新聞の集金人、時々、名探偵
黒羽カラス
第1話 事件は突然に
溌剌とした表情で
一気に駆け下りると思いきや、一軒の家の前で立ち止まった。短い時間で息を整え、にこやかな笑顔で門柱のインターホンを押した。
「
『あ、あの、少し待って』
インターホン越しに男性の焦りが伝わる。雑音のように割り込む声は
玄関の扉が開いた。家主である
「これが今月分ね」
「いつもありがとうございます」
受け取った千円札と硬貨を数えてポシェットに収めた。軽く一礼して離れようとした瞬間、声を掛けられた。
「綾ちゃん、少し時間を貰えるかな」
「いいですけど、何でしょう?」
引き留められた綾は丸みを帯びた目を向ける。
「インターホンから聞こえたよね?」
「……内容まではわかりませんが、漫画の締め切りが近いのかな、とは思いました」
「それもあるけど、別のことで仕事が手に付かないというか。前に聞いた話だと、綾ちゃんは大学の関係でミステリーを好きになったんだよね?」
由芽は顔色を窺うような目で言った。
「そうです。今でもミステリーサークルに所属していて、出来によっては会誌に自作の小説を載せていただいています。特に思い入れが強いのはサイコパスの犯人を
「まあ、今回は事件って程のことではないんだけど、すっきりさせたいから。取り
「わかりました」
由芽は門扉を開けた。
「お邪魔します」
「本当に助かる」
二人は揃って家の中へと入っていった。
広々とした玄関で綾は運動靴を脱いだ。
案内する由芽の小さな背中を見ながら突き当りの部屋に行き着く。木目が美しい引き戸を開けると仕事部屋のようだった。
部屋の中央に二台の机が向かい合わせの形で並べられていた。机上にはパソコンやペンタブレット、雑誌の類いが目に付く。
奥には大きな木製の机が控えていた。その近くの壁際にアシスタントと思われる男女が暗い顔で横一列に立っている。私語はなく、全員が口を閉ざした状態でいた。
「あの、これは」
状況がわからず、綾は由芽を見た。その横顔は先程と打って変わって怒気を
「探偵役の綾ちゃんに見て貰いたい物があるのよ」
由芽は大股で歩く。奥の机に置かれた物をひったくるようにして戻ってきた。
「これを見て」
「空の容器と細長いテープでしょうか」
「私が楽しみに残して置いた焼きプリンの無残な姿よ」
綾に証拠の品を手渡す。由芽の怒りは再び一方へと向かう。
「両面テープの片方の先端に『但馬』と先生の苗字が、しっかり書かれていますね」
「それなのに誰かが私の目を盗んで食べたのよ。いい加減、白状しなさい!」
アシスタントの一人、丸眼鏡を掛けた女性が小さく手を挙げた。
「まさか鈴木、チーフのアンタが食べたの!?」
「ち、違います。そうではなくて、先生、仕事をしましょう。これ以上、遅れると締め切りに間に合わなくなるかもしれません」
黙っていた大柄な男性が口を開く。
「俺もチーフの意見に賛成です。不満はあると思いますが、今は仕事に専念してはどうでしょうか」
他の者も同意を示すように小刻みに何度も頷いた。
由芽はドンと足を踏み鳴らす。
「無理よ! 信頼関係が揺らいでいる状態で仕事なんてやってられないわ!」
由芽の近くにいた綾は受け取った証拠の品を弄り回す。その状態で質問をした。
「但馬先生が焼きプリンを自分で食べていながら、そのことを忘れたという可能性はありますか」
その質問には本人でなく鈴木が答えた。
「それはあり得ません。先生は先程まで別室で仮眠を取られていました。その間に私は冷蔵庫を利用して容器に入ったプリンを見ています。先生が起きて冷蔵庫を見た時には、すでに容器ごと無くなっていました」
「そうですか。わかりました。問題の冷蔵庫は、その隅にある物ですか」
「そうです」
「全ての私物に両面テープが貼られていて、所有者の苗字が書かれているという認識で合っていますか」
「その通りよ」
由芽は力強い声で即座に返した。
「わかりました。それではアシスタントの皆さん、苗字を教えてください」
綾はにっこりと笑って促す。意図がわからず、アシスタントの面々は多少の困惑を伴った。
最初に左端にいた大柄な男性が苗字を伝えた。
「
「私はすでに名前が出ていますが、チーフの鈴木と言います」
「僕は本田です」
小太りの男性は泳いだ目で言った。
最後の一人は長身の女性であった。皆の注目が集まる中、伏し目となる。
「……
身体に反してとても小さな声で締め
「ありがとうございました。今の質問で焼きプリンを食べた人物がわかりました」
「え、こんなことで?」
犯人探しに向きになっていた由芽が驚いた。綾はにこやかな顔で答える。
「十分です」
堂々とした態度はまさに名探偵。一同を前にして晴れやかな顔を見せた。
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