アウラの息吹
歌川ピロシキ
給湯室の立ち話
「さて、と。これでよし」
上司に提出しようと立ち上がりかけたところ、ぬっと現れた手がひょいと書類を取り上げる。驚いて目を上げると、隣席の先輩が仏頂面で立っていた。
「鳩山先輩、どうしたんですか?」
「これは経理に出すやつだろう? ちょうど俺も提出するものがあるからついでに持って行く」
ぼそりと言うとそのままくるりと
(それに、よく見るとけっこうカッコいいのよね……)
短く刈り込まれただけの髪は清潔感こそあれ、ありきたりなつるし売りのスーツと相まってどこか野暮ったいが、すっきりとした
(いつも仏頂面だけど実は優しいし、もっとお話ししてみたいな……)
いつの頃からだろう? 鳩山の事をもっと知りたい、もっと話をしてみたいと思うようになったのは。
もっとも、柚希から話しかけることはほとんどない。変に意識してしまってなかなか言葉が出て来ないことせいもあるが、職人気質でストイックな彼の邪魔になりたくない気持ちが先に立ってしまう。
寡黙な彼の醸し出す
(うじうじしていても仕方ないわね。戻ってこられる前にコーヒーでも淹れて来ましょう)
給湯室に行くと、総務部の女性社員たちがおしゃべりに花を咲かせているところだった。
構わず入ると、ベリーとムスクの入り混じった香りが鼻につく。むっとするように甘ったるくて安っぽい香りは「恋に効く」と評判のフェロモン香水だろう。
こういう時は調香師の資格も持つ自分の敏感な鼻が恨めしくなる。
「うふふ、ちょっと香りきつかったですかぁ?」
「花山さん、香水なんて使ってるとこなんて見た事ないもの。お化粧だってとってもナチュラルだし」
「やっぱり開発企画室のバリキャリ様はお仕事で頭がいっぱいですもの。こういう身だしなみなんて気にしてる余裕、ありませんよね」
聞こえよがしに並べられる嘲笑交じりの嫌味についため息が出そうになる。
しっかりと作り込んだメイクにネイルで武装して、コロンの鎧を身にまとった彼女たちは常に他の女性たちの優位にたち、魅力的な男性を一人でも多く惹きつけることに余念がない。
一方の柚希は開発企画室の所属だ。製菓会社の新商品を開発する部署にいる以上、食品の微妙な味や香りを吟味する必要があるため、香水はおろか香りの強い化粧品は使えない。試作品づくりに立ち会う事もあるので髪も邪魔にならないようにひっつめにまとめている。
それでも自らを飾るよりは仕事にやりがいを求める柚希は平素全く気にしていないのだが、こうやって集団で揶揄されるとさすがにいい気分はしない。
「知ってる? ジャスミンとムスクって異性を惹きつけてその気にさせてくれるんだって」
「あたしもこれ買おうかな。今度の営業部との合コンで付けて行こう」
全く反応のない柚希に興味を失ったのか、彼女たちの話題はいかに合コンで男性を惹きつけるかに移って行った。
「さっきは何を話していたんだ?」
デスクに戻るなり、先に戻っていた鳩山に声をかけられた。
こちらにはちらりとも顔を向けず、手にした書類に次々と何かを書き加えながらというあたりが実に彼らしい。
(えっと……何の事だろう?)
雑談ではないだろう。生真面目な鳩山のことだ。仕事の話に違いないはずだが……いかんせん心当たりがない。
「ついさっき、給湯室で話し込んでいただろう」
顔じゅうに疑問符を貼り付けていると、何かを察したらしい鳩山がこちらに顔を向けてぼそりと補足してきた。
なるほど、総務部の女子たちが一方的に何か言っていたアレのことか。
「話し込んでいた訳ではありませんよ。総務部の子たちが香水の話で盛り上がっていただけです。営業部との合コンが近いのだそうで」
「香水?」
「異性の興味を惹くと人気の香水の話で盛り上がっていたようです。私は居合わせただけなので詳しくわかりませんが」
「そうか」
鳩山は自分から聞いてきた割にはそっけなく会話を打ち切って、また手元の書類へと目を戻した。
(えっと……今のは何だったんだろう? 先輩もああいう香水に興味があるとか? ……まさかね)
柚希は軽く
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