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 伊勢神宮に行ってきた。当初は泊まりがけで二日くらいで行こうかと考えていたのだが、結局ホテルとかが高かったりそもそも泊まりが不馴れなので不安だったから結局日帰りの強行軍になった。

 ただ、我ながら何で行ったんだろうという感覚が未だにある。どうしても行きたい理由などは特に無かったのだが、強いて言うならここ最近神様系の動画をよく見ていたため、そういうものに関心が高い状態だったからかもしれない。思い立ったのはせいぜい一週間かそこら辺ぐらい前だが、最初現地の天気を見たとき曇りから雨という予報だった。それがある程度日程を決めたらちょうどその日が晴れていることになった。

 一説によればそういう変化は神の方から招いているというサインらしい。本当かは流石に分からないが、せっかくならそれに便乗しようかということで結構に至ったというわけである。


 今回メインの目的地は伊勢神宮の内宮。調べはじめてから知ったのだが、伊勢神宮には外宮と内宮があって、それぞれ違う敷地にある上に4キロほど離れているとのこと。外宮の方は駅からかなり近いが、内宮は位置的には結構奥まったところにある。もっとも、距離自体は自分にとってさほど問題じゃないため、あえてバスなどを使わず自分の足で行くことにした。なんかそうするべきという思いがあったのだ。

 そういえば、見ていた動画じゃ具体的な名前は出さずに神宮とだけ言っていたものの、なぜか明治神宮とかじゃなくてこちらのことだと認識していた。調べていたときに一応他にも神宮自体はあったというのに。まあ、御伊勢参り自体は以前から知っていたため、それがイメージとして残っていたからかもしれない。他の神宮には草薙の剣が納められているという熱田神宮もあったが、八咫鏡があるというこちらの方にシンパシーを感じたのでこちらにした。もっとも、行ったところで公開はしていないのだが。


 普段の仕事でも滅多に乗らないような朝早くから電車に乗り、ひとまず名古屋方面へ向かう。東京からは新幹線になるが、東海道新幹線なんて乗るのはいつ以来だろうか。まあ、他の新幹線にはしょっちゅう乗ってるのであまり感慨もなかったのだが。名古屋からは電車を乗り換え、およそ一時間半揺られる。長閑な田舎の風景が多くみられ、コンクリートジャングルに囲まれていた日々の生活より心なしかのびのびとできるような気がした。


 そんなこんなでなんとか午前中には目的地の伊勢市駅に到着する。乗っていた電車の乗客のほとんどがここで降りていたため、やはり有名な観光地なのだなと改めて認識する。同時に、穏やかに参拝などとはいかなそうで、こんな時期だから仕方ないとはいえ嘆息せざるを得ない。

 改札から外へ出ると早速鳥居がお出迎えをしていた。なるほど、さすがはお膝元。町自体がすでに神域の一部であるというアピールか。

 案内の看板がすぐ目に入ったため、ひとまず外宮の方へ向かう。詳しい理由は知らないが、お伊勢参りは外宮の方から参拝するというのが作法らしい。街並み自体は懐かしさすら覚えるような田舎のものであったが、それと相反するような人出であった。とは言っても足の踏み場もないとか犇めいているとかいう程ではないため、立地の影響は馬鹿にならないと改めて思わされる。

 この日の日差しは時期にしてはなかなかきついものがあったが、外宮の鳥居をくぐった先は木陰が続いており比較的過ごしやすかった。奥の正宮で参拝するが、ここで若干困った。


 まだ何も知らなかった子供のころであれば無邪気に他愛もない願い事をしていたのだが、後々神について知るようになると俗物のような願いをするのは気が引けるようになってしまった。

 そもそも神とは別に人の願いを叶えるための存在ではなく、それはあくまで一面、もしくは結果的にそうなったということでしかないらしい。詳しいことはあんまり覚えていないが、例えば初詣では神に祈願するという形で今年一年の抱負を誓うというのが元来の作法であったようである。まあこのあたりはかなりうろ覚えなため多々間違いはあるだろうが、要は金が欲しいだの恋人がほしいだのの抽象的な願いや、立候補もしてないのに大統領になりたいなどの行動が伴わない願いなんかは聞き届けてくれるわけがないのである。ある程度具体的でないとどうしようもないというのは、なんとなく日本の神らしい。

 そういうわけで、特に強い目的もなく、強いて言えばここに来ること自体が目的だったため改めて神前にて述べることがなかったのである。とりあえず世に平穏の在らんことを、などと思ってみたが、我ながらうさんくさいにも程がある。本当はしょうもないことを延々と言ってやろうかとも思っていたが、想像以上の人で長々と居座るのも気が引けるので手早く切り上げたのだった。

 ほかにも参拝できる場所はあったのだが、なんだか反発のような圧を感じたため早々に内宮の方へ向かうことにした。あまりにも薄っぺらい参拝に神の方も呆れたのか、

「はいはい、分かったからこんなところで油売ってないでさっさと行きなさいな」

 と、そんな風に言われているようだった。


 外宮から内宮へは本来バスを使ったほうが良いのだが、普段あまりバスを利用しないのもあってか使おうという気はさらさら無かった。幸い道自体はそこまで複雑でもなく、ちゃんと要所に内宮までの案内があったため迷わずに向かうことができた。

 そういえば、見知らぬ土地であるはずなのに不安も迷うこともほとんどなく目的地に着けたのは自分にとってかなり珍しいことだ。仕事柄移動は多い方なのだが、あまり馴染みのない場所だとしょっちゅう道を勘違いしてあらぬ方向へ行ったりすることも多いのだ。道中でもほぼ初めての駅での結構タイトな乗り換えのはずだったが、それでも問題なく乗り換えに間に合っているのでさらに珍しい。あくまで自分都合の旅行だからかもしれないが、ここまで順調だとやはり何らかの力が働いているのかもしれないと思いたくもなる。

 内宮に着くとやはり人でごった返していた。外宮以上に周囲の施設が充実しており、敷地自体も外宮より広いようだった。入り口の鳥居から橋を渡り、川を下に見ながら奥へと進む。外宮の時とは異なり、なぜか奥のほうへ吸い寄せられるような感触がした。もともと目的地だったからなのか、それとも何かしらの力が働いてるのか。   

 ちなみに、個人的に「そういうもの」は適度に信じることにしている。本当にあるかないかは分からないが、ないと世の中が味気ないと思うからだ。

 奥まで行き、参拝するもののここも人で多く、結局あまり当初想定していた行動ができなかった。道中舞をやっていたり、なんか偉そうな人たちが特別に他の人よりも前で参拝しているところに出くわすなど、ちょっと珍しいことはあったものの何の変哲もなく参拝は終わった。神馬も見ることができたものの、こちらに尻を向けていた上に人が群がっていたため、思わず馬の方に同情してしまった。もうちょっと広いところで走らせるなりする方が今の時代喜ばれそうなものだが、管理とかの都合もあるのだろう。たいそうな役に収まってしまったがために窮屈な思いをする羽目になるのは、馬も人も同じなのかもしれない。


 そうして途中の猿田彦神社に寄りつつ、歩いて駅まで戻った。だが、どうにも体調が思わしくなくなってきたため、名古屋あたりでメシを食う予定もキャンセルして帰ることにした。終わってみれば後悔こそしていないものの、何のために行ったんだろうという思いが残ることとなってしまった。どうにもすっきりしないため、後日近場の分社にでも行ってやることをやってこようと思う。

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