夏休みのはじまり
カシュー地方の避暑地といえば有名らしい。夏でもさらりとした湿気の少ない空気。湖が点在し、そこから馬車で15分ほど行くと海水浴場や小さいが賑わう海の街がある。
カラカラと馬車の車輪が回る音。うたた寝していた私はガタンという揺れで目が覚めた。
「着きましたよー!」
御者が声を掛けてくれ、さらにドアまで開けてくれる。丁寧な人だと思ったら王家付きの御者ということが話していてわかった。
「ここですか……」
そうですよと明るい御者はテキパキと私の荷物を運んでくれる。大きいお屋敷。門からは広々とした庭が見える。門の呼び鈴を鳴らす。
「お待ちしておりました」
ドアからメイド10人ばかりと執事さんが出てきて並び、お辞儀した。こんな扱いで合ってるのだろうか?雑用のバイトと聞いてるんだけどなぁ。
「あの……私、バイトなんですけど」
執事さんが心得ております。という。
「こちらへ。お部屋へ案内します」
庭もゆっくり後から見せてもらおう。噴水に小さな小川がつけられていたり、赤や黄色の夏の花が見事に咲き誇り、奥にはガラスの温室が見えた。探検しがいがありそうだ。
屋敷の中もすごかった。天井絵のある玄関ホール。赤色の絨毯は埃や砂1つなく清掃されている。ドアはいくつあるんだろうか?食堂とお風呂を教えられ、やっと部屋に案内された。迷子になりそうだ。
「ここですか?なんか間違ってるような気がします」
部屋に一歩踏み込めず、執事さんに言う。白い手袋をした手を使って優雅にドアを固定し、私の荷物をメイドが素早く室内へ入れた。
「キサさまより聞いております。説明はこちらのベルより聞いてください。夕食は6時に食堂ですのでよろしくお願いします」
執事さんは忙しいらしく、ベルと呼ばれたメイドに頼むぞと声をかけて去っていった。私と同じくらいの年頃のメイドさんに不安になって聞く。
「あのー、私はお客じゃなくて、バイトをしにきたんですけど」
赤毛の少しそばかすが目立つ愛嬌のあるメイドさんがにっこりと微笑む。
「キサ様がおもてなしするようにとのことでした。バイト内容は母君のお相手だそうです」
「キサの母君の……って王妃さま!?!?いや!無理じゃないかな!?私のようなイナカ者は礼儀もわからないし!」
ベルは笑うのを我慢して、説明をする。
「大丈夫です。キサ様の母君はシェイラ様と言うのですが、ちょっと変わってます。主人のことをこういうのもなんですけど、王族らしからぬ方なので気を張らないでいいかと思います。楽しい方ですよー!夕食のときにお会いしますよ」
それから…とクローゼットを開く。
ドレス、乗馬用の服、水着、寝間着、動きやすそうな普段着……何枚あるの?その下にはそれに合わせた靴も沢山ある。開いた口が塞がらない。
「シェイラ様が選んだ物です。ミラ様に差し上げるそうです」
はあ!?どういうこと!?
「私の説明、キサからなんて??……いったいなんて聞いてるんです!?」
「お妃候補じゃないんですか?キサ様が言うには本人からまだ良い返事をもらえてないから、皆の力で頼む!とか言われてます」
いや、ここまで恋人のフリいらなくない?学院内だけでよくない??わけのわからない冷や汗が流れた。しかし断ろうにもキサがいないので、断れず、とりあえず、ありがとうございますと深々と礼をしたのだった。後で会ったら問い詰めるわ。
「シェイラ様にも感謝をお伝えください」
「え!?いえ!頭を下げられるなんて……下々の人達にお嬢様はしてはいけません!!」
慌てるメイド。
「私、お嬢様じゃありません。庶民ですし、ここまでしてもらうもの申し訳ないし、むしろなにか仕事があればします!とお伝えください」
「しょ、庶民ですか?平民ということですか?」
そうよと肯定する私。隠すことでもないだろう。
「ステキですっ!どうやってキサ様を射止めたのですか!?良ければ、あとからこのベルにお聞かせくださいね!身分違いを乗り越えて恋人同士になるなんて乙女のロマンです」
平民かーという反応だろうと思っていたが、ベルがキラキラと目を輝かせている。
さーて!とベルは気合を入れた。
「お風呂へ入り、まずはゆっくりしてください。それから夕食用の身支度をしますね!どのドレスにしましょうか?」
「あ、えーと……任せるわ」
任されてしまいました!と気分良さそうにドレスと髪飾りを見繕っているベル。
私はお風呂へ行くことにする。ベルはお待ち下さい!と着いてきそうになるので、一人でゆっくりしたいと告げると素直に引き下がってくれた。
平民暮らししか体験したことのない私なのだ。キサの母君の相手って……どうしたらいいの!?と高度な依頼に感じた。
今までされたことのない待遇をされて、とまどう私の気分をお風呂は吹き飛ばしてくれた。素敵なお風呂だった!入った瞬間、ハーブのいい香りが湯気と共にフワリとした。大きな湯船に何種類ものハーブが束ねられた物が浮かんでいる。癒やされるー。チョロチョロと出るお湯の音も良い。ホカホカになってお風呂から満足そうに出てきた私にベルが言った。
「山の方の温泉をひいているんですよー!これもキサ様の母君の趣味です。他国にはもっとすごい温泉地があるそうですが、なにせ海を渉ると言うことで、陛下が心配して行かせないとか。愛されておいでなんですよー!」
ベルは世間話をしながら、紺色のドレスを着せてくれる。自分でドレスを綺麗に着付ける自信は無い。髪の毛のセットに薄く化粧もしてくれた。テキパキとする手の動きに感心してしまう。
「ありがとうございます。すごい上手ですね」
「いいえ!これがあたしの仕事ですから!髪型やメイクとかするのすごーく好きなんですよ」
確かに楽しそうにしていた。
「シェイラ様もすごく楽しんで、ドレスを選んでいましたよー!」
「そ、そう……」
お相手とやらができるかどうか、また不安になってきた。王都にきてから、不慣れなことばかりしているが、本当は皆が経験するようなことを私が今までしなくて済んでいたからということもあろう。
山奥でのんびり毎日のルーティンをこなし、たまに師匠の手伝いで簡単な依頼をこなしに行く暮らし……でもそれもまた嫌いではないのだけど。
「これで完成ですよ。できましたー!どうですか?」
仕上げをしたベルはそう言った。鏡の中にはたしかに令嬢がいた。自分の姿に目が丸くなる。
「ベルって腕が良いのねぇ」
「普通ですよー!お嬢様の素材が良かったです。藍色の瞳の色とドレスの色を合わせてみましたっ!」
「いやいやいや、私のような田舎娘の素材などたかが知れてるわ!ドレスはとても素敵よ」
本物のお嬢様のアイリーンの華やかさを思い出す。
「謙虚ですねえ。もう少し容姿に自信を持たれてもいいと思いますが……」
ドアがノックされる。執事さんが夕食だと呼びに来たようだ。ドキドキしながら私は夕食場へ向かった。
ドアが開かれると私の椅子へ誘導される。16人は座れそうな広いテーブルの正面はシェイラ様なのだろう。私は右側へ案内される。食器が2つということは2人だけか。周囲にはメイドや給仕係の人が立っているが……。
私が席に着くと次はシェイラ様が現れる。キサとよく似た金色の髪をしている。落ち着いた。グリーンのドレスを身に着けていた。
「はじめまして。ミラさんとおっしゃったかしら?」
「はじめまして!ミラ=ヴィーザスです。えーと……お招きくださってありがとうございます」
立ち上がり礼をとる。
「いいのよ。礼儀は気にしないで。ごめんなさいね。疲れているのにお食事に誘ってしまってしまったわ。興味があったから、つい。ドレスも似合っているわ」
「あ、たくさんの用意をしてくださってありがとうございます」
「女の子の服を選ぶなんてメッタニなかったからとても楽しかったわ。さあさあ!座って食事をしましょうよ」
美人だけれど朗らかで気さくな感じの人だ。
「うちのコックは素材を活かすのがうまいのよ!」
と、いうだけあって、食事は素朴な味付けをしているが、おいしかった。素材の味がしっかりわかる。塩とオリーブオイルだけの色鮮やかなサラダ。魚のムニエルにポテトを添えて。野菜たっぷりスープ。小さな鶏肉のグラタン。パンは焼き立てだ。デザートはアイスクリーム。
「このアイスクリームも牧場でとれたミルクで作ってあるのよ」
「すごく美味しいです!!」
私は一口食べるごとに緊張が薄れていくのがわかる。
「そういえばお風呂も素敵でした!ハーブの香りが良かったです」
「あら?わかった??温室があるんだけど良かったら見てみて。ハーブや花がたくさんあるわ。夏だから花はそこまでないけれどね」
笑うシェイラ様はどことなく無邪気な少女を連想させる。
「キサは元気にしてるかしら?」
「はい。学院で……あまりお会いにならないのですか?」
私は首を傾げる。そう王都から遠い地でもない。
「ええ…あまりね。だからあの子の彼女を一夏頼まれて、それはそれは嬉しかったのよ!」
なるほど……。
「あの、私は平民ですし、あまり豪勢なもてなしはしなくて大丈夫ですので。何かする仕事とかあったほうが落ち着くというか……彼女といっても候補だと、思うので」
さすがに恋人のフリとは言えず、控えめにいってみる。
「でも、わたくしに紹介してくれたのはこれが初めてですのよ。この屋敷にきたことも。あなたはキサに信頼されてるのね」
柔らかい笑みを私に向けた。母親特有の愛情のこもった表情。
「仕事なら、なにか好きなことをすればいいわよ。たまにわたくしの話相手も頼みたいわ。あまりお客様を呼べないから日々退屈なのよ」
はいと頷く私。キサの真意は謎だが、母の気晴らしに私なら良いと思ったのかもしれない。アイリーンが養生中と言っていたが、王都では身の危険があるから、ここで過ごしているのだろう。
緊張したけど、こんな素敵な別荘地を味わえるのは一生に一回だろうし、せっかくもてなしてくれているのだから、ありがたく思い、楽しむことにしよう。
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