気のせい気のせい、と必死に自分に言い聞かせる。

 うっすらと目を開けてみる。もしかしたらそれはなくなっているかもしれない、という淡い期待はテラテラと存在感を主張する肝臓によって裏切られ、りんはため息をついた。

 よし。

 決意が揺らがないうちに一気にやってしまおう。

 震える両手で、目の前に横たわる肝臓をりんは大胆にもわっしと掴んだ。


 掴めて、しまった。


 感触は、肉そのものだった。

 鳥モモ肉を掴んだときのような、いや、それよりも大分柔らかくて崩れそうな感触で。指の間からにゅるりと血液が溢れ伝わっていくのが、ひどく気持ち悪かった。

 なぜか温かい気もするその臓器を、りんはすぐ横の花壇のブロックまでそろりと運び、その上にそっと置く。

 肝臓はゆっくりと弛緩し赤黒い血がブロックを滴り落ちていった。

 りんはくるりと向きを変え、あの赤黒い人のようなものが置いていった物を、今度からは躊躇いもせずに次々とブロックの上へとよけてゆく。花壇のブロックにはあっという間に、等間隔に置かれた気持ちの悪いオブジェが完成した。

 振り返ると、運動場の土の上には血液が赤黒いシミを点々とつけている。それが消える様子を全くみせないので、りんは途端に不安になった。

 りんの両手は、今し方殺人をおこしてきたかのごとく赤く染まっている。

 なんとなく両手をぎゅっと握りしめ、運動場の生徒からは見えない花壇側へと心持ち傾けながら、りんは正門へと歩きだした。

 見えていないだろうとわかっていても、血まみれの手を堂々と振って歩くのは勇気がいった。

 正門まで来るとあの赤黒い人のようなものが、道路を横断し終わり、角の商店へと入っていく。


 それは毎日のルーティンだった。


 あれは、学校を出発してあの商店へと帰っていく。


 商店の関係者なのか、それともただ単に通り道なのか。

 りんにはわからないし、わかろうとも思わなかった。視えるだけで何もできないのだから、何もするべきではないのだ。

 たった今臓器を横によけてきたことは棚に上げて、りんは思った。

 ふと見ると、さっきまで濡れた感触や臭いまでしっかり感じていたというのに、りんの両手は何事もなかったかのようにきれいになっていた。

 運動場はどうだろう、と後ろを振り返ったりんの目に、点々と続く赤いシミと、花壇のブロックにテラテラと光る等間隔に並べられた臓器が目に入る。


 視えるだけで何もできないのだから、何もするべきではない。


 わかっている。

 わかって、いるけど。

 けれど篠田さんや今田さんがそうだったように、少しだけ見知った顔の生徒や先生、そしてそう、倖が、もしかしたらあれにつまずいて苦しい思いをするかもしれない。

 そう思ったら手を出さずにはいられなかった。

 だからといって、この作業を繰り返しできるのかと聞かれれば、無理だと答える。


 あれは毎日現れる。


 毎日、同じ時間にこんなこと、できるわけがない。おまけにあれはサッカー部が走り回っているコート内にも現れたりするのだ。

 倖と一緒に帰る時などは特にそうだ。何やってんだお前、と不審に思われるに違いない。

 そうして、はたと気づく。


 この先、また前のように、倖と一緒に帰ることがあるのだろうか。


 りんのいとこは倖の探していた人物とは違った。違うどころかりんが余りにも斜め上だったせいでひどく落ち込ませてしまった。多分すごく怒ってもいるはずだ。

 その証拠に、今日は倖に話しかけられることはなかった。お昼も一緒ではなかったし、ここのところの恒例だった、放課後どこ行く論議もなかった。

 連絡先を聞きだす、という関係性が失われてしまったし、倖がこれ以上りんに関わってくるとは、到底思えなかった。

 視線を前に戻し、とにもかくにも慶の眼鏡屋へと急いで行かなければならない、と思い直す。

 りんは重い足取りで駅のある右手の道路へと歩き出した。




 了


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