その2

「おいおい、いきなり八年もタイムスリップするなんて聞いてないぜ!」なんて思われた方も居るかも知れない。正直なところ、この八年は単なる準備期間。料理で言う下味を付ける段階である。まぁ、その下味にとんでもない調味料を使ったのだが、これが効いてくるのはもう少し後になりそうだ。だから今語るべきは、向坂瞠との出会いについてだろう。


 そもそもプランCを決行するにあたり、私自身にも幾つかの障害があった。その内の一つが体力、詰まるところ強さであり、少しでも様になるような特技が必要だった。


 その旨を烏有夫妻に話したところ、意外や意外、申し出自体はすんなりと受け入れてもらった。難色を示したのは習い事の“内容”である。


「本当にこれでいいの? ママはピアノとかの方がいいと思うんだけど」


「せめて剣道とか、もっとメジャーなものにしないか?」


 そう言って、彼らは二人して眉根を寄せた。確かに子供、ましてや可愛い一人娘に習わせるものではない。むしろ端から否定しないだけ優しい反応だった。それが余計に心苦しかった訳だが、ここで折れては世界救済も何もない。だから心を鬼にして、私は声高らかに主張した。


「銃に対抗するなら日本刀だと、昔から相場は決まっているんです!!」


「……はぁ?」


 向坂剣術道場、その稽古場にて。

 烏有宅から程近いそこは、小学生の間でお化け屋敷と呼ばれていた。蔦だらけの扉は正しくその通りで、人の気配が微塵も感じられない。が、ここで日和っていてはオタクの名折れ。


 道場破りが如く、勢いよく扉を開ける。同時に志望理由を叫ぶと、薄暗い廊下の先で何かが動いた。人のものと思しき声も聞こえたので、少なくとも幽霊ではない……と思うのだが、何故だろう。先ほどから悪寒が止まらない。


“何か”は固まったまま、こちらをじっと見つめている。値踏みのような視線は数分にも渡り、


「また妙な奴が来たな」


 やがてひたひたと足音を立て、声の主は姿を現した。

 年は三十前後だろうか。だとしたら、随分と若い師範代である。黒髪黒眼の短髪。「如何にも」という見た目だが、その瞳には薄らと朱が差している。それが現実なのか、はたまたオタク特有のフィルターかは分からないけれど、こういう表現をしても違和感がないのだから、やはり二次元は凄い。


「子供はお呼びじゃねぇんだ。さっさと帰れ」


「見学のお願いをした烏有周です!」


「だぁかぁらぁ、それは電話で断っただろうが」


「それでも見学したいんですけど、どうしたらいいですか!?」


「もしかして声量で押し切る気なのか、お前」


 さすが剣術家、初手で作戦を見破るとは恐れ入る。熱意さえあればどうにかなると思っていたのだが、どうやら甘い考えだったらしい。


 至極冷静に返されてしまったので、こちらもすんと姿勢を正す。


「大体、親御さんはどうした。電話口は確か母親だったと思うが」


「母は日中仕事があるので、取り敢えず一人で来ました」


 無論、嘘である。本当はこれ幸いにと路線変更させられそうになったので、現在進行形で強行突破を決め込んでいるところだ。


 男は怪訝な面持ちを浮かべつつ、話の続きを待っているようだった。


「月謝もきちんと払います。だから、剣術を教えてください」


「……チャンバラごっこがしたいなら他を当たれ。それがお前さんのためだ」


「“ごっこ”ではダメなんです。戦うための技術でないと」


 実を言うと、剣道を選ばなかった理由もここにある。公平であることを前提にしたもの、即ち競技では意味がない。それでも経験を積めばどんな敵にも対応できるだろうけれど、何より私には時間が無かった。ショートカットのチートバグ。その結果選んだのが、である。


「あなたの流派がどんなものかは、事前に調べてきました。だから……いえ。だからこそ、ここではないとダメなんです」


 なんて知ったような口を利いているが、流派は疎か、剣術に関してはてんで素人である。知っていても柳生新陰流や天然離心流など、オタクとして関わりのある一部のみ。


 それでも流派にまで拘った理由は、主に二つある。一つ目は、向坂流がゲームにのみ存在する架空の流派であること。これはファンブックで言及されていたので(制作陣がやらかしていない限り)、ソースとしては十分だろう。架空、つまりよくエンの世界観に則したものであれば、前世既存のルールに囚われなくて済む。


 そして何より二つ目は、


「あなたの不殺の精神を、私にも分けてください」


 この流派が、誰も殺さないことを信条にしているから。

 これ以上ない口説き文句だというのに、男は表情ひとつ変えなかった。その目が「胡散臭い」と言っているような気もしなくもないが、すべて心からの言葉である。信じてほしい。


 見つめ合うこと、数分。驚いたことに、先に視線を外したのは男の方だった。


「俺が一番嫌いなのは、不殺の心を“ままごと”だと笑う奴らだ。で何が悪い」


「お前も笑うか」と、男は静かに瞳を細めた。その眼光は矢にも似た鋭さを持ち、不殺を語る者にはそぐわない表情だった。悪寒の理由はこれかと、今更ながら得心する。


 状況は宛らスポ根漫画、しかし内心はサスペンスもののワンシーンと、情報過多もいい加減にしていただきたい。七歳の少女に課して良い試練ではないだろう、これ。


 だが残念なことに、試されているのは紛れもなく“私”の方であり、当然求められる答えもそれ相応のもののようだ。だからお行儀よくしても意味がない。


「……もう一度言います。だからこそ、ここではないとダメなんです」


 ならばもう、答えることは決まっている。矛盾を壊してこその創作に、“最高”以外の感想を私は持ち合わせていないのだ。


「お願いします、。どうか私を、弟子にしてください」


 言うと同時に深々と頭を下げる。ダメ押しではないけれど、これで想いが伝わるのなら安いものだ。


 それから程なくして、頭上からこれでもかと大きな溜め息が聞こえた。続いて名前を問われ、私は顔を上げた。


「烏有周、七歳です。よろしくお願いします!」


「向坂瞠。朝稽古は五時からだ。胴着は自分で用意しろ」


 今思えば、これが私にとっての初金星であり──あれ以来、一度たりとも師匠に勝てたことがない。

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