プロローグ

 世界は、こわい、で満ちていた。



 たとえば、家のお風呂の隅にいる、長い髪の人。


 たとえば、登校途中の電柱の陰に立つ、真っ黒なおじいさん。


 たとえば、学校の階段の踊場でぺしゃんこになっている、赤い何か。



 多くはそこにいるだけだけど、たまについてきたり、触ってくるのが、たまらなく怖かった。



 たとえば、公園にいるロープに巻かれているお姉さんは、いきなり手をつないでくる。


 たとえば、橋の欄干の外にぶら下がっている男の子みたいなものは、隙間から足を擽ってくる。


 たとえば、学校の近くの神社にいる白いワンピースを着た誰かは、追いかけてきては赤いペンダントを渡そうとする。


 たとえば、慶くんちのこたつの中のおばさんは、中においでとニタリと笑い、足を掴もうとする。



 全部、ぜーんぶ、わたしにしか視えない。

 

 こわいもの、だった。





 世界は、変わった。


 慶くんのおまじないは、すごい。



 家のお風呂は暖かで安らぐ場所に。


 電柱の陰はその色を薄くする。


 学校の踊場は一気に走って駆け上がれるし。


 公園では何も気にすることなく、空を仰いでブランコを漕いだ。


 神社では新しい年の挨拶を、清々しいきもちでお詣りできたし。


 慶くんちのこたつに足を入れると、こたつはひたすら足を暖めてくれた。


 橋の上から見る夕日と、土手の草花と、中程をちょろちょろと流れる眩しい川面の美しさを。



 何もいない。


 何も、視えない。



 世界はこんなにも、綺麗だった。

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