最終話 おやすみなさい

 のぼせた。視界がぐるぐるして、自分というコーヒーカップで回転しているみたいに、体がだるい。風邪、じゃないけど、風邪みたい。

「大丈夫なの。水分取りなさい」

 呆れた顔でお母さんが、スポーツドリンクを差し出してくれた。

 わたしは結構、長風呂で、平均三十分は入っている。だから、入浴は、一番最後に追いやられてしまった。気兼ねなくは入れて、いいけど。

「ありがとう」って受け取って、冷蔵庫で冷えたスポーツドリンクのペットボトルをおでこ、ほっぺた、首筋に当てるのが、儀式みたいになってる。

 お風呂に入って、のぼせて、ほてったときに飲む、冷たい飲み物は最高だ。それを飲みたくて、長風呂してるっていっても、間違いではないくらいに。

 水も滴る、ペットボトル。

 よく冷えたスポーツドリンクは、のど元過ぎても冷たくて、生温かい臓物が、じんわりと冷たくなる感覚が、ほてった体に気持ちいい。体の中を、浄化してくれているみたい。

 この感覚が癖になって、快感。病みつき。脳内麻薬。中毒。

 きっと、真夏、仕事帰りの疲れ切ったサラリーマンが、ジョッキに注がれキンキンに冷えたビールを、飲む感覚に似ているのかなって思う。

 

 体が内部からゆっくり、冷めて、吐き気も引いた。

 少し、綺麗になった、気分。

「冷えピタ、いる」

「ううん、もう大丈夫。だいぶよくなった」

「ならいいけど。気を付けなさいよね。のぼせるまではいったらダメよ」

「うん」

 気を付けながら、のぼせることにする。

「じゃあ、宿題あるから、二階、上がるね」

「階段、大丈夫」

「大丈夫」

 リビングで映画に見入っている、お父さんにも「おやすみ」っていって、わたしは二階に上がった。十一時、あと一時間で、今日が終わって、明日がくる。

 いや、明日がくるんじゃなくて、わたしが明日へ、いくのかもしれない。どっちでもいいけど、考え方によっては、明日のとらえ方が変わってしまう大発見だ。

 勉強机のデスクライトだけに照らされて、部屋の中はまっくら。明るい部屋より、暗い部屋の方が、意外と、集中できる。

 雑音があった方が、学習力が上がるって話しを、以前聞いたことがるけど、本当なのかって疑う。静かな方が、わたしは集中できる。音楽とかも駄目だ。

 一つの物事にしか、集中できない。

 それだけ、集中力が、ないのかもしれない。

 なにかをするときは、雑音がなくて、気の散るものを、すべて排除する。とっても、孤独で、虚無になるくらいに、意識の深く、深くに潜って、いく感覚。

 そういうとき、集中している。

 近くに、ライオンがいても、わからないくらいだ。きっと、そんなわたしは、真っ先に食べられてしまうだろう。


 ちょうど、電気を消して、かすかな明かりだけで、視野の狭い、一つの物事だけしか照らしていないデスクの上。物事と、わたしだけの世界を、創る。

 集中の波が繰り返して、勉強が終わったのは、十二時だった。

 デスクライトも消して、ベッドに入るけど、勉強のあとで、脳が興奮していて眠れない。

 余計眠れなくなるって、わかっているけど、わたしはスマホを起動させてみた。A子と、B子からメッセージがきていた。昨日あった、人身事故のことを、心配してくれる内容だった。

 二人の方がいろいろ大変なのに、周りに気が配れて、とっても、やさしい。辛さ、苦しさを知っている人の、本当のやさしさだ。

 二人がわたしに、やさしくしてくれるから、わたしも二人にやさしくしたいって思う。なら、二人がわたしにやさしくなければ、わたしは二人にやさしくしないのか、っていわれるかもしれないけど、実際そうだ。

 わたしは、利己的な損得勘定で、やさしくしているだけなのだ。


 この人にやさしくしていれば、いつか自分にも、そのやさしさが還元されるかもしれない。自分にやさしくない人に、わたしは、やさしくない。

 そんなわたしを、冷血な女だと思った人は、本当にわたしのことを非難することができるのか。きっと、できる人なんていないんだ。汝の敵を愛せよ、や、汝の隣人を愛せよ、なんてできる人が、この世界に何人いるだろう。

 もし、それができる人は、感情も持たず、心を持たない、誰にでもやさしい博愛主義者だ。

 みんなを愛せるってことは、結局は誰も愛していないってことだ。みんなにやさしいってことは、誰にもやさしくないってことだ。やさしさに包まれた世界には、やさしさすらないってことだ。

 だから、わたしは、わたしにやさしい人には、やさしくしたいって思う。みんながみんな、みんなにやさしい世界になれば、みんながみんなにやさしい世界になる。限りなく。そう、廻るって、願いたい。

〈大丈夫だったけど、電車動かなくて、タクシーで帰った~。ほんと、最悪〉って、軽い感じで返信した。

 返信してしまってから、最悪って言葉は、軽率だったと思った。

 そんな反省、何回目だろう。

 簡単に発言できるようになって、言葉が安く、軽く、なった。昔だったら、ペンを使って、紙に書いて、投函するという、いくつものステップがあったけど、今ではフリックして、すぐに送信という、投函ができるようになって、軽率になってしまう。

 

 頭の中で、よく考えもせず、すぐに外に掃き出してしまう。

 手紙を受け取る相手のことを、考えながら書く、絶滅危惧の人。

 五分もしないうちに、A子とB子から返信があった。どうやら、まだ起きていたらしい。

 簡単に発信ができることに対して、ああだ、こうだ、厭世(えんせい)的なことを、賢ぶっていっているけど、すぐに連絡ができるようになったのは、メリットの方が大きいのだ。

 なのに、いい側面を見ないで、悪い側面ばかりを取り上げて、不満ばかりいっている。

 そんな、わたしの方が、よっぽど質が悪い。

 文明の幸福を享受しているのに、いう資格なんてない。ほら、今もこうやって、すぐに返信があって、とっても嬉しくて、ウキウキしているのに。

 文明の利器を使い倒して、幸せを享受し尽くして、遊ぶだけ遊んで、キリギリスのように、滅ぶときは滅べばいい。未来を生きる人たちには、少なからず悪いと思う、けど、過去の負債をすべて背負って、滅べばいい。わたしのために、滅んでちょうだい。

 ごめんなさい。

 ありがとう。


〈そりゃあ、災難だったね。テレビのニュースで人身事故のことやってて、その時間、もしかしたらって、思ったんだよね〉とA子。

〈心配してくれて、ありがとう。テレビニュースでもやってたんだ〉とわたし。

〈うん、どうやら、うちの学校の生徒っぽいよ〉

 ふと、昨日の朝の電車で、おばあさんに席をとってあげた、あの男子高校生の姿が、脳裏をよぎった。わたしは、あの親切な、男子高校生が自殺したんじゃありませんように、って祈った。

〈まじで。誰、名前は〉

 グループチャットに、B子も加わった。

〈名前はわからないけど、一年生らしいよ〉

〈へ~、いじめとか、あったの〉とわたし。

〈あったにしろ、なかったにしろ、どのみち、明日から、いや、もう今日か。今日から聞きこみとか、もしかしたら記者がきたりして、大変になるかもよ〉


 もし、記者とか、学校から、いじめがあったかどうかを訊かれたら、「知りませんでした」って答えるしかなかった。

 きっと、知っているのに、見てみぬふりをしているんだって、なにもしらない他人って野次馬は思うだろう。それも、仕方ないのだ。無責任な部外者たちの、憂さ晴らし、正義感の押し付けを、止めることはできない。

〈まあ、そういうことだから、しばらく騒がしくなるかも〉

 お互い、なにはともあれ、〈気をつけようね〉いいあって、〈辛気臭くなったっちゃね〉とA子は、顔文字を使って、明るい話題に切り替えた。

〈最近、遊んでなかったから、今度の休み、三人で遊びに行こうよ〉とA子が提案した。

〈二人とも用事ないよね〉

〈うん。私は大丈夫〉とB子。

〈わたしも、大丈夫〉とわたし。

〈よし。じゃあ、今度の休み、一日遊び廻ろう〉

 三人で遊ぶ約束を交わして、チャットは終わった。

 やった、とわたしはベッドの上で、身もだえた。

 久しぶりに、二人と遊べることに、わたしは興奮して、余計に眠れなくなってしまった。

 

 いろいろなことが、頭の中で、嵐のように荒れ狂っている。深夜の、変な気分になって、わたしは、もう一度スマホとって、ある検索をかけた。

 見ない、調べない、係わらないと決めていたのだけど、鶴の恩返し、浦島太郎などの、昔話が語っているように、いけないことほど、見てみたいのだ。まるで、性的な興奮に似ている。

 わたしは、アダルトサイトを調べるのに似た気分で、人身事故を調べてみた。 

 いろいろな、検索結果がヒットした。

 詳しく書かれた記事はないけど、警察は自殺の可能性が高いと見ているらしいことを知った。野次馬な自分に嫌悪しながらも、やめることはできなかった。さらに、調べていくと、SNSに、事件のことがいろいろ書き込まれているのを発見した。

 弟が言ったように、事故当時を撮影したらしき動画や画像が、投稿されていたらしけど、投稿が削除されていた。何人の人たちが、無残な轢死体を、見たのだろう。

 その、轢死体を見てみたいって思うわたしと、そんな好奇心に嫌悪するわたし。


 いろいろあっただろうけど、終われて、よかったねって、思うのもやさしさだろうか。残酷な、やさしさ。終わりきれずに、未遂の影響で、後遺症が残ってしまったら、そっちの方が、救われない。

 終わるのは、悲しくて、幸せになれないことだけど、最期にとびきりの勇気を出して、終わりきれなかったら、それも悲しい。

 きっと、彼だって、飛び込みたくはなかった。もう少し、その一歩を踏み出す勇気を、待っていれば夜は明ける、って部外者がいってあげたって、救えない。 

「幸福は、一夜、遅れて来る」らしいから。

 幸福さんは、とっても、足が遅いのだ。

 そんな、ことを思うわたしは、悪い子だ。

 悪い子なわたしも、いい子なわたしも、どちらも、わたしで、かすかに存在する、罪悪感こそが、わたしのやさしさ。

 

 部外者たちの書き込みを流し見していたけど、いろいろな意見があって、気分が悪くなる。

 さすがに、これ以上、キャパシティーが持たなくて、読むのをやめた。

 ベッドに仰向けに倒れ込む。

 ブルーライトで鈍っていた目が、闇に慣れると、カーテンの隙間から差し込む光が、丁度わたしの顔に当たった。いつもより、月が明るいのに気付いた。

 子供っぽい柄のカーテンを開けると、白銀の光が、絵のない絵本みたいに、やわらかく、やさしく、見守ってくれていた。月は潤んでいる。

 お月さまに、そっと笑いかけてみた。

 今夜は満月。雲の流れさえも、ハッキリと見えるほど、明るい。濃紺(のうこん)色の空には、点々と星がきらめいている。

 青く燃える星、燃え続ける星が、ある。

 ああ、綺麗だ、と思う。泣けるくらい綺麗だ、と思う。

 わたしはカーテンを開けて、眠るまで、夜空を見ていた。

 さようなら、お月さま。

 さようなら、太陽。

 さようなら、世界。

 さようなら、みんな。

 さようなら、わたし。

 再び、目覚めるときまで――さようなら――。 

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或る女子高生の愉快な憂鬱  物部がたり @113970

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