真夏の海水浴

 あれから1週間、私はシェイラ様とダンスの練習、淑女の基本的なマナーやらお茶会の予定などが時々入ったが、他の時間は自由に過ごしていた。コック長にスイーツの作り方を教えてもらったり、牧場で餌やりの手伝いをしたり、湖で魚釣りをしたり温室のハーブを乾燥させてポプリを作ったりなど……楽しい休暇を過ごしていた。

 朝、起きて、自分のしたいことを考えることの嬉しさを感じる。


 そして今まで自分で何かを学びたいとか知りたいとかやってみたいとか私にはなかった気がする。思った以上に夏休みが楽しい。

 ベルがつばが広めの帽子を差し出す。


「ちょっと日焼けなさいましたよ。外へ出るときは必ず帽子をかぶってくださいね!」


 はーいと受け取る。今日は馬に乗って、湖の周りを駆けてみようかな。

 外に出た瞬間、また視線。やはり誰か見ている気がする。ここへ来てから時々視線を感じる。気配を読もうとするが視線は一瞬だけで、すぐに霧散してしまう。

 なんだろうか?少し気になったが、夏休みの時間は限られているので、とりあえず無視しておくことにしよう。敵意のような嫌な感じはしない。


「やあ。久しぶりだね。どこ行くの?」


 この声は!?


「キサ!ここに来れたの?」


 にっこりと白い半袖シャツに黒色パンツというラフな姿で突然現れた!と私は思ったが、すでに早朝には着いていたと後から知った。


「待機命令の当番が終わったからね。前半の1週間が待機期間だったんだ。でもそんなにここにも長くはいれないんだけどね」


 王子様は忙しいなぁと私は思いつつ、じゃ!と去っていこうとすると…


「ちょっとストップ!一応、恋仲なんだし、一緒に出かけないか?」


「ああ……そうだったわね」 


 湖は次回にするかなぁ。満喫しすぎて、恋人設定など一瞬、忘れかけていたわ。でもキサも忙しい身だろうし、したいこともあると思うのに律儀なものだ。


「海でも行かないか?泳いだり、冷たいおやつを持っていって食べたりしよう。どうかな?」


「海……私は海で泳いだことないんだよね。泳いでみたいかも」


 海と聞いて子ども並みになんだかワクワクしてきた。やってみたことはなかったが、泳いでみたいなと思っていたのだ!

 じゃあ、用意しよう!と言ってからの行動は早かった。鞄にタオルや水着、着替え。なぜかシェイラ様とマリア様も行く!と言い出したため、給仕係とメイド付きで参加。お昼ご飯はバーベキューをするらしく野菜やお肉が運ばれている。大きめの馬車が4台並ぶ。

 

 なんだか大事になっていないかな?


「なんで母様たちまで?」


 キサが心底めんどくさそうに言う。


「久しぶりに会えたのですもの。顔を見ていたいのですわ」


「邪魔はしませんよ。わたくしたちは海を眺めてのお茶会を浜辺でするだけです」


 二人の貴婦人は少女のようにホホホと笑いあってる。単なる野次馬である。キサも思惑に気づいているようで、半眼になっている。二人が想像しているような仲ではないので、キャッキャウフフの場面は無い。期待に添えないと思う。


「まあ、いいか。でも身の安全は自分で守ってくださいよ」


 それは大丈夫よー!と何故か自信満々で答えるシェイラ様。やれやれと呟くキサ。

 馬車は海を目指して走る。屋敷から、そんなに遠くはなく、木漏れ日が差し込む小さい森を抜けて、しばらくすると潮風の匂いが風にのってしてくる。


「もうすぐかな!?」


「そうだなぁ。もう着くかな」


「あ!あれ!海!?あっちは街!?」


 青い海と白い小さな街が見えた!


「街にはお土産とか名産の貝殻の細工とかあるから後で見てもいいかもね。この避暑地は母と小さい頃よく訪れていたんだ」


 へええええ!と目を輝かせる私を微笑ましそうに見守るキサは兄のようである。いや、私、そこまで子供ではないけど、誰もが海で初めて泳ぐとなればテンションも上がってくると思うのだ。 

 浜辺に着くと、靴は脱ぎ捨て、私は寄せては返す波へ走って行き、足をつけてみる。暑い中、冷たくて心地いい。足の指から砂が溶けるように波にさらわれていく。面白くて足の指も動かしてみる。


「ミラさまーっ!日焼け止めクリームをしっかり塗ってくださいよー!」


 着いてきたベルが私を呼び止める。塗らないと後から肌の皮が剥けて、酷い目に合いますからねと言われる。ハーイと振り返った私は口が開いた。


「こっ!これはっ!?」


 大きい天幕が3つ並んでいる。もはや家だ。海水浴に着いてきた給仕係やメイドたちが動き、手際よく、テーブルやイスまで置き出す。日陰になるように巨大な傘まで設置された。シェイラ様とマリア様は泳ぐ気はなく、優雅に天幕の中から海を眺めている。私は天幕の一つに入り、着替えたりクリームを、塗った。短パンに半袖の水着だが可愛らしくレース付きである。用意してくれてあったものだ。帽子をお忘れなく!とベルは私の頭に日除けの帽子をかぶせる。用意ができ、外に出るとすでにキサも着替え終わり、準備万端で波打ち際で遊んでいる。


「ほら、小さい蟹!」


 砂浜にいた子蟹を見せてくれる。私がツンツンと指先で触るとスススと逃げられた。


「ふふふ、逃げたー!」


 キサが、目を細めて笑う。


「楽しい?」


「楽しいわよ!夏休み初めてだから、どう過ごしていいかわからなかったけど、キサのおかげね!」


「よかったよ。お礼したかったけど、思い浮かばなくてさ。なにかミラの役に立つような楽しい気分になれるような、お礼がいいかなぁと考えたんだ」


「そうなの?……お礼はいいって言ってたのに」


 キサが海に入っていき、私を呼ぶ。腰のあたりまで水深がある。けっこう深そう。


「泳ぎ方教えるよ。海は体が浮きやすいけど、だんだん深くなるから気をつけて!」


「あの……泳ぎ方わからないんだけど」


「大丈夫!教えてあげるから!」


 いきなり教師になりだすキサ。ここから始まるまさかのスイミング教室。

 しばらくしてキサは私の泳げなさに驚愕することになった。ややショックまで受けている。


「まさかほんとに泳げないのか。禁術使いなのに?」


「それ!禁術とか関係なくない!?」


「いや、だってさ。なんでもできるイメージがあるだろ?禁術使いとか伝説級なのに!?あ、足を休めない!」


 バタ足の仕方を教えてくれている。手を持ってくれて……いい雰囲気どころではない!


「体をまっすぐに!伸ばして!」


「これ魔法でなんとかなりませんか?」


 応用できる術を頭の中で探しているとキサが呆れたように言う。


「なんでも術に頼らないで、泳げるようになると気持ちいいよ。いざというときにも泳げる方が助かるだろ?ほら、腕も伸ばして、体を浮かせてバタ足ー!」  


 意外とスパルタである。しばらくして休憩タイムにする。つ、つかれた!

 おかしい……優雅に海で遊ぶ予定はどこへ?


「お疲れ様デス……」  


 期待していた光景を見れず不満そうなベルがジュースを、持ってきてくれた。大きい傘の下の椅子に座って飲む。体が冷えていたが、暑さでまた体温が上昇してくる。


「何年ぶりかなぁ。この避暑地」


「最近は来てないの?」


 キサも冷えたフルーツジュースをもらって、一口飲む。


「小さい頃はよく来たけどね。なかなか来れなくなっていたなぁ。俺が近づくと周りが被害を受けるからね」


 なるほど……王子様はやはり苦労しているのだな。大切な人こそターゲットになるものね。


「母も楽しそうにしていて良かったよ。ミラが来てくれて娘のようで楽しいと言っていたよ。ありがとう。なかなか母に近づくことができる人は限られているからね。信頼できる人は少ないんだ。王家の関係者に関わるなんて面倒なことだろ?バイト代は払うよ」


 あ、なるほど、そういう人選だったらしい。


「いらないわ。じゅうぶんよ!こんな夏休みがおくれるとは思ってなかった。お姫様気分を味わえてるわ」


「喜んでもらえててよかったよ」


 フワリと自然に笑った。今の笑顔は作り笑いではない。本物のキサの笑顔だった。……いや、やめてほしい。私とて女子である。一瞬笑顔にドキドキした。


「こ、ここは他のお客さんいないの?」


 ごまかすように質問した。キサがうんと頷いた。


「王家のみのプライベートビーチだからね」


 ……さすがお金持ちー。遠くに他のお客さん用の浜辺が見える。シェイラ様とマリア様は尽きることない女の会話を延々としている。屋敷と海としてることは変わらない。

 ふと急に寒いような風を感じた。この平和な海との違和感がザワリとおこる。私は立ち上がる。


「ミラ?」 


「来るわ!」

 何が?キサが尋ねることはなかった。彼も一呼吸おいて察した。空の上。黒い小さい点が大きくなってくる。黒い点は3匹かな。私達の方ではなく、他のお客さんの方へ降りて行こうとしている。咄嗟に走る私。


「昼間でも場の空気も魔物には関係ないなー」


 横並びでいっしょに走るキサ。

 キャーと悲鳴が起こる。警備兵が叫ぶ。


「皆さん!避難所へ急いでくださいー!」


 シェルターへ入ろうと慌てる人達。観光地ゆえきちんと避難場所が作られているが、なにせ早い。空中から一気に急降下してきた。キサと私はバッと二手に別れると術を紡ぎ出す。

 一撃でできるなら仕留めたい。禁術が使用禁止の中、高位神術を使うしかない。

 無詠唱で私はすばやく光の網を作り、黒い鳥を空中で絡めとる。時間かせぎてきればラッキーというところだ。大きさは人の5倍はあるだろう。空の視界が鳥の影で黒くなる。光の糸を咆哮で引き千切った。キサが氷の矢を生み出し、放つ。無数の矢が降り注ぐ。鳥の羽根にダメージが与えられる。怯んだ瞬間に私が海面に手をついて水竜を3匹生み出す。


「海の王の遣いよ!居出て己の敵を滅ぼせ!」


巨大な竜が口を開けて襲いかかる。鳥にしばらくダメージを与え続ける。こちらの砂浜までこれない。


「聖なる刃!」

とキサが叫んだ瞬間、手に光る巨大な光る剣が現れる。跳躍して竜と戦っている黒い鳥に向けて一閃する。鳥が断末魔を上げるて消える。影のような3匹をきっちり仕留められた。被害はないかと周りを見て確認。大丈夫そうだ。もう他の人達は避難を終えていた。

 キサと戦うのもやりやすかった。さすがだわ……とチラリとキサを見ると難しい顔をしていた。


「やはり今は俺を狙わないんだよな」


「学院から離れてるから犯人もいないということかしら?」


 そう言った私の視線の先に海から黒い獣が出てくるのが見えた。シェイラ様とマリア様がいる方の海岸だ!!


「シェイラ様たちが!」


 ここから術が届くか?命中率を計算する。慌てる私に反して冷静にキサが言う。


「あっちは心配ない」


 歩いて戻っていいよと肩をすくめる。その瞬間。黒色の獣が炎の柱に包まれる。甲高い声を残し、消えた。


「一匹だし、楽勝だろ。エイミーなら。」


 誰……?そんな人いたかな?私とキサが戻るとシェイラ様たちは避難しておらず天幕には腕を組みこちらを睨むようにして見ている女の人が立っていた。


「遅い!二人であちらへ行ってどうする?シェイラ様の方をまず優先して守るものたろう!」


 怒ってる。慣れているようでキサはにっこりと笑みを浮かべていう。


「こっちはエイミーがいるから大丈夫だろ?」


「頼るな!」


「そうは言うけど、母の護衛として王家より命じられているんだから、ここは俺ではなくエイミーの仕事だよ」


 そう言われると忌々しげに私に視線を変えてくる。よく見ると闘神官の金色の刺繍がされている神官服を着ている。


「そっちはどうなんだ?」


 意味がわからず首を傾げた。


「よくも……まぁ、のんきに遊んでいるな。気づいていなかったのか?この私の存在を!」


 私はやっとわかった。ずっと感じていた視線の違和感がこの人だと!ポンッと手を打つ。


「あー!見ていたのはあなただったのね」


「気づいていたのに対処しなかったと?」


「殺意は感じられなかったし、まぁ……めんどくさいし、出てきてから……」


 倒すかと思っていたとは口にはしなかった。エイミーはビシッと指を私に突きつける。


「闘神官になりたいとか!そんな甘い考えをしているやつがなれるわけがない!!」


 天幕の暗闇に慣れてきて姿が見えるようになってきた。大人のそこそこ歳でベテラン闘神官っぽい。髪の毛はきっちり後ろに結い上げられており、鋭い眼光。まるで学院の先生のようだ。


「エイミー、言葉がすぎるんじゃないかな?」


 キサが優しいが強さのある声音で言う。エイミーがハッとして態度を軟化する。


「申しわけありませんでした。出過ぎました」


 私とキサに頭を下げる。その態度に私は慌ててしまう。


「いや、でも…私はエイミーがいたことを知らなったから、確かに二手に分かれて対処しなければならなかった場ではあった。それに……夏休みだからと気を抜いていたのも事実です。すいません」


 エイミーさんの言うことは正論ではある。


 たぶん、私は……古代禁術を使えるとどこか楽観視している。それが自分の弱点にもなると言うことを知った。


 その夜の夕食はキサとシェイラ様と一緒にとった。コック長がはりきって作り、デザートまで辿り着くのも大変だった。キサが来るのは珍しいことらしいので、皆が嬉しそうだった。


 夕食をを食べてひと息つくと、テラス席へ行き、二人きりになった。給仕係が食後の冷たいアイスティーにミントやレモンを添えてテーブルに置いて行ってくれた。

 真夏の風はじっとりと暑いが風があるおかげで涼しさを感じられる。

 キサがポツリと話し出す。


「金組になったら王位継承権を正式に放棄し、王家から出ようと思っている」


「そのくらい身が危なくなってるの?王家内のゴタゴタがあるとか?」


「もう記憶に残るときから周囲は騒がしいな。平和に暮らしを楽しみたい」


 私は深刻な話ながらもちょっと笑ってしまう。


「闘神官になるのに平和って言葉は合わないでしょ」


「確かにな」


 でもきっと彼に選べる道は少ない。王家から出て、王家のために尽くすことを誓うことをしなければ存在できない。そういうことなのだろう。それが幼かったキサが選択してきた道なのだ。


「ミラには何故かつい話してしまう。ごめん、巻き込まないとか言っておいて……」



「話くらい全然聞くわよ。私、別に嫌じゃないわ」


 私はアイスティーをひと口飲んだ。

 空を見上げると、魔法の灯りが灯っていても星がよく見えた。




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