第6話 叶わなかった再会
・・・
夏真っ盛りの浜辺だった。何処までも続いているように思われる白い砂浜に、穏やかな波が白泡を立ててさざめき、その水平線の向こうに目をやると澄み渡るような青空にむくむくと入道雲が盛り上がっている。そこには二人の背丈の異なる人影が立ちすくんでいた。背の高い一人は体をかがめて、背の低いもう一人に目線を合わせて何かを話している。
「嫌だぁっ」
背の低い一人は目にいっぱい涙を溜めて駄々をこねた。小さな子供だった。
「お姉ちゃんと一緒じゃなきゃ嫌だぁっ」
もう一人は、弟がそう答えるだろうとはあらかじめ予想を立てていたが、それでもどうにか弟を宥めることに努めた。
「ごめんね、ソウくん・・・お姉ちゃんも本当はソウくんと一緒に行きたいの。でも、今からお姉ちゃんが行くのはとても危険な場所なの。この前、いろんな色が持っている不思議な力について話したでしょう?お姉ちゃんはその力を、みんなの為に使いやすくする為に、そこへ行かなければならないの。」
「しきりょくかつようけんきゅうきかん、でしょ?僕も連れてってくれなきゃいやっ」
弟は必死に覚えた難しい漢字を読み上げた。そうすれば、姉は自分を連れて行ってくれると思っていたのだ。そんな弟のけなげな努力に、姉はただただ抱きしめてやることでしか報いることが出来なかった。
二人はみなしごであった。ある気候変動によってもたらされた甚大な天災で両親を失っている。だが姉は病弱で、弟は生まれて間もなかったので双方病院にいたのが幸運だった。その後二人は孤児院に預けられて健全に成長する。病弱の姉はその体質を克服し、齢10で義務教育レベルの知識を身に着ける天才に、親を知らない弟は、唯一の肉親たる姉が少しでも離れようものならわんわん喚き散らしてしまうほどの寂しがり屋に。
姉はその秀才ぶりが認められて、わずか16という年齢でこの国が心血を注いでいる”色力”というエネルギーの研究チームに抜擢された。当然チームメンバーの中では最年少である。だが、これはある一人のメンバーが彼女の才能を生かさない手はないと、強く推薦した結果でもある。その推薦者は、強い海風に自前の黄色いネクタイを風になびかせながら弟を抱きしめている姉に近づいていった。
「桃花。そろそろだ。」
「・・・うん。」
姉は名残惜しそうに弟から手を離した。
「いやっ、いやっ、お姉ちゃん、行っちゃいやっ」
姉だって気持ちは同じだった。だが自分はいかなければならない。この色力という新しいエネルギーには無限の可能性が秘められている。このエネルギーを使いこなすことが出来れば、自分たちのような災害孤児の発生を抑えられるかもしれない。いや、なんならその気候変動の引き金の一つとされている人間の過度な資源浪費も。その過程で勃発する戦争、紛争も。
姉は、目の前で大声を上げて泣きじゃくるたった一人の肉親よりも、色力によって救われる不特定多数の方を取った。大丈夫、ソウくんは彼の家が責任をもって引き取ってくれる。そうだから、何も心配することはないのだ・・・そう何度も頭では言い聞かせても、姉は目頭からあふれ出てくる熱いものを拭い去ることは出来なかった。それを隠すようにして、姉は弟の前から去っていった・・・
その後、弟は姉の推薦者の家庭に養子として引き取られた。彼の養親、即ち姉の推薦者の良心は幸いにも弟を快く受け入れ、実の息子のように愛情を注いだ。健全に育った弟は、姉譲りの能力を開花させた。そして齢20にしてようやく姉と肩をならべて働くことが出来る場所へとたどり着いた。すべては姉に会うため。姉と一緒にいる為。ただそれだけを心の頼りにして、弟はここまで、COLLARSの隊員までたどり着いたのだ。
・・・だが、弟は生きて姉に会う事はかなわなかった。弟が再び姉と面と向かって顔を合わせた時には、姉は既に体を冷たくしていたのである。
~~
蒼井は姉の顔を覆っている白い布をめくった。その下にある顔が、別人であったらとどれだけ強く願ったか。だが、非情にも白い布の舌で眠っているその顔は、蒼井のたった一人の肉親であり、心の支えでもあった、蒼井桃花その人に間違いはなかったのだ。涙はすでに出し尽くしていた。蒼井の心の中で何かが音を立てて崩れ落ちていった。傍にいた姉の同僚らしき人物が、当時の状況をもごもごと語り始めたが、蒼井は目の前の状況を整理するの精いっぱいで、話など全く入ってくなかった。
「色力を利用した高機能エンジンの実験の最中に、突然、エンジンが暴走して・・・博士は何とかエンジンを制御して、その間に研究員たちを全員逃がしたんです・・・でも・・・最後の最後、博士が逃げ出そうとしたところで・・・制御が利かなくなって・・・」
姉は痛みを感じる暇もなく爆発に巻き込まれた。本当なら爆発四散した彼女の亡骸は人というよりはミンチの方が近い、とまで言い表せるほどひどい状態であったのだが、色力を応用した体組織再生技術――これもやはり彼女の研究によって確立された――によって、その無残な死体はまるで爆発などなかったとでも言わんばかりにきれいに繋ぎ止められていた。しかし、色力は体は復元させることは出来ても、たった一人の肉親、そして最愛の人物たる姉、蒼井桃花の命は復元することは出来なかったのである。
その事実を突きつけられた蒼井は大きな衝撃を受けてしばらくは立ち直れなかった。そして何度も逡巡を繰り返した末に、腹を決めてある決断を下し、それをしたためて自分の上司たるCOLLARS隊長の指宿タテマ隊長にそれを手渡した。
「・・・自分勝手ですみません、隊長。」
「・・・」
COLLARSとて、防衛軍に所属している以上軍人の集まりである。その双肩にはこの国の、ひいてはこの星の80億の命がかかっている。たった一人肉親が死んだくらいで心身に不調をきたすようでは、色素生物からの地球防衛は務まらない、それは蒼井も重々承知の上だった。だが、指宿隊長は蒼井がしたためた辞表を受け取ることはせず、代わりに、彼を非常勤隊員に格下げする辞令を下した。
「事務には私から言っておく。隊員のみなもおおむね賛成だ。・・・まあ、今はゆっくり休め。」
「・・・隊長。」
「もとはと言えばこのCOLLARSも君のお姉さんがいなければ存在すらしなかったろう。私たちも大分世話になった。だが、その恩に報いる前に博士は逝ってしまわれた・・・代わりに、こういった形で済まないが君に恩返しをさせてくれ。」
「・・・お心遣い、感謝します・・・」
蒼井は指宿隊長に深々と頭をさげた。そして、姉がいかに素晴らしい人物であったかを、やはりあふれ出る感情を何とか理性で押さえつけている指宿隊長の表情からひしひしと感じ取った。後から聞いた話では、彼女は色力活用研究機関で働いていた頃の姉に師事した、後輩でもあったのだ。何ならこのCOLLARS全員、姉と何かしらの接点があるものばかりであった・・・そしてのちに、皆姉と同じく何者かに殺されて同じ末路をたどることになるのだが。
蒼井は部屋を後にすると、彼の右腕に巻き付いているCOLLARSの通信端末にメッセージ文が届いた。蒼井は腕時計よろしくディスプレイに表示された文章を覗き込む。送り主は岐路井からだった。
[防衛軍色力研究資料館にて待つ。見せたいものがある。直接話したい。]
蒼井は防衛軍基地から少し離れた大通りに出て、適当に流しているタクシーを捕まえると、岐路井が待つ色力研究資料館へとむかった。
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