第10話白拍子、鍛冶屋に説得される

 銀十蔵から発せられた思いも寄らない言葉。

 そしてあまりにも確信している言い方。

 興江は悪人面の親分の様子を見て、本当に知っているのだと悟った。


「ご存じなんですね……ええ、知りたいですとも」

「教えてやってもいい。ただし条件がある」

「みかじめを増やすつもりですか?」

「そんな野暮なことはしねえ……お前さんも知っているとおり、今度夏祭りがあるだろう? そこでやってほしいことがあるんだ。まつりさんに」


 銀十蔵の言う『やってほしいこと』とは何なのか。興江には見当もつかなかった。

 夏祭りに関係することだろうが、興江は人が多い催しには出向かない。


「お前さんには俺の仲介としてまつりさんと交渉してほしいんだ」

「まずはやってほしいことを教えるべきじゃないんですか?」

「いや。無事に職人町まで連れ戻せたら言おう。別に戦えとか金をせびったりしねえよ。安心しな」


 極道に要求を隠されて安心できる者はいない。

 しかし従う他ないと興江は思った。

 彼は「分かりました。安心はできませんが」と皮肉混じりに応じた。


「あなたに頼るしかないようだ。不本意ですが」

「そのくらい警戒したほうがいいぜ。極道相手にはな」

「それで、どちらにいるんですか? まつりは」


 銀十蔵は再び口元を歪ませた。

 どうやらそれが彼本来の笑い方らしい。


「職人町から少し離れたところにある『楽芸神社』だ。あの娘、知ってか知らずか、芸事の神様の元で狂ったように踊っていやがる」



◆◇◆◇



氏素性や正統性は随分と怪しいが、楽芸神社は芸事の神様、アマノウズメを祀っているらしい。夏に行なわれる祭りはこの神社を中心に出店などが並ぶ。また一応、芸事の神様が主神なので、芸に通じた者の演舞や大道芸なども披露される。


 おそらく銀蔵一家はまつりを探そうと思って見つけたわけではない。自分たちが仕切る夏祭りの下見で来たら、たまたまいたというのが経緯だった。目的が異なったから見つけられたのだろう。


 まつりは失せ物探しが得意だ。ならば逆説的に見つからない方法にも長けているはずだ。彼女がその気になれば神隠しにあったように、存在を隠しきれるだろう。だから職人町の住人の中でまつりと会えるのは、現段階では興江しかいなかった。


「まつり! こんなところで何しているんだ!」

「あれ? 見つかっちゃいましたね」


 興江とまつりが再会したのは神社の裏手にある、鬱蒼とした小さな森の中だ。

 そこの拓けた広場で二人は会話をする。もっとも、まつりは気に寄りかかって座っていた。興江はその真正面に立っている。


「三日の間、何をしていたんだ?」

「稽古不足だって分かったので、気を引き締めていたのです」

「……怪我はもういいのか?」

「元から大した傷ではありませんから」


 問いながら興江は思っていた。違う、こんなことを訊きたいわけじゃないと。

 彼が本当に、まつりに訊きたいことは――


「まつり、お前はまだ――俺に刀を打てと言うのか?」


 どこか不安そうな表情で真意を問う。

 訊きたかったことなのに、本とは訊きたくなかった心情。

 しかしまつりは、興江の弱い部分に踏み込む。舞を踊るような大胆さで。


「ええ。打ってほしいと思っています。というより興江殿しか頼みたくありません」

「何故だ? どうして俺なんかに……自分の判断に自信を持てるんだ?」

「自信ではなく確信ですよ。それに私ではなく、興江殿を信じています」

「だから! どうして俺に――」


 興江は耐え切れなくなって、大声で喚いだ。

 木々に止まっていた小鳥たちが一斉に飛んで逃げる。

 ざわざわと森全体が騒ぎ出した。


「――打ってほしいんだよ。俺のこと、何も知らないのに」

「知らなくても分かることがあります。私はただ、刀を打てる人を探していたわけではありません。刀を打つだけじゃなくて、人ののことを考えられる方が良かったんです」


 人のことが考えられる。その意味がよく分からなかった興江。

 まつりは微笑んで「興江殿は優しいのです」と言う。


「初めて会ったときは、助けてくれようとしました。刀を打たないのに私の依頼のことを本気で考えてくれています。それに私のことを慮ってくれるから興江殿はここにいる。違いますか?」

「……違わないけど、理由にはならないだろう」

「いいえ。それこそが私の望んだことなのです」


 人のことを考えられて、慮れる――優しい人。

 それが刀を打つことに必要なこと。

 だけど、『興江の師匠』はそれを教えてくれなかった――


「馬鹿なことを言うなよ。善人だろ……分からないくせに、分かったようなことを言うなよ!」


 三十過ぎの男が少女に諭されて本気で怒鳴る。

 表現すれば滑稽なものだけど、必死になるくらい興江は避けたいことなのだ。刀を打つという行為は。


「興江殿。私は信じています。あなたが打ってくれることを。そしてその刀は素晴らしいものであると」


 二人の主張は平行のままだった。これでは埒が明かない。

 その場にいるのがつらくなった興江は「職人町に帰ろう」と言う。


「あそこの住人たち、お前が突然いなくなって淋しがっているぞ。特に子供たちがな」

「……まだ稽古の途中です」

「何の稽古なんだ? まさか人斬りを倒す稽古か?」

「…………」


 半ば冗談で言ったことだが、まつりは沈黙で返した。

 それを肯定だと受け取った興江は「やめておけよ」と止めた。


「相手は人斬りだぞ。危険すぎる。お前が強いのは分かっているが……」

「……ふふ。心得ております。実際に戦おうとは思っておりませんよ」


 まつりは笑みを湛えたまま「想定して舞っているだけです」と言う。


「あのときの戦いの緊張感を元にして、舞に工夫を与えようと思っております。単純な強さなど求めません。あくまでも芸事ですよ、優先すべきは」

「…………」


 偽りのように思えるが否定できる根拠がない。

 だから興江は「なら一度でいい。少し町に顔を出せ」と妥協案を出した。


「それが落としどころだ。分かったな?」

「……そうですね。皆さんに何も言わずに出て行った私に非がありますし」


 まつりは興江に晴れやかな笑顔を見せた。

 純粋無垢と言う言葉が似合うような、あるいは少女らしい表情。


「戻ります。私も子供たちとお世話になった人に会いたいです!」


 それは存外、明るくて優しくて希望に満ちていて、人の心を掴むような素敵な笑顔だったけど。

 興江には何故か、別の意図がありそうな気がしてならなかった。



◆◇◆◇



 一足先に興江は職人町へ帰った。銀十蔵親分のことはまつりに伝えた。彼女は交渉に了承した。仲介してくれと言われたが、それでいいだろうと興江は判断した。

 まつりは森を出て鳥居をくぐった。その先に銀十蔵が腕組みをして立っていた。まつりは「興江殿から聞いておりますよ」と彼に声をかけた。


「あの兄ちゃんも食えねえな。一緒に交渉してほしかったのに」

「親分さん一人でもできるでしょう?」

「否定しねえけどよ……それより、興江を連れてきたのは、余計なお世話だったか?」

「いえ。私には必要なことだったかもしれません。感謝申し上げます」


 以前の諍いなど無かったような振る舞い。まるで親戚の姪と叔父のようだった。

 わだかまりがないことを確認し合うと銀十蔵は「まつりさんに頼みたいことがあるんだ」と切り出した。


「今度、この神社で行われる夏祭りの舞台に上がってくれねえか?」


 楽芸神社の夏祭りにおける最大の催しとなるのは、芸事に秀でた者による舞台である。

 それが楽しみでわざわざ遠方から見に来る者もいる。


 また職人町を含めた一体の住人が集まるので、それを仕切る銀蔵一家の大きなシノギとなる。そのため、来年再来年も客が集まるようにと今年を大いに盛り上げようと多くの縁者を募集していた。


「私の舞を披露する場ということですね」

「まあ平たく言えばそうだな。もちろん金も出るぜ」

「お金はどうでもいいですけど……興味はありますね。是非出させてください」


 もしも興江と話してなかったら、光帯太夫との会話で自信を失っていたまつりは、出場を悩んだだろう。しかし参加することで今の自分の実力を確かめたかった。白拍子舞が江戸の人に通じるのか、試してみたかった。


 銀十蔵はてっきり断られると思っていた。だからいろいろと交渉の準備をしていたが、あっさりと受け入れられたので拍子抜けした気分となった。


「そうか。嬉しいねえ。細かい段取りは後で教える。夏祭りは五日後だ。よろしくな」


 銀十蔵はまつりの舞を知らない。ただ件の人斬り、乃村征士郎から白拍子は舞をするとだけ聞いていた。さらに言えば今年は例年より参加者が少ないため、にぎやかしとして頼んだに過ぎなかった。


 銀十蔵が去った後、まつりはふうっとため息をついた。

 それから顔を気を引き締めて――


「見ていてください、母上。見事に舞ってみせます」

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