④
藍子と龍司は長い間、Penny Laneのカウンター席で話し込んでいた。
藍子がふと店の掛け時計を見ると、そろそろ終電に近い時間だ。
そろそろ帰ります、と藍子が席を立とうとすると、龍司もイスから立ちあがった。
「電車? 俺も同じ方向に帰るから、駅まで一緒に行くよ」
駅まで行くもう少しの間、龍司と一緒にいられるかと思うと藍子はまた嬉しくなった。
藍子は店のマスターの久住にあいさつすると、龍司と一緒に店を出た。
店のドアを開けてみると、外は小雨が降っている。
藍子は「あれ?」と心の中で呟いた。
今日の天気予報は雨が降るような確率ではなかったはずだ。
用心深い藍子は、毎朝必ず天気予報をチェックしていた。朝、天気予報を見て「今日は傘を持たなくても大丈夫」と思ったことをしっかり覚えている。
突然の雨に戸惑っている藍子とは違い、龍司は何でもないような表情をしながらカバンから折り畳み傘を取り出した。
「いつものことなんだ。俺、雨男だから」
(雨男……)
龍司から心の声が聞こえないアンジェリークの香りが漂っていたのはそのせいか、と藍子は納得した。
藍子の姉と父親は晴れ女と晴れ男で心の声が聞こえない。その反対の雨男でも心の声は聞こえないのだろう。
「リズみたいですね」
藍子は思わず呟いた。
藍子と龍司が好きなアドラーのボーカルのリズも、音楽界では有名な雨男だ。
見た目や雰囲気が似ているだけでなく、雨男という部分まで似ているのか、と藍子は驚いた。
「うん、それもアドラーに興味を持った理由の一つなんだ。もしなら、駅まで入っていく?」
龍司は手慣れた手つきで広げた傘を藍子に差し出した。
「えっ? いいんですか?」
「もちろん」
藍子と龍司は一つの傘に入り、駅までの道を並んで歩いた。
突然の展開に藍子は戸惑いながらも胸をときめかせた。
龍司に駅まで送ってもらえるだけでなく同じ傘に入って歩けるなんて、予想外の雨も悪くない。
同じ傘に入って龍司の隣を歩いてみると、思ったほど龍司の背は高くなかった。
ただその分、話の合間に見上げると、龍司の顔が近く見える。
藍子は龍司の顔を見上げながら、今日はなんて良い日なんだろうと思っていた。
大学の同級生の男子に振られた傷心を紛らわすために始めた占いのバイト。
まさか、そのバイトがきっかけでこんなにも良い出会いがやってくるなんて、占いができる藍子でさえも予想出来なかった。
振られた直後は落ち込んだし、学校へ行くことさえも憂うつだった。でも、思い切って始めた占いのバイトは順調だし、今日は龍司にも出会えた。
むしろ、振られて正解だったのかもしれない。
――助けて!
藍子は立ち止まった。
突然、頭の中に誰かの心の声が飛び込んで来たからだ。
――誰か、助けて!
さっきよりもはっきりと藍子の頭の中に心の声が響く。
この近くで、誰かが助けを求めている。
藍子は普段、他人の心の声がむやみに聞こえてくることはない。心の声が聞こえないように自分の体質をコントロールする術は知っていた。
気を抜いてしまった時や、ふとした拍子に聞こえてきてしまう程度だ。
でも、恐怖や怒りなど極端に強い感情の心の声は、コントロールしても頭の中に飛び込んで来る時がある。
今、聞こえてきているのは、恐怖の感情の声だ。
藍子は自分の横に建っている、古い雑居ビルを見上げた。
あのビルの二階に誰かが閉じ込められていて、心の中で必死に助けを求めている。
目元と口元を布か何かで覆われているらしく、声を出せないようだ。
頭の中に飛び込んできた声のトーンから考えると、自分と同い年くらいの女の子だろう。
(あの女の子、さっきめぐみと一緒にいた
藍子は声を上げそうになった。
どういう事情なのかはわからないが、あのビルの二階にめぐみの友達が監禁されているのだ。
めぐみの友達は一人でいるらしく、めぐみと別れた後に何者かに捕まえられてビルに監禁されたようだった。
「どうかした?」
龍司は藍子を見下ろすと、突然立ち止まった藍子に声を掛けた。
「いえ、あの……」
藍子は心の中で、どうしようと悩んだ。
すぐにビルに飛び込めば、めぐみの友達を助けられるかもしれない。
でも、まさかこのビルの二階に女の子が監禁されているなんて、龍司はもちろん誰も気付かないだろう。
めぐみの友達が監禁されていることがわかるのは、他人の心の声が聞こえる自分だけだ。
早く助けないと、めぐみの友達が危ない。
めぐみの友達を監禁した人間が近くにいるかもしれないから、男の龍司にも一緒に来てもらった方が良いだろう。
でも、めぐみの友達が監禁されていると龍司に教えたら、心の声が聞こえる体質がばれてしまう。
(だからって、あんな怖い思いをしている人を放っておけない!)
藍子は決心して、龍司を見上げた。
「あの、このビルの二階に女の子が閉じ込められているんです」
龍司は藍子とビルの二階を交互に見た。
二階の窓は真っ暗で誰かがいる気配はない。もちろん「助けて!」という声も聞こえてこない。
龍司は不思議そうな表情を見せた。
「本当に? でも、どうしてそんなことが……」
「女の子が心の中で助けを求めていたんです」
藍子は正直に答えたが、龍司には意味がわからないだろう。
でも、今は理由を話している時間はない。藍子は龍司の腕を引っ張った。
「とにかく、一緒に来てください!」
藍子はビルの中に飛び込んだ。
めぐみの友達が監禁されている部屋は、二階の一番奥の部屋のようだ。
藍子は部屋の前に着くと慌ててドアを開けようとしたが、後ろからついて来たであろう龍司が藍子の手を掴む。
「待って、俺が開ける」
龍司がドアノブを回すと、鍵がかかっていないらしくドアはすんなりと開いた。
藍子は龍司の後ろから恐る恐る部屋の中を覗き込んだ。
暗い室内で誰かが床に座り込んでいる。
暗闇に目が慣れてくると、さっき会っためぐみの友達が目元と口元だけでなく両手両足も布で縛られた状態で座り込んでいるのが見えた。
藍子と龍司は部屋中を見渡したが、部屋の中にいるのはめぐみの友達のようだった。
めぐみの友達をこの部屋に監禁したらしい人物は、どこにも見当たらない。
藍子は怪しい人物が部屋にいないことを確かめると、慌ててめぐみの友達に駆け寄った。そして、身体を縛っている布を解く。
「大丈夫?」
藍子が声を掛けると、めぐみの友達は藍子に抱きついて大声で泣き始めた。
「とりあえず、警察に連絡するよ」
龍司はスーツのポケットからスマホを取り出すと、電話を掛け始めた。
(無事で良かった)
藍子はめぐみの友達を助けられて良かったと思ったが、同時にこれからどうすれば良いのだろうかと考えた。
龍司に他人の心の声が聞こえる体質がばれてしまった。
藍子はこれから先のことを考えると、複雑な気持ちだった。
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