ホワイト編
第26話 白身は黄身に染まる
あれから数日たったある日。蒼井はクロハと共に民宿奥只見の台所に立っていた。エプロンを腰に巻き三角巾を頭につけるその容姿はまるで家庭科の調理実習である。そしてこれまた、作る料理も卵焼きと来ている。そして食卓には、好きな人が初めて作る料理を今か今かと待っているマジェンタの姿があった。
「いいか蒼井、料理は女がするものという只見線のディーゼルカーより古い常識が破壊されて久しい今日この頃だが、それでもなお男の料理の下手さには筆舌に尽くしがたい。俺はそんな状況を憂いている。料理とは即ち日常に潜む芸術だ。芸術を理解する心は男女関係なくともに持ち合わせているものであり・・・」
「く、クロハ、前置きはいいから早く作ろうよ・・・マジェンタが待ってるよ・・・」
たかが卵焼き程度で何をそこまで語れるのだろうかと蒼井は困惑しつつ、クロハの支持する通りに手を進める。
「いいか、卵焼きはシンプルかつ奥深い。ゆえに調理者の心がそのままそっくり味に反映される。もし塩や砂糖の匙加減、そしてフライパンでの焼き加減の不徹底という間抜けたことをすれば、卵焼き特有の風味がいともたやすく崩壊する。そしてその瞬間、それは卵焼きではなく、ただの焼き卵料理と化すのだ!」
「同じ事じゃん・・・」
「ふふ、若いな・・・俺も最初はそうだった・・・理解するのにかなりの時間を要したぜ・・・」
「と、とにかく、気を付けて料理しろってわけだろ、いちいちオーバーなんだよ・・・」
蒼井は若松のスーパーで買ってきた卵を持って、ボウルのふちで軽くたたいてひびを入れる。一個では足りない。マジェンタも食べるので多めに4個割る。
「蒼井さん、少しくらいしょっぱくても、しつこいくらい甘すぎても、私は全然大丈夫ですからねー!」
「まるで最初っから失敗前提みたいに・・・」
「それだけ信用ならんて事だ。」
「・・・」
蒼井はむくれた。作る前から二人とも僕の事を散々こき下ろしやがって、卵焼きくらいなんだ、絶対にいいものを作ってやる、見てろよ。
蒼井はボウルの中の卵を菜箸で、白身を切るようにして混ぜ始める。この時、空気を含んで混ぜると焼くときに卵が切れやすくなる。なので静かに、かつ素早く混ぜなければならない。
白身と黄身に分かれていた生卵を、一旦黄身をつついて溶かし始めると、あっという間に・・・真っ黄色の溶き卵となった。
・・・
ミカ将軍が休んでしばらくした後、イエルが戻ってきた。ミカの分も含めて職務を全うしているにもかかわらず、どうにか抜け出す隙を見つけて様子を見に来たという。ご丁寧に、医療班に作らせたという”エネルギー材”なるものも持ってきていた。それが入っている杯を持っているのは灰色にくすんだ義手の方だ。
「もう、そこまで気を使わんでもええのに・・・」
「いえいえ、同期や部下の体調管理も上司の仕事だというのは、地球でも色魔殿でも変わらないでしょう。さ、医療班をどやして作らせた特製の薬です、お飲みになって、早く元気になってくださいね。」
「・・・ほんま、おおきにな。」
ミカは、イエルから渡された杯を両手で持ち、ぐいと傾けて一気に飲み干した。色素生物は大半のエネルギー補給は色力でごまかすことが出来るが、水分だけはどうしようもないのでこの通りエネルギー補給も兼ねて水分を摂取することがある。ミカは杯を傍らに置くと、おもむろに立ち上がった。さっそく薬が効いてきたらしい。
「ええ薬やなあ、おかげでもうすっかり元気になった気がするわ、そろそろ戻らんと・・・」
「戻るって、どこへですか?」
「・・・そんなの、本来の職務に決まってるやん。」
ミカはイエルが何故その質問をしたのか理解しかねた。だがイエルは食い下がる。
「それでいいのですか?あなたが本当に行くべきところは、もっと別の場所なのではないですか?」
「・・・イエル、さっきからあんた何が言いたいんや?」
イエルはミカの真正面に立ちふさがった。
「貴方は既に二人の思い人を奴に葬られている。それなのになぜ奴に復讐しないのですか。」
「決まっとるやろ、二元色素生物を二人もたやすく、狡猾に葬り去った相手にうちが単体で叶う訳がないやんか。こっちだって何も考えてない訳やないんよ?とにかく今はむやみに行動を起こさない方が・・・」
「・・・それでいいのですか。そんなことで、二人は浮かばれるのですか。」
「ええ加減にせえよ、イエル・・・あんたに何が分かるんや!!」
「よおく、わかります・・・大事な人を失った気持ちは、とてもよく・・・だからこそ・・・大切な人を奪ったやつは・・・”直接”、復讐せねばならない・・・違いますか?」
「だから、そう簡単に済む問題じゃ・・・」
その時、ミカの思考の中に違和感が生じていた。・・・あれ?なぜだろう。さっきからイエルのいっていることのほうがただしいきがする。いや、絶対に違う。なぜちがう?どうちがう?すきなひとをころしたやつにふくしゅうする。それのどこがちがう?
「ミカさん・・・自分の本当の気持ちに正直になりましょう。今こそ一念発起して地球へと攻撃を仕掛けるのです。」
いや、違う。何も策がないまま感情的に復讐に走ればそれは死にに行くのと同じだ。今はまだその時では・・・ちがう。おまえはそうやってじぶんのほんとうのきもちをころしてにげているだけだ。いわかんをすぐにむねにしまいこむ。だからおまえはふたりをすくえなかった。みごろしにした。
「違う・・・違う・・・!!」
頭の中が混乱してくる。自分ではない何者かが話しかけてくる。こんなことは今までなかった。
「すでに用意は出来ております。色魔殿に残っている二元色素生物たちをかき集めて、特別討伐隊を結成いたしました。後はミカさん、あなたがやるかやらないかです。」
ブラックウィングをころしたのはやつだが、おまえがもっとはやくきづいていればくろつばめはしななくてすんだ。おまえのせいで、くろつばめはしんだ。いまこそふくしゅうのときだ。なにをためらっている。なにをおそれている。
「違う!!違う!!うああああ!!」
ミカは自分の頭の中に響く声のせいで気が狂いそうだった。いや、この時すでに狂っていたのかもしれない。冷血のミカが髪を振り乱しながら己の中に響く声と必死に戦っている様をイエルはただ奇怪な、かつ冷酷に見つめていた。
「嫌!!嫌!!」
きょひしてもむだだ。こんどこそはおまえのそくばくをうけない。おまえがわたしをおさえつけたからこそブラックウィングはしんだ。くろつばめもしんだ。おまえだ。おまえだ。ふたりをみごろしにしてもなにもしようとしないおまえはいつわりのわたしだ。みごろしにしたふたりのためにふくしゅうしようとするわたしこそしんのミカなのだ。
「うう・・・嫌ぁ・・・助けて・・・」
ミカは頭を抱えて、床にうずくまってしまった。将軍という立場上、心の中で押さえつけざるを得なかったミカ個人の感情が今どういう訳か大暴れしている。逃れるすべはどこにもない。己の内面にしかそいつは存在しない。そして、それを吐露できる相手ももう色魔殿にはいない・・・そう、皆・・・みんな、私のせいで・・・
「ミカのせいじゃない。」
なんだ、今の声は。とても聞き覚えのある、懐かしい声。もう聞けないはずの、ぶっきらぼうだけど優しい声。ミカはその声がした方へ顔を上げた。
「どうしたんだ、そんなに取り乱して。ミカらしくないぞ。全くなさけねぇ・・・」
目の前に立っていたイエルは消えて、代わりにそこにはブラックウィングが立っていた。
「・・・そんな・・・なんで・・・あなたが・・・」
「ほら、しゃんとたてよ。」
ブラックウィングはミカの手を取って立たせた。そして・・・彼女を抱きよせた。
「ミカ・・・お前ばかり辛い思いさせてすまねえな・・・でも決して、お前のせいじゃない。それだけは確かだよ。」
「ブラック・・・ウィング・・・」
「俺も流石に油断したってところもあるが、悪いのは全てあいつだ。あいつなんだ。だからミカ、自分を責めるな。」
ミカはブラックウィングの言葉に救われたような気がした。そうだ・・・私は悪くない。私のせいではない・・・あいつのせいだ。あいつさえいなければ・・・あいつがわたしからなにもかもをうばった。だったらせめてあいつからはいのちをうばってやる。わたしが。このてで。ちょくせつ。ふくしゅうを。
「あいつを・・・ころす・・・ふくしゅうする・・・」
「・・・有難う、ミカ。やっと決心してくれたな。」
「ブラックウィング・・・うち、いままでじぶんのほんとのきもちを・・・」
「いいってことよ、それより、ほら。お前のもとに集まった討伐隊、あんまり待たせちゃあいけねえよ。」
「うん!」
ミカはどうにか元気を取り戻すと、ブラックウィングから離れてまっすぐに討伐隊の下へと向かった。これでいいんだ、わたしはもうじぶんにうそはつかない。もうしょうぐんのたちばなんてしらない、このてでやつをころす。ころす。ころす。ころす。・・・
「・・・薬の効果は確かなようだ。まだ生きている人を死人と間違えるほどには錯乱しするとは・・・冷血のミカが聞いてあきれる・・・」
薬を飲ませて判断力を鈍らせた上で、彼女をあおって復讐させるまでは予定通りだ。だが、問題はミカを奴が始末するかどうかだ。奴は絶対に勝てると分かった勝負でも相手を見逃す癖があるのは黒燕での戦闘で証明済みだ。いや、結果が分かっているからこそ、あえてとどめを刺さないのだろうか?どのみち、俺は後始末のためにまた地球圏へと向かわざるを得なくなるな・・・そうだ、どうせ向かうなら・・・
イエルはそう胸中で独り言ちると、ミカの後を追って色魔殿の廊下を速足で歩いていった。
・・・
つつかれた黄身が広がり、白身は段々と黄色く染まってゆく。最後に残るのは、真っ黄色の溶き卵。白はそこに存在しない。そこへ塩と醤油と砂糖をいい塩梅に混ぜて上手く焼き上げれば美味しい卵焼きの完成だ。しかし今マジェンタの眼前には、卵焼きのイメージとは全くかけ離れた、何か黄色いぐちゃっとした塊が皿の上に置いてある。
「・・・」
「だから言わんこっちゃねえ、いよいよ大詰めって段階で、カッコつけてパンケーキよろしくひっくり返そうとするからだ。」
「う、うるさいっ。」
「せっかく途中までは”初心者にしては”上手くいってたのになあ・・・最後の最後で・・・」
「うるさいうるさい!」
蒼井は自分が調子に乗って最後の最後で何もかもを台無しにしたことをものすごく恥じていることが顔の好調度合いからも良くわかる。そんな蒼井を察して、マジェンタが慰めの声をかける。
「ま、まあ、でも味はいいですから、料理ってのは結局味ですからね。はい。」
「マジェンタはやさしいな。・・・でもその通り、筋は悪くねえ、あと必要なのは最後まで手を抜かない忍耐だな。まあ何事も経験だ。さあ、せっかく蒼井が作ってくれた卵焼きだ、美味しく食わなきゃ罰が当たるぞ。それでは・・・」
「「「いただきます!!」」」
珍しく色素生物が出なかった昼下がりの、久しぶりに3人そろっての昼食は、戦を一瞬でも忘れることが出来るくらいには、平和な時間であった。
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