昭和の夏の思い出

clipmac

第1話 夏休みが始まる

 昭和41年。戦後も終わったと言われた時代からかなり過ぎて、すでに高度成長時代の真っ盛り、レジャーに旅行にと世間でも嬉しそうな家族の笑顔がそこら中で観られた。


 多くの子供がウキウキワクワクとする夏休み。

 

 小学生3年生の私は明日からの休みを考えると嬉しくてたまらなかった。

 

 明日から始まる夏休の注意点を先生から聞いてる振りをしつつ、頭の中ではザリガリ釣りやプール、祖父母の別荘や家族旅行などの思って、頭の中に妄想が渦巻いてニヤニヤしていた。


 先生から配られたプールのカード、通信簿、先生からの連絡帳、採点されたテスト用紙、教室の隅に展示されてた図画工作の絵や作品などを沢山抱えて家路についた。





 かあちゃんに(この時点までの呼び名はかあちゃん・とおちゃんでした)通信簿と連絡帳、テスト用紙などを渡し、後で図画工作の作品などを見せるのがルーチンだった。


 勉強はまあまあ良くて親から怒られたことは無かった。

なので親が私に期待する図画工作にはお金を掛けてくれた。

というのも幼稚園で初めて他の園児と一緒にクレヨンで描いた絵が、何がこうしてそうなったのか、市から県にいき、文部大臣から奨励賞を頂いてしまったのだ。



 それ以降、毎年のように賞状を量産する私に、「この子には才能がある!」となってしまった母親に罪はないでしょう。とりあえず私が使いたい画材には金はいくらでも使ってくれたのはラッキーでした。





 父親の兄が会社の社長で父親は専務という肩書だが、仕事内容は左官さかんの職人で、若い衆を十数人抱える小さな会社でした。と言っても十数人職人を抱える会社は左官会社としてはそこそこの大手で、地元のゼネコンからは必ず契約できる会社でした。


 当時はビルがどんどん建ち始め、古い木造家屋がコンクリートに変わりつつある時代でした。



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左官屋さかんや:セメントを混ぜて壁や床に塗る仕事で、家やビルなどを建てる場合に必要な仕事です。大工と電気技師と同じく建築に関係する仕事。

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