物だったが、当時グーラはあれを紛失していて持っていなかった。

 つまり、お前の侍女を殺害したのはグーラではないのだ」


「――! そんなはずは、ないわよ!

 あれは、グーラが持っているはずだわ!

 ヴァニタスがグーラに返したって言っていたもの!」


 おや。あれはヴァニタスが持っていたのか。


 グーラが短剣を紛失していたのはクヌースも知っていた。

 奴がそれを失くして困っており、しかし母上の叱責が怖くて言えずにいる、とぼやいていたから。

 だが、アムーラの言い様から察すると、ヴァニタスが盗んでいたということか?

 相変わらず、油断のならない奴。


「ヴァニタスが持っていたことを知っているのか。なら話が早い。

 お前はヴァニタスに騙されているんだ。

 あの短剣を、グーラは当日も失くしたままだった。本人が俺にそう言っていたからな」


 アムーラの目が大きく見開かれる。


「ヴァニタスが隠し持っていた短剣でお前の侍女は死んだんだ。

 つまり、奴が真犯人だ。わかるだろ?」


 何かを言おうとしたのか、咄嗟に口を開くアムーラ。

 しかし、幼いその唇を震わせながら、何も声が出てこない。


 ……そして、やがて、がくりと項垂れた。


 信じた。

 なんと単純な、愛すべき妹なのか。

 クヌースは心中でにやりと笑う。


 凶器の短剣をヴァニタスが隠して所持していた、というのは勝手な嘘だが、証明のしようもあるまい。

 意趣返しだ、ヴァニタスはこの馬鹿な妹に追及されて困るといいさ。

 自身の行動を監視していた犯人が違ったところで、クヌースは別に構わない。


「信じられないなら、直接ヴァニタスに聞いてみるといいさ。

 仲良しだろう?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る