殺したのは彼女だった

枝葉末節

殺したのは

 殺したのは彼女だった。

 カーハンドルに額を押し当てながら、じわじわと何が起こったか思い出していく。冷房が入っているはずなのに、ぶわっと汗が湧いてそのまま止まらない。ほとんど寝間着に近いTシャツが濡れて、肌に張り付くのが気持ち悪かった。

 車内の温度を限界まで下げる。途端に強風がゴウゴウと騒ぎ、車内がノイズでかき乱されていく。その最中であっても、後部座席からあの声が聞こえてきた。

「死体を棄てに山中車を走らせる。ベタな発想ね」

 マキアの失笑。聞き馴染みのある、人を揶揄する響き。咄嗟に、「黙っててくれ」と呟く。いつもならもっと強気で声を出すのに、今ばかりは掠れていた。それほど思考に余裕はなく、ただひたすらにアクセルを踏み込む。ヘッドライトが行く先を照らすが、ガードレールから先の麓までは見えない。どれだけ深いのだろう。

「どうしたの、そんなに震えて」

 なおもマキアはからかってくる。彼女が言う通り、身体はカタカタと小刻みに震えていた。原因は言われずとも分かっていたが、だからといって止められるものでもない。むしろ自覚することでよりいっそう余裕がなくなっていく。抑えようと働く意志が思考のリソースを割いていった。

「ああ、本当に無様ね。見ているこっちが居た堪れなくなるわ」

「黙ってろ……黙ってろ……!」

 以前同じ口調で嘲られたのを彷彿とさせる。そのときはただムッとして無口になっただけなのに、現在は口を閉ざすという思考が取れない。嘔吐めいて沈黙を強制させるが、徒労に終わるだけだった。

「大丈夫? 救急車呼ぼうか?」

 声音は軽快に、けれど脳裏に響く言葉は重々しい。マキアの声が聞こえる度、正気と狂気の境い目を右往左往する。酒浸りな脳が痛みを主張。黙れ、黙れ。

 がつん、とハンドルへ頭を打ち付ける。クラクションが鳴り響く。アクセルを踏み抜いた。

「ねえ――どうして」

 不意に、泣き啜る声。

 聴くな。耳を塞げ。なにも見るな。まぶたを閉じろ。

 ――どうして、殺したの?

 突然車体が大きく揺れる。衝撃で吐息が漏れた。慌てて目を開ければ、車体はガードレールを食い破り、そのまま奈落の底へとボンネットを傾ける。カーライトは激突で破損し、辺りが全て闇に包まれた。

「は……ハハ、ハ」

 傾いた後部座席から、ごろりとマキアだったモノが転がってくる。その表情は、薄ら笑いを浮かべているようで。そして俺も、なぜか笑っているようで。

 目を閉じる。記憶を回帰する。泥酔した中で締めた首の細さを。弱まっていく脈拍を。こぼれ落ちる涙を。

 

 俺が殺したのは、彼女だった。

 俺を殺したのも、彼女だった。

 

 短い浮遊感に包まれて――そこで意識は、閉ざされた。

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殺したのは彼女だった 枝葉末節 @Edahasiyou

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