第6話

 不味い。非常に不味い。

 口元を抑えながら、足早に廊下を歩く。何人かの生徒とすれ違い、その度に教師モードに切り換えるのに必死になる。

「せんせー、バイバーイ」

「はい、さようなら。気をつけてね」

「あ、菊地先生っ! まったねー」

「また明日。寄り道するなよー」

 新校舎の端にある保健室から昇降口の隣にある職員室までは、そう遠くない。そう遠くないはずなのだが、何故か今日は遠くに感じた。

 先程のあの子の表情かおが脳裏をよぎる。「せんせ……」と呼びかけられた時、我慢ができなくなりそうだった。あんな頬を染めて、潤んだ瞳で見つめられたら、ぎゅっと力強く抱きしめたくなってしまう。

 気付かれなかっただろうか。

 タイミングよくあの子の幼馴染である紺野が来て、ほっとしたのと同時にがっかりした自分がいた。教師失格だ。だけど、仕方ない。この想いが止められなくなっている。

 あの日から僕は――――。

「あら、菊地先生? 本城さん、どうでした?」

 やっと職員室にたどり着いたと思ったら、会議が終わったらしい鈴木先生と出入り口でばったり出くわした。

「ああ、鈴木先生。お疲れ様です。さっき、紺野が来て、一緒に帰ってくれるとのことだったので、彼女に任せました。水分取らせたら、少し顔色も良くなってましたし」

「そうですか。良かった。受験生だから、根詰めてないか少し心配で……」

「ですね。今日は休むように言っておきました」

「先生も付きっきりでありがとうございました」

「いえいえ」

 鈴木先生は、流れる水のようにゆっくりとお辞儀して、保健室へ足を向けた。

 そのまま職員室に入ろうと扉に手をかけた時、鈴木先生が何かを思い出したように振り返った。

「あ、菊地先生」

「はい?」

「卒業するまでは気を付けて下さいねっ」

 にっこりと微笑みながら、何事もなかったかのように軽やかな足取りで遠ざかっていく。

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 けれど、瞬時に脳内で鈴木先生の言葉が反芻され、僕は頭を抱える羽目に。

 バレてる。完全に鈴木先生にバレてる。

 不味い。そんなに分かりやすかったか?

 自問自答しながら、のろのろと自席につく。

 やはり、女の人は勘が鋭い生き物なのかもしれない。そう確信しながらも、バレてるのが鈴木先生で良かったと思っている自分もいた。

 他の人に言うような軽い人ではない……と思うから、心配することはないだろう。でも、今後はもうちょっと注意しないと。あと約半年は、バレるわけにはいかないから。

 そっと引き出しを開け、小さな箱を取り出す。本人は覚えてないかもしれないが――――。

 まだここに赴任してきたばかりの頃、あの子からもらった黄色いの押し花が入っている。

 僕がキミに恋をしてしまったあの日のまま。

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