第64話 【1日目】御披露目の正餐

 そこはとても広い空間であった。


 フォルテンに続いて御披露目の会場に入り、最初に感じたのは壁までの距離の遠さだった。

 一歩足を踏み入れると極上の絨毯のような柔らかな感触が足を受け止め、体重をかけると爽やかな若草が萌えるよな香りが立ち昇る。

 屋内にもかかわらず天井に複雑に組み合わさった天然木と緑が広がり、そこから吊るされた繊細な木組みの燭台から眩い光が零れて落ちる。


 家令ラツィットに先導され進むフォルテンの後ろについて進む。


 視界に広がる人、人、そして人。


 いずれの卓も贅を凝らした紳士淑女が居て、それを複数の正装の男女が囲む。雑用兼護衛だろうか。


 やがて主賓席にフォルテンが座り、俺とエルナが側の少し格の落ちる席に座る。それでも豪華ではあるが。


 主賓の到着に合わせて、当主オティオーシと奥方イラーティアが立ち上がり、賓客に向かい挨拶と開会の辞を述べた。

 その脇にはフォルテンの伯母ヴィタとアカリの姿。

 アイツ、アカリを独り占めしやがって……。だが、ただ座っているだけでも、アカリの姿勢の良さに磨きがかかっていることが分かるのが悔しい。


 そして家令ラツィットの進行で式は進む。

 フォルテンが挨拶をして、俺達を漂流した異国の友人として紹介し、いったん腰を下ろした。

 そして主賓たるフォルテンに押し寄せる客達。


 主賓への挨拶が終わるまで食事は始まらない。

 ああ、退屈な時間がしばらく続くのか。


***


「灰色の巨大な鼻を持つゾウに、天を衝くような長さを首を持つキリン。極彩色の怪鳥に万年を生きるカメ!

 それで魔獣でないなんて、ご冗談ばっかり!」

白玉はくぎょくよりも白い食器に、金銀をちりばめた見事な宝飾具。技巧を凝らした数々の食文化。

 そのような品が、本当に海の向こうで手に入ると言うのか……」

「生きることの苦しみが消える? 本当にそんなことが……?」

「奥様のお召し物は何とも奇抜……いえ、特徴的でつい目が行ってしまいますわ!

 しかもこの生地、その装飾……なんて素敵なんでしょう!? 余分に御座いましたら、私にもお譲り頂けないこしら!?」


 調子に乗って冗談ばかり言っていたら、気が付くと俺とエルナの周囲に人だかりが。

 やば、やり過ぎたか?


「紳士淑女の皆様、このような海に迷った私共を気にかけて頂き、恐縮の極みでございます。ですが皆様、本日は我が友人フォルテンの晴れの日で御座いますれば、本日はこれまでに願います」


 とりあえず社交用の笑顔で人払いを試みるが、興奮した人々はなかなか収まらない。

 後日、一部貴族が競うように探索用の大型船を建造したことを知るのは、かなり後になってのことであった。


 そうして一通りの交流の時間が過ぎて落ち着きを取り戻すと、フォルテンが立ち上がり再び挨拶をする。

 さあ、正餐の始まりだ。


***


 ころころころ、と軽やかな音と共に大きめのワゴンが目の前で止まる。


 白木で組まれたワゴンの上に並ぶ、彩り良く大皿に盛られた料理の数々。

 ここから希望する料理を指定すると、専門の給仕が芸術的に盛り付けて渡してくれるわけだ。


 ワゴンは全部で五回、それぞれ異なったコンセプトで巡って来る。


 主催者であるウルザイン家当主たるオティオーシ、その奥方であるイラーティアが最初に配膳され一口食べることで料理に不備がないことを確認し、その後に主賓、その客たる俺、そしてウルザイン家の家族と来客、という順で供される。

 少々格式張っていてメンドクサイのはお貴族様のしきたりだから止むを得ないのかも知れない。


 一の皿は前菜。

 軽い口当たり、柔らかい味付けで、更に薬膳効果のある素材で構成されていて、食欲を増進するだけでなく内臓を活性化させる効果を持つ。


 多彩な色合いの薄い生地を何層にも重ねられた、雛飾りの菱餅とミルクレープを合わせたような生地に淡黄色のソースをかけられた品。

 つるりとした巨峰の粒くらいの、白色と淡く紅色がついた球状の実に、ぷるんとした葛のような薄い膜が載せられた品。

 卵のように黄色がかった円形の切り口に、デフォルメされた鳥のような紋様が内側に入れられた、カマボコのようにスライスされた品。


 俺は給仕にこれらの品を指定すると、十分に訓練された給仕が、客が指定した品を即興で芸術的に盛り付けるのだ。


 その個々に供される皿がまた変わっている。

 薄く、とても薄く輪切りにした樹木。

 焦茶色の外皮を残し断面部は美しい白木。その断面の内側が凹状に極めて微妙な弧を描き窪んでいる。

 よく見ると薄っすらと年輪が見えるその表面は、光を受けると螺鈿らでんのように淡い虹色に反射し、上質のゆうがかかった陶器のようだ。


 俺が指定した品が皿の中央に乗せられ、周囲をぷるんとしたジェルに煌めく粒が混ぜられたソースがフランス料理のように皿の縁を彩る。


 左手に若草色をした小ぶりのトング、右手にフォークとナイフの機能を併せ持つ棒状のフォークナイフ。こちらの世界で標準の食具カトラリーだが、魔王の森で木にっているのを見たことがある、歴とした植物の一部だ。


 まずはミルフィーユのような品をトングで押さえ、フォークナイフで一口大に切ってから口に運ぶ。

 ゆっくりと噛むと、新鮮な野菜の心地よい固さを感じ、口内に瑞々しい香りが行き渡る。層状の素材は、あるものはサクサクと、あるものはジュレのように、それぞれが異なった歯応えで存在を主張し、そして青い野菜の風味、ベリー系のソースの香り、クリスピーなナッツの味わいなど、複雑な味わいが一斉に押し寄せる。


 巨峰のような実を口に含めば、刺身のトロのような濃厚な旨味と同時に柑橘の爽やかな絡み合い、じんわりと広がる。


 卵色をしたカマボコのようなスライスされた身を齧ると、軽めのチーズのような風味が口の中で溶けて口内を覆い、その後で焦がしたチョコレートのような重厚な薫りが鼻に抜ける。


「何これ、美味しい……」


 隣からエルナが感嘆する声が聞こえる。

 目を閉じてじっくりと味わっているエルナは頬が緩んでいて、幸せを堪能しているようなとろける笑顔。


 いや本当に美味しい。

 しかも薬膳的な効果があるという謳い文句にたがわず、食べると不思議と胃腸に力が満ちて、逆に腹が減ってくるよう感じられるのが不思議だ。


 日本でも食べられないような料理の数々を堪能しながらフォルテンの方を見ると、可哀想にお客様の相手で大変そうだ。


 この御披露目の正餐では、主賓は一皿を取る間に希望する来客一組と差し向かいで持て成さなくてはならない、らしい。

 他にも主催者や、あるいは希望すればホスト側のウルザイン家の家族に対して、一皿の会食を共にすることができる仕来りで、皆忙しそう。


 やあ、大変そうだなぁ、と他人事として俺は料理を堪能する。


 二の皿は食欲を刺激するスープや軽めの皿。

 三の皿は淡泊な味わいの料理。


 次々に巡りくる料理、そしてテーブルを行き交う人々。

 これがこの世界の社交か、と思いながら料理を楽しみ、人々の様子を眺める。


 と、完全に他人事を決め込んでいた俺の前に一人の女性が立つ。

 瀟洒なデザインのワンピースにショールのような透け感のある薄手の布を纏い、そこから伸びる腕はやや青白い。

 ややウェーブのかかったライトブラウンの髪の下には整った目鼻立ちの顔。美形なのだが、やや痩せぎすで不健康な香りがする。


「貴方がフォルテンの友人の方ね。

 だけど、ここがどんな場所か分かっていて?

 そこらの魔獣の棲み処などより、よほど淀んだ恐ろしい場所よ、この家は。貴方は死にに来たのかしら?」

「……これはまた、辛口な御冗談を。

 失礼ですが、貴女様は?」

「申し遅れました、私は当家の長女、シャイナですわ。

 ですが、この出会いは長く続かないことを願いますがね」


 やや青ざめた肌の端正な顔を美しく歪める様は、正しく病的な微笑であった。


「フォルテン殿は、貴女の弟御では御座いませぬか。

 彼は淀みなど感じさせぬ、立派な御仁。その晴れ舞台なのですから、今は彼に祝福を送ってあげましょう」


 微笑みながら返すと、ふとシャイナはその顔をフォルテンに向けて少し遠い目をした。


「フォルテン……。あの子。

 ……私は、あの子には、いっそ憎しみすらを感じてしまう……」


 そう小さく呟いたかと思うと顔を逸らし、広間の外に向かうべく扉の方に歩き去ってゆく。


 なんだなんだ?


 おっと、それどころではなかった。次はいよいよメインたる、重厚かつ濃厚な料理が出る四の皿。

 昔食べたコース料理で言えば肉料理。楽しみすぎる。

 こちらにまで濃厚な香りが漂ってきて、ワゴンが待機する場所では使用人たちが準備をしているのが見える。


 この世界の料理の特徴は、素材をなるべくそのまま使うこと。

 刺身のようで、加熱するよりも生の方が美味しい素材が多いためだ。

 だから包丁捌きが上手で盛り付けが芸術的な料理人こそが至上とされる。

 そんな中で、この四の皿は、グリルしたり、ソースを焦がし濃厚な香りを立てたり、上質な油を使用して炒めたり、様々な調理方法が使われる。


 最初に配膳サーブされる当主夫妻が最初にフォークナイフをつけ、じゅうじゅうと音を立てながら肉汁を滴らせる、焦げ目のついた褐色の肉を口に運ぶ。

 そして当主オティオーシはにっこりと破顔する。

 その幸せそうな表情を見るだけで、四の皿への期待がいや増す。


 当主の味見どくみが終わり、ようやくフォルテンと俺達の配膳サーブの番が巡って来て――


 『がたんっ!』


 そんな中、ウルザイン家の家族達が占める列の一角で大きな音がする。

 思わず一斉に音がした方を見遣ると、誰も居ない空間で大きな椅子だけが床に転がっている。

 慌てて駆け寄る使用人たち、騒めく周囲の客たち。


 なんだなんだ?


 騒めく音から何となく聞こえる声を拾うと、あの誰も居ない空間、倒れた椅子はウルザイン家の長女、シャイナの座っていた席。シャイナと言えば、先ほど俺に注進をして去って行った女性だったはず。先ほど俺のところに寄ってから中座して、そのまま今も不在らしいが。


 なぜ誰も居ない椅子が倒れるのか?

 そんな疑問を差し挟む間もなく、給仕が四の皿からどの品を選ぶか聞いてくる。

 待っていたこの瞬間、ちょっとした違和感など雲散霧消し、俺とエルナは散々悩んだ挙句にそれぞれの品を決めた。

 給仕の表情から察するに、紳士淑女にしては、ちょいと多く指定しすぎたかも知れない。


 ちらりとフォルテンの方を盗み見ると、フォルテンも横目でこちらの様子を窺いながら苦笑を浮かべている。

 にゃろう、笑いやがって。

 ハンドサインで「ほっとけ」と送り、返事の代わりにニヤリと悪戯っぽい笑みが送られて来た。


 ふん。

 いいさ、俺は俺でこのウマそうなメシを楽しむもんね、とフォークナイフで美味しそうな肉を突き刺し、持ち上げようとして――


(待て、ユウ! 毒だ!)


 普段の落ち着いた喋り方とは打って変わった、緊迫したカクの声。

 抑制された小さく鋭い声が俺とエルナに届く。


(スケ、フォルテンに幻炎を!)


 脇に控えていたスケに声を掛けると、スケが手元で作り出した虹色の炎を投げる。

 その炎は煌めきながら宙を走り、狙い過たずフォルテンの皿の上に灯り、それは一瞬で消え去る。

 俺達と同様、まさに食べようと肉を持ち上げていたフォルテンは慌ててこちらに視線を走らせ、俺はハンドサインで「毒」と応えた。


 一瞬で緊張を取り戻すフォルテン、しかし彼の対面には賓客が座っていた。

 何が起こっているのか異常を感じてまではいないようだが、不審には思っているようで訝し気な目でフォルテンを見詰めている。


 ここで対応を誤まり毒騒動など起こしたら、会場はパニックになってしまう――!

 ここは人命を優先して御披露目を止めるべきか、家の名を護り騒動を最低限に抑えるべきか。

 フォルテンの表情に逡巡が浮かぶ。


『ぱぁん!』


 広間に乾いた音が響いた。


「皆様、申し訳ございません!

 これほど素晴らしい料理を口に出来たことを我が神に感謝して、今から神への奉納の舞を捧げさせていただきたいと思います!」


 いつの間にか広間の中央に進み出ていたユウが、良く透る声で叫ぶ。


 隣に佇むスケが手を叩くと、何かの仕掛けがあるかのように――もちろん幻音の効果だが――広間中に響く。

 その一瞬で全員の注目を集めたスケは軽やかに足でステップを踏み、それに合わせて硬質で透き通る音が鳴り渡った。


 妖精の里で披露したタップダンス。

 控えめに幻炎のお手玉を出して注意を引きつける。

 その隙に俺は家令のラツィットの側に行き、カクが訓練された鼻を持ち毒をかぎ分けられるという事にした上で状況を説明した。

 一瞬で緊張した表情を浮かべたラツィットはすぐに使用人に合図をして密やかにワゴンを下げさせ、自分は目立たないような経路ルートで影のように当主夫妻の元へと移動、耳打ちをしている。


 そこまで見届けてから俺はスケのダンスを終わらせて、賓客達に拍手喝采を受けながらも騒がせてしまった詫びを入れてから席に戻った。

 もちろん、既に皿は下げられている。


 そしてそのまま式は続行される。

 一部の関係者のみ緊張感を持ちながら、御披露目の正餐は最後の演説まで続行され、来賓の誰にも気づかれないままに式を終わらせることができた。


 ひとつ残念だったのは、あの美味しそうだった四の皿の肉料理が、再度配膳されて食べた時には緊張のあまりに何の味も感じられなくなっていたことだった。

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