とある殺人犯のブログ

@prot_plot_parrot

タイトルなし 210422

いつからだろうか。何事にも満足できなくなったのは。


過去を振り返る。

運動ができず太っていた私は、小学生時代には格好の「イジリ」の的だった。親は、少しでも遊び相手ができればとサッカー教室に通わせたが、私はヘディングが怖かったし、他人の足元にあるボールをひっかけて転ばせたらどうしようと、委縮しきっていた。はっきり言って、楽しくなかったし、運動も好きにはなれなかった。

中学に入ると、私への「イジリ」は終息した。というよりも、誰も私を見ていなかったのだ。流行りのドラマの感想を言い合う友人も、甘酸っぱい恋愛も、そこにはなかった。ソフトテニス部に入ったものの、同い年の部長からやる気があるのかと言われれば「あるわけないだろ」と心の中で呆れていた。元から運動神経がいいやつがたくさん練習している。「俺はテニス好きだから」と無邪気な顔で、彼女もできて。じゃあ私は?寝る間も惜しんで練習すれば追いつけたかって?違う。そんなわけがない。「やってもないのに諦めるのか」と、当時やっていたドラマの熱血教師なら言うだろう。それでも、この時点で私は「ああもう手遅れだ」とあきらめることを覚えていた。

幸いなことに私は勉強だけはできた。自分の脳みそのスペック上、努力が結実する唯一の分野だと経験上知っていたから、それだけはあきらめなかった。県内で偏差値の最も高い男子校に入り、一歩引いたオタクとしての生活に不満はなかった。結局私は太ったまま、大学に入った。

大学デビューする、かつてのオタクたち。私は、結局男子校のノリが抜けないまま、童貞のまま大学を卒業する。文学部という、比較的女子率が高い、出会い自体はあっただろう環境で、だ。誰のことも好きになれなかった。それに、恋愛という人間がただの獣に戻る瞬間を、どうにも忌避していた。恥ずかしかったのだ。隠れて自慰をしていれば、少なくとも人前で獣に戻らなくて済む。いや、違う。もっと言えば、諦めきっていたのだ。私には人徳はない。人間的魅力もない。そう信じ切っていた。

大学卒業後の仕事は、傍目から見ているのとは裏腹に、主観ではうまくいかなかった。B2B企業のミドルオフィスで実績を作っても、私の心は晴れなかった。どんなに実績があっても、昨年対比で伸ばしても頭に付きまとうのが、「もっとこうすればよかったのでは」という、薄暗い感情だった。今になって思えば、まだ反省し前に向かう気持ちがあっただけ、このころはマシだった。常に足元にドロリとした「何かミスっている」「何か足りていない」という不安が漂っていて、頭がおかしくなりそうな日々ではあったが。そして、案の定私はよくミスをする男だった。どういうことか。不安が現実になることを学んだのだ。

環境を変えれば何かが変わるかもと思ったが、そうはいかなかった。私はどうしたわけか、いつの間にか、「わからないことを聞く」という当たり前のこともできなくなっていた。「なぜ聞かないのか」「何で調べなかったのか」のよくあるサンドイッチに頭がパンクしたのだ。それに、前職では「それなりには」やれていた自負があったにもかかわらず、ミスをしたときに上司に「前職の仕事は簡単だったから、しょうがないよ」というフォローをされたのも、決め手だったかもしれない。多分だが、私が前職で何をしていたかなんて、きっとわかっていなかったのだ。私の上司は優秀だがそれゆえに忙しすぎた。私は「頼ってね」という言葉をそのままに受け取れなかった。

そして私は、転職してちょうど7か月目、業務上のミスをした。土日出社で同僚にフォローしてもらうことになった。自分だけが何もできず待機させられている間に脳裏に浮かぶのは、「どうすればよかったのか」。ああそうだ、ほかの人間がやればよかったのだ。転職先になじめなかっただけでなく、業務上でも異物であると自覚してしまった。だったら逃げ出して、また別の職場でなんとかなるよう祈るか?まさか。どこまで行っても私に待っているのは、お決まりの絶望だけだ。慰めもなく、夢も希望もない。達成感もない、空虚な人生、空虚なエンドロールというわけだ。

転職当時から、私は頭の中には「お前は無能だ」と言って付きまとう、幻聴に悩まされていた。電流を頭に流す、週1回20分2万円の治療も、効き目があるのかないのかわからない。お金だけが手元から消えていき、自分の人生は好転しない。全く、気が変になる。そしていつの間にか、私が好きだったお酒や映画、動画、ありとあらゆるコンテンツの全てが、無味無臭に感じられた。楽しくない、全然楽しくない!

たった一度の転職で、と思うかもしれないが、この時私はまっとうに社会で生きることをあきらめてしまった。それどころか、死にたい死にたい死なせてくれよと、日々を嘆くに至ったのだ。


それでどうしたかって?

このクソゲーを止める選択肢はたったの二つだ。どちらかしか、私に取れる方法はない。

一つ、自らを殺害する。このくそったれな現状の全ての諸悪の根源をシャットアウトするってわけだ。おそらく死ぬほど痛いが、死んでしまったら何も感じることはない。つまり「負け逃げ」だ。そんなことをしたら魂が地獄に落ちるとビビることができれば良かったのだが、そこまで想像力がない。唯一あるのは、死んだら終わり、という明確なファクトだ。この「終わり」を肯定的に捉えてしまうとは、なんとも皮肉なものだ。


二つ、自分の人生に意味を見出す。低スペックなハードで動かしている、映像の解像度だけは高い本物のクソゲーではあるものの、それなりの年月を共にしている。それに「僕、自殺したいんですよ~><」と言われれば誰だって言うだろう、「自殺なんて止せ!考え直せ!」「でもまだ自殺してないってことは、生きることを諦めてないんじゃない?」と。なるほど、一理ある。私が漫画や映画から受け取った勇気あるメッセージが背中を押してくれる。

ただし、こっちはすでに社会に適合することを諦めてしまっている。それはもう、確定事項で、結論だ。ニートにでもなって親のすねをかじって生きていく、は否だ。何も楽しくないのだ。どうやって生きればいい?どうやって時間をつぶす?却下、却下。じゃあ働く?それもNoだ。金を積まれてもお断りだ。

仕方ない。誰でもできる、それでいて何の責任もないシンプルな方法で生きていくか。「諦めたらそこで試合終了ですよ。」いいだろう、ただしその試合、巻き込まれてもらおうじゃないか。どいつもこいつもぶっ殺してやる。


それでどうしたかって?

このクソゲーを止める選択肢はたったの二つだ。どちらかしか、私に取れる方法はない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る